131 横槍
ナギとカインローズがそれぞれ座っていた場所から移動して、上座の正面で顔を突き合わせるようにして正座している。
それを三方から囲み、見守っているというのが現状である。
ナギの目からは一層の尊敬と憧れを浮かべるキラキラとした視線が、四十近いのカインローズにザクザクと突き刺さり何とも居心地が悪そうだ。
尤も誰一人として二人っきりになどさせる気が無い、監視下に置かれたお見合いなど居心地が悪くて当たり前な気もしないでもない。
女性相手だと妙に腰が引けるカインローズは、正直何を話しかければいいか未だに思案し、その結論を見いだせていない。
勿論、カインローズとしては最終的には断るつもりでいるのだが、それにしてもその英雄に憧れる子供のような瞳はどういう事なのだろうか。
この国でシュルクとベスティアのハーフである事は忌み嫌われていたし、そのせいで幼少期に寂しい思いをしたのだ。
だがナギの視線はどういう事なのだろうと思い、ちらりと視線を向けると彼女の視線とぶつかり慌てて目を逸らす。
高々八歳相手に目が合っただけで緊張するなどと誰も思わなかった。カインローズの手のひらは握りしめていたせいか手汗で酷い事になっている。
(落ち着けカインローズ、齢八歳の少女に何をビビッてんだ。ズバッっと言ってさっさとケフェイドに帰ろう。こんな国に長居などしたくない)
何とか自分に言い聞かせると、傍目には大して動揺しているように見えないよう取り繕う。
一方でナギは運命の相手であるカインローズを前に緊張し、なかなか話しかけられずにいた。
生まれた時からカインローズの妻となるべくあらゆる事を学ばされた。
料理や洗濯などの家事一般から、いざという時に自身が足手まといにならないように護身術や魔法も習ってきた。
その全てがこの目の前にいるカインローズの為にである。
この八年間で聞いて育ったカインローズのイメージとは少々異なるがきっと時間の経過による物だと自身を納得させてしまう。
カインローズについて教えてくれたお付の爺やと婆やは今回置いて来てしまったが、彼等も本物を見る事が出来ればきっと感動のあまりに涙を流していたに違いない。
今回は残念な事をしたが、いずれ結婚すれば毎日国民に人気のあるカインローズを間近で見る事が出来るのだから、今までの恩も返せると言うもの。
ここは爺やと婆やの為にも、しっかりアピールして彼に娶ってもらうのだ。
改めてそう決意したナギがカインローズに話しかける。
「あ、あの初めまして。私はナギ・コウリウ・アシュタリアと申します。カイン様……不束者ですが宜しくお願いしますね」
そう言い切ったナギは緊張から解放されたような晴れやかな笑みを未来の旦那に浮かべたのだが、その表情は直ぐに曇る事となる。
「俺がカインローズだ。折角だが悪い、俺とお前とでは年齢差が有り過ぎるだろ? この話を辞退させてもらうぜ」
カインローズの言葉に瞳を大きく見開いたナギの顔が印象的だ。濡れた薄手のカーテンが身に纏わりつくような重さと煩わしさを感じる。
何よりもナギの決意の告白をカウンターする形でのそれは十分過ぎる程、少女の心を傷つけたに違いない。
運命の相手に拒否されてしまったナギは、既に涙声であるが気丈に振舞って見せる。
「それは……分かっております。ですが私はそのように育てられて参りました。ここで引き下がるという事は出来ません!」
「だがよ。俺とお前とじゃ下手すりゃ親子だ。その年齢差はどうするんだよ」
「私は確かに幼いですが、カイン様を思う気持ちは誰にも負けておりません! どうか御傍に」
「悪いな、俺にはそんな気はねぇ。ケリが付いたらケフェイドに帰るんだ。アシュタリアにはきっと住まないぜ」
「ケフェイドですか? あの北方大陸の? カイン様は日々白馬を乗りこなし弱気を助け、悪を懲らしめていらっしゃる方だとお伺いしておりますが……」
「なんだそりゃ。俺は一度だってそんな事をした覚えもないし、仮に出来たとしてもアシュタリアではやらねぇよ」
「そんな、またご謙遜を……」
「いや謙遜でもなんでもない。誰だそんなおかしな情報を吹き込んだ奴は……」
その情報をナギに教えてくれたのは爺やと婆やである。
彼等が嘘をついているのだろうか、しかし本人の口からそれを否定されてしまうと元は噂話。
尾ひれがついて話が大きくなっていて、カインローズ自身が覚えていない為に否定したのだろうと、むしろこの英雄は人助けなどと思って人助けしていないのだと都合のいい解釈をしたナギは零れそうな涙を堪えながら、なんとかカインローズに振り向いてもらえるように話かけるが、そのどれもが拒否である。
「うぅ……カイン様……では私はどうすれば良いのでしょう? 私の全てはカイン様の為にあると言うのにどうして……どうして拒否されるのですか!」
そう叫ぶ頃にはナギの瞳は決壊しており大粒の涙が頬を伝い、着物にシミを作るほどであった。
その時だった。カインローズに向かって火魔法が解き放たれる。
火魔法は掌サイズの火球が数個である。
「ふん。この程度か。そこに隠れてないで出てこいよ!」
全ての火球を風魔法で掻き消し、魔法が飛んできた方を見れば青みがかった腰まである長髪と切れ長の目を持つ少年が立っていた。
「よぅヒナタ。うちの倅になんか用か?」
上座から動かずにニヤニヤとした表情のアベルローズがその少年ヒナタに声を掛けた。
「この腐れ爺、ナギを昨晩帝都から攫ったと聞いて追いかけて来たんだよ。んでそこのオッサンがカインローズか……ナギには不釣り合いな奴だ。それにしょっぱなからお前はナギを泣かせた。万死に値する!」
少年はカインローズを指差しそう言い放つとナギの傍までゆっくりと歩を進める。
「ナギ……」
「ヒナタちゃん……私、私……」
「あぁもう泣くな泣くな。こんなオッサンの為にお前が泣くな」
「でも……私ぃ……」
馴染みの顔が現れたせいかナギが年相応の子供に見えて来たのはリーンフェルトだけではないだろう。
泣きじゃくるナギをヒナタが抱き寄せて背中をポンポンと叩いて落ち着かせようとしている。
その間もカインローズは黙ったままだ。
「そこの木偶、気に入らねぇ俺と勝負しろ! これで俺が勝ったらナギとの結婚の話は無しだ!」
「クックック……面白い事を言うなヒナタ。そういう事なら折角だ結納の獲物対決で良いだろ? 獲物はそうだな八つ首ヒュドラだ。どうだクソガキ共それなら皇帝家にも相応しい獲物だろう?」
もはや悪役なのではないかと思うくらいに嫌な笑みを浮かべたアベルローズがヒナタの挑戦を受けるといい、さらに獲物まで決めてしまう。
「や、八つ首ヒュドラだと! クソシュルクふざけているのか! あれは山よりも大きく首が自在に伸びるわ、再生するわと厄介な魔物だ。そんな相手に勝てる訳ないだろ!」
無理難題だと感じ取るや否や出鱈目な条件であると反発するヒナタであるが、さしものアベルローズが逃がすはずもない。
「あん? てめぇ人の家の婚約に殴り込んできて、そんなクソな事言いやがるか? おい……ヒナタお前成人してたよな? つまりシュテイはハクテイに喧嘩を売ったって事で良いんだよな? クックック……シュテイはずっと目障りだからな。きっちり落とし前つけさせてやっから楽しみにしておれよ」
アベルローズの凄味のあるドスの効いた声がヒタナを刈取ろうとする。
「くっ……」
「ほう、俺の圧に耐えたか。よしよし……ではお前達も準備があるだろうから三日後に八つ首ヒュドラを狩りに行くぜ」
「おう……」
「あぁ分かった」
カインローズは渋々と言った表情だ。これは単に父であるアベルローズに踊らされてしまった展開が気に食わないのだろう。
一方のヒナタは顔色が悪い。
「待ってください私も、私も一緒に行きます」
泣き止んだナギがヒュドラ狩りに着いて行くと言う宣言すれば、ヒナタが止めに入る。
「ナギ! ヒュドラは危険だ。来るんじゃない!」
「いえ行きます。未来の夫の雄姿ですもの」
「まだそんな事を言って!」
「もう決めましたからアベルおじ様も宜しいですね?」
ナギがアベルローズに念を押して、着いていく事を尋ねればアベルローズは笑って頷いて見せた。
――アベルローズがナギを攫って行ったとされる状況らしく、ヒナタが帝都まで連れて帰る事になったようだ。
二人が去った後から聞いた話だが八つ首ヒュドラはその名の通り八本の首を持つヒュドラである。
毒の沼に住み、その毒を体内に取り込みより強力な毒を生成して吐き出すという魔物らしい。
「カインさんは何か準備をされるのですか?」
リーンフェルトがカインローズに尋ねると首を左右に振ってから質問の答えた。
「ヒュドラねぇ。俺は冒険者スタイルで戦うさ。んじゃお先に失礼するぜ」
少女を泣かせたと言う気まずさを払拭する様に明るく振舞ってから大広間から退出する。
その背を見送った後にリーンフェルトは思わずぼやいてします。
「はぁカインさん、大丈夫なのでしょうか? あれは」
「カインの事だから当日まで何もしないんじゃないですかね?」
リーンフェルトのぼやきをアウグストが拾えば、後ろについて回るリナも頷いて見せるのだった。