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黎明のヘリオドール  作者: 御堂 蒼士
121/192

121 独り酒

 たまには一人酒ってのもいいものだ。


 アル・マナク本部近くにあるの裏路地にある酒場で、いつものカウンター端の席に腰を下ろしたカインローズは一杯目の酒を注文する。

 表通りに面していない為か店の客は疎らだが、カウンター越しのマスターは品の良い髭を生やした初老の男で、今も静かにグラスなどを磨いている。

 普段行く表通りの賑やかな酒場ならば知らない客すら巻き込んでどんちゃん騒ぎをするのだが、先の話が鎌首をもたげてとてもそんな気分にはなれず、静かな此方の店を選んだ。


 隠れ家的なこの店は上等ではないが、少々度数の高いアシュタリアで作られた酒を取り扱っている数少ない店の一つだ。

 氷の入ったグラスとボトル、そしてつまみが手早く無言のままのマスターによって配膳される。

 ボトルを手に取りグラスの半分くらいまで注ぐと、中の氷が小さく音を立てた。

 カインローズにはアシュタリアで決着を着けなければならない事が、数多くある。

 あるのだが心が萎えてしまっている為に、らしくもない後ろ向きな言葉しか口から出てこない。


「だぁぁぁぁぁ……実家に帰りたくねぇ」


 体の中の空気を目一杯使って深い深い溜息を吐き、それを埋めるように酒を煽る。

 今日の酒のアテはカンカイって魚の干物だ。

 そいつの身を毟って口に放り込むと徐々に唾液を吸いながら柔らかくなる。噛みしめれば旨味が口の中に広がり、鼻を通って独特の風味と匂いが抜けていく。

 よくこれを肴に呑んでいた父親から一枚、又一枚と盗んではよく怒られた事を思い出して一人苦笑する。

 その父親が死んだとは聞いていないから、まだ生きているのだろう。


(……まぁ殺されても死にそうも無い奴ではあるが)


などと思いながらもう一杯引っ掛け、酒の勢いで長らくアシュタリアに置いてきた面倒事へ向き合う。

 カインローズの母親の方はアシュタリア四祭祀家の一家、名門中の名門の出である。

 なぜシュルクの父と結婚したのかは未だに謎だが、母親は白帝虎と呼ばれる特別なベスティアだ。

 その血と能力を色濃く受け継いでいるのにも関わらず見た目はシュルクである為に、アシュタリアでは肩身が狭い思いをしていた。


 名家の鼻摘まみ者、痴虎など彼を指す悪意ある言葉は事実アシュタリアには多い。


 軍政を取り仕切る四祭祀家というのは、アシュタリア建国時に共に戦った四聖の末裔とされる由緒正しいお家柄である。

 そういう風に言えばカインローズも貴族の坊ちゃんと言えなくも無いのだろうが、そもそもシュルク扱いだからベスティアとしてカウントすらされていないのが実状であった。

 その場に居るのに居ないものとされる日々はカインローズにとって苦痛以外の何物でもなかった。

 唯一の話し相手と言えば母親くらいなものである。


 四祭祀家はアシュタリアの政治、軍事を司っている。

 各家の提案の下、皇帝が決済して物事が動き始める。

 そんな政治体系のアシュタリアにおいてシュルクが突然四祭祀として軍事を仕切れば、ベスティア達は面白くない。

 さらに皇帝の弟から気に入られ、娘を嫁に出す事を約束したのだから一層カインローズへの風当たりが厳しくなるのは寧ろ必然と言える。

 誰もが皇帝家と姻戚関係になりたいと思っているのだ。


 親がそれを子に言えば、子供にも親の嫉妬が伝播する。


 子供社会というのは残酷だ。

 それは瞬く間に広まってカインローズは一層の孤独を味わう事になってしまった。


 そんな世の中に嫌気がさして荒れた時期に、母親に連れられて通わされたのが道場だった。


 九尾のベスティアが仕切っていたそこに放り込まれたカインローズは只管剣の腕を磨いた。

 何故なら同じ歳くらいの狐のベスティアに模擬戦でなすすべも無く叩き伏せられ、僅かばかりのプライドが粉々になったからだ。

 シュルクの見た目でも白帝虎であるカインローズは腕っぷしで負ける事など無かったからだ。

 むしろ力が強い事が拠所だった当時はかなり凹んでしばらく引きこもりになった程だ。


 結局悔しくてそいつに食いついていくうちに、この狐こそが道場主である事に気が付き以降は師匠と認め修行に励んだ。


 その頃になると親父は武勇伝を重ねて、いつしかアシュタリア最高の武士と呼ばれる様になっていた。

 皇帝の弟を助けたのもこの時期である。


 しかし英雄になったと言えどベスティアを迫害し彼の地に追いやった種族としての歴史が解消されるわけではない。


――父親はあれでも、子は分からぬ。


 気高き耳も、雄々しい尻尾も持ち得ずベスティアとシュルクのハーフなぞ認めぬという大人達の無言の圧力、少年だったカインローズの心を深く抉った。


 父親が光り輝く程、カインローズの影は濃く映し出され惨めな思いをする。

 次第に父親が嫌いになっていき、自分を縛るアシュタリアという小さい世界にも嫌気が差して、遂にグランヘレネ行きの船に隠れて乗り込みそこから冒険者として生きていく事になる。


「マスター、ボトルをもう一本頼む」


 その声にマスターは静かに頷き店の奥へと下がって行く。


 ボトルを一本空けた頃厳しい顔の魔術師が酒場の入り口に現れる。

 そのままカインローズの隣に腰掛ければ、いつの間にか戻って来ていたマスターが無言のまま、魔術師に熱燗を用意する。

 アシュタリアの酒は湯煎して温めて呑む方法があるのだが、この老人どこでそんな知識を手に入れたのかと、訝しがってよく顔を見れば見知った者である事に気が付く。


「なんだカイン。儂の熱燗になにか用か?」

「いや、よくそんな酒の飲み方知ってたなってな」

「儂が求めているのはこの世界のありとあらゆる知識だ。酒の所作とて粗末に出来ぬ知識である事に変わりはないぞ」


 そう言って笑って見せるのだが、如何せん顔が厳めしい分気さくというよりは凄味の方が増している様に思える。


「しかし珍しいな。あんたが本部から出てくるなんて」

「なんだ、儂を引き篭もりみたいに言うな。しっかり外にも出ておるし運動もしておるわい」

「全く元気な爺さんだぜ」


 カインローズと気さくに話し始めた強面の魔術師こそ、セプテントリオンの首席にして彼を荷物同様に扱って本部まで連れてきた部署の長である。

 アダマンティス・カーボナイトはゆるりとした深緑色のローブを纏っており、酒場の薄暗い照明の下であっても艶やかな光沢を煌めかせる。

 それが上質な物である事を暗に知らしめている様である。


「俺の扱いが雑なんじゃねぇか? アダマンティス」

「おぉ……その件な。あれは儂も悪いと思っていた。先程アウグストが連中をしこたま叱り飛ばしていたぞ」

「あのアウグストがねぇ……」

「なおこの後は儂からお仕置きが連中には待っておる。本当にすまなかったなカイン」

「別に怒ってねぇよ。あんま苛めてやんなや。それよりも俺は今困ってんだよ」

「なんだ件の見合いの話か?」

「流石、居合わせない場所の会話もお手の物か」

「はっはっは、まあそういう事だ。お前の事情も分かっているつもりだが?」


 アンリの次くらいに付き合いの長いのはアダマンティスだろう。

 尤もそれはケイの父親であるという所の接点が非常に高いと言える。

 暇になれば直ぐに模擬戦だ、筋トレだと誘いに来るケイに付き合っていると、適度な時間でアダマンティスが現れてそれを止めて行くからである。


「馬鹿息子、そろそろやめておけ。それ以上は身体への負担にしかならん」


などと言って止めて行くのだから、恐らく気が付かない内に彼の情報網によって監視されているのだろう。


「んで、どうすりゃいいんだよ。ぶっちゃけ親父には会いたくねぇし、アシュタリアにも行きたくもねぇんだ」


 それは檻に戻されるのと等しい感じがしてならないのだ。

 グランヘレネで冒険者を始めてからの日々は自由に満ち溢れていた。

 それは今も変わらない。

 アル・マナク所属になってからは、任務こそあれど基本は自由だ。


 誰にも後ろ指を指されない。

 その場にいても無視をされない事は、周りから自分が受け入れられているようで安心出来るのだ。


「自由と言う物は実に贅沢だな。カイン」

「全くだな。仮に結婚しちまったらきっと二度とアシュタリアから出る事は出来ないだろうな」

「儂はお前を応援しているぞ。ケイも遊び相手がいなくなれば、寂しさのあまりにアシュタリアを滅ぼしかねない」

「なんだよそれ。もうケイだっていい大人なんだぜ? そんなしょうもない理由で攻め込んだりするものかよ」

「はっはっは。それは流石に言葉の綾だが、それくらいお前に懐いておるだろう? うちの息子は」

「なんだか知らねぇけどな」

「まぁ仲良くしてやってくれ。とても疲れるだろうが」


 そう言って苦笑する魔術師の顔は相変わらず、子供達が泣いてしまうほどに怒っているような顔であるが、その声色はとても優しい物だった。

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