111 「任務通告」
「ではアンリ、サエス復興の件宜しくお願いしますね」
「ああ、任せておきたまえよ」
アンリはそう答えると暫しサエス側の担当官と打ち合わせをするという事でその場を離れて行った。
アウグストはそれを見送った後、アンダインに設けられたアル・マナク用のテントへと向かってリーンフェルトを連れ立って歩き始める。
この地域は比較的水害の被害を受けなったのは、やはり水のヘリオドールがあったエストリアルより離れているせいであろう。
女王の本陣よりも少し離れた所に設置されたテントには、サエス側から数名が護衛に付いてきている。
前を歩くアウグストにリーンフェルトは、自身も復興支援に当たるものとしながら話しかける。
「私も内政なら少しは学校、そして父の元で勉強して来ました。グランヘレネの方で復興を担当させてもらえればうれしいです」
本来であれば部下のやる気を殺ぐそうな事をしないアウグストであるが、彼女に向かって彼は首を横に振った。
「リン君にはスペシャルな任務が用意していましてね。少し準備に時間が掛かるが次の任務は決まっているのだよ。だから安心してくれたまえ。ちなみにグランヘレネの復興担当としては影の薄い五席に出て貰うとしよう」
「五席……アルミナさんですか」
リーンフェルトも一度くらいしかお目に掛かったのことのないセプテントリオンの五席、名をアルミナ・バイランダムというが、とにかく表に出て来ない事で知られる。
アル・マナク内では会計の真似事をしている。
物資の調達なども数字のみであるが普段から扱っている分、アル・マナクの中でも復興支援の適任者である。
「たまに彼女も外に出たらいいと思うのだよ。引きこもっていると不健康だしね」
そう言って笑うアウグストもまた、相当に引きこもり気味な人物である。
――無事に調停がなされた事でアウグストとリーンフェルトはケフェイドに戻る事になる。
打ち合わせが一段落したアンリとその護衛だったケイが一緒にテントへと戻ってくる。
アンリが打ち合わせて来た内容を要約するとこんな感じである。
サエス南端のアンダインから港町クロックスまではアンリが道を整備しながら、アウグスト達の帰還の旅に同行。
ケイはと言えばサエス領内を跋扈する大型の魔物を積極的に狩るという事で決まったようだ。
なぜ護衛で残ったケイにそんな仕事が任されたかと言えば、護衛対象のアンリが警護と称して四六時中ケイと一緒に要る事を拒んだためである。
仕方が無いのでケイには洪水によって生活圏がぐちゃぐちゃになり、本来現れないような場所に現れ始め出したという魔物の討伐が任されたのだ。
確かに護衛よりも適任だろうという事で、アウグストはその変更について頷いて見せた。
アンリの土魔法で道路を整備しながらクロックスまで要した時間は大凡二週間の程であった。
途中エストリアル、マイム、ルエリアを経由して道を整えながら向かうという計画が立てられた。
エストリアルでは若干復興作業が進んでいた。
これは防衛と復興を同時に熟してきた女王の手腕による物だ。
大通りから王城までは既に泥やゴミなどは取り払われ、以前の様な佇まいを取り戻しつつあった。
続くマイムでお世話になった人達は無事でいるだろうかと心配して、少し時間を貰い散策に出かけてみたが泥やゴミは未だ散乱しており人も疎らだった。
そしてクロックスでアンリと別れサエス側で手配を終えていた定期便の船に乗り込む。
定期便に乗って三日もすれば、住み慣れたケフェイド大陸である。
クロックスに着いたあたりでアダマンティスの諜報部員から接触があったので、リーンフェルトはクリノクロアに馬車を手配するようにお願いをしておく。
彼等の飛竜はリナ曰く、早いが乗り心地は最悪であると以前言っていた事をリーンフェルトはふと思い出した。
雪のちらつく頃にグランヘレネに向かったので、クリノクロアはすっかり雪に埋もれた白い街へとその姿を変えていた。
今回は特にセラフィス家に寄る用事もなかったので、そのままクリノクロアにて一泊。
翌朝には見慣れた顔が迎えに現れた。
「お迎えにあがりましたよアウグストさん」
そこにはすっかり真冬仕様の防寒具で身を固めたアトロがおり、宿の入り口に馬車を着けて待っていた。
「ご苦労さま。カインの所のアトロ君だったね」
開口一番にアウグストがアトロの名前を呼べば、恐縮したように一礼を返した。
「名前を憶えていて貰い光栄です」
「いやいや、私はちゃんとアル・マナクに所属する者の名前は覚えているよ。例え食堂のご婦人方だろうとね。ちなみにだが食堂の受け渡し口のご婦人方の名前はマリアンヌ、ターシャ、エレシアだよ。君は知っていたかね?」
「いえ……私もついついおばちゃんと呼んでしまいますので……」
「そうかい? たまには名前で呼んであげるといい。君のような色男から名前を呼ばれたならば食事が大盛りで来るだろう」
などと話しながら馬車へ乗り込む。
馬車の扉を閉める際にアウグストは再度アトロに声を掛ける。
「では頼むよ」
「お任せを」
短く返事をしたアトロは会釈程度に頭を下げて、乗り込んだ事を確認すると流れすような動作で馬車の扉を音もなく閉める。
程なくして一つ鞭を入れると、馬車は白い轍を作りながら走り始める。
馬車の中は柔らかいクッションと膝掛け、火のオリクトが一つ装飾品の様にはめ込まれている。
「オリクトを使った暖房器具だね。アンリの着想には頭が下がるよ」
「今まで毛皮や毛布とかでしたしね」
「我々がこう……当たり前に我慢出来る為に意識しない部分について、彼は利便性を求め、改善するべく知恵を捻るのだよ。全く、貴重な存在だよ」
そう笑うアウグストにリーンフェルトは頷く。
「確かこれもアンリさんの発明でしたよね」
そう言いながらオリクト式のポットから紅茶を入れて、アウグストに差し出す。
「ああ、ありがとうリン君。君もそういう事は出来るのだよな」
「なんでしょうか?」
「いやいや、お淑やかに紅茶を淹れるものだなと、ね」
その所作を褒めるアウグストに、彼女は苦笑しながら答える。
「母が煩かったもので。これくらいは出来ないと婿の貰い手がないと」
「そうだった。公爵は婿探しをしていたのだよな」
「随分昔の話です。結局私が嫌で家を飛び出してしまって妹に迷惑を掛けてしまいましたから」
少々伏せ目がちに視線を落とす彼女には、妹に対する引け目の様な物があるようだ。
「その辺りの話は当時カインが良く面白がって話していましたよ。その後くらいですかね、私が王国から追われたのも。ただ自分の研究を発表しただけだったのですがね」
紅茶を一口含み、鼻腔を抜ける茶葉の香りを堪能しつつ、アウグストは思い出した様に話し始める。
「アルガス王国から最初にオリクトの技術を独占して使わせて欲しいと依頼があったのですが、それを断りましてね。いや、今思うとよく一人で断ったなと自分を褒めてあげたいところですよ」
当時を懐かしむような表情を浮かべる彼に、リーンフェルトは質問を投げかける。
「セプテントリオンの皆さんと出会うのは、その後からですか?」
「いやアダマンティスは古くからの友人でね。最初にケイを護衛につけてくれたのも彼だったよ。王国が本気で軍を動かしてきた辺りからはケイ一人では流石に護衛は難しいからと王都から逃げ出して。それからだね。皆と会ったのは」
紅茶を飲み干してカップとソーサーをリーンフェルトに渡しながら、アウグストは笑みを作り、人差し指を立てた。
「リン君、お代わりを貰えるかな?」
「了解致しました」
「うん、流石に了解というのは硬い印象になってしまうね」
「そう言われましても……」
リーンフェルトは本当に困った様子で眉を八の字にして、当惑してしまう。
「いやいや、そこはさ。もう少し気柔らかい雰囲気で行きたいです。例え照れ隠しであっても、もう少し言葉をチョイスしましょう。やはりリン君には修行が必要な様ですね」
今度は突然修行と言われて戸惑いに拍車が掛り、思考の整理が出来ないままに思わず聞き返してしまう。
「何の修行ですか?」
「ははは、君へのスペシャルなミッションを命の恩人から受けていてね」
「命の恩人さ。名をジェイドと言う」
「ジェイドですって!?」
突然アウグストから出てきたジェイドの名前に驚き、そしてグランヘレネでの一件を思いだし気まずい気分になる。
「おやリン君、もしかして知り合いだったかね? いや確か彼も君の事を知っていたから同然と言えば当然ですか」
リーンフェルトはアウグストにまずジェイドについて確認しなければならない事を質問する。
彼は自分の一撃で腕を落とされてなお手負いのまま事を成し遂げ、更にはアウグストを助けたというのか。
「彼の腕は……身体は大丈夫だったのですか?」
しかしその回答はリーンフェルトにとって、一層の混乱を齎す事となった。
「ん? 彼の身体かね……至って健康そうでしたよ。腕だってちゃんと二本ありましたし」
「……これは一体どういう事ですか」
彼の腕が復活していたという事実に安心と混乱が入り混じる。
そしてそんな彼女へアウグストはお構いなしに話を続ける。
「その彼から私の命を救うに当たっていくつかお願いをされたのだよ。その内の一つが君をお淑やかな女性にする事というものだ」
「……はっ?」
そして突拍子もない条件の提示に、リーンフェルトは間の抜けた声を上げてしまう。
どうしてそんな条件が出るのだろうと考えても全く分からない。
混乱が完全にリーンフェルトの思考を奪って硬直しているところに、アウグストはもう一度念を押すように条件を告げる。
「いやだからリン君、君を一人前のレディーにしてくれと」
何とか動き出した脳が紡ぎ出した言葉は、若干反論交じりの言葉だった。
「なぜ私が彼からそのような心配をされるのでしょうか?」
「そこまでは分からないが、心当たりはあるのじゃないかね?」
そう言われてみれば思い当たる事は山の様にある。
有り過ぎて反論出来なかった彼女にアウグストは、宣言して見せる。
「私はね、約束は破る物ではないと考えている。それに私の命を救ってもらった恩もある。よってリン君、君を花嫁修業に出す事は私の中で確定事項だ。そしてそれが今回君に与えられる任務の内容だよ」
そう言い切られてしまい開いた口が未だ塞がらないリーンフェルトは、何とか意識を戻すと肩をガックリと落としたのだった。