15 折れた正義
ルエリアの繁華街で食事を終えたリーンフェルトは、そのまま気分転換にブラブラとショッピングして宿に戻ってきたのは、大衆食堂が酒場営業に切り替わるような時間だった。
「そろそろ日が落ちますね」
片手に包みを抱えて少々足早に歩いていたのでプラチナブランドの髪を結わえているあたりが背中越しに、尻尾のように揺れるのを感じながら宿のある大通りまで戻る。
カツカツカツ……
ルエリアの大通りも馬車が行き交う為、よく整備されている。石畳が引かれておりブーツの硬質な足音が返ってくる。
リーンフェルトはあまりヒラヒラしたスカートや可愛らしい服を持ち合わせてはいない。
勿論、任務で旅をするのに必要ではないし服というのは存外嵩張る。
しかしお洒落に興味がないわけではない。限られた小物のどこに拘りを置くのか。
リーンフェルトはブーツにそれを置いていた。
手に持った包みの中身はブーツである。
デザインは編上げの物が多く、つま先やヒールの形、歩き易さを吟味した上で購入したのだ。
クライブの怪我やシャルロットの事が先立ちすっかり忘れていたが、襲撃で馬車の方に積んでいたお気に入りの一足と下着類を失った事を思い出たのだ。旅はまだまだ続くのだから下着
類は必須、ブーツは自身へのちょっとした息抜きを込めて。
カインローズがそのあたりを意識して個別行動を言い渡したとは到底思えないが、助かったと言えよう。
公爵であり父でもあるケテルには、晩餐会の度にスカートだドレスだと、五月蝿く言われたものである。
今の服装は旅用に誂えた白のチュニックと紺地で裾が少し広がってる膝下くらいの長さの飾り気のないボトムスである。材質は魔物由来の為、丈夫であり汚れにも強いが、いい値段がす
る。
お気に入り…ひいては自慢したいブーツが見えるようなチョイスである。
とはいえカインローズやクライブには、その辺りの感想を期待出来ない。
カインローズは元々ファッションなどという物には無頓着であり、アル・マナクから支給されている制服の他には普段だとよれたシャツを着ていたり、身なりとしてはだらしない部類に
入る。
クライブはアトロの教えが良いのか小ざっぱりとした動きやすい服装で纏めている。
おそらく一番お洒落であるのはアトロだろう。
リーンフェルトの些細な変化に気が付き声を掛けるのはアトロである事が多い。
元々気の利く人物ではあるが、持ち物一つにもこだわりがあるようで、ベルトとブーツは同じ工房で作らせたものらしい。
ブーツ談義になった際にアトロが少々照れ臭そうにベルトとブーツは同じ工房で、同じ革から作らせたと話していた。
他にも帽子であったり、防寒用の外套であったりに派手にならない程度の刺繍が施してあったり、ちょっとした宝石を加工したカフスボタンをしていたりとちょこちょことそういう物が
あり、アトロの渋みと相まってとても似合っていた。
しかし襲撃の際に荷物が馬車ごと燃えてしまったので、アトロも小物類を失っているはずだ。
この三日の間にどのような服を彼は仕入れて着こなすのだろうか。
きっと元二つ名のある冒険者に恥じない服装となることだろうと勝手に想像していた。
さて、そんな事を考えているうちにいつの間にか宿へと戻ってきた。
改めて宿を見てみるとルエリアでも有数の高級宿であるらしく、白を基調とした外観に大きく取られた窓、そして柱や窓枠などに精巧な彫刻が施されているのが特徴的だ。
晴れた日ならば街に巡らされた水路にその姿を映し青と白のコントラストを描くのだろう。
今は斜陽に照らされた水面にその白さを映し出している。
その立派な外観を眺めながら扉に手を掛ける。
―――カランカラン
扉が開くとドアベルが涼しげな高い音を出し、リーンフェルトを迎える。
自室に戻る為に廊下を進んでいくと、自分の部屋の前に立ち尽くしたカインローズがいた。
「どうしたのですか?カインさん」
「むっ?ああ、なんだリンか。開けっ放しにして出かけたと思うんだが、ご丁寧に鍵まで掛かっていて部屋に入れないんだ」
「それならフロントに言えば良いじゃないですか……」
「なんだか恥ずかしいだろ?」
「いえ廊下にオッサンが立ち尽くしてる方がよっぽど恥ずかしいです!すぐに鍵をもらって来てください!!」
折角の楽しい気分を台無しにされたリーンフェルトはカインローズに叫ばずにはいられなかった。
「お、おう。わかった今行ってくる。行って来るからな!」
カインローズは気圧されたまま、リーンフェルトの脇を抜けるとそのままフロントまで行ってしまった。
その後姿を見て一つ溜息を吐くと自室へ入る。
部屋に入り包みを開け、新しく購入したブーツを出し、眺める。
「折角だし早速こちらのブーツを履いて出歩いてみよう……」
買ってきたばかりのブーツに少し表情が緩んでしまっているのを感じながら、履いていたブーツを脱ぎブーツハンガーに掛けると
真新しいブーツに履き替えた。
新たに購入してきた下着類を仕分けしてサドルバッグに詰め終える。
このバックはリーンフェルトとカインローズの馬に一つづつ付けていた非常時用のバッグであり、金銭と予備の食糧が入ってたものだ。
あの襲撃の際にこちらのバッグを失うような事があれば、とてもまずい事になっていただろう事は想像に難くない。
今回買ってきたブーツは普段履いているロングブーツではなく膝下辺りまでのミドルブーツだ。編み上げのデザインが美しく、履いた時の踵周りの安定感が今回の決め手となっている。
少し気持ちが上向きになったリーンフェルトは、新しいブーツの慣らしで冒険者ギルドへ足を運ぶ。
しかしシャルロットの情報を聞きこむが、皆グリフォンの事ばかりで辿りつける気がしない。
結局、努力も虚しく情報は手に入れられない。
また明日改めて来てみよう。いや、武器や防具を扱う店を回って聞き込みをしようか。
なんにせよここにいても埒が明かない。
一人の少女よりもグリフォンの方がその価値は遥かに上である。
多少の礼金を自前で出せるとしても、その程度でしかないのが現実。
失意の内にリーンフェルトは冒険者ギルドを出る。
辺りは夕暮れ時、一日の仕事を終えた住人達が自宅への帰路についており
ギルドの傍も人通りは多い。
建物から出たリーンフェルトは街中が妙にざわついているのを感じた。
そしてその多くは街の外へ視線を向けている。
その先に見えるのは竜巻である。
「おい、あれはなんだ!?」
「あれは……竜巻か?」
「竜巻かじゃないだろ、街の方に向かって来てるぞ!」
「いやいや、どうせ魔法的な物だろう」
ルエリアの住人も反応はまちまちであり、今一つ緊張感に欠ける。
しかしリーンフェルトは竜巻の方に向かって走り出した。
街に竜巻が向かって来ている。
これは自然に発生した物でも、たとえ魔法で発生したのであっても危険である事には
何ら変わりはないのである。
寧ろ後者であれば市街を意志を持った竜巻が自在に蹂躙するのだから最悪と言えるだろう。
距離は……少しありそうだが行けない距離ではない。
ならば、とリーンフェルトは走り出す。
リーンフェルトがルエリアの外に出た頃には辺りはすっかり夜となっており、竜巻は視認し辛いのだが、近づくにつれて見えてきた氷漬けにされた
グリフォンである。
それが目印となりそこまで辿り着いた。
そしてその竜巻の下に月明かりに照らされて、誰かいる事だけは分かった。
つまり後者、術者のいる最悪のパターンだ。
まずはあの竜巻を消し去らねばならない。
放たれてしまえばルエリアが壊滅しかねない。
そう思ったリーンフェルトは自身の魔力を練り上げ、竜巻に向かって手を翳す。
竜巻を打ち消す為に風魔法を組み上げ、一陣の風を以って相殺を試みる。
が、しかし一瞬動きを鈍くする程度にしか効果はない。つまり魔力で負け、押し切られたという事だ。内心歯嚙みする思いの中、月明かりが術者を照らす。
右側で結わえた長い髪のシルエットが特徴的であり、直感的に気がついた。
あの男は……!
そして口をついて叫んでいた。
「あなたあの時の襲撃者ね!?
その変な髪型、見間違えたりしない!今度は街も破壊する気なの?」
「変な髪型……」
そう呟いて首を傾げる。
端整な顔立ちの男の仕草は絵になる。が、ことリーンフェルトにとってはイライラが募る。
そして草むらに座る男の一言は、そんなリーンフェルトに油を注ぐものだった。
「君が何を言っているのかよく分からない」
その言葉にリーンフェルトは苛立ちを隠さずに叫ぶ。
「あれだけの事をしておいて、とぼけるつもり?」
少しの間があり、逡巡を終えた男は口を開く。
「……君は、オリクト輸送に関わっていたりしたか?」
ああ、そんな事もあったね程度の態度を示す男にリーンフェルトの語気が強まる。
「関わっていたも何も護衛任務に就いていたわ!」
「ふーん……」
あれだけの事をしたのに、大した興味のない反応に怒りがこみ上げてくるのを感じた。
憤るリーンフェルトへ、男は服についた草を払いながら立ち上がり事もなげに言葉を放つ。
「……君の任務を台無しにしてしまったのは申し訳ないが、ああならないようにするのも君の仕事だったんだろう?君、その仕事向いてないんじゃないか?」
「ふざけないで!奪うならまだしも、いきなり魔法を放って一体何が目的!?あなたも王家派かしら?」
男はなんとも心外そうな顔をする。いやむしろこちらの方が心外であり、そんな顔をされる謂れはないのだ。
相手も段々とイライラしてきたのだろう。男はリーンフェルトの言葉を無視して不機嫌そうな声で逆に質問を返して来る。
「…………君は何しにここへ来たんだ?俺を捕らえにでも来たのか?」
「当然でしょう?これ以上オリクトを壊されたらたまらないわ!さぁ、覚悟なさい!」
「だよなぁ……」
リーンフェルトは勢いよく腰に携えたレイピアを抜き、素早い動きで突きの構えを取る。
男は面倒事に巻き込まれたという顔をして、頭上にある氷の塊を見やる。
「……上の荷物、降ろすのも面倒だからこのまま相手させてもらうが…良いよな?」
男がそう宣言する。
これは馬鹿にされたのだとリーンフェルトは捉える。
つまり片手間に相手してやるという余裕の意思表示である。
その余裕なくさせてやる!
見れば筋力のない、明らかな魔法使いタイプの体型である。
ならば鍛えてきた剣技で勝負する。
大地を蹴り、男との距離を一気に詰める。
「魔法で優位を取ったからといっていい気にならないことね……ッ!」
剣技ならばこの男に勝てると思っていた。
勢いに乗ったレイピアは風を裂き、一直線に男の胸元に吸い込まれていく、筈だった。
男がぽんと両手を合わせると地中からあの忌まわしい水晶の咢が現れ、レイピアを噛み砕く。
「……ッ!?」
咄嗟に手に握ったそれを放すとリーンフェルトは距離を取る。
あと少し遅ければ腕ごと持って行かれるところだった。
そう思いながら魔法で武器を作り上げる。
リーンフェルトの手には氷で出来た剣が握られていた。
その切っ先を男に向けて再び駆け出す。
「…………馬鹿なのか君は」
男の指先が流麗に宙を撫でると、今度は馬車を足止めした無数の蔦がリーンフェルトの足を捕えた。
足に痛みを感じる、見れば蔦には棘が生えており肌を裂き血を滲ませる。
足から胴、両手まで絡め捕られ、身動きが出来なくなったリーンフェルトは精一杯もがくがとても振りほどけそうにない。
両腕に絡みついた蔦は背後に向かって締め上げていく。
徐々に弓なりになる体をギチギチと音を立てて締め上げる蔦の力にリーンフェルトの肩が限界を迎える。
――ゴキンッ
鈍い音と激痛がリーンフェルトを襲う。
「くっ…!?ぅ、あああッ!!」
激痛に思わず悲鳴を上げる。
その悲鳴を聞いてか、それとももう抵抗は出来ないだろうと判断されたのか徐々に拘束していた蔦は生き物の様に引いていく。
そしてバランスを崩したリーンフェルトは顔から地面に崩れ落ちた。
両腕の痛みで言葉一つ発せず、意識が徐々に遠退いてゆく。
完全な敗北だ。
手も足も出ないというのはこういう事を言うのだろう。
悔しい……。
その思いだけがひたすらリーンフェルトの意識を保っていたのだが、そんな彼女を頭上から男は見下ろし笑う。
「魔法で勝てず、剣を握っても駄目……随分と中途半端だな、君は」と。
そうして心が折れたリーンフェルトは糸が切れた人形のように動かなくなり意識を手放した。