107 暗殺指令
「さてこの広い皇都、どこから探した物でしょうね?」
そうアウグストが問えばアンリは間髪入れずに返答をする。
「私が昨日見かけたのはルクマデスの店だが……」
「流石にこの騒ぎです。そこには居ないと思うのだがね」
「いや案外ケイならばありえなくはないかと」
「ではアンリの意見に従ってルクマデスの店まで行って見るとしよう」
そうして大通りを歩き始めたアウグスト達。
大通りと言うだけあって両脇こそ瓦礫が散乱しており歩けた物ではないが、通りの中央付近までは瓦礫が来ておらず通行する分には差し支えなさそうである。
道路の真ん中を歩くのはアウグスト達だけではない。
「おい! ここに人が埋まっているぞ!」
「早く瓦礫を避けて、助けてやれ!」
そんなやり取りがあちらこちらから聞こえてくる。
なんとかルクマデスの店まで来ると目的の人物はあっさりと見つかった。
「こんな所にいたのですか、ケイ」
「あははは……アウグストごめん、ドーナツの事なんだけど……」
「それはまた今度で良いですよ。君が無事で何よりです」
「まぁあの程度で死んでしまうような筋肉の鍛え方はしてないからね」
「ああ……ケイといいカインといい本当に筋肉が好きだな」
「アンリは逆にもう少し鍛えた方が良いと思うけどね」
「確かにな。それはそうと予想はしていたが、ここを離れなかったのだな」
「下手に動いてもはぐれそうだったし、何より地震でここら辺の人達も生き埋めになったりとかしたから、救助していたんだよ」
「ほうほう……この緊急事態に良い対応でしたねケイ……しかし食べ物の恨みは忘れる訳ないですからね」
「待ってよアウグスト。僕はちゃんとここの店員を助けたんだよ。本部にだって支店を持ってくれるかもしれないよ」
「なるほど……そうなる事を期待しましょう」
「それにしてもケイ、昨日は一体どうしたのです? こちらに帰って来なかった訳ですよね」
「あはは……それが沈思の罠って奴で……」
その言葉にアンリが思い当たる記憶が有っただろう。
突然笑い出すと、少し恥ずかしかったのか咳払いを一つしてアウグストに説明を始める。
「アハハハ……コホン。まさかその年で沈思行に嵌るとはな。アウグスト、沈思行とはグランヘレネの信仰を幼い子達に教える為、ドーナツを餌にした修行なんだが……そうかそうかその年で沈思行か。ケイも意外と純粋に育った物だな」
「具体的にはどうする事が沈思行なのですか?」
「ああ、それは――」
アンリが語るよりも早くケイがそれに答える。
「ルクマデスを買うまでの時間を自身の内側に向けて、女神様と対話するんだってさ。それで買い終わったらルクマデスを一つ食べるのが作法らしいよ」
「そうそう……まぁ確かにそんな感じなのだが、ケイ……何度繰り返したのだね?」
「七回か八回かな。今まで無かった事だけど、沈思行というのは色々考えさせられて面白いよ。カインとの組手試合なんか考えるだけで一時間は沈思していられるね」
どうやらケイはグランヘレネの沈思行に嵌った様子である。
憶測の域を出ないが、恐らくアンリもその昔少年であった頃に沈思行を行っていたに違いない。
大人に成るにつれてそのカラクリも見えてくるのだろうが、その頃には立派にヘレネの教えが心の奥底に根付き育つのである。
ちなみにこの修行の卒業条件はと言えば終わりのドーナツを食べ無い事であり、報酬なくしてなお女神に感謝を捧げる事が出来るかどうかがポイントである。
物に流されずに自身と女神が対話を果たす事こそが本来の姿なのだ。
子供の内はどうしても黙する事が苦痛である事が多い。
それを沈黙へと導き、女神と対話して存在を感じ、自身を見つめ直したご褒美としてルクマデスを食べた時に感じた幸福感は、やがて信仰の幸福感へと掏り替って来る。
そうしてまたルクマデスを求めて列を成し、沈思行を行う事で信仰を深めるのである。
誰が一体この沈思ループを考えたのかと言えば彼の教皇様である。
アウグストの感想からすればなんと悪辣な洗脳なのだろうと思うと同時に、上手い仕組みを考えた物だとも感心する。
そうして信仰の基礎を作り上げ洗脳していくのだから、あの教皇はやはり相当のやり手だと認めざるを得ない。
この信仰の輪から自力で抜け出す事の出来たアンリは、どちらかと言えば特異な方と言えよう。
さてケイを回収したアウグスト達は奇妙な鳥の面を被った少女から預かった手紙を出兵先であるカルトス大陸へと届ける為に港へ向かう事になる。
「ケイ、申し訳ないのですが一つ仕事を頼まれてはくれませんか? それでルクマデスの件は無かった事にしようと思うのですよ」
そう切り出したアウグストにケイは食いつき気味に返事をする。
「なんだい? それは僕に出来る事かな?」
「ケイならば簡単でしょう。それでお願いの内容なのですが、もし生きていたらあの教皇様を殺しておいてください」
「アウグストそれは……」
「ええ、アンリの言いたい事は良くわかりますが、折角こうして自由の身に成れたのです。生きていてはヘリオドールの修復に駆り出されそうだと思いませんか? もちろん私達にはその技術はありませんから、ここに滞在して他の研究などさせてもらえないでしょう。下手をすれば死ぬまでここで修復の研究をさせられてしまいますよ。それでは私も困るのです」
「確かにアウグストの言っている事は一理あるがしかし……もっと穏便に事を進める事は出来ないのか?」
「現状は難しいでしょうね。少なくとも私がヘリオドール研究の第一人者であるうちは無理でしょう」
「それでも教皇を失うという事は!」
「ええ、分かっていますとも……ですが私も新たな研究を進めたいのですよ。死んだ者を生き返らせる事が出来る技術、いや魔法なのか……なんにしても私はそれを目の当たりにしてしまいましたからね。私はその謎を探究しなければならないのですよ。それとも君はここに残りますかアンリ?」
その言葉にアンリは目を伏せると、力なく首を左右に振った。
「いいや、無理だ。例えここに残ったとしても私の出来る事は少ないだろう。駄々を捏ねて済まなかった」
「いえいえ、良いですよ。感情的な表情の君も中々男前だ」
「ふん……」
ばつの悪い表情を見られまいとそっぽを向いたアンリから、再びケイへと視線を戻したアウグストは一つ命令を付け加える。
「もしも可能であれば君が助けたルクマデスの職人達をケフェイドまで連れて来てください」
どうやらアウグストはこの状況でもルクマデスを諦めていなかったらしい。
「出来たらだね。それ」
ケイは短くそれに応えて疾風の如く大聖堂へと向けて走り去る。
「さて我々は陸路でしょうかねぇ港までは」
「馬車で二日か。しかしこの路面状況だ、それよりも時間を要する事が懸念されるな」
「土魔法の事と言えばアンリ、君じゃなかったかね? 折角ですから港までの道を整地しながら行けば良いじゃありませんか。君に出来る復興の手助けの一つでしょう」
言われてみれば確かにと納得してしまうアンリである。
通常であれは一人の土魔法で二日かかる距離を整地しながら進むなど不可能である。
が、しかしセプテントリオンが次席の名は伊達ではない。
瞬時にして建物を作り上げたりする事に関していえば、まず右に出る者はいない。
その力を馬車一台通れる程度に整地しながら進むことなど造作もない事だろう。
魔力が足りなければ、まだいくつか隠し持っているオリクトを使えばよい。
復興に絡めてという部分がかなりアンリのモチベーションを上げたのは事実だろう。
そしてそれは結果を見れば明らかだ。
地震以前よりも整地された道を駆けた馬車は、時間にして半日ほどその道程を短縮させるに至ったからである。
港町に着いた頃、ケイが追い付いて来ていた。
開口一番に発した言葉は、アウグストに笑みをアンリには沈痛な面持ちをさせるのには十分な情報だった。
「教皇は既に亡くなってたよ。奇妙な姿をした高位神官が正式発表していたよ」
そんな情報を持ち帰ってきた。
これで実は生きていましたと言うのであれば、教皇の死を発表した時点で彼等は罪深い罪人として扱われている筈だ。
しかしそれがないのであれば、あの老人は地震で死んでしまったという事で間違いないのだろう。
安心したアウグスト達はそのまま船に乗り数日掛けてカルトス大陸の西岸にたどり着くとケイが索敵を開始する。
カインローズに負けず劣らずの風魔法の使い手であるケイに掛かれば、直ぐにグランヘレネ陣地の場所を特定出来た。
先触れとしてケイがグランヘレネ陣地へ赴くと、代表代理としてリーンフェルトが対応に出てきた事に驚く。
「あれ……リン、もしかしてグランヘレネに寝返ったの?」
「違います!」
「あははは、冗談冗談」
そんな冗談を交えつつ、ケイをテントに招き入れたリーンフェルトは、外に声が漏れないように風魔法を展開する。
「お久しぶりです。ケイさん」
「やぁ、リンも元気そうで何よりだよ」
そんな滑り出しからケイはリーンフェルトに本題を切り出す。
「何か足になる物用意して貰えないかな?」
「足ですか?」
リーンフェルトがこの場で手配できるとすれば輸送用の翼竜である。
「足ならば夜限定ですがアンデッドの翼竜が居ますので、そちらであればなんとか」
「それで大丈夫だよ。実はさアウグストとアンリも一緒にこっちに来たんだけど、あの二人空飛べないからさ。僕がお使いって訳」
アウグストとアンリが来ているのならば、早急に迎えに行った方が良いだろう。
そう判断したリーンフェルトは対応を約束する。
「では、今晩にでも迎えに出しますね」
「ああ宜しく。僕が先導するから連れて来て欲しい。それはそれとして……カインは?」
ケイは任務が終わるとカインローズの事を訪ねて来た。
「……カインさんですか。彼ならばグランヘレネの指揮官と酒盛りをして寝込んでいますよ」
「寝込むほど飲んだのかい?」
「何故でしょうね……酔いから醒めて復活すると私の隙を突いてまた飲み始めるのですよあの二人。そして夜通し飲んだ後に二人して寝込むのです。お蔭で軍の事務仕事から雑務全般、おまけに敵の迎撃まで全て私が対応する事なってしまいました……」
「あははは、それは貧乏くじを引いたものだね。でもカインに任せていたら今頃軍が敗走しててもおかしくないだろうから、適任かなぁとも僕は思うよ」
「もう諦めましたからそこは良いのです。でもアウグストさん達がこちらに来るだなんて、グランヘレネで何か起こりましたか?」
リーンフェルトは少々嫌な予感を感じつつもそれを聞かない訳にはいかなかった。
「教皇が死んだのと、土のヘリオドールが壊れたってさ」
教皇の死については十中八九取り逃した彼等が一枚噛んでいる気がしてならない。
しかし片腕を失くす状態であっても彼、ジェイドは土のヘリオドールを破壊したようである。
そしてその片棒を担ぐ様に妹のシャルロットは傍にいたのだろう。
彼等は一体何を考えているのだろうか。
次こそは対話してその真意を聞き出そうと、リーンフェルトは心の中でそう誓ったのだった。
――かくしてその晩アンデッドの翼竜はアウグスト達を迎えに行き、無事に彼等との合流を果たす事になった。
アウグスト達の来訪を知るや否や、リーンフェルトはコンダクターとカインローズの治療に当たる。
何とか歩くくらいのレベルまで回復させると彼等を会談用のテントに座らせるて、アウグストを待つ事数分で再び現れたケイが声を張り上げる。
「我らはグランヘレネより親書を預かってきた物である!」
上空に広がる闇から翼竜が舞い降りてくる。
荷物搬送用の翼竜には籠が設置されており、そこに本来補給物資などが入っているのだが、今回は使者としてアウグストとアンリが入っていた。
少々籠から出るのに手間取ったものの、概ね颯爽と陣地へと降り立ったアウグストとアンリはリーンフェルトの案内で陣内の指令本部へと招き入れる。
将校が数名入って会議しても、まだ余裕のある広さである。
中央にポツリと置かれたデスクにはまだ本調子ではないのだろうコンダクターが座っており、だらしのない恰好でアウグスト達を迎え入れた。
挨拶も済ませ本題とばかりにアウグストは、徐に懐から預かってきた手紙をコンダクターへ渡す。
「これは……」
桃色の花が咲いた小枝を取り除いて、手紙を読み始めたコンダクターの表情が一変する。
「くっ……グランヘレネで一体何が起こってんだよ? アンタ等は何か知ってんのか?」
その問いにアウグストはきっぱりとした回答を述べる。
「私達はアル・マナクの用事のついでに来ているのですよ。その質問にはお答えできかねます」
「なんだよ一体、教えてくれたって良いじゃねぇか!」
「説明するのがとても難しいので、その目で見た方が早いと思いますよ」
「分かった。会談が終わり次第、アタイはここを離れて一度グランヘレネに帰る」
「それは重畳。私共も目的を果たせて良かったですよ」
そう言うとアウグストはにこやかに手を差し出し握手を求めるのだった。