115 隠し味
アル・マナク内の誰よりも先に応募会場に現れたクライブは、その場にいたアウグストへと願い出る。
「アウグスト様、俺に……俺にリンさんの手料理の審査員をやらせて欲しいっす!」
「えっと君は確かカインの所の……」
「クライブっす。先日クリノクロアにお迎えに上がりましたアトロの下で御者をしている者っす!」
「そうだそうだクライブ君。君の情熱には目を見張るものがあるね。その心意気を買って君に審査員を任命しようじゃないか!」
物凄い笑顔のアウグストはクライブを抱き締め、背中をパンパンと叩くと満足したのかスッと離れて右手を挙げた。
「では、クライブ君。健闘を祈るよ!」
「はいっす! 任せてくださいっす!」
そうしてアウグストは荷が下りたのだろう、非常に軽い足取り。
ともすればそれはスキップと形容されるような足取りでその場を去って行った。
真実を知らないのは今の所クライブただ一人である。
適当な代役を任命する事が出来たアウグストはその軽妙な足取りのまま三人の女性が控える食堂へと足を向ける。
食堂には既にアウグストから指示が出ており各個人が調理出来るように、三つ簡易キッチンが用意されていた。
食材はそのキッチンから等間隔の位置にいくつかテーブルを連結した物が用意されて、その上に綺麗に整列している。
丁度半円状に配置されたキッチンが食材を囲んでいるような状態であり、各人の手際なども見れるように工夫されている。
「さて、私の代わりに審査をしてくれる者は用意させてもらった。君達にはこれから早速料理を作ってもらう」
そう宣言すれば既に闘争心をむき出しにしているリナとアルミナが口を開く。
「望むところですわ」
「是。勝負上等」
二人を一歩後ろでリーンフェルトは苦笑して見ていた。
「お題となる料理は特にない。自身の最高傑作で以て勝負に臨んでもらいたい」
既に危機を脱したアウグストは饒舌に、そして何気にハードルを上げていく。
リーンフェルトは内心、これ以上煽らないで欲しいと思っていたのだがアウグストは更に煽る。
「料理勝負の結果如何では席次の変更も有り得るかも……しれませんね」
その言葉に俄然火が付いたのはリナである。
アルミナをここで負かせば自身が五席となり、アルミナを六席に蹴落とせるかもしれない。
知識では勝ち目がない分実技ならばという思いがあり、これはチャンスであるとリナは捉えて笑みを零す。
「ふっふっふ……必ずや私の最高の料理で審査員を唸らせて見せますわ!」
「否。不可能……また死者を増やす気」
「ふん……私の料理を食べてほっぺたが蕩けて落ちてしまっても知りませんわよ」
「否。それきっと本当に溶けている危険」
アルミナの言ってる事の方が一理あるのではと、リーンフェルトも思いつつ用意してきた萌木色のエプロンに袖を通す。
リーンフェルトのエプロンは腕を通して、腰の高さで紐を結ぶオーソドックスな物だ。
特に可愛い柄物のエプロンという訳では無く萌木色一色である。
膝丈辺りに二つポケットがあるのが特徴と言える。
後の二人の恰好はと言えばリナはいつものメイド服に加えてフリル付の純白のエプロンであり、胸元の部分が丁度ハートの形になるデザインの物を装着している。
それとは対照的にアルミナは背中に留め具の付いた不思議な服を着ている。
「何なんですのその服は?」
「嘲。これはアシュタリアで使われている料理をする際に着る戦闘服カッポウギ。着るだけで料理の腕が数段上がるという代物」
「そ、それは卑怯ではありませんこと?」
「笑。という謳い文句。本当な訳がない。愚か」
「くっ……アルミナの癖に生意気ですわ」
「否。六席の方が下」
既に舌戦が始まり中々料理へと進まないのを見かねてアウグストは時間を制限する事を提案する。
「はいはい。君達……これは料理対決だからね。作り始めないならば調理時間は一時間と区切らせて貰おう。審査員も待たせてあるしね」
一時間という限られた時間となってしまい、今度こそ本当に料理を作らなくてはいけないとばかりにリナとアルミナは食材へと駆け寄って行った。
「ほら、リン君も食材を手に入れないと」
「そうなのですが……私自身はそれほど料理が得意な訳ではありませんから、レパートリーも少ないですし欲しい食材もそれほど多くありませんので」
「ま、君がそう言うならそれで良いのだが……」
そうこう話している内にリナとアルミナは両手一杯に食材を抱えて自身のキッチンへと走って行った。
「さあ最高に美味しい料理を作って差し上げますわ!」
懐からナイフを取り出して早速リナは食材を切り始める。
食材を宙に放り投げて自在に操るナイフが綺麗に食材を捌いて行く。
「さながら曲芸の様だね」
アウグストはそれを見て苦笑する。
しかし食材自体はとても綺麗に皮が剥かれ、肉は適度の大きさに切られていく。
「嘲。食材がいくら綺麗に切れても勝負は味付け」
一方アルミナの包丁さばきは覚束ない。
野菜には所々皮が残っているし、肉の大きさも疎らである。
鍋を用意したアルミナは食材を中に入れて水を入れて煮物を作るようだ。
アシュタリアでは良く出汁を取る為に使うと言うケルプーンと呼ばれる海藻をふんだんに使って食材を煮込んでいくようだ。
「嘲。アシュタリア料理、書物で勉強した。これで六席は撃沈」
などと言いつつ二品目に取りかかるようだ。
一方やっとキッチンに立ったリーンフェルトは深く深く溜息を吐いた。
(さて……何を作りましょうか。レパートリーはさほど多くないですし無難な物を……)
そう言って取り出したフライパンと寸胴をコンロに掛けると魔法で水を生み出し、火の魔法で一気に沸騰させる。
寸胴の方にパスタを入れて茹で始め、その間に食材をまな板に載せると調理を始める。
トマト、挽肉、玉葱をフライパンで炒めていけば、徐々に野菜の水分がにじみ出て来る。
それに塩、胡椒を一振りして、少量の大蒜のペーストを加えてトマトソースを作っていく。
リーンフェルト自身は基本パスタ料理しか作れず、パスタの上にかけるソースも三種類なんとか作れるレベルである。
その中でも一番調理頻度の高いトマトソースパスタを選んだのは、彼女が失敗無く作れる料理である事が大きい。
「ふふふふ……お嬢様はトマトソースのパスタですわね。これは読めていましたわ! お嬢様の最も得意とする料理ですもの」
綺麗に切り揃えられた食材をリナは炒める様である。
フライパンに油を引き次々に食材を投入していく。
「今回は失敗する訳には行きませんから……正攻法で参りますわ! まずは塩と胡椒から」
肉と野菜に塩と胡椒。
この組み合わせだけで正直料理としては完成なのではないだろうか。
アウグストはそう考える。
一番シンプルにして崩しようのない味付けである。
ここで止めておけば彼女の料理も暗黒物質になどならないのではないかと思うのだ。
しかしここから迷走するのが料理の下手な人のする事である。
「……味付けが普通ですわ!」
一口味見したリナが、目を見開きそんな事を叫ぶ。
「そこで止めておけば良いのではないかね?」
死者を出す訳には行かないと、思わず口を挟むアウグストにリナは首を左右に振る。
「まだまだですわ! 甘さも辛さも……そう料理の奥行きが足りませんの……となるとスパイスを使って隠し味ですわね!」
「あ……あぁ、まぁ好きにしたまえよ」
これ以上の口出しは干渉になりかねないとアウグストは素直に身を引く。
「既に塩と胡椒でしょっぱい味付けだろうに、そこに甘みと辛み……」
そう呟いて彼女が何を入れるのか首を捻るのだった。