125 父と子
カインローズを倒したシェルムは事もなげにその巨体を片手で担ぎ上げ、準備してあったのだろう荷運び用の台車に寝かせると台車の引手に手を掛けた。
「ほれ、皆の衆さっさとハクテイ家まで行くぞ。妾に着いて参れ」
その光景はアル・マナクの面々からすれば実に異様であったが、カインローズの安否も気になるリーンフェルトは彼女に駆け寄る。
艶やかな着物を来た少女が自分の身体の倍以上の大きさを誇るカインローズを、台車に寝かせた上に台車を引き始めたのだから驚くのも無理はない。
アウグスト達は一様に開いたままになってしまった口を彼女が視線を向けて来た為に慌てて閉じられる事となった。
「なんじゃ客人、何かおかしな事でも?」
近寄ってきたリーンフェルトにそう声を掛けキョトンとして首を傾げる狐耳の少女の可愛らしさに、一瞬見惚れてしまう。
女性の目から見ても可愛らしいシェルムを前に、リーンフェルトはしどろもどろになりながらも口を開いた。
「えっと……あの、その流石に重くないですか? カインさんは、良かったら私も運ぶのを手伝いますよ?」
「うむ。心配するな客人よ。昔はよく稽古をつけてやった後はこんな感じだったのじゃ。いや懐かしい懐かしい」
朗らかに笑って見せる少女だが強者独特のオーラを纏っており、緊張しない訳がない。
なにせあのカインローズが手も足も出ない相手だ。
リーンフェルトとしても仮に何らかの理由でシェルムと戦わなくてはならなくなった時の勝ち筋が、今の所見えないの事も余計に体を硬直させる。
確かにカインローズの席次は四席であり上にそれを上回る実力者が三人いるが、所詮同じ組織の中での話である。
基本的に味方という安心感がある為、然程威圧的に感じた事がない。
しかし彼女は外で出会った本物の強者であり、友好的な態度ではあるがまだ敵が味方かなどの判断材料に欠ける節がある。
そういう意味でまだ気の抜ける相手ではない。
それにしてもシェルムの見た目は少女だというのに、カインローズは既にオッサンである。
しかも子供の頃から家出するまで師事していたというのだから年齢不詳である事は間違いない。
それに話は戻るがカインローズの上席達の内二人は高位の魔導師、物理で対等に戦えるのは三席のケイくらいというのがセプテントリオンの実情である。
そのカインローズを物理であっさりと倒してしまう少女が目の前にいるのだ。
見た目とのギャップが強過ぎて、つい動揺してしてしまったのは仕方のない事だろう。
「ああ、これは客人達にはお恥ずかしい所を。昔はこうやって稽古した後に妾が運んでいたいので。つい」
少々はにかんだ表情をしてはいるが、彼女はこれが日常と言わんばかりである。
すっかり気圧されてしまったリーンフェルトも、なし崩しの返事を返して一旦体制を整えるべくこの場を離れる事にした。
「そ、そうなのですね……取り敢えずカインさんの実家に向かう事を連れ達に伝えて参りますね」
「うむ。よろしく頼む。妾について来れば迷う事無く着く故、安心いたせ」
そんな言葉を聞きながら台車の後方へ移動すればアウグストとリナがカインローズの姿を見ながら先の戦いの分析をしているようだ。
「これは無残ですわね」
「だねぇ……あのカインが何も出来ずに翻弄されたままだったからねぇ」
「やはり師匠を越えると言う事の難しさ、と言った所ですわね」
「カイン、やられてしまうとは情けない」
台車に寝かされているカインローズは完全に白目を剥いて気を失っている。
その顔をまじまじと覗き込みながらアウグストとリナは何やら言いたい放題だ。
流石に意識を失っているカインローズが言われ放題である事が可哀想になってしまい、二人の会話に割って入るようにリーンフェルトは声を掛けた。
「まぁまぁお二人とも、シェルムさんの案内でこのままカインさんの実家に向かうようですよ」
「あぁシェルム殿とは話がついたのだね。では早速カインの実家に向かおうじゃないか」
さらっと興味がカインローズの実家に移ったアウグストがそう言い放つと、リナは黙って頷いた。
かくしてアル・マナク一行は只でさえシュルクであるという事で目立つと言うのに台車で運ばれるカインローズが一層悪目立ちしていてなんとも居心地が悪い。
沿道を行くベスティア達の視線がそこら中から降り注いで来るのが、気になってリーンフェルトの表情が曇り始める。
それを察したアウグストは彼女にしか聞こえないくらいの声で注意を促す。
「リン君。こういう時ほど笑顔笑顔」
アウグストは慣れた物で周りの雰囲気など一切読まずにニコニコしながらわざわざ手を振って見たりしている。
リナはリナで澄ました顔でアウグストの後ろをさりげなく警護しながら着いて来ている。
(私はまだまだ未熟だな……)
リーンフェルトは自身に苦笑しながら、険しくなりつつあった表情を作り込む。
彼女は元々貴族の令嬢である。
貴族社会でのポーカーフェイズはそれなりに練習して習得していた為、切り替えさえ出来てしまえば表情を感情に左右される事は無くなる。
尤も最近ではアル・マナクでの生活に慣れてしまい感情を表に出す事が多く、それによって失敗を引き起したりもしているが。
――ともあれ目鼻立ちの整った美人の部類であるリーンフェルトは、表情さえ作ってしまえばそれなりに絵としては映える。
色気と言う部分では一歩も二歩もシェルムには劣るが、それでも彼女と並んで歩くのに遜色はない美貌を備えていた。
リーンフェルトが美少女モードに移行した途端に背後から、リナの鼻息が少々荒くなったが聞こえたのはご愛嬌だろう。
さてアル・マナクの面々が着いた港はクリノクロアから見て東南の方角にあり、ここボーテス大陸では西部に当たる。
この西部こそがハクテイ家の治める地域であり、カインローズの故郷と言ってしまっても間違いではなかろう。
そしてこの西部を治めるハクテイ家こそが彼の実家である。
アダマンティスの部隊が作成した事前資料によると帝国は大きく四方と中央に分かれている。
中央に座する皇帝家を守る様に四祭祀家が四方の守り神として統治権を獲得しているらしい。
港ではベスティアが作った製品や食料なんかもここから輸出して外貨を稼いでいるようである。
比較的シュルクとの関わりがある地域という事もあり、表立って敵意を剥き出しにする者は稀らしい。
確かに統治するハクテイ家の現当主がシュルクであれば、多少思う事があっても口にはしないのだろう。
シェルムを先頭に進む一団は港から伸びるメインストリートから一本裏に入ってしまえば閑静な住宅街が広がっている。
その裏通りからもう二本大通りから離れた所に大通りに引けを取らない大きさの道が現れてくる。
「ここが白虎通りじゃ。この通りの突き当りにハクテイ家の屋敷があるぞよ」
「ではもうすぐカインさんの実家につくのですね」
「そうじゃ。今日は両親揃って息子が帰ってくるのを待っていると言っておった故楽しみにしておるがよいぞ」
「楽しみにですか?」
「そうじゃ。カインの父上は初対面の者には必ずやる儀式があっての……まぁそれも見てのお楽しみじゃさぁ着いたぞよ」
白虎通りを突き当りまで進めば虎を象った立派な彫り物が施された巨大な門が視界に入ってくる。
その門の両脇には虎顔の衛兵が待機していた。
「こちらはハクテイ家の門である……おぉシェルム殿! お戻りになりましたか」
衛兵が親しくシェルムに話しかけると、一つ頷いてから短く答えた。
「御届け物を届けに参った。アベル殿とキトラ殿は在宅か?」
「はい。ただ今呼んで参りましょう。久しぶりにカイン坊ちゃんの顔を見られるのを楽しみにしておりましたので!」
そう言って門番は獣の様な速さで建物内に消えて行った。
「カイン坊ちゃん……プッ……アハハハハ」
「アウグストさん少しは空気を読んでください! ほら周りの方々の視線が怖いですって!」
「いやいや……確かにカインが跡取り息子である事は知っていたのだけど、ははは苦しぃ……」
カインローズを坊ちゃんと呼んだその言葉がどうにもツボに入ったらしくアウグストの笑いが止まらない。
「確かに普段も彼を知ってしますから、とても坊ちゃんと呼ばれたところで想像がつきませんわね」
「リナさんまで……皆さんカインさんの実家なのですから、そういうのは止めてあげてください」
「おや、リン君はカインを庇うのかい?」
「庇うも何も非常識ではありませんか。流石に。それは勿論普段のカインさんからは良家の跡取りという雰囲気は微塵も感じないですけど……」
「そうじゃろうのぅ……あれは元々坊ちゃんなどではないわの。素行の悪いガキがそのまま大きくなったようなものであろう?」
果てはシェルムまで入って言いたい放題である。
そこに来てやっとカインローズが目を覚ます。
「お前ら……いい加減にしやがれ!! 人の実家の門前で何悪口言ってんだコラ!」
台車から跳ね起きたカインローズはどこにもダメージを負った様子もなく地面へと着地する。
そこに凛とした女性の声がしたかと思うと凄まじい速さでカインローズへ一直線に向かう影がリーンフェルト達の前を通り過ぎる。
「おっきくなったね~カイン!」
腰まである白髪を緩く結わえ、頭部には獣耳、服装は白基調とした着物の裾には金糸と銀糸をふんだんに使いあしらったを虎の図案が入っているその女性はカインローズに抱き着いて第一声がそれであった。
「はっ恥ずかしいだろ! 母ちゃん!」
「なんだい、なんだい。久しぶりに帰ってきたと思ったらつれない子だね……」
顔を真っ赤にして恥ずかしがるカインローズから渋々と離れると、アル・マナクとシェルムの方へ向き直り頭を下げた。
「うちのカインがいつもお世話になっております。私が母のキトラと申します。そしてそちらにいるのが私の夫でカインの父アベルローズですわ」
そう言って門の方へ一斉に視線が誘導されるとカインローズの巨漢とは対照的な細身のシュルクが紋付き袴の正装で立っていた。
「親父……」
カインローズの口から数十年ぶりにあった父へ零した最初の言葉である。
しかしカインローズの父アベルローズは一同を前に再会の言葉を述べるでもなく、左手を頭上へ、右手はこちらに突き出しポーズを取ると口上を述べ始める。
既にシェルムの表情はニヤニヤとした物に変わっている。
「我こそは荒れ狂う暴風にして、猛き翼。アシュタリア帝国が誇りし軍神にして神風を纏いし虎将! その風に刻まれし我が名を胸に刻め! 我こそは英雄アベルローズである!」
会心の出来とばかりにニヤリと笑うアベルローズを余所に知る者と知らぬ者の反応は両極端だ。
「貴方素敵よ!」
「いやぁ久々にアベルのそれを見た気がするのぅ」
「いや……もぅ……ホント親父止めてくれぇ……」
頭を抱えるカインローズと言葉通り久しぶりだったのだろう喜ぶ二人。
そして知らぬ者達アウグスト達アル・マナクの面々は完全に状況が呑み込めずに思考が真っ白になる。
しかし直ぐに復帰して拍手を送るのはアウグストである。
「いやぁ……アベル殿。素晴らしい見栄でしたな」
「カッカッカ、よくぞ参った客人方。ささ、立ち話もなんですからどうぞ中に」
やっと思考が落ち着いて来たリーンフェルトは見栄と呼ばれるポーズ付口上以外は普通なのだなと、妙に冷静にそれを受け止めると案内されるがまま屋敷に足を踏み入れる事となった。