106 桃色の手紙
首を傾げて見せたアウグストにジェイドは納得をしたような表情を見せたので、話を進める事にした。
「往々にして指揮官と言う者は疑り深くなければなりません。仮に私が伝えた事が敵の罠であったなら完全な失態ですよ。ならば信頼出来る命令書でもなければ納得しないでしょう」
実際アル・マナクを組織して運営していれば、指揮命令系統の重要さは身に染みて分かっている。
組織自体はオリクト製造と販売を生業とする商人の様だが、それを元手に行う本業の研究こそがアウグストの本分である。
ジェイドはバツが悪そうに視線を逸らせてしまったが、戦争という国単位で動いている事の責任はその国のトップが負うべきである。
果たしてあの高齢の教皇がこの地震に巻き込まれずに生きていてくれれば、事態の収拾は早期に行われるだろう。
いや……むしろ彼が生きていた場合は、この状態でも戦争は継続される可能性も否めなくは無い。
それにヘリオドールが破壊された状態を修復してくれなどと依頼されるかもしれない。
あれはシュルクでどうとなる物ではない。
だからこその神々の恩恵である。
無理な事と分かっていても、今までそれに縋って生きて来たのだ。
依存が強い事などは分かりきっている事である。
(となれば……彼が生きていた場合は速やかに退場願いましょうかね)
眼鏡の奥にある双眸を細めて今後のスケジュールを考える。
アウグストには余計な物に時間を掛けている余裕はない。
とにかく研究がしたいし、進めたい。
その為のアル・マナクであり、セプテントリオンである。
多少の政治事を行うのはその方が早く各国にあるヘリオドールに会えるからに他ならない。
今や誰もが欲しがるオリクトを生産し流通させる事による影響力という物は凄まじい。
無ければ成り立たない物もそれなりに出てきた。
特に今回の件。
ヘリオドールの恩恵に依存していた国々からは今後更なる取引が持ちかけられるだろう。
そうなれば交換条件でその国のヘリオドールを研究させて貰える。
そういう意味では神々を破壊してしまう事には驚いたが、存外悪くない方向に転がっているのかもしれない。
とりあえず教皇が生きていない事を祈りつつ、視線をジェイドに戻すと意外な方向から声が上がった。
「あっ、じゃあ」
ジェイドの隣にいた奇妙な鳥型の仮面を被った少女の方に自然と視線が移ると続けざまにこんな言葉を発した。
「めでぃが書くね」
そして懐からメモ帳を取り出すと白とピンクを基調とした何とも可愛らしい万年筆で文字を書き始めたのだった。
彼女は一体何者なのだろうかという疑問もあるが、とりあえずどのような書面になるのかは気になるので近寄り内容を見る事にした。
場合によってはこちらの命が危うくなる代物である。
慎重を期して確認はしなければならない。
しかしそんな思いとは裏腹に目に飛び込んできた文章は、大変気の抜けた物だった。
『しぃちゃんへ。国が大変な事になっているので、早く帰ってきてください。ぴーくんと待ってます。めでぃ』
恐らく表情に出ていたのだろう。
いや……出ていても仕方が無いではないかと思う。
これが一国の一軍を撤退させる為の書状なのだ。
そしてそれを届けるのは、申し出てしまった自分達である。
これでは命の危険すらある。
確かに親しげな文面ではあるし、これで指揮官が納得してくれれば書類としては意味を成す。
メモ帳から綺麗に千切られたそれを器用に折りたたみ、内容が見えないようにしてしまう。
このようなメモの折り方をどこかで見た事があると記憶を手繰れば、その昔まだアウグストが学生であった頃に女子同士が頻繁にそのようなメモをやり取りしていたのを思い出す。
それと同時に不安も押し寄せてくる。
これで本当に大丈夫なのかと。
そんなアウグストの気持ちとは裏腹に綺麗に折りあがったメモを両手に持って、賞状を渡すかのように少女はメモを差し出す。
見れば桃色の花が咲いた小振りの枝が折りたたまれた手紙に添えられている。
「はい。お願いします」
「ほ、本当にこんな手紙で良いのかね? 確かに親しくなければ書けない感じではあるが……」
助けを求める様にジェイドやシャルロットの顔を見やれば、彼等もまた困惑した表情を浮かべているものだからアウグストはこの場の困惑を素直に受け止めた。
「絶対、大丈夫だから。なくさないでね」
そう言う鳥型の仮面の少女の声ははっきりとした自信を感じ取る事が出来る程に言いきって見せた。
その手紙をアウグストが受け取った頃、瓦礫の向こうから人影が現れる。
それはいつになく慌てた様子のアンリ・フォウアークであった。
視界の先にアウグストと捉えると駆け足となって、こちらに向かって来る。
「アウグスト……! 無事でしたか!」
開口一番にそれが出る辺り、かなり心配させてしまったようである。
「おやアンリ。君も避難しに来たのかね?」
「何を呑気な事を! 君が死んだらシュルクの革新が遅れてしまうだろう」
普段であれば綺麗にセットしてあるオールバックの髪が少々乱れている。
こんな状況にあっても髪はセットして来たのかと内心苦笑しながら、彼の顔を見ればすっかり通常通りに戻ってしまったようだ。
内心これはこれでつまらないと思っていたアウグストに、背後からジェイドが声を掛けて来た。
「アウグスト、そちらの彼が連れの者かな? 挨拶させて頂いてもいいだろうか」
二人の顔を見やりながらそう尋ねて来た彼にアンリを紹介すべく、アウグストは口を開く。
「ああ、彼はアンリ・フォウアーク。私の連れですから警戒しないでください」
紹介を受けたアンリは会釈程度に頭を下げて彼等に挨拶をすると、頃合を見計らってアウグストは質問を切り出した。
「それはそうと、ケイを見なかったかね?」
「確か昨日の昼過ぎに市街で見かけたが……」
それを聞いたアウグストは暫し考えた後、ジェイドへと向き直る。
「ならば我々は連れを探しに市街に出ようと思う。ジェイド君、君には感謝してもしきれないよ」
取り敢えずアンリが傍に居れば大概の事は解決してしまう。
身の安全も含めて問題が無くなったアウグストとしてはもう少し研究対象として行動を共にしていたかったが、依然として行方不明であるケイの事も気にかかる。
となればまずはケイを探す方が先決である。
この場を離れるべく謝辞を述べれは彼は緩く首を左右に振って言葉を紡ぐ。
「感謝は態度で……リーンフェルトの教育とかで示してくれればそれでいい。気を付けてな」
「何か困った事があればケフェイドの本部を訪ねてくれたまえよ。それでは」
そうして、アウグストとアンリは頷くと和やかな雰囲気を残してジェイド達と別れ別行動となった。
大聖堂を出て大通りへと向かう二人の視線の先には瓦礫と化した街並みと、何とか難を逃れたものの家が倒壊してしまい途方に暮れている人々が見えた。
瓦礫からは生き埋めとなってしまったのだろう、どこからか呻き声も聞こえてくる。
そんな状況であるからアウグストとしても、自然な感想が漏れる。
「酷い荒廃っぷりですね。あの白く美しい街並みが昨日までここにあった事が嘘の様ですよ」
「確かに。我が故郷ながら一晩にして崩れ去るなど悪夢のような光景だよアウグスト」
アンリの声色にはやはり悲しみの色が見て取れる。
「それはそうと弟さんには会えたのですか?」
少しでも雰囲気を変えようと話を振ってみれば、アンリの表情は少し柔らかい物に変わる。
「お蔭様で弟には会えたよ。我が弟ながら大聖堂を取り囲む中央教区の司教まで出世して、正直驚いた」
「君の有能さがあれば仮にここに残ったとしてもそれくらいには成れただろう」
「持ち上げても何も出ないぞ……アウグスト」
「いやいや本心ですよ。私の元に集まってくれた者は皆誰もが優秀ですからね」
「ふん……それはそうとケイにドーナツを頼んだのではないか?」
そう言えばとアンリは思い出したようにアウグストに尋ねれば、何故それを知っているのかと不思議そうに目を丸くした後、思い出したように少々不機嫌な声色となる。
「おや? 良く知っていましたね。結局昨日の内にはドーナツを食べる事が出来なかったのですよ私は」
「そうか。それは残念だったな」
「ええ、それはもう。お蔭で夜中まで研究に没頭した挙句にあの地震に巻き込まれましたからね」
「あの地震は一体なんだったんだ? 新しい魔法でも発動したのか?」
確かにアンリの言う通り大地の剣が発動したような揺れではあったが、そうではない。
アウグストは極めて残念そうに右手を額に当てると小さく左右に首を振って、アンリに事の次第を端的に話し始める。
「まあ、酷な真実はさっさと伝えてしまいますが、土のヘリオドールが破壊されましてね」
「な……なんだと?」
流石のアンリもヘリオドールが破壊されたとあって、驚きのあまりに普段出さないような大きな声を上げる。
アウグストはアンリの珍しい物を見れた事に少しニヤニヤとしながら、その時の事を話し始める。
「ええ、だからこうミシミシッと来てガラガラと崩れ去りましたとも」
「なんという事だ……この国がヘレネ様を失ったらどうなるか……」
アンリはどちらかと言えば学者と言うよりは思想家、政治家寄りの思考の持ち主だ。
その為今までこの国の精神的支柱であった土のヘリオドールが失われた事を考え、国のあり方が根本的に変わってしまうのではないかと危惧したのだ。
しかし、アウグストは学者であり自身の研究が全てである為、聞きようによってはとても他人事のように口を開く。
「そこら辺は彼等にお任せでしょうかね。私も復興支援を交換条件に助けてもらった口ですから何も言えませんよ」
「アウグスト、君は目の前で女神が失われる所を見たのだよな?」
「はい、確かにこの目で」
「クソッ……」
現体制を維持しつつ改革を進めていくつもりだったアンリとしては既に二つこの世界からヘリオドールが無くなってしまっている事に焦り、自身が描いていた未来が遠のくような感じがしたのだろう。
しかし、それを見透かしたようにアウグストは彼の肩に手を置くと何故そんな顔をするのかと覗き込むように眼鏡の奥の瞳を見据える。
「何を悔しがっているのです。君の言うシュルクの革新ですか? ならばヘリオドールを頼らない方が案外進むかもしれませんよ?」
「それはどういう意味だ」
「そのままの意味ですよ。良いですか? 既存の概念に囚われる事無く、我々シュルクの一人一人が新たに物事を考えなくてはいけない時が来るのですよ。これはある意味において革新とは呼べませんか?」
「……だがそれでは」
「別に女神が居なくともいいではありませんか」
「アウグスト!」
目を見開いたアンリの右手がアウグストの胸元を掴み上げる。
しかしそれは想定済みとばかりにアウグストは、少々おどけた調子が残る口調で彼を諌める。
「いやいや落ち着きましょうアンリ。でも女神に守られている故に先が見えなかった。未来を感じられなかったのであれば彼女達を排除するのも踏み込んだ一歩ではありませんか?」
その弁に暫しの思考を重ね、彼の言葉が腑に落ちるとアンリは落ち着きを取り戻したようだ。
「……すまん興奮してしまった。しかし我々の実験ではヘリオドールを壊す事は不可能ではなかったか?」
胸倉から手を放したアンリは深々と頭を下げる。
「気にしていませんよ。君が女神に恋焦がれているのを知っていますからね私は」
「恋焦がれているなどと俗物的に言わないで貰おうか。私はシュルクの革新には女神が必要だと」
「その女神は既に二体失われている訳ですよ」
「アウグスト……君は女神を殺した奴の姿を見たのだろう?」
「ええ、彼等こそが犯人。そして私の命の恩人ですよ」
「彼等が……」
「まぁ驚くのは無理も有りません。私も今回の件は色々驚かされっぱなしですよ……本当に。ヘリオドールが目の前で壊された事の方がインパクトはありますかね。私としては死んだ者が生き返る神秘の方が余程気になって夜も眠れませんね」
「一体あの場で何が有ったというのだ……」
「それは追々話すとして、今はケイと一刻も早く合流せねばなりません。彼に頼みたい事も有りますし」
丸眼鏡の奥で双眸を細めるアウグストは、次の一手について考えながら瓦礫が溢れる皇都レネ・デュ・ミディの中を散策し始めたのだった。