139 天候不順
さて、翌日にはほぼアシュタリアの面々は完全に魔力切れの状態から回復していた。
多少不調の者もいたが、シュテイ家の兵士達が食糧を入れて引いて来ていた馬車やらに詰め込む事で移動が可能になったので西都へと移動を開始した。
依然としてヒナタの目は覚めないが容態は安定しているようで、今は父であるエイシが付き添っているようだ。
「シュテイの小童はまだ目が覚めないのか……」
「でも命が助かっただけでも良いじゃありませんか。普段の我々であれば潔い死をとばかりにあの場で看取っていましたよ?」
キトラがアベルローズのぼやきに微笑みながら答えている様を、ハクテイの坊ちゃん扱いであるカインローズが轡を並べて併走しながらその成り行きを見ていた。
アシュタリアでいう武士道では死に際しては潔く散るのが美徳とされている。
その散り際を穢すまいと、助かるかもしれないものに手を差し伸べない事というのは実際あったらしい。
今回のヒナタの件でいけば、完全なイレギュラー対応である。
これはアシュタリアという国を出て長いカインローズとしては拘る必要の無い事であったし、他の大陸で冒険者として生きていれば助けられるものは助ける。
むしろ仲間を見捨てる奴は他の冒険者から見捨てられる。そうやって因果が巡って帰ってくるなどという事は良く聞いた話だ。
そういう意味ではあの場に他大陸で活動経験のあるカインローズがいた事は僥倖と言えよう。
「それにしてもカイン。あの嬢ちゃんはなんて力の持ち主だよ。あれでお前の弟子だってんだから嗤っちまうわな。あれお前よりもうとっくに強くねぇか?」
ケタケタと楽しそうに笑いながらアベルローズは息子であるカインローズの方に視線を向けると、キトラもその感想に相槌を打つ。
「そうね。あの力の前では魔力を扱う者、その身に魔力を宿す者はあの子には勝てないかも知れないわね」
思いの外深刻そうな雰囲気でキトラがそう言うものだから、カインローズは慌ててフォローに入る。
自身の部下であり弟子でもある彼女の名誉を守る為に、両親の主張に抗った。
「おいおい。何を言ってやがんだ? リンはそんな危険な奴じゃねぇよ。大体ヒナタを助けたのもアイツの魔法のお蔭だろうが」
「そりゃお前、んな事は分かってんだよ。だがあの力は……ちぃとばかし俺は独自で調べさせて貰うからな」
アベルローズはリーンフェルトの吸収について、警戒心を解かない。
それは一地方領主としての警戒と言うよりも、長年生きてきた一人の戦士としての嗅覚である。
アベルローズの態度に少々怪訝な表情を見せるのはカインローズだ。
一応弟子であり、部下でもある彼女があらぬ嫌疑を掛けられるのは正直納得のいかない。
それを母であるキトラは宥めるように話しかける。
「大丈夫よあの人の事だから彼女に直接何かをという事はないわ。それよりもあの身に宿している力の方を心配しているみたいね」
「ん? シャハルの野郎との契約で得た力だったはずだが?」
「契約……そうね。そういう事であれば力を貸し与える事もあると聞くわね……」
キトラは何か思う節がある様で口籠り、思案する様に口元に手を当てた。
一体何を言おうとしたのかを尋ねるべく、カインローズはキトラに話しかける。
「母さ……」
「カイン。約束したでしょママよ、ママ!」
母さんと呼び掛けようとすれば、キトラはカインローズが言い終わる前に牽制される。
「まだ生きていたのかよ。それ!」
確かにリーンフェルトが魔力を吸収する事の了承を得るにあたり、そんな悪戯を吹っかけられたが、カインローズ自身は一回こっきりのつもりでいたのだ。まさかまだそれが生きていた事については突っ込まずにはいられない。
そもそも四十近い体格の良い男が、自分から呼ぶならいざ知らず強要されるのだ。
正直只管に恥ずかしいのだが、それを面白がる傾向のある両親である。
極力表情には出ないように努めるカインローズにキトラはさも当然とばかりに口を開く。
「当たり前でしょ? 魔力を吸われてから私も本調子ではないしね。それくらいは母親である私にサービスなさい。いいでしょ?」
言い切って微笑む彼女はと言えば、言葉とは裏腹にその笑みから強烈なプレッシャーを感じるのは何故だろう。
一瞬ヒュドラなどよりも、遥かに強い気配がしたのは気のせいか。
すっかり気圧されたカインローズは改めてキトラに話し掛ける事となる。
「あぁ……えっと、その……ママ?」
「はい。なんでしょう?」
満面の笑顔で嬉しそうなキトラだが、カインローズの精神は耐えられなかったようである。
「グッ……もう耐えられん」
そう言うとカインローズは乗っていた馬の首をアル・マナクの面々がいる方へと向ける。
「カイン。お友達と仲良くね」
未だ子ども扱いのキトラを内心苦々しく思いつつ何時まで経っても、いや結局のところ彼等の子供である事は変わりはないかと苦笑するカインローズであった。
順調に西都へと歩を進める一行は、いつもより早い時間から野営準備を始めた事にリーンフェルトは不思議に思った。
「カインさん。今日は何かあるのでしょうか? 通常の行軍であればまだ先に進める筈ですし……確かに雲行きは怪しくなって来ていますけど」
アルガス王国の行軍訓練は雨だろうと雪だろうと前に進め、日没一時間くらい前から野営の準備を開始辺りが暗くなれば二時間交代制の見張りというメニューだっただけに、雲行きこそ怪しいがまだ日のある内に進むだけ進むという行軍経験しかないリーンフェルトにとっては違和感だったのだろう。
「ん? あぁ……そういやあの日か。すっかり忘れていたぜ」
空の色を見てカインローズは何かを思い出したらしく、一人で納得してしまう。
「何か理由があるのですか?」
「あぁまぁ楽しみにしてろよ。明日の為にしっかりと体力を回復しとけよ」
沢山の疑問符がリーンフェルトの頭を過ったがそれ以上カインローズは何も教えてはくれなかった。
陽の高い内からテントを張りだし、食事まで済ませアシュタリアの面々は少人数の見張りを残して仮眠へと入る。
アル・マナクの面々もカインローズの指示の下仮眠へと入る。
「こんな時間から仮眠だなんて……」
そのぼやきを拾ったのはリナである。
なおテントの中は中央に布の仕切りがあり男女別々でスペースが確保されている。
中央寄りをリナが、外側をリーンフェルトとなっている。
リナ曰く、仮に不届き者が出た際に制裁を加える為に仕切り近くを陣取っているとの事。
「お嬢様は安心してお休みくださいね……お嬢様の寝顔は私が全力でお守りしますので」
握り拳を作ってやる気をアピールするリナに一抹の不安を抱かなかったと言えば嘘ではない。
薄らと身の危険を感じながらもリーンフェルトは仮眠を取る事にした。
数時間の仮眠の後、目を覚ます頃にはすっかり日付が変わり朝方に近い時間であった。
テントの中は真っ暗であった為、光魔法で一時的に視力を上げる。
光を生み出さないのはそれによって眠りを妨げない為だ。
暗がりでもすっかり見渡せるようになったリーンフェルトはこっそりとテントを抜け出す。
少し歩きながら他のテントの様子を見て回るが、ほぼ全て消灯しており大変静かである。
辺りを見渡せば本当に少数の兵士達がオリクトを使用した明かりを手にして見回りを行っていた。
空は分厚い雲に覆われて月明かりが零れる事もない。
雨が降るならば大気の湿気から土の香りが上がって来そうなものだが、からりと乾いた風では草木の香りしか運んでは来ない。
訝しんでその様子を見ていると不意に声を掛けられた。
どうやらアル・マナクのテントからかなり遠くまで来ていたようである。
「アル・マナクのリーンフェルト殿。倅のヒナタが大変世話になりましたな。改めて感謝を」
そう言って現シュテイ家当主エイシはリーンフェルトに向かって深々と頭を下げた。
「頭を上げてください。私はあの場で最善の判断をしてヒナタ殿を助ける事が出来たので良かったと思っております。それは皆様から貰った魔力のお蔭。私はたまたまそれを集めて回復する術を知っていただけの事です。助かって本当に良かったです」
「これはシュテイ家としてではなく一人の父親として感謝している。本当にありがとう。そう言えばリーンフェルト殿はこんな時間にどうされたのかね?」
「実は仮眠から目が覚めてしまいまして……」
「左様であった。ふむ……もうすぐ日の出だからそろそろ始まる頃だな」
「日が出るとと言ってもこんな曇り空ですが何かあるのですか? 野営の準備も早い時間からでしたし。カインさんは何も教えてくれずに楽しみになどと言って説明してくれませんでしたので……」
そう答えるとエイシは頷きながら笑った。
「はっはっは。なるほどなるほど……そういう事か。ならば私が話してしまうのは無粋というもの。貴殿はアベルの倅の元に行くがよい。時間は後数分もないぞ」
「分かりました。では失礼致します。早くヒナタ殿が目覚められますように」
そう挨拶をしたリーンフェルトに片手を上げてにこやかな表情のエイシに見送られながら、言われた通りカインローズの下へ行くべくテントへと戻った。