173 両雄並び立たず
湯上りの程よい気怠さ以上に疲れているのは、間違いなくマルチェロのせいだろう。
カインローズはバスタオルで頭をざっと拭いただけの状態で、少々濡れている分、いつもより髪のボリュームこそ無いが整えた訳でもないのでボサボサだ。
対してジェイドはと言えばご丁寧に髪を火と風の魔法で作り出した温風を以て乾かしていた。
男の髪などは適当にしていても乾くだろう派のカインローズとしては、放っておいても良いだろうと思ったものだが、これだけ髪が長いと乾きにくくもなるだろうとある意味に納得顔でそれを見ていたのだった。
入浴を終えたカインローズとジェイドは混雑する脱衣所を抜けて廊下歩いていた。
「なかなかいい湯だったなジェイド」
「ああ。マルチェロが視界にチラチラと映り込んでさえ来なければ最高の温泉だったな……」
どうやらジェイドもカインローズと同じ感想を持ったようだ。
いつまでもマルチェロの事を引きずっていても、気分が削がれそうなのでカインローズは話題を変えるべくジェイドに向かってこう言った。
「あぁ、この後は宴会場で宴会だな。えっと宴会場は……こっちらしいぜ」
館内の案内に従って進んでいけば迷う事無く大宴会場へとたどり着く事が出来た。
畳敷き大宴会場はまだ畳が新しいのだろう井草の爽やかな香りを部屋に満たしている。
入口側から見て宴会場の最奥にはステージがあり、それに向かうようにして六名分の配膳がなされている。
広い宴会場にたった六つの配膳ではとても広く感じるのは言うまでもない。
先程風呂に入っていた女性陣も宴会場に姿を現したのは、マルチェロが騒ぎ立てた結果ではないだろうか。
しかしタイミングとしては丁度良かったとも言えるので、その点については不問にしようとカインローズは思っていた。
湯上りの女性陣は当然浴衣であり隣のジェイドが少々落ち着きが無くなっているがカインローズからすれば何も動じる事は無い。
これがもう少し自分の好みの女性達であったならばまた違った反応もあっただろうが、如何せんリーンフェルトとリナ、そしてシャルロットとナギである。
シャルロットとナギに関しては完全に未成年という年齢差だ犯罪物である。
リーンフェルトとリナに関して言えば見た目は確かに美人の部類である事は認めるとして、その性格が大きく問題である。
出来ればもう少し年の近い女性の方が好みである。
断じて筋肉だけが好きな訳ではないのだ。
そんな事を考えているとナギが手際よく皆を席に案内していたので、それに便乗する。
「お姉様方はこちらにお座りくださいね。カイン様達はそちらへ。今宵の宴会はアシュタリア一の歌劇団が講演を行いますので、ごゆるりとお楽しみください」
そうして用意された御膳の前にドカッと胡坐をかいてカインローズは座布団に腰を下ろす。
こちらもまだおろしたてであるらしく、ふわりとした座り心地に動きたくなくなるほどだ。
それにしてもナギは歌劇団まで用意したらしい。
アシュタリア一ともなれば一体どれほどの費用が掛かったものだかと心配になったが、心配した所で恐らくコウリウ家から出ているのだからと途中で考えるを止めてしまった。
果たして何が彼女にここまでさせるのだろうか。
確かにヒナタの一件はナギには大きい事柄だっただろう。
なにせ幼馴染の命の恩人なのだから。
でもそれだけではない気がする。
もしかするとナギはリーンフェルト達にずっとアシュタリアにいて欲しいのかもしれない。
恐らくここまで長く滞在した客人というのも、アル・マナクの面々含めてナギの人生にとって初めての事に違いない。
元々客人に対して細やかな気配りでもてなしたりしたりするのは、性格なのだろう。
それにしても齢八歳である事の方が余程不思議な能力である。
これも皇帝家の血筋ゆえだろうか。
あちらこちらで働き詰めのナギについて考えていると、徐々に入口の方が騒がしくなってくる。
そしてそこに現れたのは騒動しか起さない男、マルチェロである。
「おっここは宴会場か? ん? なんだお前等こんなところにいたのか、俺様達も宴会に混ぜてくれ」
そう言って大宴会場に部下を引き継入れてズカズカと入ってこようとしている。
風呂でもそうなのだからこんな短時間でその性格が直る訳も無く、空気も読めていない。
視界の端に八歳とは思えない程の殺気を一瞬漲らせたナギの顔が見えたが、ここは怒っても良い所だとカインローズは思っていたので、その怒りは尤もだと肯定した。
怒鳴り散らすかと思っていたのだがすぐに気持ちを切り替えたのだろう。
スッと殺気が立ち消えたかと思うと、いつもの可愛らしい表情に戻っているあたり、帝王学の賜物なのかもしれない。
「俺……疲れてるのかな……」
と呟いたのはジェイドだ。
先のナギの変化をどうも見ていたらしい。
確かに八歳とは思えない表情だったし、それも一瞬だった事から目の錯覚と捉えたようだ。
そう思っていた方がきっと幸せだろうと、カインローズは一つ深く頷いてた。
さて頷いて顔を上げる頃にはナギがマルチェロの元に着いていた。
当然招かれざる客人であるマルチェロへは宴会場への立ち入りの断りを告げるものだと思っていたのだが、どうやら違った展開になるようだ。
「えっとマルチェロ様、何名分ご用意をしたらいいのです?」
なんとナギはマルチェロ達を受け入れる旨を伝えたのだ。
「おっまた小さいの、気が利くな。俺様の部下はざっと五十名だ」
「わかりました。五十名分ご用意させますね」
「おう話が分かるじゃないか。お前等こっちも宴会だ!」
確かに入口で一悶着起こした態度を見れば、断った事について絡んでくるだろう。
面倒臭い奴だと誰もが顔を顰める中、我が物顔で部下達を宴会場に引き入れるマルチェロは上機嫌だ。
しかし彼等の受け入れも、宴会への飛び入りも想定外だろう。
料理などは用意出来ているのだろうか。
きっと料理も酒も無ければ出てこないと暴れるだろう面倒臭いマルチェロ軍団が、ナギに難癖をつける様ならば全力でボコボコにしてやろうとカインローズは心に誓う。
そんな心配が思いついてしまうと、どうしても聞かずにはいられない。
ナギに近づいて聞き取れるくらいのトーンまで落とした声で彼女に尋ねた。
「おい、ナギ大丈夫なのか?」
その言葉にはいろいろな意味が含まれているのだが、所詮カインローズである。
もう少し気の利いた言葉もあれば良いのに、言葉がついてこない。
しかしその辺りの気持ちも汲んで対応してくるのは流石ナギだ。
カインローズに心配を掛けないようにと安心させるような笑顔で答えた。
「大丈夫ですよカイン様。元々明日は通常営業でしたから食材等は潤沢に揃えてあるのですよ」
「……ならいいや」
「はい、マルチェロ様にもきっちり楽しんで頂きますね」
カインローズが考えそうな事は既に考えているのだろう。
心配して聞いた事がちょっと気恥ずかしくなったので、ナギに対する返事は少々ぶっきら棒な対応になってしまった。
その反応もナギは織り込み済みで笑って見せたのだった。
そこからはバタバタとしたものだ。
五十人分の配膳が従業員達によって急ピッチで行われ、無事に配膳が終わるとやっと宴会が始まる。
先程よりも人数が多い分ガヤガヤと騒がしくなってしまったが、むしろこちらの方が宴会の雰囲気としては良いのではないだろうか。
酒も料理もアシュタリアの贅を凝らした一品であり盛り付けの美しさは食べてしまうのが勿体ないと思う程である。
しかし料理は食べてこそ料理なのでと早々に諦めたリーンフェルトは箸をつける事にした。
猪肉のステーキや山菜の天麩羅の山の幸も然る事ながら、海の幸についてもオリクトのお蔭でかなり鮮度を保ったまま運べるようになったらしくどれも大変美味である。
皆が食事を始めてしばらくした頃、天井の明かりが徐々に暗くなりステージが明るくなると場に居る者の目は自然とそちらに視線を移す。
光のオリクトが仕込まれたライトがステージを照らせば、豪華な衣装を身に着けた歌劇団が列を成して現れる。
拍手で迎えられた彼等は主演男優の挨拶の後、早速演目が発表されると演劇が始まった。
この時の拍手についてはそれなりの人数がいた事もあり、かなり盛大なものとなった。
演目は皆大好き初代様の英雄譚である。
それも忍びの里ママラガンの攻防戦についての演目だ。
神出鬼没に現れては刀や手裏剣で敵をなぎ倒し、御神体を奪い返そうとする豪族連合を追い返すまでを描く一大抒情詩である。
なおこの演目のチョイスはナギが行ったとの事。
初代様マニアには熱い展開目白押しの演目はいろんな作者がそれぞれの解釈の下多くの書籍が出ている。
ママラガンに到着してからは毎日の様にナギがオススメの小説を持ってくるので、それを消化する事でかなり初代様ネタには詳しくなったリーンフェルトである。
勿論この後の展開も知っているのだが、演劇で見てみるとまた新鮮な気持ちで物語を見る事が出来る。
歌劇団と言う事もかなり重要で楽団が生で演奏し、効果音もそれぞれの楽器を用いて表現すれば気持ちが乗ってしまうのは正直理解の範疇ではある。
あるのだが、彼は違った方向にその気持ちを爆発させた様である。
「やはり世界に英雄は俺様一人だけで良いと思うのだ!」
何を思ったのか。
いやきっと口走った事を思っていたのだろう。
酒が入り演劇に刺激されてか急に立ち上がりそう叫んだマルチェロを見て、またマルチェロかとげんなりとした気持ちになってしまったのはこの場に居る誰もがそうだったに違いない。
そのままの勢いでステージに上がったマルチェロはやられ役の役者の手から武器をひったくると、初代様役の役者に向かって武器を構えた。
きっと客が混ざってくるなど想定外であっただろう。
あれでそこそこ強いマルチェロの事だ。
例え演劇用の武器であったとしても、下手な素人よりは腕が立つ。
初代様役の男優を仮にこの場で倒してしまったとしたらと考えると、先の展開が見えすぎてほろ酔いに留めていた酒気が一気に抜けてしまう。
しかしそんな心配も束の間、マルチェロは見事に初代様に倒されてしまう。
それもまるで何事もなかったかのように演劇の続きを演じている感じで、マルチェロを黙らせてしまった。
演技をしている様に見えてその実、初代様役の彼の動きはかなりの武術の達人であるのだろう。
リーンフェルトの目から見ても、その身のこなしに隙が全くないのである。
「なんであの役者強いんだ?」
そう疑問を持ってナギに尋ねるカインローズに彼女はとても清々しい笑顔で食事をしながらその理由を語る。
「それはそうですよ。皇帝お付の近衛兵の皆さんですから」
「あぁ……そりゃ道理で強い訳だ。それぞれが武芸に秀でた猛者の集団じゃぁな……マルじゃ勝てねぇな」
そうぼやくカインローズにリーンフェルトも納得してしまう。
どの国においても近衛といえば王を守るその国の最高戦力である事が多い。
きっと他国からの使者や客人との宴席で皇帝の身辺警護を歌劇団のフリをして影から担う任務が彼等にはあるのだろう。
そう考えるとなんだか妙に腑に落ちる。
ステージ上でまるで潰れた蛙の様になっているマルチェロ。
ざわめく彼の部下達、酒の席の笑い話で終わればと願うリーンフェルトであった。