16 集結
一方、宿のフロントですんなり鍵を借り部屋に戻ったカインローズは、先程とてもイライラしてたリーンフェルトの態度にボヤく。
「なんだったんだあいつ?」
思わず口をついて出る。
本当になんだったのだろうか?少し機嫌を損ねた感はあったが。
「ふむ……」
考えても分からない事は気にしても仕方がないと思考を切り替える。
物事を気にし過ぎると、どうしたらいいか見えなくなることがある。リーンフェルトくらいの若い奴は特にだ。
昔、自分もしたであろう葛藤の片鱗が見える。
しかし、そういう時ほど人の声は届かず、言葉を拒んで傷つけて、後から納得して後悔して……そんな物の繰り返しである。
若かりし日にはリーンフェルトのように、当時一流の冒険者だったアトロに毎日のように突っかかって行ったものだ。
さて、アトロからの提案であるリーンフェルトの妹、シャルロット・セラフィスの情報を仕入れる、だったか?
カインローズは生き残ったサドルバッグから、個人の財布を取り出すと無造作にカーキ色のカーゴパンツについたポケットに捻じ込む。
明日からと逃げてみたものの、やはりどこか心の内に引っ掛かっていたようだ。
ならば単純明快、動いて情報を手に入れるまでだ。
そう結論付けてしまえば、まずは酒場だ。
決して呑みたい訳ではない。
「んじゃ、行ってみっか!」
宿から早速ギルド近くの酒場へ向かい、聞き込みにはいる。
しかし東の丘のグリフォンの話題ばかりだ。
賞金もなかなかであり、ギルド職員も躍起になっているという話だ。
グリフォンの話ばかりでいい加減飽きてきていたカインローズは、いっそ自分で狩って来てしまった方が早いのではないかと思い始める。
「この街の英雄になるのも悪くねぇな」
酒の勢いか、酔いなのか。
目的とは違う方向に進んでいるが、それを制するアトロもリーンフェルトもこの場にはいない。
「ちょっくら片付けてくっか!」
そう言って勢いよく立ち上がると、大股で酒場から出た。
(一応ギルドの依頼を受けたていにしとかねぇと後がめんどいよな……)
そう思いながら冒険者ギルドに向かって歩き出すと、見覚えのある人物が数名のギルド職員を伴って歩いてくるのが見えた。
(おいおいこりゃラッキーって奴じゃないか?)
カインローズは探していた人物を見つけてニヤリと口元を歪める。
リーンフェルトよりも暗い茶色がかった金髪、黄緑色のスカート。
思い違いでなければ彼女こそ探していた人物シャルロットであり、リーンフェルトの機嫌を一気に回復させてしまえる人物である。
すれ違いざまに声を掛けてみよう。
相手はまだ気がついてもいない、素知らぬ顔で通り抜けざまに声を掛けた。
「なぁアンタ、あん時の娘だよな?」
話しかけた相手は、ナンパ男を無視するが如く知らんぷりをして歩を早める。
あんにゃろう無視しやがった。
実力行使ではなく話掛けたのは、カインローズも穏便に済ませようとしての事である。
曲がりなりにも公爵からもう一人の娘の事についても依頼されているのだから、間違っても怪我をさせる訳にはいかない。
徐々に早くなる少女の歩調に合わせてカインローズも後ろから着いてゆく。
「って、おーい!おーーい!!……だぁっ!逃げやがった!」
しばらくついて行った後気を取り直してもう一度声を掛けた瞬間、シャルロットは振り返りもせずに走り出した。
これはある程度想定していた。
あちらには、こちらを襲ったという負い目がある。
当然当事者に会えば何か言われるに違いない、そしてそう考えるならば逃げ出すのは当然の帰結だ。
一年冒険者をしていたくらいでは駆け出しも良い所だ。
所詮、少女の体力なんぞたかが知れている。
例え走り出したとはいえ、所詮カインローズの速さには敵わない。
そう高を括っていたカインローズは想定内とばかりに笑みを深めるが、その余裕は一瞬の内に消える事になった。
みるみるうちに距離は離れ、うっかり見失いかける。数秒もしない内に雑踏に消えてゆく。
何だその加速は。
現場から逃げた時の事を考えればこれくらいのスピードは出るのか、面倒くさい。そんな感想を持ちながらもカインローズの表情にはまだ余裕がある。
「うちの若い奴よりは走れるが…まだまだだなっ!」
マルチェロに筋肉ダルマと評されたカインローズの脚がカーゴパンツ越しにも膨れて見える。そこから生み出された脚力で一気にシャルロットの後ろにつける。
シャルロットも負けじとスピードを上げる。
「なんだ!?思った以上に速い!こりゃ本気出さんと追いつかんかなっ!」
カインローズも負けじとスピードを上げて行く。
そうしてかれこれ20分程は追い駆けっこをしていた。
「ったく!取って食おうってわけじゃねぇんだ!なぁ待てコラ!逃げんなーーー!!」
「こ、来ないで下さいーっ!!」
二人でそんな声を出しながら街中を駆け回る。
カインローズはこれ以上のスピードを出す為には風魔法によるスピードアップという方法を持っているのだが、爆風を生み出すため市街地ではまともに使えないので地の体力で勝負するしかないようだ。
真剣に追い掛けるカインローズに逃げるシャルロット。
オッサンが少女を街中で追い掛け回すという構図は通報ものである。
カインローズは身体能力が高いが、流石に街中で逃げ回る標的を追いながらだと、人混みが邪魔で上手く捕まえることが出来ない。
オリクトの街灯が並ぶようになってからは、昼ほどではないにせよ夜間も人通りが疎らにあるのだ。人とぶつからないように器用に逃げ続ける相手に、どちらに避ける動きをするのか分
からない通行人達を極力回避しつつ、ぶつかっては謝り、また追い掛けていると遂には街から飛び出してしまった。
「…………っ!」
街から出たのを期にシャルロットが息をのみ、更にスピードを上げて一気にカインローズを引き剥がそうとする。
それに食らいつくカインローズも街の外に出てしまえばと風魔法によるスピードアップが成される。
彼女の向かう先には、キラキラと月明かりを受けて光る何かがある。
相手の向かう先に見えた空に光るなにかこそ分からなかったが、カインローズも風魔法は得意としている所だ。そこに魔力の騒めきのような物を感じる。
そのキラキラ光る何かがか氷漬けのグリフォンであると視認出来るくらい近くにまで来た頃だ。目的の少女は立ち止まり、その漏れた声をカインローズの耳は捉えていた。
「…………え?」
まさに何が起こったのか分からないと言うような呆然とした時に漏れ出るそれの声色だ。
かと思えば、先よりも数段早く走り出す。
「お、姉ちゃ……!」
そんな言葉を月明かりの下に残して。
カインローズは一瞬の黙考の後、先の比ではないくらいのスピードで少女を追う。
この先で何があったのだろうか?
――嫌な予感がする。
戦士として、冒険者として培ってきた勘であり、戦う者として寄る辺べき感覚だ。
「だぁぁ!やっと追いついたと思ったらなんだこりゃ……?これやったのは…まぁそっちの兄ちゃんか」
やっと少女に追いつき目にした光景は、髪の長い男と草地にうつ伏せに横たわるリーンフェルトの姿だった。
特徴的な髪型と青のケープマント、オリクトの馬車を襲撃した人物がそこにはいた。
横たわるリーンフェルトがピクリとも動かない所を見ると気を失っているか、死んでるかくらいしか状態が読み取れない。
背中に冷ややかな物を感じる。
まずは安否を確認しなければいけないと、戦士の顔になったカインローズはその男を双眸に捉える。
少女がこの一瞬でリーンフェルトとここまで戦えるはずもない。
ならばリーンフェルトと戦ったのはこちらの男だろう。
その男は薄笑いを浮かべながらカインローズに向かい、挑発じみた声色が多分に含まれた台詞を吐く。
「……そうだと言ったら?」
恐らくもへったくれもなく、犯人はコイツだろう。
それと同時に男の近くで倒れているリーンフェルトの背中が微かに揺れているのが見て取れた。
つまり死んではいない。
この判断が一瞬で出来るのはカインローズの力量によるところだろうか。
しかし無事とは言い固い姿、負けっぷりだ。
死んでいないのであればと、心にある種の余裕が生まれる。
だからこそ、激情に駆られず冷静な判断が出来る。
リーンフェルトの安全を確保するのが最優先事項だ。
例え彼らを倒せるだけの力があろうとも、きっとリーンフェルトは死んでしまうだろう。
全身から出血し、いたる所に血が滲んでおり痛々しさを増すばかり。
「別にどうもしねぇよ。どうせリンが突っかかってんだろ?意外とキレやすくてな。
とりあえず死んでないならこっちで回復させるさ」
パチン、パチンと何かが弾ける音が周囲から聞こえる。
威嚇のつもりだろうか?
そんな事よりもリーンフェルトをなんとか確保しなければ。
焦る気持ちがさざ波の様にカインローズの内に打ち付けているのを感じながら、視線の先の動向を探る。
あの襲撃の時も見た蔦は今回の戦闘にも使われたようだ。
カインローズの気配に蔦達が臨戦態勢に入ったが如く、ザワザワと生き物の蠢いている。
しかしそれはお構いなしとばかりに平然と地に転がるリーンフェルトを担ぎ上げた。
それを見ていた男が何かして来ないように牽制混じりに一声掛ける。
「おいおい、こんなか弱いおっさん捕まえて睨むなよ。どうしてもってんなら相手してもいいが……まともな身体で帰れると思うな」
「……………………」
一瞬の沈黙。
なにか可笑しな事を言っただろうかと思えるほどの間があり、変な緊張感でカインローズは思わず構えてしまう。
しかし男から溢れ出ている濃密な魔力は一瞬で霧散してしまった。
まるで風船から空気が一気に抜けてしまったかのように、空気が弛緩した。
正直、戦えば腕の一本足の一本を持って行かれそうな相手の魔力である、それが微塵に消えてしまったのだ。
警戒していて損はない。
むしろ警戒せねばならないほど、危険な場合もあるのだが男は何を考えたのか、大変気まずそうにカインローズから目をそらし呟く。
「いや、…その、すまない……。俺、男色の趣味は……」
「違うそっちの意味じゃねぇ」
すかさず男にツッコミを入れてしまうカインローズに、戦闘するという空気ではない事が伝わったのか追ってきた少女から小さく息が吐かれる。
そのままシャルロットが男に何か耳打ちすると、納得したようにカインローズに向かって言葉を投げた。
「ああ、……君もオリクトに関わっていたのか」
カインローズはリーンフェルトをしっかりと担ぎ片腕で支えながら、ついでとばかりに本人に文句と忠告混じりに答えてやる事にした。
「どうせアンタのお陰で任務は失敗だからな。サエスの温泉でも入ってのんびりしたらケフェイドに帰るぜ。
あ~……そうだ。あんまり派手にやるとセプテントリオンとして対処せにゃならん。リンの妹ちゃんのダチだしな。今回は見逃してやるぜ?」
正直今はあまり時間を掛けてこの場に居たくはない。
しかしそこら辺を見透かされるのは癪だ。
だからこそ話題の緩急で煙に巻いてしまう。
それに男は思い出したかのよう話す。
「……アル・マナクのか」
「まあ、そんなとこだ」
カインローズはそれに短く答えると、皮肉交じりの言葉が返ってくる。
「オリクトの総本山の、更に上層部がわざわざ護衛任務とはな。人手不足なのか?」
そしてその皮肉に続く言葉は意外な言葉であった。
「……君、名前は」
カインローズは一瞬何を聞かれているのかと思ったが言葉を呑み込み、いつも通りにニカッと笑って名乗る事にした。
「俺はカインローズ・ディクロアイトってもんだ。兄ちゃんは?」
「……ジェイドだ。ジェイド・アイスフォーゲル」
ジェイドと名乗った男は、カインローズを見据え胸に手を当て頭を下げる。
そこに一定の敬意がある事が感じ取れる。
カインローズは片手で後頭部を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「アンタらがやった事は黙っておく。貸し一つだ」
「恩に着る」
「んじゃ、うちの弟子を連れて帰るわ。……ああそうだ」
ジェイドとやり取りをして背を向けたカインローズは、最後にシャルロットへと顔を向け見据える。
「リンの妹なんだろ?ご両親が心配していた。俺達は数日中にはケフェイドに帰るが、何か伝える事はあるか?」
「え、…………っ、と……」
突然話を振られてシャルロットは戸惑いジェイドの方を見ているが、ジェイドからの視線はいささか冷たい。
少しの間はあったがシャルロット考えた言葉を口にした。
「……私は、…シャルロットは元気でやっておりますので何も心配しないでと。お伝え下さい……」
「ああ、伝えておこう。それじゃあまたな」
シャルロットの言葉を聞いて、カインローズは背を向けてこの場を去る事が出来た。
まずはリーンフェルトを教会に運ばなくてはならない。
そう思いカインローズは魔法で加速して街までの最短距離を進む。
背後で何かが重い物が落ちる音がしたが、振り返る事はなくルエリアの街に駆け込んだ。