119 豪遊の代償
飛竜部隊が支援物資を運ぶ為に使用していた大きな袋に縄でぐるぐる巻きにされ身動きの取れない状態にされたカインローズが、不機嫌そうな表情でこちらを見ている。
そんな彼にアウグストはいつもよりもやや高めのテンションで話しかける。
そこには早くアシュタリアのヘリオドールを見たいという研究者としての学術的好奇心と、これから起こるであろうカインローズに纏わるイベントを想像して笑いを堪えられない悪戯好きな少年のような好奇心が入り混じっており、目が輝いている。
「やぁカイン。いきなり呼び出して悪かったね」
「まぁ、そんなこったろうと思っていたさ。アル・マナクの紋章が着いてなかったら、あいつら全員ぶちのめしていた所だぜ?」
そんな切り出しで始まった二人の会話。
アウグストの書斎は相変わらず研究資料が散乱している。その場には先日同様にリーンフェルトも同席している。これは流石にカインローズでも怒るのではないかと感じたアウグストが緩衝材として呼んだのだ。また話の経緯を知っていた事も要因の一つと言える。
アウグスト自身も確かに最短で呼び戻して欲しかったのは事実だが、もう少し運び方は考えるべきだろう。
荷物の様にカインローズを運んできた飛竜部隊には、後に約束通りの褒賞金に加えて説教が待っていたのは別の話だ。
「さてカイン。実は君に頼みたいこ……」
アウグストが要件を言い切らないうちに、カインローズは話を被せて拒否をする。
「嫌だ。お前がそうやって笑ってるときは絶対良くねぇ事を企んでる時だ」
「酷いなカイン。ちゃんと話は最後まで聞くべきだよ?」
確かにアウグストの表情はいつにも増してにこやかに、いやニヤニヤとした笑みをその口元に浮かべている。
そもそもリーンフェルトの目から見ても少々気味が悪い程の笑みを浮かべているのだから、何か企んでいると感づかれても仕方が無い。
「どうせ実家……いや、アシュタリア絡みだろ? この前の俺宛の手紙にも内容は記されていたからな。何となく想像がつく」
野生の勘というべきかカインローズは、的確にその身に起こる危機を感じ取っているようだ。
そうなると隠し立てしておくのも後味が悪いとばかりに、アウグストはぶっちゃけて説得に当たる。
「バレてしまっては仕方がない! カイン。今すぐアシュタリアに行こう!」
「だからなんでだ? 少なくとも俺からはあの国に用なんて物は無いぜ」
荷物扱いで運ばれて物凄く不機嫌そうなカインローズに、追い打ちを掛けるように彼の嫌がるアシュタリア絡みの話だ。
ザラついた空気を纏ったカインローズはこめかみがピクピクと動いているのが見て取れる。
カインローズにしては珍しく相当怒っている。
それをひしひしと感じるリーンフェルトではあったがアウグストはどこ吹く風。気にした様子もなく次の言葉を吐く。
「実はだね。アシュタリアのヘリオドールを見れる事になりそうなんだ」
「アウグスト……俺の身柄と引き換えにか!」
かなりイライラとしていたのだろう。
そして身売りされたとばかりに大声で叫ぶ。
「いやいや事情を知ってる私としても大事なカインをアシュタリアに連れて行くのは勿論忍びないのだが、何分アシュタリアに一番詳しいのは君だろ?」
「そりゃ……そうかも知れねぇが、俺だって十年以上帰ってねぇんだ。お前らと大差ねぇっての!」
「カインもそろそろご両親に会いたいだろう?」
「いや、親父とは特に会いたくねぇんだ。だから絶対に行かないぜ? 俺は」
カインローズ個人を説得する事が不可能であるとそのラインに見切りをつけたアウグストは、まずは外堀を埋めるべく攻撃を開始した。
「はぁ……カイン。これは又と無い機会なのだよ。シュルクがアシュタリアにお呼ばれするなんてまずあり得ないのだから」
個人でアシュタリアに旅行する者はいるが、それはあくまで個人。その影響力は微々たるものである。
国家としてのアシュタリアに、そもそもベスティアに招かれるという事自体がレアケースなのだ。
だからこそ、このチャンスをものにしたいアウグストはなんとかカインローズの首が縦に振らせたいが為に、あの手この手を使って説得する必要がある。
「カインどうしても首を縦に振るつもりはないかね?」
「ああ、俺は金輪際アシュタリアとは関わり合いたくないんだ。今後も縦に振るつもりはねぇよ」
そう言い切ったカインローズは自身の身体を縛り上げる縄をあっさりと風魔法で切り刻むと静かに立ち上がった。
「俺は絶対に帰らんぞ!」
そして大股で歩き書斎の扉に手を掛けた時、アウグストは静かに彼に語りかけた。
「なぁカイン。それでいいのかね?」
その声色からは感情を推測する事は出来ないが、カインローズが動きをピタリと止めたのも事実である。
「それでとは?」
「君のご両親もカインの事をとても心配しているのだよ?」
「あの連中とは縁を切ったも同然なんでな。勝手に心配されるなんて迷惑以外の何物でもねぇし」
「そうは言うがねカイン。恩返しをしたい時には親は無しと言うだろう?」
「恩なんてこれっぽっちもねぇよ」
「そうですか。分かりました」
アウグストの口調が急に変わった事にもカインローズはひるまず、書斎のドアノブに手を掛けてこちらを振り向きもしないまま低い声で念を押す。
「んじゃ、俺はアシュタリアにいかねぇ。それでいいな?」
「ええ。その代わりと言ってはなんですが……まず各地でアル・マナク名義で好き勝手に買い物をした分を君に請求します」
「なっ!?」
「それから、そうですねぇアル・マナク名義でツケにしてある君の行きつけの酒場への支払いも凍結します」
「くっ……きたねぇぞ!」
「汚くなどありませんよ。元々私の作り出したオリクトの収益から賄っている物でしょうに。つまり皆に分配こそしていますが、いわばあれは私の金です。それを散々好き勝手に使っておいてカインは我儘を言うのですから、それは私にも考えがありますよ。総額にすると今の給与の三十年分に相当します」
「さ……三十年だと! 嘘だそんなもんは!」
懐から徐に書面を出して見せたアウグストはそれをリーンフェルトに渡す。
渡された書類に目を通した彼女の表情が苦笑交じりの物に変わると、文字が書いてある方をカインローズに提示して話し始める。
「カインさんすみません。この計算書はアルミナさんの手伝いをしながら私が作ったものです」
「リンまさかお前まで!?」
「いえ、カインさんを売り飛ばそうとかそういう事では無くてですね。特にサエスへの任務の際にいろいろとツケにしてしまっているのですよ」
カインローズもまたリーンフェルトの事務処理能力を知っているだけに、その資料が根拠もなしに作成された物ではないと分かる。
であればだ。
三十年分の給与で賄えるそれをどう支払うかを考える。
アル・マナクのそれもセプテントリオンとしての給与は、かなりの額である。
セプテントリオンの給与ベースは実は一律でだったりする。
そこに席次分を上乗せする事によって給与としている。
単純に考えるならばカインローズはリーンフェルトよりも席次四つ分多く貰っているのである。
「私はここに一つ提案をしますよ。いいですかカイン」
「ああ、なんだよ」
「一つ。アシュタリアに行くのであれば先に言った全てをチャラにします。まぁ私の奢りみたいなものです。二つ目は君が今すぐ全額を一括で支払う事。その場合は当然アシュタリアへ行かないと言われても仕方が無いですな。さてカイン。君は首を縦に振るかね、それとも全額支払うかね今すぐここで」
莫大な額で豪遊してきたカインローズであったが、アウグストにその首根っこを完全に取り押さえられた様な状態である。
「金、金ってそういうのは大義の前では気にしちゃいけないんだぜ」
「いえいえ、人の金をバカスカと勝手に使う方に問題があるのですよ」
「給料の範疇だったんだよ」
「はい。それはもうとっくの昔に過去形です。君の使った金は給与をとうに超えていますよ。さてどうします?」
トドメとばかりに放った言葉にカインローズはガクリと肩を落とした。
「クソッ! 行けばいいんだろ行けば!」
ヤケクソ気味に声を荒げたカインローズはドカッと入り口付近に胡坐を掻いて座り込んだ。
そんな彼にリーンフェルトは気遣うように話しかける。
「カインさん……」
「なぁリン。お前なら分かるだろ? この望んでもいないお見合いに振り回される俺の気持ちが」
「全てとは行きませんが概ね理解は出来ますよ」
自身も経験してきたこの親の都合でとにかく振り回されるお見合いというのは、それ自体が厄介であるとリーンフェルトも心の中で同意する。
「だったら助けてくれたっていいじゃねぇか!」
「すみません。私も今回はアウグストさんに貸しがあったので、止める事は出来ませんでした」
リーンフェルトが言う貸しとは先日行われた料理対決の審判を押し付けた時の事である。
結局アウグストも審査員を回避した為に御者のクライブが審査員を務める事になった件の事だ。
それによってリナの料理を食べずに済んだ事はリーンフェルトにとって大きな貸となっていたようだ。
それを知らないカインローズは後で先の事件についてアトロから報告が入って知る事となる。
ともあれ。
自業自得と言うべきか哀れカインローズは、こうして故郷の地を踏まざるを得なくなるのだった。