112 お嬢様の相談事
アウグストから次の任務が花嫁修業であると知らされたリーンフェルトは、セプテントリオンに割り当てられている自宅へ戻って来ていた。
家はアル・マナク本部の近郊に建てられており、任務で不在の際はアル・マナクの職員が交代で管理してくれる素敵物件である。
という訳でリーンフェルトに割り当てられた家には誰かいる事が想定された。
「お帰りなさいませお嬢様!」
家の扉を開け玄関を抜けた先にあるドアを開ければリビングルームへと続く。
リビングにはメイド姿のリナが背筋を伸ばして立っていた。
「えっ……リナさんじゃないですか! どうして私の家に?」
「それは勿論お嬢様のお世話をする為ですわ!」
リーンフェルトが帰ってくるという事を知っていたリナは、アトロが迎えに行った翌日からリーンフェルトの家に住み込んで掃除などを行っていたのだ。
それを聞いてまずは礼を述べる。
「リナさん有難う御座いました」
「いえいえ……これもメイドの務めでございますわ」
事実リナはセプテントリオンでは上席であるのだが、もはや趣味と言っても過言ではないくらいメイドという職業に楽しみを見出しているようだ。
彼女ならば相談を親身になって聞いてくれるかもしれないと思ったリーンフェルトは、事のあらましを伝えた上でリナに相談をする。
「次の任務が花嫁修業というのは、なんだか納得がいかないのです」
「ですがお嬢様。アウグストもそのジェイドとかいう魔導師との約束を破る事は出来ないのでしょう。なにせ命の恩人でございます。その一言は重く、今回ばかりは分が悪うございます。恐らく逃げ場はございません。あのアウグストがやると宣言しているのですから」
「ですよね……」
なぜあの男は花嫁修業などとしょうもない条件でアウグストを助けたのだろうか。
彼の価値観が正直良く分からないし、狙いも不明である。
正直、嫌がらせという線も捨てきれない。
こんなふざけた任務では、むしろ小馬鹿にされている感すらある。
そしてアウグストが言っていた事が、何よりも時間が経つに連れて重みを増し両肩に重く圧し掛かる。
「リナさん……私、どうしたらいいですか?」
やや気落ちしたトーンの落ちたその声に、リナは小躍りしそうな歓喜の笑みを浮かべて聞き返す。
「それは……まさかお嬢様から私に相談でございますか?」
「ええ、正直どうしたら良いのかまるで分からないので、同じ女性であるリナさんならと思うのです」
「まぁ、まぁ! 遂にお嬢様からの信頼を勝ち得ましたわ!」
リーンフェルトに背を向けてガッツポーズを取った彼女に一抹の不安を覚えつつも、先の言葉に修正を入れる。
「というよりもですね。リナさんの事を信頼していない訳ではないですよ? 普段はカインさんといる事が多いので、そちらに相談してしまうだけです。それにこの類の話は正直、カインさんでは当てになりません。先日なんかグランヘレネの司令官と夜明けまで飲み明かして……」
「その司令官は女性でして?」
リナもまたアウグスト達の様に、カインローズを弄るネタだと気が付いたのだろう。
口の端に悪い笑みが乗っているのを見て、苦笑しながら質問に答える。
「ええ、ちょっとガラの悪い方でしたけど」
「そういうのが趣味なのかしらバカインは……」
「それはどうかわかりませんが、本人は否定していましたよ」
「確かに自分の好みが知られるのは少々恥ずかしいですわね。きっと照れ隠しでございましょう?」
「アウグストさんとアンリさんが悪い笑みをしていましたね。ケイさんは最初からニコニコしていましたけど」
「彼の顔は元々そういう顔ですから……しかしあのお二人が悪い笑みですか。では既にそのネタで弄られましたわね」
同じような悪戯が続けば相手のリアクションも詰まらない物になっていく。
そう思ったのだろう、非常に残念そうな顔をする。
「ええ、しばらくからかわれて、げっそりと疲れていましたよ」
「バカインも決してモテない訳ではありませんから、今までもあったのですよ。女性関係をアンリにからかわれるという事は」
「前にもあったのですね……と、カインさんの話ではありません。私の話を聞いてください」
危うくカインローズの話が続いてしまいそうだったのを、慌てて止めて本来の話へと戻す。
「ええ、聞きますとも聞きますとも。お嬢様との距離が一層近くなった感じがしてこれはいけませんわ!」
「ええとですね……リナさん。ちょっと落ち着いて貰えますか」
「はい。大丈夫でございますよ」
「ならいいのですが……という訳で本題を進めたいです。私に花嫁修業させるというのは、正直ふざけているのか、嫌がらせなのか分かりません。実家からはそれが嫌で逃げだした部分も無いとは言えませんし、今更そのような事をした所で私はあまり異性に興味を持っていません」
そう言い切るリーンフェルトにリナは目を光らせ、つめ寄る際に光魔法までをも駆使してその距離を縮めて彼女の両手を取る。
「同性ならば良いのですか?」
極々真面目な表情で若干頬を赤らめてそう尋ねるリナへ、困ったような表情で掴まれた手を振りほどきつつリーンフェルトは彼女に回答する。
「違います! 今は折角オリクトに携わる仕事をしていますし、私自身にそういう魅力は必要ないのではないかと思うのです」
「そんな事ありませんわ。お嬢様が何気に可愛い物を好きだったり、ブーツに拘りがあって編み上げの物が多いとか、結わえているリボンが似たような緑色ながらも気分によって明るかったり、暗かったりとしている事くらい気が付いておりますわ! ちなみに御者のクライブから貰ったリボンは外に行く際に身に着ける頻度が低いですわよね。自室でこっそりつけて鏡を見ているのですよね!」
本人がドン引きするくらいにリナはリーンフェルトを観察しているようで、やたら細かい変化にも気が付いているとアピールする。
しかし当の本人から出た言葉は当然、身の危険を感じての物だ。
「えっと……リナさん、それはちょっと怖いです」
「愛ですわよ。お嬢様」
愛という単語で押し切ろうとうするリナに、リーンフェルトはさらっと脱線した話題を修正する。
「……話を戻しますね」
「そこには触れて下さらないのですね」
「ええ、とっても怖いので」
「ですがお嬢様……」
「なんですかリナさん」
今度は少々睨み付けるような鋭さを持った視線を彼女へと向けるリーンフェルトの反応に、少しやり過ぎたと反省したリナはそろそろ潮時だろうと引き下がる。
「いえ、お嬢様はお嬢様のままで十分に可愛らしい所があると私は思っているのですけど」
「花嫁修業というからには、作法や躾という部分が強いのではないかと考えています。お淑やかに女性らしくなるのは私には難しいのではないかと思うのです」
「そんな事ありませんわ! お嬢様にお淑やかさが加われば、もはやこの世界の男どもを魅了するのに十分過ぎる程、魅力的なレディーになりましょう」
「そうだと良いのですが……」
結局リナはリーンフェルトに自信を着けさせるべく、このまま暫く褒め続ける。
そして、話の終わりにこう付け加えた。
「今回の任務は私も同行を願い出ましょう!」
「リナさんが居れば心強いです!」
「そうと決まれば私はこれからアウグストの元へ赴いて、説得して参りますわ!」
リーンフェルトと行動を共にしたいリナは、颯爽と家から出て行ってしまう。
一人になったリーンフェルトはソファーに腰かけて、大きな溜息を一つ吐いた。
「私に出来るのでしょうか……」と。
――三週間後。
リーンフェルトは本部に戻ってから多忙な日々を過ごしていた。
結局、花嫁修業の話はあまり出ないまま仕事が始まってしまったである。
グランヘレネへの物資の調達と手配、輸送等の準備を終えるのに三週間程掛かってしまう。
そもそもグランヘレネは、ケフェイドとは真逆の位置にある国である。
現地の状況をアダマンティスの部隊が集約して、情報として届けられて五席アルミナの承認を受けた書類がリーンフェルトに周り、それを発注し輸送手続きをするのである。人を介す分時間が掛かる。
何事もリアルタイムで処理できれば、それに越した事はないのだが生憎と書面で有ったりで指示が来る。
数度読み返して頭に入れた上で、疑問点があれば結局、アルミナの元に向かい確認しなければならない。
そんな非効率的な作業の為に、三週間という時間を要したのだ。
尤もこれでも作業としては早い部類になる。
現地の情報を大体三日前後で収集してくるアダマンティスの部隊の速度が、おかしいのである。
そして情報の精査によって確度が上がる為、物資の必要数、必要箇所などの情報が明確に入ってくる。
ふわっとした情報では、一か所にまとめて送り、現地で分配などという事が考えられるがこれでは地方の被災地に物資が届くのが遅れて二次被害が広がるだろう。
だからこそ、ケフェイドから輸送するに当たって予め、どの地域にどのくらいの物資を送るかが分かっているという事は大きい。
そしてその送付箇所が多ければ多い程、仕分けているリーンフェルトの仕事は煩雑化していく。
結果としてグランヘレネの分だけでも実に二十数か所の送付先が予想されており、物資の数を数えるのも確認の上輸送用の飛竜に乗せる。
なお最も大きく人口の多い皇都へは船を使って大量に物資を運ぶ手筈となっている。
「やっと終わりましたか……」
一通りの出荷を終えた所で、アルミナの伝令が現れる。
「アンリ次席からサエスで必要な物資の情報が上がって来ました!」
その言葉に周りの兵士達の雰囲気が一気に暗くなるのを感じた。
すっかり失念したが、サエスへの支援もしなければならない事を。
一瞬頭を抱えたくなったが、花嫁修業に出されるよりも充実した日々であった為、今はその事を忘れて任務にあたる事したリーンフェルトであった。