169 合縁奇縁
ナギは入口の方からつかつかと歩み寄ってくる。
それにカインローズはマルチェロ達の事を特に気にした様子もなく普通に問いかける。
客観的に見れば先程まで話していた目の前のマルチェロを無視した形になるだろう。
彼の切り替えの早さに呆れると同時に面倒な奴をさっさと忘れてしまいたかったのでは無いだろうかとリーンフェルトは邪推して見ていた。
「おう、ナギ手続きは終わったか?」
「はい、カイン様とお連れの皆様のご用意は整ったそうです」
ナギがちらりと向けた視線の先にはジェイドとシャルロットがおり、マルチェロから注意が逸れた事で彼等の存在にやっと気が付く。
「あ、こんにちは」
「こないだぶりです……」
ジェイドとシャルロットが軽く会釈をするとカインローズが片手を挙げて近付いていくので、リーンフェルトも彼に続いてマルチェロを視界から外す。
「よう! お前らも来たか」
「シャル、今日は楽しみましょうね」
「うんっ!」
シャルロットとの会話は大変友好的な滑り出しで、数日前の様なわだかまりを感じる事はなかった。
カインローズとしてもお節介を焼きに焼いてここまでたどり着いた姉妹を見て好ましい状況になったと目を細める。
一方ケチをつけられたナギはマルチェロの前へと進み出ると、この場の代表であるかのように彼に話し始める。
「それと……そこの方。アシュタリアが冷たい国というのは否定させて頂きます。貸切と言っても警備上の問題の事。宿の部屋は余っておりますからお泊りになるなら手配させて頂きます」
事実この場の責任者と言えなくもない立場と権限を有した八歳は、誰の目から見ても一端の大人の様である。
マルチェロへの発言もおそらく皇帝の一族に名を連ねる血筋がそうさせるのだろう。
彼女は歳のわりに聡明であるのは、皇族英才教育の賜物か。
ともあれ臆すことなく一歩前に出たナギの言葉が、自身にとって都合の良い物だったからだろうマルチェロは仰々しく反応する。
「ほらみろ! こっちの小さい奴の方が話が分かるじゃないか。これも一重に俺様の人徳によるものだな」
彼の語る人徳とは何なのだろうかとリーンフェルトは成り行きを見守る事にした。
どう見ても人徳とは掛け離れた行動の多い人物であるはずなのだが、不思議と彼の部下達はマルチェロを見捨てる事なく着いて来ているが謎である。
自分の主張が通ったのだと鼻高々と主張して、相変わらずの横柄な態度で胸を張ったマルチェロにナギの表情が一瞬蔭る。
しかし場を収める為には目の前の難癖をつけてくる男をなんとかしなくていはならない。
ナギは少々躊躇いがちにこの面倒くさそうな男へと切り出す。
「その代わり、えっと……」
「マルチェロだ小さいの」
マルチェロはマルチェロで声を掛けようとしたナギが何に詰まっているか察しているのだから、案外侮れない。
名を名乗る彼の語尾がナギの事を覚える気がないのだろう適当なのは、確実に地雷を踏み抜いているのだろうナギは顔こそ笑顔のままだが雰囲気が怖い。
しかしそれを気にした様子もマルチェロからは見られないのは、マルチェロたる所以だろう。
「小さいの……ですか。そうですかマルチェロ様、ただし宿代こそお持ちいたしますが、飲食に関してはそちら負担でお願い致しますね?」
「それは仕方のない話だな。俺様もそこまで厚かましくはないぞ」
「わかりました。ではマルチェロ様もどうぞ中に」
横柄な態度はそのままにマルチェロとその部下達はぞろぞろと温泉宿の暖簾を潜って行く。
それに続いてリーンフェルトやジェイド達も中に入って行く。
ほぼ最後方を歩くナギにカインローズが耳打ちする。
「おい、ナギそれでいいのか?」
「えぇ、大丈夫ですよ。飲食に関してはあちら持ちを了承して頂けましたので」
「宿代の方が高くつくだろうに」
「いえいえ、飲食のお値段を十倍に設定させて頂きましたので大丈夫です」
それを聞いたカインローズの顔が引き攣ったのは仕方のない事だ。
そして前を歩いていたリーンフェルトがこのやり取りが聞こえて振り向いた事もまた仕方のない事といえよう。
「……ぼったくりましたね」
「私を小さいのと呼ぶような御仁ですから、それ相応の対応というものですよ。お姉様」
ナギは笑顔を向けてリーンフェルトに答えるが、カインローズはどこか母であるキトラの様な強かさを感じてつくづく婚約が破棄された事を内心喜ぶと共にこれから確実に尻に敷かれるであろうヒナタに一抹の気の毒さを思う。
しかし心根が真っ直ぐな彼の事だ、これも惚れた弱味と既に諦めているかもしれない。
仮にカインローズの許嫁が破棄されず万が一ナギを娶っていたとしたら、きっと直ぐに頭の上がらない存在になっていただろう。
そっと胸を撫で下ろすカインローズを余所に、何を思ったか突然ジェイドがナギに話しかけた。
「ナギ、って言ったっけ。今日はお招き頂き有難う。カインローズ達から話は聞いてるよ。ジェイド・アイスフォーゲルだ……宜しくな」
「わ、私はシャルロット・セラフィスと言います……!」
聞いている限りではどうやら自己紹介をしたかったようだ。
先日は合コンでは狐のお面で人見知りアピールの有った彼の事だが、初対面でも顔を向けて話しかける事は出来るのだなと違った方向で感心したリーンフェルトは彼等の挨拶をじっと見ている。
一方その隣にいたカインローズはナギとは初対面であったにも関わらず、すっかりマルチェロにかき回され失念していた事をちょっとだけ悔いていた。
しかし彼女の対応は流石であった。
足を止めてジェイド達に向き直り、しっかりと屈託のない笑みを乗せて返礼をして見せる。
「ご丁寧にありがとうございます。私はナギ・コウリウ・アシュアリアと申します。お姉様の妹様! 後そちらの魔法使い様の事は叔父より聞いております。アシュタリアの国難に際してお力添え下さるとか……本日はコウリウ家の仕切りでございますので、どうかごゆるりと」
とても八歳とは思えない挨拶をしたかと思えば、次に普通の子供の様な事をシャルロットに話しかける。
「それにしても……シャル姉様はリンお姉様とよく似ているのですね。私の兄弟と言えば多種多様な種族から父が迎え入れたせいか、兄弟でもあまり似ていないのです」
「そうなんですね……」
リーンフェルトは相槌を打ってナギとの会話を真剣な表情で聞いているシャルロットをチラリと見る。
どうやらシャルロットはナギとも上手くやっていけそうな感じを見て取り、姉として一安心する。
ナギの兄弟については会った事はないのだが、父であるロトルのエピソードを知っていれば合点の行く話だ。
それにしても客観的に見るとシャルロットと似ているように見えているのだなとそんな感想をリーンフェルトは思った。
当人同士からすればきっとあまり似ていない姉妹であるという認識である。
目元や身長、コンプレックスのある胸などの身体的特徴などは、顕著だろうと思うのだがベスティアからするとそうでもないみたいだ。
確かに鼠の父に虎の娘が産まれたりしているのだから、ベスティアは女性側の方が優性なのかもしれない。
「リンお姉様の妹様ですもの、私にとってお姉様です! シャルお姉様も後で一緒にお風呂に入りましょうね。ここのお風呂はとても大きいのできっと気に入ってもらえると思います」
「わぁ……楽しみです!」
盛り上がっている二人の妹を見てほっこりとした気持ちになっていると、ナギにカインローズが声を掛けた。
「ナギ、興奮している所悪いがそろそろ俺達も案内してくれや」
このままでは収拾が付かなくなると彼は思ったのだろう。
水を差されたナギは少々不満げな顔をして見せたが、直ぐに姿勢を正して一向に頭を下げた。
「もう……カイン様。では改めまして本日は七福神温泉へようこそおいでくださいました。どうぞこちらへ、お部屋は男女別となってます。分からないことがありましたら遠慮なく女中に聞いて下さい」
そう仕切り直すと再びナギは前を向いて歩き出す。
立ち止まって話している間に、先行して歩いていったマルチェロ達の姿が見えなくなってしまっていた。
うじゃうじゃといた彼の部下達すら見えないあたりにこの温泉宿の広さを感じつつ、一体どこに行ったのだろうという疑問が脳裏を過ぎったリーンフェルトであったが、直ぐにその疑問を捨て去る。
今日はシャルロットと共に楽しく過ごそうと、リーンフェルトは心に誓ったのだった。