183 祭囃子
カインローズが持って来てくれた夜食を部屋で食べたリーンフェルトはそのまま眠りについた。
普段よりも疲れていた為か、いつも起きる時間よりも少し寝坊をしている。
外は穏やかな雨が降っており、雷のヘリオドールがこの国から本当になくなったのだと実感するのには十分な物だった。
むしろ長くアシュタリアに滞在しているせいか雷の鳴らない事への違和感の方が強いというのが、実に妙である。
着替えを終え、遅めの朝食を取った後、今回の件についての報告書を作成し始める。
ここで休みを取らずに仕事をしてしまうあたりリーンフェルトの生真面目さが伺えるところだが、仕事を始めて早々に邪魔が入る。
「なんだ。休んでなくてもいいのか?」
勝手に部屋に入ってきたカインローズがそう声を掛けて来たので早速抗議する。
「人の部屋に入る時はノックくらいしてください」
「いやちょっと、開いてたもんでな」
「……それでもです。着替えてたりとかしたらどうするのですか?」
「ん? どうもしないが……?」
カインローズの回答に少々傷つきながらも話を進める事にした。
「それでどうしたのですか?」
「あぁ用事な用事。今回の件について報告書をだな」
「もう始めてますが?」
「なら良いんだが。そうそうそれとアウグストからお前に休暇が出ているぞ。昨日はかなり無茶したんだろ?」
無茶と言えばかなりの無茶をしたというのが実情なので何も言い返せない。
あの状況でシャハルが居なければ、恐らく自身で魔力を消化できずに身を滅ぼしていた事だろう。
そのシャハルと言えば内側に存在を感じるものの、話し始める気配などがないので寝ているのだろうと思われる。
起きたらちゃんとお礼を言わないとと心に留めていると、徐にカインローズが話し始めた。
「それとな。今度祭りをやるみたいだぞ」
「お祭りですか?」
「あぁ、御神体に今までありがとうって感じでやるみたいだぜ」
「奉納祭といった趣旨ですか」
「おう、それそれそんな感じの奴だ。でもまだ日程も決まってないみたいだし、それまで俺達は一応休暇扱いだ。仕事をするなとは言わねぇが休む事も戦士には必要だからな。しっかり休んでおけよ」
妙に偉そうなカインローズにリーンフェルトは少々ジト目気味に彼を見つつ、手元に広げた報告を書く予定でいた紙などを纏めながら尋ねた。
「では、報告書に関しては休暇明け位で提出ということでいいですか?」
「あぁあんなもん真面目にやってるのお前位なもんだぞ?」
「……それでも任務ですから。やらないという選択肢は本来ないのですよ?」
「いやいや俺達セプテントリオンの本分は戦う事だ。戦う事以外に体力を割いてやる事なんてないと思うんだがな」
「だからアトロさんが苦労するわけですね」
普段ならば同行していても不思議ではないカインローズの副官ポジションにいるアトロの事をふと思い出して口にする。
カインローズがサボる分アトロが報告書を作成し経費などの精算も行っている。
正直彼がいなければカインローズ自身が回らないのではないだろうか。
「あいつはもう戦う事を基本的にしないからな。嫁と子供と三人で平和にやっていければいいんだから、それくらいやってくれるだろう」
嫌そうな顔をするカインローズにリーンフェルトは追撃の手を緩めない。
「カインさんはもう少し事務作業を覚えた方が良いと思いますが?」
「嫌だね。文字なんて見てると眠くなって仕方がねぇや」
そう言って手をヒラヒラと振って絶対にならないぞと言外にアピールしてくるので、リーンフェルトは一つ溜息を吐いた。
「お子様ですかカインさん……」
呆れるリーンフェルトに対してカインローズは全く気にならない様子だ。
恐らくそのあたりに彼のプライドはないのだろう。
カインローズは悪びれもせずリーンフェルトに笑いながらこう言い放つ。
「はっはっは、良いんだよ俺は。このくらいが丁度良い」
「いえ、全然褒めてませんからね?」
どうしてそんなにポジティブに捉えたのかまるで分らなかったリーンフェルトは、彼に釘を刺して置く事も忘れない。
思い込みと勘違いで突っ走るタイプのカインローズにはそれくらいしか対処方法がないのも事実だ。
「ん、あぁ俺が事務仕事してても気持ち悪いだろ? イメージってのはそう言うもんなんだ。大事にしないといかんぞ」
「カインさん、何を言っているのか分かりませんがとりあえずアトロさんは居ませんから、今回の報告書は自身で作成してくださいね」
「くっ……俺は文字なんぞ書いているよりも剣を振るっていたいんだ!」
「脳筋ですか。ちゃんと仕事してください」
「脳も筋肉……堪らんな。どうやって鍛えればいいんだ」
「……それを考えてくださいきっと筋肉になりますから」
最終的にカインローズの説得を諦めたリーンフェルトは話を打ち切る。
「さて、折角の休暇ですからちょっと出かけてきますね」
「なんだ寝てなくていいのかよ?」
昨日ヘリオドールとの件でかなり消耗して倒れたはずなのに、割と元気そうなリーンフェルトにカインローズは心配して尋ねるのだがその返事は淡白な物だ。
「生憎と体の傷はなんかはシャハルが一通り治してくれたみたいなので問題ありませんね」
「んじゃ気を付けて行って来い」
そう言ってリーンフェルトの部屋を出て行ったカインローズだったが、何かを思い出したらしく慌てて先程閉じた扉を勢いよく開ける。
「そうだ! 忘れる所だったぜ……危ねぇ危ねぇ……」
「どうしたのですか?」
外出の為に雨具に手を掛けていた。
「いや、言伝を頼まれていたのに伝えるのを忘れていただけだ。思い出したらセーフだセーフ」
「それで……その言伝とは一体なんでしょうか?」
「あぁいや大した事じゃねぇから身構えるな。夕方くらいにナギがお前の見舞いに行くと言っていたから、それまでには戻っていてやってくれ。じゃないと伝え忘れたと疑われて俺が大変な事になるからよ」
「分かりました。ではそれくらいまでに用事を済ませて来ますね」
「おう、そうしてやってくれ。あいつを怒らせるといろいろ面倒なんだ」
それだけを言い残して今度こそカインローズは去って行った。
雨がしとしとと降るママラガンの街を一人で歩く。
避難の為に閑散としてた街のあちらこちらで活気が戻って来ている。
早速店を開けた者の呼び込みの声や路地で遊ぶ子供達の声も雨に負けずに聞こえてくる。
彼等の生活を守る事が出来たという達成感が心に広がる。
半分以上はシャハルのお蔭ではあるが、それでも今日くらいは自分の事のした事を誇っても良いのではないだろうか。
いつもより少しだけ口元を緩めたリーンフェルトは、街の雰囲気を感じながら暫し散歩をするのだった。
――カインローズとの約束通りリーンフェルトは、夕方前には城の部屋へと戻って来ていた。
「リンお姉様。ナギです、お加減は大丈夫です?」
ナギはノックもそこそこに、ぴょっこりと顔を部屋の扉の隙間から覗かせているかと思うとトテトテとナギはリーンフェルトに駆け寄ってきた。
「お祭りをやるのです!」
「えぇ、カインさんがそのような事を言っていましたから知っていますよ」
「……そ、そうだったのですね」
ちょっと残念そうな表情のナギは置いておいて、リーンフェルトは彼女の言葉に対して返事をする。
「街の方もかなり明るい雰囲気でしたし、きっと盛り上がりますね」
「はい、喧嘩と花火はママラガンの花! なのです」
「それで詳しい日程とか決まったのですか?」
「はい、リン姉様。三週間後には開催出来る目処が着いたのでそのように進行してますですよ」
「それはまたいきなりですね」
「はいなのです。でも御神体の事を思うと出来るだけ早く開催した方が良いだろうと陛下が言っていましたのです」
きっと祭りに関してもカハイは予定していたのではないだろうか。
急ピッチで始まった祭り準備に城内でもその慌ただしさから空気がざわざわと落ち着かないのが感じられる。
リーンフェルトは祭りの準備を手伝うべく名乗りを上げたのだが、お客様で有る事を理由に断られてしまった。
手持無沙汰となってしまったリーンフェルトは仕事も休暇中と言う事もあってナギやリナを連れだってシャルロットを誘って食事に行ったりと交流を図った。
ジェイドに対しては彼の計画を知って少しだけぎこちない対応になってしまったが、全く会話が無い訳ではなかったのでその辺りで許して欲しい物である。
彼の提案は唐突であった事もそうだが、そもそもヘリオドールの破壊という点について言えばケフェイドの火のヘリオドールはアル・マナクの管轄にあるのだ。
自身の所属する組織が保有している物を壊す事について、行動を起こすならばそれは組織に対する反逆であり裏切り行為だ。
彼の計画に加担するにはそれ相応のリスクが伴う。
そのリスクはアル・マナクという組織との決別が含まれている為、即答は出来なかったのだ。
リーンフェルトはもうしばらくこの件について、悩む事になりそうである。
三週間というのは意外にあっという間だ。
祭りの日の朝は城の一室からでもママラガンの街から流れ聞こえる祭囃子で目を覚ます事になったリーンフェルトもその雰囲気に呑まれて本日は少々テンションが高い。
勿論それは長い付き合いがあって初めて分かる程度の浮かれかれ具合であり、それこそ知らぬ者が見れば落ち着いているというラインを越えて来ている訳ではない。
「今日は流石に研究している場合ではないね。早速祭りに繰り出そうじゃないか」
アウグストを筆頭にカインローズ、リナ、そしてリーンフェルトは彼の護衛をするべく付き従う事になった。
しかしいざ街へ出かけようとして城門い差し掛かった事、門番に止められてしまう。
「アウグスト様は皇帝陛下がお呼びだそうなのでご案内させて頂きます」
「……陛下が私に用事ですか? 私もお祭りを楽しみたかったのですがねぇ……」
そうポツリと漏らしたアウグストは皇帝の下へ連行されてしまった。
「それとカインローズ様はアベルローズ様がお呼びだそうですので向かってください。逃げそうな場合は力ずくでも連れて来る様にと仰せつかっております」
「……マジかよ」
衛兵の手を煩わせる訳にも行かないので、大人しくしたがってアベルローズの下へ向かうカインローズがガックリと項垂れている。
多分だが祭りに際して注意事項を徹底されるのだろう。
アシュタリアに来てからというもの、酒に関する案件でアベルローズが迷惑を被った話は枚挙すればきりっが無い。
自業自得とも言うが少々可哀想な気もする。
「お嬢様これからどうしますの?」
リナがそう問いかけるとリーンフェルトも困った様子で眉を八の字にしている。
「どうしましょうか、リナさん……」
「ふっふっふそこはお祭りを楽しめばいいと思うのですよ!」
突如として背後に現れたナギがそうリーンフェルトへと声を掛ける。
「あらナギではないですか。どうしたのですか?」
「はい、折角のお祭りなのでお姉様達をお誘いに参りました」
「そうね。私達も丁度暇になって途方に暮れていた所なのですよ」
「お姉様方という事はシャルロット様もですか?」
「それは勿論です!」
そう力説している所に運よくシャルロットが通りかかる。
それに向かってナギが駆け寄りニ、三言交えるとちょっと項垂れて戻ってくる。
「どうしたのですナギ」
「リンお姉様実はシャルお姉様に振られてしまいまして……」
どうもシャルロットはナギのお誘いを断ったようである。
「それは……仕方ありませんね。あの子にもあの子の都合があるでしょうから。でも私達がナギと一緒にいますから、沢山楽しみましょうね」
「私もお供いたしますわ」
「はい、リンお姉様!、リナお姉様」
ナギを挟むようにして歩き出した三人は人ごみではぐれないようにしっかりと手を繋ぎ、祭りでごったがえす大通りへとその身を投じるのだった。