185 少女の気持ち
ナギとリナと共にリーンフェルトもまた祭りを楽しんでいた。
大通りを埋め尽くす露店にはケフェイドでは見かけない物も多い。
それはとても目新しくついつい足を止めてしまう。
ちょっと奥まった路地に展開されていたのは輪投げである。
竹から作られた小振りの輪を無作為に配置された棒へ向かって投げ、入ればその景品を貰えるというものだ。
ケフェイドの祭りはどちらかと言えば収穫祭に近い。
秋に実った野菜や果物を持ちより、来年の豊作を願うという感じで、露天こそはあるがアトラクション的な物は少ない。
「お姉様輪投げですよ、輪投げ!」
ナギがニコニコしながら輪投げ屋に駆けて行くと、それを追うようにリーンフェルトとリナも後に続く。
「よぅ嬢ちゃん達。輪投げやってかないかね?」
手拭いを頭に巻いた露店の店主が腕一杯に輪を潜らせて近寄ってきた。
彼は黒豹のベスティアのようだ。
光沢のある毛並が非常に美しく、思わず触りたくなるほどである。
そんな彼が直ぐにナギに気が付き五本ずつ輪を手渡してくれた。
「ナギ嬢ちゃんでしたか、どうぞやってってくださいな」
「ではスケロクのご厚意に甘えちゃいます。お姉様方も楽しんでいきましょう」
「嬢ちゃん達この柵を越えるのはルール違反だが、それよりも離れて投げる分にはいくらでも離れてて構わないよ」
見れば足元には膝くらいまでの高さの柵があり、どうやらこれの事を言っているようだ。
「なるほど……ここから投げるのですね」
「そうだよ。あぁ腕を伸ばす分にはセーフって事にしているから手前の小物狙いってのも悪くないよ」
確かに店主の言う通り手前の手の届きそうな所には、ビー玉やおはじき、竹で作られた水鉄砲などが並んでいる。
「お姉様ここは大きく特賞狙いで行きましょう」
「特賞ですか?」
そう言って一番奥に鎮座している景品に目をやるとそれが飛び込んでくる。
「……ナギ本気で言っているのですか?」
リーンフェルトは思わずナギに聞き返すと、彼女は笑顔のまま大きく頷く。
「お嬢様あれは……」
「えぇ……等身大サイズの初代様人形とありますね」
ナギが狙おうと言っているのはカインローズくらい体格の良い初代様である。
金色の髪を足元まで伸ばし戦装束に身を包み、背中には黒抜きされた雷をあしらった陣羽織まで装備している。
腰には二振りの刀で鞘は朱色に塗られている。
「あれは確か……」
リーンフェルトは知識を総動員してそれについての知識を引っ張り出す。
「御神体奪還作戦編の最終決戦バージョンですね」
「流石ですお姉様!」
ナギが飛び跳ねて喜ぶのは無理もない。
何故ならそれはママラガンに到着して直ぐにナギの蔵書からリーンフェルトに貸し出された初代様シリーズの中でも特にナギが好きな話だという事で最初に薦められた話だったからだ。
ちなみにシリーズの第三巻であり一巻と二巻を抜いて先に読んでしまっても問題のない作りとなっている。
第一巻の出生編と第二巻の立志編に関してのナギの考察はこうだ。
「第三巻での初代様を見てからの方が、どうして彼がこのような素晴らしい人物になったのかを紐解く上で重要なのです。お話の入りやすさを考えると順番を入れ替えて呼んだ方が面白かったりするのです!」
との事だったのでリーンフェルトは薦められるがまま第三巻を読んでから第一巻と第二巻を読んでいる。
当然リーンフェルトにもこの初代様のバージョンには思い入れが強く記憶に鮮明に残っている。
「あぅ……やっぱりあそこまでは輪が届かないのです……」
早々に五本全てを特賞につぎ込んだナギがそんな声を上げる。
ナギの力では初代様が鎮座している最奥の棚まで輪が届かなかったのである。
「お姉様方ならきっと取れますから頑張ってください!」
後は託したとばかりに応援するナギにリナとリーンフェルトは苦笑する。
「ではナギの為に頑張りますね」
「そうですわね。ナギお嬢様の為に本気を出しますわ」
リーンフェルトの一投目は大きく右に逸れて行ってしまう。
「これはコツがいりますね……」
どうも竹で出来た輪にはそれぞれに癖があるらしく、この輪投げの難易度を格段に上げていると思われる。
輪一つ取って見ても大きさこそ統一して作ってあるが、微妙な重心の違いや反り返りによって投げた時の感触がどれも一定ではない。
同じ作りであるならば何度か投げた所で感覚も掴めそうな物だが、一つ一つが微妙に違うと手ごたえが違うのだ。
これは鋳造品の剣選びのような物だ。
どれも同じ形だが、その実品質が一定ではないのだ。
最も鋳造の剣は安価ではあるが強度の面にも問題があって、駆け出しの冒険者か農民上がりの兵士が持っているかくらいしかお目に掛かった事が無い。
後は士官学校の訓練場に無造作に樽に入っていたくらいか。
三本投げたくらいでそのあたりの事が把握できたのは行幸と言えよう。
四投目は初代様の所にある棒にぶつかり惜しくも入らなかった。
五投目に行くところで一度リナへと交代する。
「投擲に関して言えば私に勝てる者はそういませんわ!」
そう言って颯爽と輪を構えて横薙ぎに腕を振るえば、先程のリーンフェルトと同じように初代様人形の棒に当たる。
「ほぉ……一投目からあの棒に当てるか。お客さん中々やるね。本職かね?」
「いえいえ……私は嗜む程度ですわ」
「ははは何を謙遜しているんだね。君の腕なら国の隠密にだって推薦できるよ」
ちょっとだけ店主のスケロクの目つきが変わったのは気のせいだろうか。
リーンフェルトから見てスケロクという店主は一見町人の様にも見えるが、地味に骨格が良い。
カインローズのように筋肉を纏っているという訳ではないが、とてもしなやかな動きが見て取れる。
客の投げた輪を軽やかな足取りで回収する様は、少し武術を嗜む者ならば気が付いても不思議ではないレベルで洗練されている。
極めつけはその足取りから全くと言って良い程足音が聞こえない事である。
彼も恐らく只者ではないのだろう。
気が付けばリナもまた四本を投げ終えた所である。
いずれも棒には当たるが高さが足りていない為に入らないという結果に終わっている。
あのリナが当てこそすれど、全く入らないと言うのはカラクリが有るのかもしれない。
「リナさん……あの」
そう話しかけた所でスケロクが割って入ってくる。
「嬢ちゃんこっちの嬢ちゃんが集中してるんだから、話しかけてちゃ駄目だよ」
などと言われて牽制されてしまい、話しかける事が出来ない。
あの棒、実はもう少し長いのではないだろうか。
目の錯覚かどれも同じ長さ、同じ高さの様に見えるが、見えているだけなのかもしれない。
そうは思ってもリナにそれを伝える事が出来ないままリナが最後の一本を投げるとやはり棒の胴体部分に当たり商品を手に入れる事が出来なかった。
「……悔しいですわ。折角あれを取ってお嬢様方に良い所を見せようと思っていましたのに……」
そう言って場所をリーンフェルトに譲る。
先程のリナと同じ場所に立って改めて初代様の棒を見れば微かに魔力を感じる。
やはりあの棒の真上という局所的な部分にだけ認識阻害の光魔法が発動している様に思える。
これではイカサマではないか。
小さな子供も客の中には混ざっているのに、中々えげつない事になっている。
リーンフェルトも仕返しとばかりにこっそりと吸収の能力を使うと薄らと認識阻害の魔法がはがれていき、微かに本当の棒の長さが見える。
やはり目の錯覚で周りの棒と同じような長さに見せかけた上に、認識疎外の魔法まで使って普通の客には分からない様にしているみたいだ。
この不正をどう暴いてやろうかとリーンフェルトは考える。
まずは最後の一投で初代様人形を手に入れてからにするとしよう。
今のリーンフェルトには正しく初代様の人形を手に入れる事の出来る棒が見えている。
その棒は幻影のさらに後方にあるのだ。
大きく弧を描くように投げる必要がある。
リナの様に直線的に狙うと幻影で隠された棒に阻まれるという仕組みの様である。
タネさえ分かれば後はコントロールの問題だ。
幸いにしてカインローズとの修行で重心の狂っている武器の扱いなども訓練している。
勿論リナに及ばないまでもそれなりに投擲についても教わっていた。
「行きます!」
「お姉様頑張ってください!」
「お嬢様ご武運を」
そう声を掛けられながらリーンフェルトは今までの様な直線的な投げ方から、気の抜けた放物線を描くような投げ方へと変えている。
リーンフェルトの投げた輪は幻影のトラップを華麗に躱して、綺麗な弧を描いて景品の棒へと吸い込まれていった。
「なっ……馬鹿な」
スケロクが驚いて声を上げるのを見ながら、リーンフェルトは彼に声を掛ける。
「ではこれは頂いていきますね。これは……ナギにプレゼントしますね」
「ありがとうですリンお姉様! これは後で家の者に引き取らせに来ますね」
「あぁ……ナギ嬢ちゃんのうちの者なら良く知っている。必ず渡しておくよ」
輪投げの目玉商品を取ったリーンフェルトには周りの客から惜しみない拍手が送られた。
三人は輪投げ会場を後にする事にした。
結局の所リーンフェルトは断罪するのは止めている。
と言うのも去り際にスケロクがリーンフェルト達に声を掛けて来たからである。
「ナギ嬢ちゃんの連れの方々どうだろうか。この国の隠密になりませんか?」
「それは一体……?」
「どういう事ですの?」
疑問符が浮かぶリーンフェルトとリナを余所に、ナギが彼について補足してくれる。
「彼はアシュタリアの隠密頭の一人で、輪投げは簡単に言うとテストなのです」
たははと笑うスケロクは改めてリーンフェルト達に頭を下げる。
「まぁそういう訳です。罠を見破る事、バランスの悪い暗器を扱える事、相手が不正をしていてもその場で断罪しない自制心がある事がテストの条件ですな。そう言われるとテストな気がしてくるでしょう?」
「確かに言われてみればそうかもしれませんが……何故お祭りで、ですの?」
リナが不思議そうにそう尋ねると彼は答えを教えてくれる。
「こういう時だからですよ。身分に関係なく皆が平等に楽しんでいる中で確かな目を持っている事は冷静で有るという事に加えて、ちゃんと結果から分析が出来るという事です。バランスの悪い物を扱っても物を投げて相手に当てられるコントロールはどんな局面のどんな状態でも何かで反撃が出来るという事です。結果任務の生還率が上がります。最後に不正を人前で断罪しない事ですが、下手な正義感は任務の失敗を招く上に自身の身の危険も招きます。裁く事はお上の方が本分というものでしょう。我々はまず事実を持ち帰り、然るべき手続きの後悪を一網打尽にするためにいるのですから。自己顕示欲を満たすような人物ではいけないのです。それでどうです?」
「どうですと聞かれても……困ってしまいます」
「分かりました。もし気が変わったら連絡をください。では私は輪投げ屋に戻りますね」
最後はあっさりしたものでさっさと身を引いて、また輪投げ屋の店主へと戻って行った。
「リンお姉様もリナお姉様もどうですか? アシュタリア隠密部隊に転職してくださっても良いのですよ?」
ちょっと期待の籠った瞳がリナとリーンフェルトに向けられる。
そうすればナギは折角仲良くなれた二人と別れなくても済む。
しかし二人は異国にあるアル・マナクのセプテントリオンである。
今のところ、所属を変える気は二人には無いようだ。
「今はセプテントリオンに所属してますから、流石に難しいですね」
「ですがお嬢様、アシュタリアは高待遇で迎えてくれるかもしれないですわよ?」
「ちょっとリナさん!」
「そうです。高待遇なのですよ? お姉様方」
「私はお嬢様がこちらに鞍替えするのならお供いたしますけど?」
「もう……話が拗れてしまうではないですか……」
リーンフェルトは苦笑を浮かべてリナの表情を見る。
どうやらリナもリーンフェルトの考えと同じらしく、小さく頷いて見せる。
スケロクとナギが顔なじみである事は何となく想像出来た。
そして輪投げをやろうと誘ったのもまたナギである。
恐らくテストをやっている事も彼女は知っていたのだろう。
だからもし仲良くなった二人を手放したくないのであれば、アシュタリアに誘うという手段くらいしかない。
この二人ならばテストにも合格するだろうとナギは踏んでいたのだろう。
仮に合格できなくてもコウリウ家の力でそれをねじ込めたはずだ。
その筋書が見えて来れば、彼女の気持ちも想像が着く。
なのでリーンフェルトは彼女を怒る事しない。
「ナギ……そんなに心配しなくてもその内また遊びに来ますよ。約束です」
「本当ですか? リンお姉様」
「えぇ、その時はちゃんとリナさんも一緒に連れてきますので」
ナギと仲良くなったのはリナもなので一緒に遊びに来た方が良いだろうと判断する。
「ほ、本当でございますか? お嬢様! お嬢様と二人きりで二人旅……」
しかし身の危険を感じる程、勢いよく食いついて来たリナに危機感を覚えたリーンフェルトは慌てて付け足す。
「もちろんカインさんも一緒ですよ?」
リナもまたリーンフェルトがあからさまな牽制に入った事で、ちょっとムッとした感じになる。
「意地悪ですお嬢様……絶対に許しませんわあの男」
しかし敬愛するリーンフェルトには矛先が向かず、カインローズへと向けられている辺り彼の不幸さを感じずにはいられない。
「リナさん目が怖いですよ」
「……それは失礼致しました」
「と、冗談はさておきナギとはもう仲良しではないですか。大丈夫ですよ、だから安心してくださいね」
「リンお姉様……分かりました。ちょっと焦ってしまいましたです。もう大丈夫なのでお祭りの続きを楽しみましょう! この後は確か花火もあるのでお楽しみにですよ」
そう言ってナギは気持ちを切り替えて二人の手を引いて祭りの雑踏に紛れていったのだった。