105 参上と惨状
今日も上空から大きな声がグランヘレネの陣地に木霊する。
「さぁ勝負だ! 今日こそは負けない。サエスの不死鳥、炎熱の……」
と、あれから連日リーンフェルトに返り討ちに遭いながらも復活を遂げて現れるマルチェロに頭を悩ませていた。
取り敢えず認識疎外の魔法を顔に掛けてからローブを目深に被り、上空へ舞い上がり蠅を叩き落とすが如く一撃を放ってマルチェロを吹き飛ばした後、何事もなかったかのように地上に舞い降りる。
「あの男本当に懲りませんな」
「いや全く、あの根性はどこから来るのでしょう」
「寧ろ毎日やられているのに、なぜ復活してくるのでしょうか? リーンフェルト臨時司令もしや手を……」
三人衆がそんな事を話している声がするのでリーンフェルトはその言葉に不機嫌そうに答えた。
「私はあくまで臨時司令です。グランヘレネの為に戦うという事はしません。アル・マナクに所属している以上この戦争で彼を私のスコアに入れる訳にはいかないのですよ。これでアル・マナクとサエスが戦っているという事が公に知られるような事があれば、皆さんを消し炭にしなくてはならなくなりますから、くれぐれも箝口令を徹底くださいね」
そう言って再び書類の山へと埋もれて行く。
なぜマルチェロを一思いに殺してしまわないのか。
確かに先の理由で筋は通るはずだ。
それ以外にも因縁浅からぬ彼である。
そこに思う所がない訳ではない。
書類仕事をしながらふと大分スリムな体型になった彼の事を思い出す。
リーンフェルトもまた血筋を辿ればアルガス王家の支流である。
当然といえば当然なのだが、痩せて来た彼はどことなく親戚と呼ぶにふさわしい容姿に近づいてきている。
つまり元々瞳や鼻などの各パーツは整っているのである。
……肉に埋まっていただけで。
なので痩せて来た今ならば自称貴公子でも、それなりに通ってしまうような容姿になりつつあるのだ。
出会った当時からしてみればまったく想像出来ない姿であり、王家派のその後が垣間見えるようで何とも言えない気持ちにさせられる。
尤も、彼の言動や思考パターンなどは、未だ独善的な物を多分に含んでいる。
内面は中々変えられる物でもないし、リーンフェルトも目下ジェイドとの事もあり感情に流されず冷静に物事の対処出来る様になる為に色々とは考えてはいるのだ。
感情に流された結果、妹から拒絶を示されてしまった。
特にその事は胸に棘が刺さったかのように、痛みを残している。
姉としてもう一度シャルロットと向き合う為に、感情を自制出来るようになろうと努力はしているつもりである。
それにジェイドの腕を切り飛ばしてしまった件についても、謝罪せねばならない。
幸か不幸かマルチェロが連日のように仕掛けてくるので、その魔力を幾ばくか吸収してシャハルに預かって貰っている。
腕を再生するにはまだまだ魔力が足りない。
戦場でかき集めてもまだまだ足りないのだ。
次に彼等に合った時にどんな顔をすれば良いのだろうか。
そう悩むリーンフェルトは数日後に彼等の名前を上司達から聞く事になろうとは、想像だにしていなかった。
一方、きのこに取り付けられたオリクトを制御していたアウグストは、自身に向いた視線を感じてそちらに顔を向ければ、地下からの脱出で世話になった命の恩人である男が、アル・マナクの外の面々の心配を口にする。
「……君の連れ達は大丈夫なのかな。有事の際には待ち合わせを決めている場所とかはないのか?」
そのニュアンスから感じ取ったのは、恐らく彼等との別れが近いのだという事だ。
だからこそアウグストがこの場に一人きりになるのを懸念しているのだろう。
あれだけの事をしておいて、随分と優しい心も持ち合わせているようだと思いながらアウグストは今後について少し考える。
グランヘレネでの用事は終わってしまっている。
ヘリオドールの台座に隠された技術も回収済みである事は幸いである。
この状況でルクマデスの店を買収して帰るのは流石に醜聞であるから、今回は諦めつつほとぼりが冷めた頃に改めて話を進めると自身を納得させる。
アンリにしてもケイにしてもこの程度の事では死なないと思っているアウグストにとってそれは信頼であり、確信である。
そうなると、後はこの場を離れてサエスに赴いているカインローズとリーンフェルトの両名をどうするか程度だろう。
素早く考えを纏めるとアウグストは一度眼鏡に手をやり、一呼吸置いてから静かに呟いた。
「ああ、それならもうそろそろ来るでしょう。これだけの騒ぎですからね。……ところで命の恩人である君の名をまだ知らないのですが、どうお呼びしましょうか?」
そうアウグストはいまだに命の恩人である彼の名前を知らなかった。
助けてくれた恩人であると同時に不思議な力で蘇って見せた人物。出来る事ならば研究対象にとも思っている彼を探す足掛かりになるのはやはり名前である。
自然な流れからそれを訪ねる事が出来たアウグストは、何とか聞き出すべく会話をシミュレートしながら話そうとしたのだが、相手がご丁寧にも名乗ってくれた事で問題は解決しそうだ。
「…………ジェイド・アイスフォーゲル。ああ、因みにこっちはシャルロット。リーンフェルトの妹だよ」
「あ、……っ、申し遅れました。シャルロット・セラフィスと言います! 姉がいつもお世話になっております」
「やはりリン君の妹さんでしたか。お母様にもよく似ておられますな。改めましてアウグスト・クラトールと申します。以後お見知り置きを」
この場にリーンフェルトがいない事が悔やまれてならないとアウグストは思っていた。
なぜなら大分前になるがカインローズの報告から妹が家出して、消息が分からないと情報がアウグストに上がっていたからである。
これがあったからこそリーンフェルトがサエスに向かうのを許可したのである。
サエスでリーンフェルトの妹であるシャルロットを見かけてたと、これもカインローズの報告からアウグストは把握していた。
グランヘレネの侵攻でその存在が危ない可能性がある為、出来る事ならばアル・マナクで保護したいという趣旨がアンリからカインローズとの連名で嘆願されていたので、これを了承してサエスへ向かわせたのだ。
それがどうだろう。
実際には行き違いになってしまっている。
これもまた運命の悪戯なのだろう。
それはさておき今は目の前にいる彼に誠実さを見せるチャンスである。
思考の浅い所から戻ってきたアウグストはジェイドにこう答えた。
「君はジェイド君と言うのだね。今回は君が居なかったらまず死んでいただろう。リン君の花嫁修業の件は任せておいてくれたまえよ」
「ああ、任せた……復興支援も忘れてくれるなよ。何なら書面に書き留めておくか?」
「そこは信じて頂きたいものですな。命の対価はしっかりとお支払い致しますよ」
ニコリと表情を作ってはみたが、胡散臭かっただろうか。
ジェイドの表情は約束の反故は認めないといった鋭い物だが、こちらとしても反故にするつもりもなくしっかり履行すべきだと思っている。約束を違える事はアル・マナクの信頼失墜のリスクがある。
そしてここでのタスクが終了している事を改め考えれば、グランヘレネに居る事はあまり意味の無い。
「私達としてもここですべき事はもう無いのでそろそろケフェイドに帰るとしましょう。サエスへの支援の件を女王に申し出ねばなりませんからサエス経由となるでしょう。ついでに派兵した部隊への連絡もこちらで引き受けましょう。尤も……誰の名であればグランヘレネで起こった事を信じてもらえるかだけが気がかりですが」
ジェイドとの約束を守る為にはサエスにも顔を出さねばならない事は確実だった。
突然アル・マナクが多額の支援を行ったとしても、それはあまり効果が見込めない。
あの国はしっかりと女王に話を通さなければ、いらぬ軋轢を産みかねない。
そしてもう一点派兵された部隊の指揮官は果たして本国で起こった事を受け入れてグランヘレネに帰還するかどうかは非常に問題である。
嘘だと思われてしまえば、こちらが疑われかねない。
それでは困るのだ。
確実に司令官が書状を見て撤退させる事が出来る物、例えば教皇のような人物の直筆が最も望ましい。
「信じてもらえなくても、戻って来てこの惨状を見れば否が応でも君の話を信じる事になるのでは? ああ、分かっていると思うが俺の名を出すなよ。自分で蒔いた種ではあるが、好き好んで責められたいと思ってる訳じゃない。必要だと思った事だからやったんだ」
そこは尤もだが、それでは時間が掛かり過ぎてしまう。
この国は今一人でも多くの力が必要なはずである。
だからこそ決定的で確実に伝わる方法はないものだろうかとアウグストは首を傾げて見せた。