174 枯れ木に花を
リーンフェルトの願いとは裏腹に、ステージ上で倒されてしまったマルチェロを見ていた彼の部下達の誰かが叫んだ。
「大将がやられたぞ! 皆で救い出せ!」
なぜマルチェロにこのような人望があるのかについては疑問しかない。
彼のどの部分のどこが良いのかプレゼン出来る者がいるならば是非聞いてみたい所である。
そんな現実逃避をしてみたのだが、目の前の現実はリーンフェルトを逃がしてくれそうにない。
目の前に広がっている光景は演劇の続きと言われれば、そのように見えてしまうような状態だ。
初代様の敵役の様にわらわらとステージ駆けあがって行く。
彼等は倒れたマルチェロを庇う防御用の円陣を組む者や、本来の敵役達が使っていた小道具の武器を拾い上げ構える者などステージ上は不穏な緊張感に包まれる。
一瞬腰を浮かせたカインローズだったが、直ぐに腰を落ち着けて酒を呑み始める。
酒に酔った傭兵と日々皇帝を守る為に鍛え上げている近衛兵達では、その実力差も相まって助太刀が不要だと判断したのだろう。
そもそも傭兵達の中で一番強いに違いないマルチェロが一瞬で倒されている。
であればいくら数で押した所で所詮烏合の衆、話にならないと踏んだようだ。
ステージの上はまさにこれから一戦迎えるかのように殺気立っている。
しかしそんな空気を読まない男が一人、マルチェロである。
最初の攻撃が浅かったか、初代様役の役者が手加減をしたのだろう。
早々に復活したマルチェロが起きあがるとこう言い放った。
「はっはっは、良い腕だな! どうだ俺の部下にならないか?」
とても満足気に笑って見せるマルチェロは役者の正体など全く気が付いた様子も無いのだが、自軍への勧誘を始める。
それがあまりにも突飛な発想だった為、リーンフェルト他観客席側にいる者達の思考に空白が生まれる。
端的に言うと何を言ってるのだ彼は、という事になる。
どうしてそうなるのか、いや考えても無駄なのだろう。
それはきっとマルチェロにしか分からない事なのだ。
気が付けばステージの険悪な雰囲気も露と消え、殺気立った空気が緩んでいる。
やっと思考が追い付いてきたリーンフェルトは、徐々にマルチェロへの怒りを蓄積していく。
そもそもナギが皆をもてなす為に温泉を貸切にしてくれたのにもかかわらずゴネた事。
風呂での騒ぎはリナが対応してしまったが、それも勿論迷惑行為だ。
さらに宴会場に押しかけて、歌劇を台無しにしてしまった。
この演目はベスティアに広く親しまれているので、仮に街中にある劇場で同じ事をしたならば、袋叩きに遭っていた事だろう。
ナギの好意を悉く打ち壊して行ったマルチェロはと言えば、偉そうに自分の傭兵団に勧誘をしている。
これを第三者として見れれば顔を顰める程度で済んだことだろう。
しかしリーンフェルトに取ってみれば一応、親戚筋にあたる。
――と考えればあのような者であっても身内と言えば身内である。
非常に煩わしく、面倒くさい関係ではあるが、そこは紛れもない事実だ。
そうなってくるととてもいたたまれない気持ちになってくる。
他人である、見ないふりをしたとしてもきっと誰もリーンフェルトの事を責めたりする者はいないだろう。
だがしかし、堪忍袋の緒が多少長くなったとはいえ短い方のリーンフェルトである。
そこからの行動はまさに雷光が如く一瞬であった。
素早く舞台に駆け上がるとまず上機嫌で笑っているマルチェロを背後から殴りつけて昏倒させる。
物理のみでは彼を黙らせるに至らないに違いないと雷魔法をその拳に這わせて沈黙させたのだ。
バチッと弾けたような音がした次の瞬間にはマルチェロの部下達はゆっくりと崩れ落ち、その場で痙攣して動かなくなる。
マルチェロ一味を制圧したリーンフェルトは少々乱れた浴衣を正して何事もなかったように席に戻ってきた。
歌劇団の正体は近衛兵である。
乱闘の罪という事で本職に戻った近衛兵達は床に伸びているマルチェロの部下達を連行していく。
今晩は温泉宿から一転、頭が冷えるまで座敷牢に詰め込まれるらしい。
歌劇団とマルチェロの部下達総勢百人近い人数が宴会場からいなくなってしまい、宴会場はがらんどうのように静かになってしまった。
なおマルチェロだけは本日の支払いがある為、連行を免れている。
今は宿の従業員室に連れて行かれており、支払いを請求されるだろう。
それも相当額になるのは確定である。
さらに部下達の保釈金など彼が払わなくてはならない物は多い。
「三ヶ月はここで全員ただ働きをさせるです!」
折角用意したプランを台無しにされたナギはもう怒りを隠さない。
そう叫んで悔しそうに拳を力一杯握りしめている。
今の彼女にどんな言葉を掛ければ良いのだろうとリーンフェルトは一瞬悩んだが、まずは親戚の非礼を謝る事にした。
「マルチェロをもう少し早く燃やしておくべきでした。ごめんなさいねナギ」
「いいえお姉様、悪いのあのマルチェロです。リンお姉様こそお手を煩わせてしまいました」
恐らくリーンフェルトとマルチェロの関係性についてはとっくにナギは知っているはずである。
しかし一方でリーンフェルトは大切な客人であり、大好きなお姉様である。
その彼女に気を遣わせてしまった事、謝らせてしまった事でナギの怒りは吹き飛んでしまう。
このまま怒りに任せていては、おもてなしどころではなくなってしまうし、何よりこんな結末はあんまりだ。
「いや、だから燃やすなって……」
一部始終を傍観していたジェイドがボソリと小声で突っ込んだのを、カインローズの耳はしっかりと捉えており同意するとばかりに人知れず深く二度頷いた。
若干怒りの気配が薄れて来たナギに気を遣って女性陣が声を掛け始める。
「マル公は重罪ですわね。お嬢様方をこんなにも困らせるなんて」
「普通にしていれば楽しく宴会に参加出来たというのに……どうしてああいう事、しちゃうんでしょうね」
「アレにはしっかりと今晩のツケをお支払頂くとして、さてどうしましょう……近衛の皆さんは彼等を連れて行ってしまいましたし……」
大分気持ちが落ち着いて来たのだろう、マルチェロのせいで場が白けてしまったがまだ何か挽回出来る方法があるのではないかと考えるのはナギである。
しかしサプライズで用意していた歌劇団は既に去ってしまっており、正直な所客人達を驚かせるようなネタをナギは持っていなかった。
何も思いつかず少し焦る内面が表に出てしまっていたのかもしれない。
それを助けたのは以外にもカインローズである。
「ならばここは俺の出番じゃねぇか?」
そう言って立ち上がり場に残った者達に声を掛ける。
「カイン様?」
突然の事だった為、ナギもここでカインローズが声を発するなど予測できていなかったようだ。
「皆も協力してくれ。一人一芸な。宴会に余興は付き物だ。さぁ誰からやる?」
酒の席での一発芸などは酔っぱらいの児戯であるが、それでもここまでしてくれたナギに対して何かしてあげたくなったカインローズはそう提案する。
案の定皆、困惑気味にカインローズの言葉を聞いていた。
中でもシャルロットは見て分かるほど不安そうな表情となっていたが、どんな些細な事でも芸だと称してステージに立ってくれれば後は全力で盛り上げるつもりであるカインローズは話を進めようとするが、そこにブレーキを掛ける者が現れる。
「ストップ、カインローズ。急に芸って言われても準備とかいるだろ。……シャルロット、得意な芸って何かあるのか?」
「……い、猪狩りか熊狩りか岩砕きが得意です」
「猪狩りに熊狩りに岩砕きな、前者は罠とか槍とか動物がいるだろうし、後者は岩が……………………んんー……」
恐らくシャルロットの不安そうな顔をジェイドも見たに違いない。
彼女を庇うかのように、割って入ってくるあたり気遣っているのが窺い知れる。
しかしジェイドの問いに答えるシャルロットの返答は未成年の少女とは思えない程、逞しい内容だ。
これは何かツッコミを入れた方が良いのかとも考えていたカインローズに、ジェイドが向き直り目を細めながら、シャルロットを弁護する様に口を開く。
「つまりだ、……ほら、手ぶらじゃ芸って言われても困る子とか、いるだろ? どうするんだ?」
そう問いかけてくる。
どうと言われても何か場が盛り上がる事をしてくれればそれで良いと言うスタンスのカインローズはジェイドの言葉を意に介す事は無い。
今はマルチェロのせいで白けきってしまった宴会を何とか盛り上げて、少しでもナギの気持ちが晴れる事に専念したい。
ナギの為だと言えばここの従業員は嫌とは言わないだろう。
宴会場の入口付近で酒瓶を搬入していた数名の従業員達を見ながら、カインローズはジェイドに切り返す。
「ん? 何かあれば出来るのか。なら用意させっからそれで良いだろう……手持ちの芸が無い奴はそうだな。踊れ、場を盛り上げろ! 宴会はドンちゃんしてなんぼだろう」
そう言って入口の従業員達に目くばせをすれば、一礼してその場からいなくなる。
彼等とてベスティアである。
入口から宴会場の中ほどくらいまでの声ならば聴き取る事が可能だろうと踏んでいたが、案の定彼等はしっかりとこちらの話に耳を欹てていたのだろう。
今から熊や猪の用意は難しいだろうが、シャルロットが言ったように岩くらいならば数人集まれば用意出来るに違いない。
ママラガンは山岳地帯の都市なのでそれを用意する事は容易であろう。
岩の準備は彼等に任せて、後は一人一芸に乗り気では無い奴らをどう巻き込んでいくかを思案するのだった。