130 カインローズ伝
翌朝、昔これと似たような起床の仕方をしたような気がする。
尤も前のは野太い男の声であったが。
今回は女性と言うよりも女の子の声でまさに悲鳴である。
何事が起こったかと思い部屋から慌てて飛び出せば、幼女を小脇に抱えたアベルローズが少々困った顔で佇んでいた。
「どうされたのですか?」
リーンフェルトがそう問えば、どこかで見た仕草で左手が後頭部に伸びる。
「いやナギちゃんが泣き止まなくてなぁ」
「だっておじ様ったら夜通しバチバチ光りながらお空を飛んでいたのですよ。それも風よりもよほど早いスピードで」
ぐすぐすと鼻を啜っているナギにリーンフェルトはハンカチを取り出すとそれを手渡す。
「ちぃぃぃん」
勢い良く鼻をかみ、目元に浮かぶ涙を黄色地に華やかな花をあしらった袖で拭うと赤い瞳を向ける。
髪は明るめの琥珀色であり、所謂前下がりショートボブ。
その頭部には黄色と黒の縞模様がある耳、それに同色の尻尾を持った幼女は愛らしく笑って見せた。
「どなたか存じませんがありがとうございました。私カインローズ様のお嫁さんになるべく参りましたナギと申します!」
元気いっぱいに頭を下げた彼女を純粋に可愛いと思うリーンフェルトは、それに返事をする。
「アル・マナク所属セプテントリオン第七席リーンフェルトと申します。よろしくね、ナギちゃん」
そう言って手を差し出すと途端にナギの目つきが変わる。
「貴方がリーンフェルトさんですか! カイン様のお近くに侍っているようですが、私が正妻ですからそこの所弁えてくださいませね!」
リーンフェルトを指差しながら言い放った言葉に、いろんな意味でショックを受けたリーンフェルトは額に手をやると力なく左右に首を振った。
とんでもない誤解が彼女の中で渦巻いているのは、間違いないらしい。
「ナギちゃんあのね……」
「聞きたくありません!」
ピンと立つ耳を両手で抑え込んでアベルローズの後ろに隠れ、舌を出してあっかんべーをする。
子供のやる事な上に大きく勘違いされている状況では、何を言っても無駄なのではないだろうかとは思うのだが果たしていつ弁明させてもらえるかすら分からない。
ならばここでしっかりと誤解と解いておかねば、面倒な事になりそうだ。
そう思ってリーンフェルトはしゃがみこんでナギの目線の高さまで顔を下げるとしっかりと目を見つめて話し出す。
「カインさんとは全く何もありませんよ。確かに私のお目付け役という事で任務には一緒に出ていますが。出来たら私はナギちゃんと仲良くなりたいですよ?」
子供にも伝わるように極めて優しい声で話掛けて、微笑んでみせる。
「本当に?」
「本当ですよ。嘘を吐いてどうするんですか、こんな事で。むしろそんな誤解が世に出回っているなら訂正して欲しいです」
「そうじゃぞ小童。主殿とあやつでは何にも起こらんわい」
そう言って久々に姿を現したシャハルは、相変わらずぷにぷにとしたぬいぐるみの様な姿で現れた。
「む……リーンフェルト殿その幼い竜は?」
「私が契約しているドラゴンです。たまにこんな姿で現れるのですが、驚かせてしまいましたか?」
「いや、しかし竜とは珍しい。こちらの龍は蛇の様に長いのでな」
「それでどうじゃ小童。主殿の体内に常に潜んでいる吾輩が保証するわい。信じる気になったかね」
「ドラゴンさんが言うのなら」
「ドラゴンさんではない。吾輩の名前はシャハルじゃ」
「シャハルですね、覚えました。プニプニしていて可愛いです。話し方がもう少し可愛ければもっと可愛いのに」
などと打ち解けた所でアベルローズが頃合と話に入ってくる。
「さて、ナギちゃんも泣き止んだ事だし、うちの馬鹿息子を呼んでくるか。誰かあるか! 彼女達を大広間まで案内せい!」
屋敷一帯に聞こえるかのような大声に反応して、あっという間に猫と鳥のベスティアが現れた。
「ご案内させていただきます」
そう言って腰を低くしてリーンフェルトとナギの先を歩き出したので、それに着いていく事となった。
案内を任せたアベルロ―ズはリーンフェルトに片手で頼むといった仕草をしながら声を掛けた。
「リーンフェルト殿、悪いが皆が揃うまでナギちゃんの相手をしてやってくれ」
「相手だなんて。私はカイン様に嫁ぐ為に生まれ、武芸から家事に至るまで躾けられて参りましたので一人で待てと言われればお待ちいたします」
「まぁあの人の所の娘だからな。その辺りは心配しちゃいねぇよ。それよりもだ。俺達の知らないアイツの話を聞かせて貰ったらどうだ? このリーンフェルト殿は知っての通り息子の傍にいる機会も多い。草じゃ掴めねぇ面白い話を持ってるに違いないぜ?」
その一言で途端に目を輝かせるナギに、リーンフェルトは苦笑を浮かべる。
彼女はカインローズの事をどのように聞いて育ったのだろう。
あくまでリーンフェルトの主観からすれば、これほどまでに目を輝かせるような案件は想像出来ないし、行動を共にしてからの事であっても思い出せない。
「一体カインさんについてどのように聞いて育ってきたのですか?」
「それを語っても良いのですか!」
リーンフェルトの質問に目の前にぶら下げられた好物に食らいつくかのような勢いでナギは反応して見せる。
どうもその話は長くなるような気配が、ナギからそこはかとなく漂って来ている。
知っている者はきっと敬遠するのだろう。
確かにカインローズの生い立ちを考えれば普通のベスティアならば蔑むか、口を噤むかなのだろう。
しかし彼女はアシュタリア皇帝家に名を連ねる者だ。
逆にそういうカインローズに対する誹りを見ずに育ったのではないだろうか。
それに生まれた時から結婚が決まっている相手、言い換えればナギにとって運命の相手という事である。
リーンフェルトもそういう相手に憧れがない訳ではないし、そういう事に興味がない訳ではない。
仕事の合間に趣味で読んだりする本は恋愛物も少なくは無い。
だがしかし主人公を自身に置き換える事はせず、どちらかと言えば純粋に読み物として楽しむ事に終始している。
それは自身の姿と可愛らしく女らしい主人公に大きな乖離を感じるからに他ならない。
であれば今回のアシュタリアでの花嫁修業というのも真剣に取り組んでみても良いかもしれない。
などと考えていると視界の下の方でナギが少々不満げな顔をしている事に気が付いた。
「リンお姉さま! ちゃんと聞いていてくれましたか?」
気が付けばナギがカインローズの素晴らしさの一端を披露していたようであるが、全く他の事を考えていた為に聞き逃してしまったようだ。
「その、ごめんなさい。ちょっと他の事を考えていました。それにやはり私は普段のカインさんを見て来ていますから」
「もう……お姉さまったら。では最初からお話致しますね!」
いつの間にかお姉さまと呼ばれる程懐いたナギは、カインローズ伝を語り始める。
「カイン様は白馬に跨り颯爽と現れては困っている人を助け、お供の者と悪を退治して回っていると聞き及んでおります。ちまたでは世直しカインと呼ばれて帝国内の治安に大きく貢献しているとか……あとあと趣味の俳句と華道は免許皆伝なのだとか!」
尤も聞いていてもやはり本物のカインローズとのイメージと掛け離れており、どうにもしっくりいかない。
これはナギの為に誰かがカインローズの名前だけを借りて作った創作物なのではないだろうか。
しかし夢見る乙女の気持ちが分からない訳ではない。
例え真実がそうであっても、黙っていようとリーンフェルトは話に相槌を打つのだった。
――話しながら一行は大広間に案内される。
中は既にこれからこの場に来るであろう人数分の座布団が用意されている。
畳一枚分一段上の上座には座布団が二つ。
これはアベルローズとキトラの席だが、その二人の姿は見えない。
上座に向かって右手にカインローズがアシュタリアの正装である紋付き袴を身に着けて正座をしている。
相手が八歳であってもやはり緊張はするのだろう。
リーンフェルトにはいつもより少々顔がこわばっている様に見えた。
そのすぐ隣にシェルムが、保護者の様に座っているのだが、尻尾が落ち着きなくフサリフサリと動いているのを見るにつけ彼女も違った意味で緊張をしているのだろう。
上座に向かって左側は外から客という位置づけなのだろうアウグスト、リナ、リーンフェルトと席次順、最後ナギが座りアベルローズ夫妻が現れるのを待つ。
私語なく静まり返った部屋でナギだけがキラキラとした視線をカインローズに向けている。
シェルムの尻尾がピタリと止まり、耳が微かにピクピクと動くと徐々に足音が近づいてくるのを感じ取ったようだ。
そして静寂を破るようにアベルローズとキトラが部屋へと入ってくれば、シェルムとカインローズ、そしてナギは頭を下げ、二人が席に着くまで顔を上げない。
どうも作法であったらしくアウグストとリナは卒なく会釈程度に頭を下げたのを見て、リーンフェルトも慌てて頭を下げる。
アベルローズ夫妻はそのまま部屋の中央を突っ切って上座に上がり腰を下ろす。
「各人面を上げよ。本日は息子カインローズの見合いの立会に賛同くださり痛み入る。堅苦しいのはこれくらいにして、早速始めるとしようかの」
アベルローズの仕切りで、カインローズとナギのお見合いがこうして始まったのだった。