166 杞憂
カインローズが意識を失い医務室に運ばれていくという、ちょっとしたトラブルがあったがおはぎは無事に完成を迎える。
「私の作ったおはぎもぜひ入れてくださいませ」
「いえ、今回は私の謝罪の為に作った物ですから、リナさんが作った物は入れる事は出来ません。ごめんなさい」
「いえいえ……大丈夫ですわ。いずれ私が作ったおはぎも食べて頂く日が来るはずですから」
そういうリナに、リーンフェルトは内心引いていた。
頑丈なカインローズすら卒倒させてしまうような劇物をシャルロット、ひいてはジェイドに食べさせるわけには行かない。
下手したら永遠に口を利いてくれなくなってしまうかもしれない。
なんにせよ今回リナに告げた理由はあながち間違いではない。
おはぎを作り終えて、次はシャルロットからリクエストがあったパンケーキだ。
こちらに関していえば、昔散々作った為かあっさりと作り終えるとおにぎりを包む竹皮に包む。
おはぎに関しても同様に包もうとしている所に、アベルローズが現れる。
「倅が気を失ったと聞いてな」
「それでしたら、医務室の方に今は居るはずですよ」
「おう、そうか。それにしてもリン殿それはおはぎよな? 握り飯の様に包んでどうするつもりなのだ?」
「はい、明日妹の所に行くのですが、その際の手土産と言いますか、謝罪の品と言いますかそんなところです」
そう答えたリーンフェルトにアベルローズは目を見開き静かに、しかししっかりと聞こえる声でこう言った。
「それはいかん。こういう物はだな……まず見た目が大事なのじゃ。ちと待っとれ」
そう言い残すと素早い動きで城内を駆けていった。
しばらくしてアベルローズが手に持って現れたのは、金箔で細工が施された見事な重箱だった。
「これを使うがよい。食は目を楽しませ、舌を楽しませてこそもてなしというもの。きっとお主の誠意も伝わるじゃろう」
「ありがとうございます、アベルローズ様。早速使わせて頂きますね」
そういって重箱の二段目におはぎを綺麗に並べていくと、アベルローズは満足げに頷いた。
「やはりおはぎはこうでないといかん」
その声には妙な達成感があった。
重箱の一段目にはシャルロットがリクエストしたパンケーキを重箱の大きさに合わせて焼き直した物を入れる。
なお先に作ったパンケーキは、リナが美味しくいただいてしまった。
丸いパンケーキに重箱の四隅が寂しく見せたのでバロクにお願いして少しフルーツを分けてもらいトッピングとした。
ついでに生クリームもくれるというバロクに感謝しながら一の段を飾る。
「重箱となると風呂敷が必要ですな。少々お待ちを」
生クリームをリーンフェルトにボウルごと手渡したバロクはアベルローズの持って来た豪華な重箱を見てそう呟いた。
物の数分もしないうちにバロクは手に風呂敷を持って現れると、重箱を包み上げた。
「これで手土産の方は完成しましたね、いやいやリンさんの料理の腕も大分上達しましたしそろそろ免許皆伝ですかな」
「いえ、そんなバロクさん……私はまだまだですからもっと料理の事を教えてください」
そう言ってリーンフェルトはバロクに頭を下げる。
「仕方がありませんな、熱心なのは良い事です……引き続きお教え致しましょう。それに比べてうちの弟子達は……」
何やらブツブツと口籠ると厨房の奥へと消えて行ってしまった。
こうして出来上がったジェイド達への手料理を持って、彼等の下を訪れたのは翌日の三時くらいである。
アシュタリアで言う所の八つ時目掛けて、先方の滞在先へ向かった。
しかし道が今一分かりづらい事から、カインローズがその道案内を買って出ている。
またわざわざ外出時間に合わせてナギが見送りに来ていた。
「お姉様の着物姿を拝見しに参りましたの。後カイン様にはこちらを……」
そう言ってカインローズに何か手渡してニコニコしている彼女に手を振って目的地へと向かう。
今日用意されていた着物は少々派手な構図となっており黄色地の着物は裾に黒と白で描かれた川があり、添えられるように大輪の椿が染め上げられている。
椿の葉が黄色地に咲く椿との一体感を演出しており美しい出来となっている。
一方案内役であるカインローズは深い緑色の着流しであるが染抜きで描かれた桔梗が良いアクセントとなっている。
「しっかしリナの奴なんてもの食わせるんだ……ったく」
「ですが、あれは私と同じ材料で作っていたのですよ、本当に」
「んじゃ何故緑になるんだろうなあれは。もう明らかに小豆の色じゃなかったじゃねぇか。なんだよあのエメラルドグリーン! 鼻に抜ける悪臭やば過ぎだろう……」
リーンフェルトと顔を合わせるなり、昨日リナに食べさせられたおはぎの件でカインローズは文句を言っている。
そんな愚痴を聞きながら着いた先は立派な屋敷であった。
玄関で女中を捕まえてジェイド達を呼びに行かせると、しばらくすると見知った顔が現れる。
「よう、元気にしてたか? ジェイド!」
「こんにちはジェイド。シャルも元気にしていたかしら?」
ジェイドとシャルロットが玄関に現れたのでそう声を掛ければ彼等も大分蟠りが溶けて来ているらしく、好意的に迎えられる。
「こないだ振りだな。そっちも元気そうで何よりだ」
「うん、お姉ちゃん。私は元気よ」
ケフェイドに居た事のシャルロットの口調にリーンフェルトは関係の修復が進行している事に安心を覚える。
しかしまだ気は抜けない。
リクエストに応えて作ってきたパンケーキはケフェイドの実家で良く作っていた物だ。
シャルロットの好きだった味に仕上がっていると思う。
おはぎの方はバロクの墨付きであるから、ある意味自信を持ってジェイドの差し出す事が出来る。
そうこうしている間に玄関先で話をするのも失礼だという事で早速客室に案内される事となった。
客室の中央には背の低いテーブルが設置されており、赤い座布団が上座と下座に敷かれている。
リーンフェルトとカインローズは下座に腰を下ろすと、タイミング良くお盆を持った女性が現れて緑茶の入った湯呑みを四つ配膳し、お茶請けの煎餅が入った器をテーブルの上に置くと深々と頭を下げて部屋から出て行った。
ジェイド達の世話を命じられている女中だろうか、その動きには隙が無く只者ではないのだろうなと一瞬気を逸らしていたが本題は目の前の彼等であると気を取り直して正面を見ると、言い知れぬ緊張感があり空気が張り詰めて行くようである。
「では……」
そう切り出したリーンフェルトは本日の為に作ってきた物が入っている風呂敷をテーブルの上に載せて広げ始める。
アベルローズから借り受けた金箔が施された漆塗りの重箱は風呂敷から解放されて光を浴び、重厚な輝きを放つ。
金箔で描かれた鶴と朱で描かれた菊花は華やかにその存在感を主張している。
傍目から見てもこれは目を引く重箱であり、ジェイドの目に微かな輝きが見て取れた。
目で楽しませ、舌で楽しませてこそもてなしとは本当に良く言った物であるとアベルロースの言葉を思い出しながら、リーンフェルトは重箱の蓋を開けてジェイドへと差し出す。
四個三列に綺麗に整列したおはぎが重箱から現れるとジェイドの視線は釘付けとなっていた。
「先日の約束通り、おやつという事でおはぎを作って来ました。口に合うかは分かりませんが少しは気持ちが……伝わる事を祈っています」
「あ、ああ……半分冗談でもあったのにわざわざありが……」
ジェイドがお礼を述べようとした矢先にリーンフェルトの隣の野太い腕がおはぎを一つ攫っていき、止める間もなくあっという間にカインローズの口へと運ばれていく。
「これは中々……」
そんな事を言いながら咀嚼している彼にこんな大事な場面でなんて事をしてくれたのだという思いと、動揺で思わずリーンフェルトはその対応に遅れ声を出すのがやっとであった。
「か、カインさん!」
「おう、すまねぇすまねぇ。城の料理長が合格を出したっていうおはぎがどの程度か気になってたんだよ、どうだお前ら毒も入ってねぇし安心して摘まんでみてくれ」
カインローズの言葉にリーンフェルトは、はっとして彼の行動の意味を理解した。
彼はジェイドの言った「毒は入れるな」と言った事を覚えていたらしい。
勿論そんな物は入れる訳がないのだが、それでもダメ押しにと彼は毒見を買って出てくれたのだ。
それについてジェイドは少々呆れた表情をしたが特に何か言及する訳でも無く黙って見ていてくれたので、カインローズの行為は黙認されたのだとリーンフェルトは認識して胸を撫で下ろした。
そんな中目の前のシャルロットは首を傾げて質問をしてくる。
「お姉ちゃん、お願いしたパンケーキは?」
昔と変わらぬパンケーキをねだる声に気持ちが緩むのを我慢しつつ、彼女のリクエストに応えるべくおはぎが入った一段目の重箱をそっと持ち上げて二段目をシャルロットに披露する。
「それでしたらこちらの段に……」
実家で良く作っていた円形のパンケーキが重箱一杯に鎮座しているのが彼女にも見えた事だろう。
バロクに分けて貰った苺、バナナ、ブルーベリー、そして生クリームで飾られたそれからは、甘酸っぱい匂いが部屋に広がっていく。
「パンケーキは温かい方が美味しいですからね」
ここからはちょっとしたサプライズである。
火と水の魔法を交互に使い一瞬水蒸気を生み出すと、パンケーキは出来立てのような湯気を上げ始める。
それを見ていたジェイドは素早く立ち上がるとこう言った。
「おはぎとパンケーキの分の食器貰ってくるよ、四人分な。……俺が戻ってくるまで食べるなよ!」
「た、食べませんよ……先生有難う御座います、お願いしますね」
彼は自ら食器を持って来てくれるらしい。
シャルロットはパンケーキをずっと今か今かと待っているようだ。
実家に居る事には誕生日くらいしか生クリーム付きの物は出なかったし、フルーツに関しても当時の事を考えれば高価な食材である。
果たして彼女は満足して謝罪を受け入れてくれるのだろうか。
リーンフェルトとしては寧ろそちらの方が懸念事項である。
言葉にしてもらうまで不安そうにしているリーンフェルトの横でカインローズは、シャルロットの笑顔を見てその不安は杞憂に過ぎないと感じていた。