181 黒竜の守護
――本当に今代の主殿は無茶が好きな様だ。
矮小なシュルクの体で連中の魔力を吸収したりすれば、キャパシティーオーバーになる事は目に見えている。
それでも立ち向かうという意志があるのだから、吾輩は止めたりはしない。
しかし、連中の魔力の無尽蔵ぶりは何千年たった所で変わらないのだなという感想をシャハルは持っていた。
それは能力への信頼と言えばそうかもしれないが、過信と言えばその通りで身を滅ぼしかねない選択肢でもあった。
元々限界を迎えたならば、即座にスイッチして主殿は保護しようと考えていただけに、申し出があった際の手際は物の一秒も掛かっていない。
シャハルにとって宿主であるリーンフェルトが死んでしまうのは本意ではない。
寧ろ生きていて貰わねば少々困った事になる。
無から有を生み出すのは苦労するが、有からであれば後は魔力次第でいかようにでもなる。
暫し余計な事を考えていたシャハルだがまず初めにしたのはリーンフェルトへの治癒である。
上手く吸収出来ずに体を掠めた雷による火傷や感電してあまり感覚のない部分については感覚を戻し、傷が残らない程度まで回復する。
大分リーンフェルトの身体に自由が戻ってきたのでシャハルは次の行動を起こす。
掌に魔力を集中する。
未だ手数の多い八色雷公を一つの体で捌くのは、少々無理がある。
では無理を無くすにはどうしたら良いかと考えて、数を増やして対抗しようと考える。
幸いにして魔力は腐るほどヘリオドールから溢れ出ている。
シャハルはその魔力を一旦吸収して無色の魔力としてから再び自身の魔力として使うべく再構成を掛けて行く。
みるみるうちに自身の魔力の高まりを感じたシャハルは、借りているリーンフェルトの腕を前へと突き出す。
その手から何体かの眷属を生み出していく。
彼等の姿はシャハルの本来の姿であるところの竜、と言っても手のひらサイズの小さな者達だ。
それらに上空から降る魔力の回収を指示しておく事にする。
別に本体を使っても良かったのだが、巨大化するには少々魔力が足りなかったのである。
ここは主人の望むままにこの小煩いハエのような雷達を喰らってまず魔力を補充していこうと考えてそれを改める。
(いやハエでは少々食欲が減衰してしまのぅ……イメージとしては美味そうなサンドバジリスクをイメージしよう。
やはりハエなぞでは食指が動かぬわ)
眷属達に良いイメージが伝わったのだろう落ちてくる雷に噛みついては魔力を吸収していった。
雷を食べた眷属達の腹がぷくりと膨らんで、心持ち動きがゆったりとして見える。
そんな彼等を視界に入れつつシャハルは八色雷公の暴れまわる空を見上げる。
(さて頃合いだろう)
シャハル腹の一杯になった眷属は魔力を本体へとフィードバックさせてシャハル自身の魔力として蓄積していく。
そして役目を終えた眷属達はそのまま統合して巨大化のベース仕立て上げる。
眷属達の体の元になったのは元々シャハルの魔力であるから親和性は極めて高い。
魔力があれば全てを自在に扱えると自負するシャハルはリーンフェルトの指示通りママラガン一帯を守るべく魔力を練り上げる。
この街の規模を守るのであれば巨大化して街に覆いかぶさりさえすればいくらでも雷から人も街も救う事が出来る。
そもそも雷程度でシャハルの本体を傷つける事は不可能である。
ただ無差別に落ちてくる雷に対処する為に個体数を増やして対応するよりも、自身の体を巨大化させてしまった方が楽という発想である。
眷属が回収してきた魔力を使ってシャハルは久しぶりに現世に顕現しようとしていた。
主人であるリーンフェルトの体については、この場にいる者達に任せるとしよう。
リーンフェルトの体を地に横たえるとシャハルは一気に膨れ上がる魔力でその体を大きく大きく広げる。
さながら真夏の入道雲の様に立ち込める漆黒の魔力は驚くべき早さで、ママラガン上空を覆い尽くす。
遂に街一つをすっぽりと覆う程にまで広がると、シャハルは自身の魔力を固定して現世に顕現を果たした。
その姿は先程の眷属の親に相応しい立派な竜である。
大きくその翼を広げてみる。
久々の解放感に少しだけ浸ると、本来の目的であるママラガンの守りに入る。
翼で街を囲み首は屈める姿は難攻不落の砦の様である。
首を屈めて下を見ればとても懐かしい気配がある事に気が付く。
やはり竜の姿になるとその感覚はシュルクとは比べ物にならない程、俊英である。
「ん? なんぞ懐かしい気配があるのぅ……」
さて視線を感じてそちらをちらりと見やれば、主殿の協力者たるジェイドとかいう魔術師の視線を感じる。
(なんじゃ吾輩の恰好良さに見惚れてしまっているのかのぅ)
一瞬そう思ったものだが、それにしては気配がおかしい。
そしてその男の第一声はこれである。
「初めまして、……貴方にずっと、ずぅっと逢いたかった」
何を言いだすのかと思えば逢いたかったというジェイドに、性別的所の気持ち悪さを感じて思わず身じろぐ。
(吾輩、男に言い寄られる筋合いなどは無いのである)
などと考えていたのはこの際どうでも良い事だ。
一時間もした頃には八色雷公は大人しくなりつつあった。
空に放たれる魔力も無く、空から降る雷は片っ端からシャハルの体に当たり吸収される。
ヘリオドールからの魔力供給を断ってしまえば、降ってくるのは最初の方に飛び出した少々の魔力くらいだ。
(さ……流石に食い過ぎたわい……)
「グェェェェェプ……」
シャハルの口から洩れたげっぷはその巨体を相まって非常に大きな音を響かせたのだが、それが合図であったかの様に街を覆っていた巨大な体が萎み始めた。
あっという間にいつもの人形サイズにまで収縮すると、慣性に任せるまま空から地上に向かって落ちて行く。
勿論落下程度では傷つく事もない。
着地の寸前で少し魔力を込めて勢いを殺してしまえば着地は容易である。
などと考えて、完全に気を抜いていたのは今にして思えば完全な失敗である。
地上付近でそろそろ魔力を込めようかと思った所で思わぬ邪魔が入ったのだ。
スポッ!
そんな間抜けな音がしっくりくる感じでシャハルはジェイドに捕まってしまう。
そして矢鱈滅多らに漆黒の体を撫でまわし始めるのだ。
正直な所、男に撫でまわされてもさほど嬉しくはない。
ましてや今は膨大な量の魔力を吸収した為にお腹の辺りが少々キツイ。
そこを滅茶苦茶に撫でまわされるのだから、抗議の言葉の一つも出ると言う物だ。
「そんなに強く握るでない、出る」
「ふふっ、……はぁい」
抗議の声もどこ吹く風、ジェイドの体を乗っ取った者は楽しげな笑みをその顔に浮かべる。
それは先程までリーンフェルトの前でヘリオドールを破壊しようとしていた男とは明らかに違う雰囲気と魔力を纏っていた。
この感覚は良く知っている。
しかしなぜこんな所に?
そんな疑問が頭を過ぎって仕方が無い。
アウグストが何やらブツブツと呟いているが、それはいつもの事なので特に気にはならなかった。
――皇帝の護衛に力を使い果たし倒れたリーンフェルトの回収をお願いして、まずは城内に戻ろうという事になり元来た階段を下り始める。
顎に手をやり思考をフル回転させる。
先に見た黒竜はリーンフェルトの中に眠っているというシャハルである。
実際にあの竜の姿を見たのは初めてであり、それだけでも興奮と言うものが止まらない。
「鱗の一枚でも採取出来れば……」
そう考える。
竜の亜種と言われるワイバーンなどは比較的見かけるが、あそこまで巨大な竜というのはそういない。
であればあれの正体になんとなく見当が付く。
「ならば彼は……いやしかし……」
口に出して置いて、また違った疑問にぶつかってしまい一気に思考がそちらに持って行かれる。
「なぜジェイドは彼と親しげに話していたのだ? もし推測が正しければ……ありえない……だが、ふむ……」
いくつかの仮説が脳内で戦い始め、戦況が口から洩れる。
(今は興味がありますがここまでとしましょう)
塔から城へと戻る階段を降りる頃には、アウグストは脳内討論会を一時中断すると思考を切り替える。
この後は皇帝カハイと今後について話さなければならないだろう。
リーンフェルトは同行していた護衛のムラサメが部屋へと運んで行ったようだ。
それについていくかのようにシャハルとジェイドは着いて行こうとしている。
(出来れば私も政治なんて面倒な事はさておいて君達について研究したいのだがね……)
そう心の中でごちてアウグストはカハイの後に続いて謁見の間へと歩いて行くのだった。
さてこれはどうしたものかとシャハルは宙を飛びながら考える。
勿論体の大きさに見合わない小さな翼はお飾りであり、パタパタと動いているのにはさほど意味は無い。
(しかし一体どこまでこやつは着いて来る気なんじゃろうか?)
シャハルは宙に静止して大きく溜息を吐く。
勢い余って先に食い散らかした雷が一瞬口の中から出そうになったのは、街一つを守ったのだから許して欲しいものだ。
それはさておき、シャハルは振り返り後ろから着いてくる男にジト目を向けて睨む。
「ついてくるでない」
「えー……?」
「えーではないのじゃ」
シャハルは彼の表情を伺い見れば、張り付いたような笑顔であるがその目は全くと言って良い程笑っていない。
時に狂気さえ感じるそれではあるのだが、彼は先の言葉で大きく勘違いをしている様である。
「リーンフェルトには何もしませんよ? 僕はシャハル、貴方とお話がしたかっただけなので。と言うか、まだその名前使ってるんですねぇ。大分気に入っているようで……? 貴方に似合っていて良いと思いますよ」
「信用ならんのじゃ、それ以上付いてくるならばこちらにも手段を選ばぬぞ?」
主人であるリーンフェルトが気を失っている間に何かするようであれば、確実に消し炭にしてやろうと睨み付ける。
しかし人形モードであるシャハルがいくら睨んだところで全く怖くないという事に彼自身は気が付いてい無いようである。
それが面白かったのかジェイドの体を乗っ取っているそれは突然ケタケタと笑い始める。
「アハッ、あはははははっ! 信用ならない? 面白い事を言う。貴方が信用出来るのは、信用せざるを得ないのは“僕”であり“貴方”でしょう? 僕らはそういう風に出来ているじゃないですか、ねぇ?」
そこまで言うとピタリと笑うのを止めて、シャハルを見つめてくる。
その瞳は明らかにシュルクのそれではなく、光彩が煌めいている。
シャハルはそれを見て懐かしい気配に納得し確信を得る。
「そりゃあ、以前はリーンフェルトを消そうとも思いましたよ? この器を消そうとしたのですから。僕はジェイドを最優先に考えなくてはならない。“ここ”にい続けるのなら、そうでなくてはならない。けれど、もう彼女にそんなつもりはないのでしょう? 僕を、僕達を殺そうとなんてしないでしょう? でしたら、愛しましょう。与える事が僕の役割、なのですから」
そう言い放つ彼にシャハルは苦言を呈する。
「お前は与える事しかせん。甘やかすだけでは生き物は育ちはせんのじゃ」
「長くシュルクとい過ぎたのです? 随分と優しい事を言いますねぇ。僕もその内貴方のようになれるでしょうか」
「過ぎたるは及ばざるが如しじゃ。適度に生き物は間引かなくてはいかんのじゃ」
「それは貴方の役目でしょう? “もし僕が与える事をしなくなったら”、“貴方の役目を奪うのならば”……貴方の存在意義もなくなりますよね、そうなったら飼ってあげてもいいですけど。あははっ」
そう言って手を叩き笑う姿は言うなれば子供の様である。
シャハルは何かもう一言言ってやろうと思案している間に、また笑うのをピタリと止めた彼を見る。
「笑い過ぎて喉乾いちゃいましたねぇ、ふふ……嬉しくて話し過ぎてしまいました」
そう口にすると今度は唐突にくるりと背を向けて、どこかへと歩き始める。
実に情緒不安定だなとシャハルは思った物だが、言えば一層面倒な事になりそうだとしっかり口を噤む事にした。
「まぁ、リーンフェルトについては本当にご心配なく。貴方が主と認めたのでしょう? ならば、僕は悔しいけれど応援しますよ。折角ジェイドにもお友達が出来たというのに、そのお友達を奪うのは可哀想ですものね。信じるかどうかはシャハル、貴方に任せましょう。それでは」
硬質な音を廊下に響かせながらジェイドは歩き始める……のだが、何かまだあるようだ。
数歩進み立ち止まってからシャハルの方へと振り返る。
「あ、そうだ」
何かを閃いた様にそう声を上げる彼にシャハルは取り敢えず声を掛ける。
「……なんじゃ」
もはや面倒くささを隠すのも疲れたと少々不機嫌そうに返せば、彼は感情の籠っていない笑みのまま話し始める。
「きっとオリクトに関しては貴方と同じ気持ちですよ、僕。…………それでは、今度こそさようなら。話せて良かったです、また」
などと言いながら片手をひらひらと挙げて立ち去って行った。
シャハルに先程のヘリオドール破壊よりも何だか精神的に疲れてしまった為か大きく溜息を吐く。
「物事には順番があるのじゃ、せっかちな奴め……」
誰も居なくなった城の廊下でシャハルはそう小さく呟いたのだった。