167 実食
ジェイドが取り皿などを取りに席を立っている間に、カインローズは出された茶を手に取り啜る。
茶葉は良い物を使っているらしく爽やかな香りが口いっぱいに広がった後に若干の苦みと仄かな甘みを舌先に残して喉の奥へ吸い込まれていく。
やはり皇帝の客人ともなればその待遇は察して然るものだなと思いつつ、ふと疑問に思った事を口にする。
「しっかし何でパンケーキかねぇ? 普通にケーキで良かったじゃねぇか」
「あ、えっと……」
おはぎとパンケーキというミスマッチが目の前に展開されている事と、シャルロットがパンケーキを何故リクエストしたのかが気になったのだ。
それこそ材料はあるのだから、パンケーキなどではなく普通にケーキと言われればケーキを作って来ただろうと思う。
生クリームたっぷりのケーキから比べればパンケーキなどは質素なほどシンプルである。
カインローズの質問にシャルロットが答えようとして詰まってしまったのを見て、リーンフェルトはすかさずフォローに入る。
「そうでもないですよ。子供の頃おやつと言えばパンケーキなくらい、我が家ではパンケーキが出ました」
「そ、そうですっ! それに、お母様やお姉ちゃんが作ってくれるパンケーキってとっても美味しいんですよ!」
姉の言葉に追従する形でカインローズの質問に答えたシャルロットの顔はとても良い笑顔である。
シャルロットの言葉に同意する様に頷くリーンフェルトを見て、彼女は余程これが好物なのだろうなと納得するカインローズであった。
リーンフェルトもまたシャルロットの言葉にしみじみとした物を感じる。
アルガス王国時代は本当に公爵家とは名ばかりなほど貧乏であったからだ。
当時王族であればおやつにはケーキが出ていた事だろう。
しかし公爵家にはそんな余裕はなかった。
だからおやつと言えばケーキではなく、パンケーキなのだ。
寧ろケーキなどは一年に一度の誕生日くらいなものだ。
シャルロットが産まれて大きくなってからは年に二回くらい食べる機会があったが、所詮年に二回である。
リーンフェルトも未だに生クリームのたっぷり掛かったシフォンケーキなどをカフェで食べる時は流石に頬が緩む。
自身の目尻が少し垂れているのが分かるほどだから、やはりケーキは特別なのだ。
シャルロットから良くせがまれて作ったパンケーキは今日持って来たそれよりも相当薄いし小さかったはずである。
話の流れを聞いていたカインローズはちょっと間を空けてから、思い出したように口を開く。
「あぁ、アルガス王国時代の話か。なら仕方ねぇな……あの頃は組織に呼ばれるまで冒険者だったから良く覚えているぜ。地方に行けば行くほど食う物に困ったもんなぁ。もう魔物でも良いかくらい肉が食いたくなったりしてな」
出だしは話の流れを踏襲していたカインローズだが、その後に続く言葉は果たしてここで話すべき内容だろうか。
リーンフェルト自身狩った魔物をそのまま食べるという事がショックだったらしく、引き攣って顔が強張るのを感じた。
魔物の肉を食べる者が居るという事は知識として知っていたが、まさかこれほど近くに居るとは思いも寄らなかった。
肉が美味しく養殖されている魔物というのもいるが、そもそも魔物の肉は癖があり適切に処理しない限りは美味しく食べられないと聞いている。
中には死に至らしめる強力な毒すら持っている者もいる。
素人が手を出して良い食材ではないのだ。
「え……魔物の肉を食べたのですか?」
「あぁ、まぁ……背に腹は代えられんだろう?」
「……食べたのですね?」
恐らくそんな技術のないカインローズの事だ。
きっとぶつ切りにして焼いたかくらいしかしていないに違いない。
ことケフェイド大陸などに生息する猪型の魔物は毒が無く、その肉も美味であるが彼の口から飛び出した魔物の名前に背筋が寒くなる。
「一時だぞ? 一時。グレートボアあたりは美味いんだが、ジャイアントセンチピードはやばかった」
彼の言うジャイアントセンチピードはシュルクの平均身長の三倍程度の大きさを持つムカデである。
またその顎には強力な毒を持っており噛まれると傷口が焼け爛れたような激しい痛みと高熱が出て処置が遅ければ死に至ると言われている。
リーンフェルト自身も何度か討伐した事はあるのだがその前情報を持っていた為、基本的に接近戦へ持ち込まず魔法で処理していた気がする。
光沢のある黒と赤のラインを持つ骨格と無数に生える足、触覚には短い毛で覆われておりこの短毛もかゆみや腫れを引き起こす毒であり接近戦の際には注意が必要という。
よくそんな魔物を食ってやろうと気になった物だと呆れの念が漏れる。
「良く食べる気になりましたね……あんな気色の悪い物……」
そう、見た目はそんなである為近づきたいとは思わない。
それは生きている内でも、死んでからでも変わらない。
無数に生える足が波打ち爆走してくるあれは視界に入れたくない程気持ちが悪いのだ。
そんな物を口にしたカインローズは、リーンフェルトの雰囲気を察してか言い訳を始める。
「腹……減ってたんだよ! 食糧尽きて三日目に見つけたのかジャイアントセンチピードだったんだ。背に腹は代えられんだろうが……」
空腹には誰も勝てないし、逆らえない。
勿論それは魔法を扱う物の宿命的な物ではあるが、やはり虫食には抵抗が隠せないリーンフェルトである。
「ジャイアントセンチピードは揚げて食うんだよ。あと高確率で毒性を持ってるから、食うなら光魔法で毒抜きするか光属性のオリクトを持ってった方がいいな」
気が付けばいつの間にか戻ってきたジェイドが事もなげに話に入ってくる事に驚く。
いや虫食の話に普通に入ってきたのは、予想外というかまさかの展開でありリーンフェルトもやや動揺を隠せない。
彼女が固まっている間にシャルロットは会話に加わってきたジェイドへと質問する。
「先生食べた事あるんですか!?」
「グランヘレネを出てから二年間は孤児みたいなものだったからなー……落ちてて食えそうなものなら大体食ってたぞ。あとシャルロット、君も気付いてないだけで虫食った事あるからな」
「えっ」
シャルロットはその大きな目を見開き、驚いた様子でそれについて聞き返す。
「い、いつです……」
「グランヘレネにいた頃かな……暫く味気ないパンの生活が続いてる時、瓶詰めの保存食貰って喜んでただろ君」
「はい……」
「あれグランヘレネじゃ有名だけどジュエル・ハニービーの幼虫を保存食にしたやつだよ。滋養強壮に良いんだけど、美味しいって言って食べてたよな?」
「…………」
パンケーキを切り分けながら事もなげに話すジェイドに、シャルロットはショックだったようでピクリとも動かなくなってしまった。
リーンフェルトは妹になんて物を食べさせているのかと、一瞬声を荒げようとしたが折角の場が台無しになる可能性を考えてグッと押し黙る。
その為この話に歯止めが利かなくなってしまったのは否めない。
なにせ止める者がいないのだから。
「ジャイアントセンチピードな……いっぱからげに言うとあれなんだが、専門家に聞くとどうも大陸毎に独自の進化を遂げてたりするんだとよ。ちなみにケフェイドのは火に強く神経麻痺を引き起こす毒を持ってるらしいぜ」
そんな豆知識を披露して見せるカインローズに、何とか気を持ち直したリーンフェルトは短くツッコミを入れる。
「良く無事でしたねカインさん」
「あぁ、毒腺から強い匂いが出てたから、それが臭わない所を食っただけだぜ。ま、紫の液体が滲み出てる所なんて食おうとは思わねぇよな」
ツッコミに対する回答があまりにもカインローズらしくて、なんだか何かを言う気も失せて口を閉じて苦笑するしかないリーンフェルト。
シャルロットの方もすっかり虫食の話で、目の前に好物のパンケーキがあるのにも関わらず、すっかりテンションが落ちてしまっている様子だ。
ちょっと恨めし気に見えるその視線がカインローズに向けて放たれている。
「何か怒ってるのか?」
「いいえ……」
「そうか? じゃあまぁ、折角だし食べようか」
男性陣は虫食を何とも思わないのだなと傍観者の様に見ていたリーンフェルトには、シャルロットの機嫌の悪さが手に取るように分かる。
普通に考えればそんな気色悪い話をされても女性は喜ばない事くらい理解出来ていないのだろうか。
確かにカインローズにそういう物を求めるのは少々酷なのかもしれないが、ジェイドはきっとそんな事はない筈だ。
などとリーンフェルトが思考を巡らせている間に、おはぎはジェイドの口へと運ばれていきそれについての感想を述べる。
「ん、美味いよ。流石花嫁修業しただけあるよな」
どうやら合格点を貰えたらしいとリーンフェルトは安堵する。
後はシャルロットのパンケーキである。
こちらもしばらくおはぎを食べるジェイドを見ていたが、気持ちが落ち着いたのだろう。
ナイフでパンケーキを切り取り、苺と生クリームを乗せるとフォークでそれを一口頬張る。
「んんー……とっても美味しい!」
どうやらさっきまでの気分はこの一口で飛んで行ってしまったようだ。
再び笑顔を取り戻したシャルロットは、リーンフェルトへそう感想を伝える。
二人から合格を貰えたリーンフェルトはやっと肩の荷が下りた気持ちになり、静かに口から吐き出したのだった。