165 料理長直伝のおはぎ
女子会の翌日リーンフェルトは朝からアシュタリアの城の厨房の一角を借りて唸り声をあげていた。
というのも昨日ジェイドに提案されたお菓子を作るという難題について一人悩んでいたからである。
「一体何を作ればいいのでしょうか……」
そうポツリと呟く。
リーンフェルトのお菓子のレパートリーはさほど多くない。
作った事のあるお菓子と言えば、パンケーキとかクッキーとかそんな感じの物である。
勢いで快諾した物の何が好みで、どういった味付けが良いのかなんてまるで見当が付かない。
そこに城の料理長が麻袋を抱えて現れる。
すっかり城暮らしが長くなってしまった為か、城の中で働く者とも自然と交流が生まれていた。
バロク料理長もその一人だ。
今回のお菓子作りについても協力してくれていてキッチンの一角を貸す程である。
淡い紺地の作務衣にも似た調理服に身を包み、同じく淡い紺地の帽子を被る。
真っ白な前掛けをその腰に巻いてキッチンに入ってきた熊のベスティアである彼は非常に甘党であり、城の中では一番幼いナギのお菓子担当としてもその腕を振るっている人物だ。
彼との出会いはママラガンに着いて暫くした頃に開かられたナギのお菓子の時間にお呼ばれした時だった。
その時に色々と話をして以来、時々アウグストからの花嫁修業任務遂行の為に料理を教わっているのである。
「何を持ってこられたのですか?」
麻袋を気にしたリーンフェルトがそう声を掛けるとバロクは笑いながらこう答えた。
「いやね、良い小豆が手に入りましてな。これで今日はおはぎでもつくろうと思いまして」
「おはぎ……ですか?」
「ええ、もちの周りをあんこで包んだ料理……人によってはお菓子ですな」
「お菓子……」
お菓子と言う単語は今のリーンフェルトにとって、非常に重要な響きを持っている。
折角アシュタリアに居るのだから、この地の料理にしてみても良いのではないかと考える。
料理長がお墨付きを出す程に食材は一流品なのだろう。
「もし良かったら私にもおはぎの作り方を教えて貰えませんか?」
そう切り出すのに時間は掛からなかった。
シャルロットのリクエストがパンケーキとケフェイド風ならばジェイドへのお菓子はアシュタリア風で行こうと決めた。
バロクもどうやら教えてくれる気満々の様で、恰幅の良い腹回りをポンと叩くと野太い腕に力こぶを作って見せる。
「任せてください。ほっぺたが落ちる程美味いおはぎの作り方をお教えしますよ」
そう力強く答えてくる。
かくしてリーンフェルトのおはぎ作りが始まった。
まずが小豆を煮てあんこにする所から今回は始まる。
普段何気なく甘味処で口にするあんこが如何にして作られるのか、その手間が如何程の物かリーンフェルトは知らなかった。
バロクの指導の下、小豆を洗い水に浸ける。
自然にやるならば半日ほど水に浸けて小豆に水を吸わせておきたい所だという料理長だが、半日も小豆に時間を使うのかと驚いているとバロクは顔に皺を寄せて笑う。
「まぁ半日くらいは浸けたい所ですが、こういう方法もあるのですよ」
そう言って水に浸かった小豆に手を押し当てるとほんのり土魔法を使って小豆に干渉を始める。
「元々小豆が水を吸うのは発芽する為なんですよ。だから少しだけ土魔法で成長を促せばご覧のとおり」
リーンフェルトがその入れ物を覗きこむと、先程は小さく硬った小豆が水を吸い少し大きくなっているのが見て分かった。
「そういう魔法の使い方もあるのですね」
思わず感心してそんな言葉が出ると、バロクははにかみながら続ける。
「これも熟練しないと魔力の加減によって一気に芽吹いたりしてしまって失敗も多いので、今回だけです、弟子にも教えませんよこんな事」
どうやらリーンフェルトの気の焦りをバロクは感じ取ったらしい。
そんな気遣いを見せるのは長年城で料理長をしていて、客人の機微を察知出来る洞察力と彼の優しさから来るものだろう。
「もしかして顔に出ていましたか?」
「普通にしていれば分かりませんよ。ただ料理をしている時という事であれば、何となくですが」
「なんだか教えていただいているのに、急かしてしまったみたいで……」
「良いのですよ。思いがこもった料理に思いの力が作用する魔法を使う事は別に悪い事ではないですよ。現に料理で魔法を使えば処理が簡単になる物もあります。卵の攪拌なんかは風魔法の使える者にやってもらった方が早いですしキメも細かく仕上がりますし魔法も使い方次第です」
そんな話をしながらもその手は動く事を止める訳ではない。
バロクが大鍋を用意し水道から水を溜め始めたのだが、直ぐにリーンフェルトがその水を止める。
「どうされたのです?」
不思議そうに問う料理長へリーンフェルトは指をパチンを弾くと鍋一杯の水を魔法で生み出して見せる。
「ここの水道はオリクトを使ったの物ですよね? 城のオリクトの消費しながら私自身の物を作るのは忍びないので水は私が生み出しますね」
「そうですか、これは助かります。小豆を煮る為にはもう一回分大鍋に一杯の水を張る必要がありますので」
他のシュルクやベスティアならばいざ知らず、リーンフェルトにとっては鍋一杯の水を生み出す事などは造作もない事である。
城の設備はベスティアの文化の中でもシュルクよりに改修されている。
昔は井戸から水を汲み水瓶に貯めていたらしいのだが今はオリクトを使用した水道となっているし、薪で火を熾していたかまども火のオリクトが設置されたコンロとなっている。
このあたりの設備はどれも皇帝直々に手配して取り寄せた物らしい。
鍋を火に掛けながら、あれやこれやと話している間に小さな泡が鍋の中に起こり暫くすると水が沸騰を始める。
「いいですか。ここでどれだけ丁寧にアクを取るかでその後に作る料理の出来が変わって来ると言っても過言ではありませんよ。さぁこの網でアクを掬っていきましょう」
そう言って手渡された網を片手にリーンフェルトは大鍋と対峙する。
程なく鍋には小豆のアクが浮かんでくる。
それを丁寧に掬い上げて水が張ってあるボウルへと移していく。
ボウルの水に網を潜らせれば、自然とアクが離れてボウルへと移る
その作業を繰り返す事数度、鍋のアクはほぼリーンフェルトによって駆逐されたようである。
後は本当にプロの目から見て気になる物を料理長が取り除くと、大きめのザルに煮上がった小豆を移して茹でこぼすと料理長がリーンフェルトに指示を出す。
「では、茹でこぼした鍋を軽く濯いでから綺麗な水を張り直してください。水の量は先程と同じくらいで大丈夫です」
「はい、わかりました」
素直にリーンフェルトは指示に従い空になった鍋を生み出した水で濯ぎ、鍋一杯の水を生み出す。
その鍋をコンロに戻すと一連の動きを見ていた料理長が笑う。
「無駄なく動けるのはやはり武術をやっているお蔭なのでしょうな。それだけの魔力を使って料理が出来るならば腕次第では店を開いても良いのでは?」
「またそんな事を……バロクさんこそ自分のお店とかは持たないのですか?」
「ははは……私はいい歳ですからねぇ。一応城の料理長ですしこう見えて高給取りなんですよ?」
「でも確かに料理人としてはこの上ない名誉な職場ですよね」
「えぇ私が作った料理を皇帝陛下がお食べになる訳ですからね。それに毒などを入れないという信頼も無ければ毒見なしで料理を口に食んだりしてくださいませんよ。さてもう一度煮て行きましょう。今度は弱火で好みの硬さまで煮詰めていきますよ」
バロクはコンロの火を着けると若干鍋の位置を調整して万遍なく火が通るようにする。
「さてそろそろこちらも始めましょうか。おはぎの中に入るもち米ですな、これを洗って炊いて行きますよ。昔は御釜に入れて火加減を見てと言う事もしておりましたが最近はオリクトを使用した炊飯器が主流でしてな。確かにお釜で炊いた方が美味しいという事もあるのですがほぼ遜色なく仕上がりますからこちらを使いましょう」
バロクはそう言ってもち米を炊飯器に入れてオリクトを起動させる。
「本当にオリクトというのは便利な代物ですよ。さてこれで放っておけばもち米は出来ますからあんこに戻りましょうか。ちょっと鍋から小豆をつまんでみてください。どうですそろそろ良い固さでしょう?」
「うわ……凄いですね。これが経験の差と言う物ですね!」
「ははは……そんなたいそうな物じゃありませんよ。そんな事よりも次に行きますよ」
「はい、次はどうしたら良いのですか?」
「硬さは申し分ありませんので今度は砂糖を足していきましょう、そして甘み調整の為に塩を少々入れて甘みを際立たせます。後は小豆を半殺し……まぁ簡単に言うと小豆を適度に潰して行って粒が半分残る程度のあんこを作ると言う事です。半殺しにしたらあんこの具合も味見してみましょう」
説明の通り作業してあんこを作り出したリーンフェルトに、バロクは味見用の匙をリーンフェルトに渡し、自信もまた匙を持ってあんこの具合を見る。
「あっ……美味しいですねこれ……」
「これも一重にリン殿の腕の良さでしょうな」
「バロクさんの指導があっての事ですよ」
「ははは……弟子達もこれくらい言ってくれれば可愛いのですがねぇ……っとさて後はもう簡単ですよ、食べやすい大きさに握ったもち米、こちらも半殺しにして餅にします。後はその餅に先程作ったあんこで包んであげればおはぎの完成ですよ」
「はい! バロクさん有難う御座います!」
「ははは……このあんこの出来ならば調理長として満点の出来ですよ」
「ありがとうございます」
そう素直に感想を述べるリーンフェルトだがバロクは笑みを絶やさずにこう言った。
「はい、では今度は一人で作ってみましょう。今度は手を貸しませんからね」
「……えっ?」
「これは今日のナギ様のおやつに致しますから」
すっかりジェイド用だと思って作っていたリーンフェルトは一瞬魂が口から抜け出しそうになったが、気を引き締めてあんこから作りなおす事となったのだった。
あんこを作る為の準備をしていると、別な任務に当たっていたリナがリーンフェルトの元を訪れてこう尋ねた。
「あぁお嬢様こちらに居たのですね。どうです? 何を作るか決まりましたか?」
リナも現場に居合わせた当事者として、先の事が気になっているようである。
「はい、おはぎを作ってみる事にしました。先程一通り手順は教わりましたので今度は自分だけで作ってみるつもりです」
「流石お嬢様ですわ。では私も失礼しておはぎを作らせて頂きますね」
「リナさんもおはぎをですか?」
「えぇ折角なので」
「分かりました一緒に作りましょう」
そうして一連の手順を思い出しつつリーンフェルトは自分で一から作ったおはぎを皿の上に置いて行く。
隣で同じ要領でおはぎを作っていたリナのおはぎの色が緑色なのはどういう事なのだろうか。
「リナさん……おはぎの色が」
「個性的でございましょう? 鮮やかなエメラルドグリーンですわ」
「……もうおはぎでもない気がしますが……」
リナの言う通り彼女が作り出したおはぎはエメラルドグリーンであり、何を入れるとそんな色になるのか逆に知りたくなってしまう色合いである。
リーンフェルトは鍋を別々にして作った事を心より歓喜してしまったのは、きっと失礼ではないだろうと思いたい。
「おう、お前ら料理長から聞いたぜ。おはぎ作ってるんだってな」
そう声を掛けながらキッチンにズカズカと入り込んできたカインローズは手に先程バロクと一緒に作ったおはぎがあり、口元にもあんこが少しついている所を見ると彼はナギの所でご相伴に預かって来たらしい。
「おう美味そうだな……」
「お嬢様の力作には手を出させませんわ!」
いつの間にかリーンフェルトが作ったおはぎに手を伸ばしたカインローズが盗み食いをしようとした瞬間、彼の口にはリナが作ったエメラルドグリーンの奇抜なおはぎが放り込まれており、しかもその口をリナが両手で抑え込んでいる。
「へごわっ!? むぐっ! う~~う~~ぅぅ……」
驚いたカインローズはおかしな声を上げるがその後すぐに口元を封じられた為に喋る事が出来ない。
口から鼻腔を通り抜ける風味が気持ち悪い。
あんこであるはずなのだが、どうも変な風味が本能的に呑み込む事を拒絶している。
それどころか吐く事さえままならない為、徐々に息苦しくなってくる。
鼻はこの段階でありえない程痛い。
一体何をおはぎに入れたらこんな味になるのかと考えながら、カインローズはその場でぱたりと倒れた。
彼が目覚めたのは城の医務室であり、事件から二時間後の事であった。