179 雷誘う女神の下へ
季節はもう少し進んで茹だる様に暑い夏真っ盛りである。
温度の下方調整などが出来る水系統の魔法が使える者がいれば、褌一丁という姿のカインローズに会う事もなかっただろうリーンフェルトがしかめっ面で話しかけた。
「カインさんだらしないと思いますが?」
本日はアル・マナクの制服に身を包んだリーンフェルトが腕を組んで抗議する。
「ん?リンか。悪ぃがちょっと冷風吹かせてくれ、この熱さじゃやってられん」
などというリクエストがあったのだが、そういう時のリーンフェルトは大概カインローズに冷たい。
少なくともちゃんと服を着ていてくれれば、まだ冷風を吹かせる程度の事はやって上げたのかもしれないのだが、今日のスケジュールはタイトであり
またリーンフェルトの負担を考えるとカインローズを呼びに行く事も本来は彼女がやるべき事ではないのかもしれない。
先日やっと避難を拒んでいた住民の説得が終わり、ママラガンから退去させる事に成功したという報告がアベルローズからアル・マナクに伝えられた。
そこからは驚くほど話が進むのが早かった。
寧ろ誰かがごねて戻ってくる前にと、事前準備が万全であった事と言った方が正しいのだろう。
アウグストは調査報告書に八色雷公時ヘリオドールの強度が落ちている事、それによって最も効率よく破壊できるだろうという見解を示していた。
ヘリオドール研究の第一人者の意見を取り入れた皇帝カハイは、住民避難が完了した日から数えて次の八色雷公の日を決行日と定めていた。
本日こそが御神体こと雷のヘリオドールの破壊日と定められた日。
暑い暑いとグダグダになっているカインローズの腰回りの温度を魔法で急激に下げたリーンフェルトも少々気が立っているようだ。
彼女がアウグストから言い渡された任務はヘリオドール破壊任務に当たるジェイドを溢れ出る雷から守る事である。
それは彼女の吸収という能力から導き出された一つの検証から派生した考えだった。
アウグストはダメ元でヘリオドールから直接蓄積された魔力を吸収する事が出来るかどうか試していたが、それではほぼ効果が無い事が確認されている。
それはリーンフェルトの申告によると、吸おうとすると凄い力で抵抗されているような感覚という事らしい。
アウグストのヘリオドール調査の際に常に雷避けとして付き従っていたのも大きい。
何より全くの部外者であるジェイドを巻き込んだ事で、直接破壊に携わる事の出来ないアル・マナクのメンツを守る為にせめて雷から破壊担当者であるジェイドは五体満足で帰還させねばならなかったのである。
これについてかなり前から話としては織り込んでいたらしく、ジェイドとリーンフェルトの問題に関しても本日の任務に支障が出ないレベルまで回復させるように気を掛けていたのも皇帝であったようだ。
ナギの度重なるおもてなし攻撃も最終的にはそれが目的であったらしく、それを担ったナギにはこの件についてほぼ皇帝と同じくらいの権限を行使出来るように取り計らっていたそうだ。
では皇帝の指示であったからリーンフェルト達と仲良くなったのかと言われれば、全く違うようで寧ろナギは他国のシュルクと交流を持ち親交を得た事を心から喜んでいた。
恐らく下手な下心からリーンフェルトとジェイドの関係を修復しようとしたならば、余計に拗れていた可能性もある。
ジェイド側に配置していた皇帝直下の部下達と見えない所で連携がなされていたらしい。
カハイは今回の任務で命を落とす可能性のあるリーンフェルトをには筋を通すべきだと考えて個室に呼び出し、その辺りのネタばらしがされている。
当のリーンフェルトは少々複雑な面持ちで聞いていたが、副次的にシャルロットとの仲も元に戻りジェイドとの因縁も清算出来た事から感謝の念の方が強かった。
その旨を皇帝に伝えると二つほど頷いてから話し始める。
「では本日の任務、宜しく頼むぞ」
「心得ました」
リーンフェルトは短くそう答える。
カハイはこれから謁見の間でジェイドと会うらしい。
彼女はカインローズと現地集合という事になっていたのだが、一向に来ないカインローズに痺れを切らして迎えに行けばこれである。
「カインさん早く支度をしてください」
「おう……急激に体が冷えたせいかなんだか腹の調子が悪いんだが……」
「カインさん?」
「おう、大丈夫だ大丈夫。出来るだけ早く行くからお前は先に行ってろ」
「無いとは思いますが今日は絶対に遅刻しないでくださいね」
「分かってるさ。俺は親父の代行であるしな」
「では部屋の外で待っていますから早くしてくださいね」
「あぁ分かってるさ」
御神体破壊の任務には同行する気満々だったアベルローズは皇帝に説得されて立会には参加出来なくなってしまっていた。
やはり四祭祀家の当主が欠けては国の運営に支障が出ると言われてしまったようだ。
彼は今ママラガンの地下に用意された避難所の方で指揮を取っている。
そしてアベルローズの思いを託す相手として息子であるカインローズがハクテイ当主代行という二足の草鞋で作戦に参加する。
当主代行ともなれば、普通に遅刻など許される物ではないし家名に傷がついてしまう。
そのあたりを最も気にしていたアベルローズからリーンフェルトはこう言われている。
「愚息の面倒を見てもらえるか」
「それは大丈夫です。いつもの事ですから」
いつもという部分にアベルローズが大きな溜息を洩らしたのは、親として仕方のない所だろう。
引き受けた以上カインローズに粗相させる訳にはいかない。
そんな訳でリーンフェルトはカインローズの支度が終わるまで部屋の外で待機する事となった。
いやここで待機していなければ最悪の場合遅刻しかねない。
そう考えた彼女は暫し任務とは別事に思考を巡らせる。
当然シャルロットの事である。
彼女は今ママラガンの地下にある避難所の方にいる。
地下の方は前もって下見に行ったが外にある帝都よりも広かったのが印象的だった。
数年前から避難の為に着手していた事もありテントではなく仮設の家が宛がわれる程準備が整っていた。
食糧の備蓄も潤沢である事も確認させてもらったので、避難した面々が飢えに苦しむ事はないだろう。
さらにナギと共に避難しており、その護衛にリナが付いているので余程の事が無い限り安全だと言える。
さて気が付けば目の前の扉が開く。
思いの外準備が早かったカインローズが部屋から出て来る。
「おう、待たせたな!」
「では行きましょう」
「あぁそうしよう」
そうして二人は雷のヘリオドールへと向かうのだった。
――現地集合のつもりだったリーンフェルト達が足止めを食らう事になったのは、ヘリオドールがある塔の入り口である。
この時まで知らなかった事だったが、どうも今回の任務を見届ける為に皇帝も同席するようだ。
人員が揃うまで待機するように言われて待っていると程なくして皇帝を筆頭にアウグストそしてジェイドの姿を視界に捉える。
後は皇帝の護衛なのだろう二人ほど見知らぬ者が一緒に現れる。
八色雷公にはすっかり慣れてしまったが、発生源でもあるヘリオドールの近くである為かその魔力は一際濃い物となっている。
彼等に一礼すると皇帝とアウグストが手を上げて答え通り過ぎる。
その最後尾について塔を登って行く。
最上階からは既にけたたましい音が響いている。
それを聞いた皇帝カハイは小さく呟く。
「今日は女神様も機嫌が悪いようじゃのう……」
ヘリオドールには機嫌と言う物があるだろうか。
ふとそんな事を考えたリーンフェルトは直ぐにそれを振り払う。
今は余計な事を考えている場合ではないのだ。
紫電を纏うヘリオドールが視界に入ってくると、誰ともなく準備に入る。
カインローズはアウグストの護衛役で合った為アウグストの前へと出る。
先頭を行くのはジェイドであり、その後ろにリーンフェルトが控えている。
最後尾が皇帝とその護衛の二人という配置である。
ジェイドが振り返りこの場に居る皆に向かって声を掛ける。
「それじゃ、いくぞ。準備はいいな?」
皆は同意を示す為に静かに頷く。
雷のヘリオドールにジェイドが触れようとした矢先に、塔の最上階出入り口付近が騒がしくなる。
「良く無いわい! お前達何をしようとしておるのか分かっておるのか? 御神体を破壊する事は断じてならん!」
そう大声で叫びながら現れたのは黒い鎧を纏った一団である。
顎鬚のとても長い老人とその部下は一戦を辞さないといった気迫に満ちている。
その老人に見覚えがあったカインローズは彼に声を掛ける。
「玄爺じゃねぇか。そういや爺ちゃんは破壊するのに反対だったよな……」
その話を事前に聞いていた筈なのだ、それもかなり前に。
てっきり皇帝の説得を受けて諦めたものだと思い込んでいたのだが、どうやらそうでは無いらしい。
「ハクテイの倅か。このゲンテイの目の黒い内は御神体へ危害を加える事、罷りならん!」
「そうは言ってもよう、皇帝が決めた事に逆らうのか爺ちゃん」
「我等ベスティアの拠り所として初代様の時代からこの国を見守ってくださっておった御神体を何故破壊するのじゃ! 八色雷公とて周期が分かっておるのじゃ対策も出来よう? それでも壊すと言うならこの老いぼれの屍を越えて行けい!」
その勇ましい姿はアシュタリアにその人ありと言われたゲンテイ・シメイ、通称玄爺である。
ヘリオドール破壊に最後まで反対していたアシュタリア北部を司る四祭祀家の当主だ。
元々長命な亀のベスティアであり、水魔法と槍術で無双していた事もあったそうだ。
本物の初代様を見た事のあるこの国で唯一の人物だろう。
カインローズも幼き日に彼の武勇伝も良く聞かされて育った口である。
しかし長命というだけで、体は衰えてしまうものだ。
大声を張り上げて抗議を続けていたが、激しく咳き込み始めてしまう。
「あぁ爺ちゃん無茶すっからだぜ? ま、俺はそういうの嫌いじゃねぇんだが諦めてくれ」
尊敬する武人であった彼の姿をこれ以上見ていられなくなったカインローズはそう声を掛けると素早く老人を抱え上げるとさっさと階段に向かって、階段を進み降りて行ってしまった。
一瞬何が起こったのかまるで分からずポカンとするゲンテイ配下の兵士達は徐々に思考が追い付いて来たのだろうオロオロとし始め浮き足立ってくる。
「……下がれい」
カハイのその威厳溢れるその一声で兵士達は一斉に正気に戻る。
四祭祀家のゲンテイ家の庇護下ならば良かったのかもしれないが、その彼は当にカインローズによって対処済みだ。
皇帝への不敬罪を問われれば確実に処刑されてしまうだろう彼等は慌てて元来た階段を下り始める。
カハイも彼等の罪を問う気はないらしい。
カインローズが居なくなった事によりアウグストの護衛が居なくなってしまったが、ここまで来た以上後戻りはできない。
皆が改めてヘリオドールへと向き直り、今一度その姿を瞳に映す。
――ついに雷のヘリオドールの破壊が始まる。
リーンフェルトはジェイドを守るべく、これから溢れて来るだろう雷の魔力に対処するべく準備を始めるのだった。