102 休日の過ごし方
時間は丁度半日程戻る。
アンリ・フォウアークは降って湧いたような休日に困惑しながらも実家へ向かっていた。
皇都レネ・デュ・ミディの街並みは記憶の通り白く、色とりどりの花が飾られている。
神官になるのを諦めて冒険者として飛び出したこの街に再び戻って来る事など無いとアンリは思っていた。
「全く……アウグストもお節介だ」
そう一人ごちて記憶通りに道を進めば昔住んでいた場所は今も変わらずそこにあった。
ドアをノックしてみれば中から住人が現れる。
しかし弟ではないようだ。
「申し訳ない。昔ここに住んでいたフォウアークさんを訪ねて来たのだが……」
「あぁ、フォウアーク司教様ですか。彼でしたら大聖堂近くの司教様をされておりますから今はそちらにお住みですよ」
そんな回答を得る。
住人に礼を述べて辞去して、元来た道を戻る事となる。
(事前に調べておくべきだったな……)
大通りまで戻ってくるとルクマデスを買い求める行列を目にする。
その中に見知った顔がいたが、今日は弟を尋ねると決めていたアンリは敢えて無視をして先へと進む。
大聖堂を中心としていくつかの教区があるらしく、アンリの弟は中央教区の司教となっているようだ。
司教ともなればその担当教区の教会に居る事が多い。
自身の弟ながら司教となっているとは出世した物だと素直に感心する。
教会に着くと掃除をしていた若い修道士に声を掛ける。
「ここにフォウアーク司教がいると聞いて来たのだがいらっしゃるだろうか?」
「失礼ですが、司教様にどのようなご用でしょうか?」
「これは失礼した。私の名はアンリという。そう伝えるだけで彼は理解するだろうからそのようにお伝えください」
「そんな怪しい者の名を司教様に尋ねる事は憚られます」
「そうか。では、兄が面会に来たと伝えて頂きたい」
しかしその修道士はかなりの疑り深い性格の様だ。
「何か身の証明になる物をお持ちでしょうか?」
そう切り返してくる。
なんともよく教育の行き届いている。
仕方が無いとばかりにアンリは懐からアル・マナクのプレートを提示する。
「アル・マナクの……教皇様のお客人でしたか。これは失礼致しました」
「いや、こちらも身分を隠すように振舞って悪かった」
「ではお通ししましょう。司教様はこちらですよ」
彼の案内で教会内へと入る事が出来た。
中央教区聖ヘレネ教会の廊下は色とりどりのステンドグラスがグランヘレネの経典に記されている女神降臨の一場面を描いているのが分かる。
誰よりもシュルクを愛した女神が自身を信奉する民の為に、降臨し大地を作り上げたとされる一説である。
勿論その土地とはヴィオール大陸の事に他ならない。
このあたりの下りは幼児でも分かるように絵本になっていたりと、ここの国民にとっては非常に馴染み深い話である。
そのステンドグラスの回廊を抜けると司教の執務室がある。
若い修道士が扉をノックして中に入ると、随分と年を重ねたが弟の幼い頃の面影を残した壮年の男性が驚きの表情をもって机から立ち上がる。
「大司教様またそのような恰好で掃除をなされていたのですか!」
「いやほら私は司教よりも年下ですし、大司教になれたのも教皇の縁故だからです。一介の修道士としての修行もしておりませんから、これくらいはさせてください」
「いや……ですが……」
「それはそうとフォウアーク司教」
「なんですか突然改まって……」
「実は貴方にお客様が来ておりましてね」
「私にですか?」
そう紹介されたアンリが部屋の扉をくぐる。
「……兄さん……」
どうやら一目で兄だと認識された事に若干の安心が心を満たす。
「大分出世したようだな」
「それを言うならば兄さんこそ。今をときめくアル・マナクの次席との事。噂は聞き及んでおります」
「それはなんとも恥ずかしい話だな」
「兄弟の感動の対面ですか」
案内をしてくれた若い大司教は兄弟の再開を喜ばしく思っているようだ。
アンリもまた大司教に顔を向けると改めて先の非礼を詫びる。
「まさか大司教様であったとは……失礼致しました」
「いえいえ、こんな若輩者を誰が大司教だと思うでしょうか。髭でも生やせばそれなりに威厳は出る物でしょうか?」
「またそうやって小手先の技や見た目に囚われる。大司教様はもう少しどっしりと構えていてくださればいいのですよ」
その言葉を受けた大司教はアンリの方へ向き直り力なく笑って見せる。
「とまぁ、ご覧の通りどちらが大司教であるか全くわからないといった感じですよ」
「ははは、弟が失礼を」
「いえいえ、元々私がこういう性格なのですよ。ともあれ案内はしましたので後は兄弟水入らずでお話しすると良いでしょう」
そういうと大司教はにこやかな笑みを浮かべたまま部屋を出て行った。
「そのなんだ……改めて久しぶりだな」
「そうですね。兄さんが家を飛び出してから彼是三十年は経ちますね」
アンリが冒険者となったのは彼是三十年くらい前の話だ。
暫くはグランヘレネ国内を中心に、そして十年を目処として他の大陸へと冒険に出たのだ。
元々は家計が苦しかったからであり、たまに実家に顔を出す事もあった。
本当に帰らなくなったのはそこに守る者が居なくなったからである。
「お前には苦労を負わせてしまったな」
「何を言いますか。今こうして司教として職務に就けるのは兄さんの援助のおかげですよ」
「私はお前にこれを押し付けてしまったようで、申し訳ないと思っていたのだよ」
「そんな事気に病む事はありませんよ。私もまた進んでヘレネ様にお仕えしたいと願っての事ですから」
「そう言ってもらえるならば助かるよ」
少し顔を見たら辞去するつもりでいたアンリであったが、大司教の計らいで夕食を一緒にどうかと誘われてこれを受ける。
アル・マナクの仕事はこれで完全にオフである。
内心アウグストにも感謝をしつつ、夕食を取れば、今度は泊まって行けと誘われる。
流石にこれは甘え過ぎだろうと断ろうとすると、大司教は軽く笑って事の真相を教えてくれた。
「ははは、実はですね……アル・マナクの皆さんはいわば国賓なわけです。その国賓の方が当教会を訪問なされたという事実は教会にも司教の弟さんにも箔が付くと思いましてね」
「大司教様はあの若さで狸なのですよ……兄さん」
「まあ……これくらいの事が出来なければ教会などと言う閉鎖的な世界では上り詰める事など出来ませんよ。勿論私が現教皇様の縁故であるのも大きく影響しているのでしょうけど」
見た目の若さとは不釣り合いなくらいの思考に驚きつつ、今更ながら彼がなぜ大司教になれたのかが分かった気がした。
恐らくこういう自分に有利に働く事象を最大限に利用できる合理的な思考を持っているからだろう。
大よそ聖職者の思考ではない。
どちらかと言えば貴族や政治に携わる者の発想だなとアンリは素直に感心した。
「兄さん、私としては兄さんをダシにしてまで権力闘争を有利にしようとは思っていないのですよ」
こんな事を言い出す弟である。
まだ彼には政治的な視点と判断には少々経験不足な感があったのだろう。
大司教はきっとこういう部分を不安に思っているのだろう。
確かに一介の聖職者であるならば清貧を尊ぶので良いのかもしれないが、彼はこの先もこのグランヘレネの中枢に根を張り巡らせている教会で上に上がって行くのだろう。
それは本人が望もうが、望むまいがこの大司教が上に上がって行けば必然的に司教の位も上がって行くだろう。
「ですが国賓をもてなしたとあれば、他国へも顔が繋がっている人脈の多さを見せつける事になる。ましてやオリクトを製造し世界に送り出しているアル・マナクの次席殿あれば、その影響力は想像に難くないでしょう」
やはり大司教は政治的な視点も持ち合わせているようだ。
ならば弟の為に兄が出来る事は限られてくる。
「成程。私程度で弟の今後が良い方向に向かうのならば一泊していきましょう」
「兄さん……」
申し訳なさそうな表情を浮かべる弟にアンリは優しい声で話す。
「そんな顔をするな。これは押し付けてしまった私がお前にしてやれる罪滅ぼしではないか」
「罪滅ぼしだなどと……」
「良いのだよ。今日は完全に仕事がないのだから」
そうしてアンリは大聖堂近くの中央教区の教会に一泊する事になったのだった。