127 初恋
場に居る面々がカインローズを除いてニヤニヤとしている。
「こやつにも昔は可愛い頃があってのぉ……妾に恋文を幾度となく送りつけて来たものよ。まぁ妾ほど可憐な乙女は早々おらん故、そうなってしまうのは仕方のない事なのじゃ。意外と面食いじゃろ?」
「だぁぁぁぁじゃかしい! 師匠の実年齢さえ知ってりゃあんな事しなかったに決まってんだろうが!」
「これこれ……女性に向かって歳の話とは……相変わらずデリカシーのない奴め」
「どっちがデリカシーが無いって? この中でいちば……ぐふぅ」
シェルム相手に大声を上げたカインローズではあったが、またしても鉄の球が鳩尾と額にめり込んでおり敢え無く黙らされる。
「ふっふっふ。こやつが妾に送った恋文の総数は百飛んで八つ。どうじゃ熱烈じゃろ?」
確かに自分から女性に言い寄るイメージのないカインローズにしては、相当な感じがする。
「あのカインさんがですか? ちょっと信じられませんね」
「そうじゃこの女子に奥手なカインがじゃ。その当時はそれはそれは可愛くての。恋文を渡すと物凄い勢いで逃げるからなかなか返事も出来んでの。流石に百を越えたあたりから心配になって来ての、キトラ殿に相談もしたのじゃがの」
リーンフェルトとしては少ない年月ながらもそれなりの時間をカインローズと過ごして来ているので懐疑的である。
「頑張るカインも可愛らしくてね。私に聞くのですよ。女子は何が好きなのかとか、それでついつい応援してしまいましたね」
「そう、キトラ殿が煽らなければ恐らく百八まで恋文を書き募るなんて事は無かったと思うのじゃ」
「だって、カインったらとっても可愛いんですもの!」
キトラの表情は母親そのものでとても優しく微笑んでいる。
「……やってしまいましたわね。確かにシェルムさんは美人ですけれど」
リナは親に嵌められる形になってしまった彼に少々憐みの混じった視線を送る。
女性陣が盛り上がる中、復活したカインローズが反論を始める。
「確かに初恋の相手が師匠だったのは事実だ。だって仕方ないだろう? 他のベスティアは誰も構っちゃくれねぇし。見てくれだけは美人だ。性格は当時から最悪だったけどな」
「性格については余計じゃの? まだ他にも恥ずかしい話を知っておるのだぞ妾は」
「だからそういうのが性格悪いって言ってんだよ!」
「そうかの? これくらい愛嬌じゃろ? ほれ妾の美貌に免じて許してたもれ」
尻尾を振りながら科を作って見せるシェルムにカインローズは大きく溜息を吐くと彼女と対峙するのを諦める事にした。
結局口で勝つ事は不可能に近い。
所々子供の様に悪戯を仕掛けてくる師匠が決して嫌いな訳ではないのだ。
尤も今更恋愛感情など持つ気にはなれないカインローズである。
「まぁいい。お蔭で俺はすっかり女ってもんが怖くなっちまったよ」
そう言い放つカインローズの言葉尻を拾い上げたのはアベルローズである。
「カッカッカ。男は止めておけよカイン。生産性も何もあったものではないわい」
「ち、違う! このクソ親父め、いらん所で入ってきやがって!」
そうカインローズにとって敵は何もシェルムだけではなかったのだ。
すっかり父親の存在を意識から外していた為に、完全な不意打ちとなる。
「ともあれ。お前にはナギちゃんとの見合いには出てもらう。それが嫌だといって逃げるのであれば本当に男色家をお前に紹介してやる。それで文句はないだろう?」
「いや、待て文句しかない! どういう勘違いだよ」
「お前が女が怖くなっちまったなんて言うからだろう? それならば親として息子の安らげる相手を探してやるまでだ」
至極真顔でアベルローズは息子の言葉を組んでいるぞと言わんばかりに頷いて見せる。
「そうじゃねぇ! 性悪な年上の女が特に駄目になっただけだ!」
この場は言葉を本来選ばなくてはならないのだろうが、カインローズはすっかり動揺したままやりとりする形で答えた為に翻弄される事になる。
「ほぅ……つまり年下ならば良いと言う事だな。よしよしならば明日にでもナギちゃんを紹介してやる故楽しみにしておれ!」
「だぁぁぁぁ人の話を聞け!」
「阿呆。ちゃんと話を聞いた上でお前が言いそうな事を想定して話を誘導するなぞ、造作もないわ」
流石に国の中枢を手八丁口八丁で切り抜ける歴戦の強者の弁は実に老獪である。
口に出してしまった事を論理でやり込められてしまったカインローズは遂に反論する気にもなれずに項垂れてしまった。
「――さて、息子の了承を得た事だし我はアシュタリアへの使いに行ってくるぞ。我の速さなれば明日の昼にはナギちゃんを連れてくる事なぞ朝飯前。いやこの場合は昼飯前
か? カッカッカ、ともあれ楽しみに待っておれ!」
上座から立ち上がったアベルローズはそのまま廊下まで出ると東の方へ飛び去ってしまった。
「あの人は思い立ったら吉日を地で行きますから。本当にせっかちだこと。でも早くカインにナギちゃんを紹介したい気持ちもあるのよね。彼女本当はカインには勿体ない子ですもの」
「しかし約束は約束だしの。どんなに古い約束でも違える事の方が武士としては我慢ならんのだろうな」
「主人も出かけてしまいましたし、お客人方は夕食までは部屋を用意致しますのでごゆるりと。カインはそうね私の所に来なさいね。貴方もいい歳なのだから子供の様に逃げ出さないように」
「ああ、わかってら。そんな事」
リーンフェルトが知る中でも相当の凹み具合を見せるカインローズはどうやらキトラと何か話があるようだ。
アル・マナクの面々はシェルムの案内の下、割り与えられた客室へと案内される事となった。
「リナ殿はリーンフェルト殿と一緒の部屋で良いのかや?」
後ろを振り返りそう尋ねたシェルムに、リーンフェルトは即答する。
「いえ、別々にしてください」
「つれないですわ、お嬢様」
仮に一緒の部屋になったとしたら、とても面倒な事になりそうな予感しかしないのでここはそのように答えておく。
リナはリナで分かっていても、やはり残念そうな声を出す。
「リナさんはその様な格好をしていますが、私よりも序列は上ではないですか」
「なんとリナ殿はリーンフェルト殿より上の立場であったか。何故給仕の格好をしているのかは謎じゃが……身分を偽って敵を欺く……まるでアシュタリアの忍者のようじゃの」
「忍者……ですか? それはどの様なものなのですか?」
「恐らくそれに似た仕事を生業としている者もおろう。簡単に言うならば情報を集めてくるのが仕事の輩じゃよ」
「なるほど、諜報部隊と仕事が被るところがありますわね。身分などを偽って他国に入っている者もいると聞いた事がありますわ」
うむうむと頷きながらシェルムは愚痴を零すようにそう漏らす。
「情報は生物での、足が早うて腐りやすい。戦ともなれば尚更じゃ」
「何か戦の予定でもあるのですか?」
余計な事を言ってしまったとばかりに口元を隠しながら、彼女はその質問をはぐらかそうとする。
「これこれ客人よあまり痛い事を聞くでないわ」
「すみません。少し不穏な気配がしたもので」
シェルムは少し悩んだ後に、一つ大きく息を吐いて気持ちを切り替えてから話し始める。
「妾とした事がこれは失敗したのぅ。では一つだけ厄介ごとに巻き込まれない様に汝等に知恵を与えておくぞ。玄公には近づいてはならぬ。出来ればこのまま出会う前にお帰り願いたい所じゃ」
そういうシェルムに最後尾から着いて来ていたアウグストが会話に入ってくる。
「貴女がそう言うのであれば厄介な人物なのだろうね。玄帝というは」
「彼はその名の通り四祭祀の一家の者でな。今少々揉めておる。我々はオリクト推奨派とでも言えばよいかの。対して玄帝は反対派、敬虔な御神体信奉者じゃ」
どうやらアシュタリアの中にも御神体と呼ばれるヘリオドールとオリクト推進派という所でいざこざが起こっている様だ。
それも政治的レベルで、だ。
そこに来てオリクトの開発生産元であるアル・マナクのアウグストが訪問して来ているとなれば、相手が色めき立つのは仕方のない話である。
「もしかして厄介な時期に来てしまいましたかねぇ?」
「いやいや、アウグスト殿それは近い将来必ず起こるいざこざじゃよ。妾としては実に穏便に事を運びたいのだがのぉ」
「そうですね。こう言うのもなんですが平和が一番ですよね」
「そうじゃとも。みんな仲良くありたいものじゃよ。種族の垣根なんぞ越えての」
そう言って笑って見せるシェルムに一同は頷くのであった。