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黎明のヘリオドール  作者: 御堂 蒼士
10/192

10 用法と要領

「うっ…うぉぉぉぉぉぉ!!!!おっ落ちるッ!!!」


翌朝リーンフェルトはカインローズの絶叫で目が覚めることになる。

船室まで聞こえる程の声である。

その音量がいかばかりなものか、いやどれくらい迷惑なのだろうか。


「はぁ…ちゃんと説明してあげれば良かったのでしょうけど……」


今日も大きく溜息をついたリーンフェルトである。

恐らく昨日話した浮くという事を試した結果だろう。

しかしそれにはちょっとしたコツが必要だ。

考えれば分かる事なのだが、カインローズは考えなしに浮いてしまったようである。

この船はかなりのスピードが出ているのだが、そんなところで浮いてしまえば置いて行かれるのだ。

それも凄い勢いで。


甲板に出たリーンフェルトが見たものは、必死に船尾の縁に捕まって落ちかけているカインローズの姿である。


「ほら!カインさん落ち着いてください!とりあえず浮くのさえ止めてしまえば体は流されませんから!」

「おっ…おう!」


風に棚引く旗のようになっているカインローズが、風の魔力を止めると自然に体の重さで勢いがつき船尾外壁にぶつかる。


ベチーン!


「ぐぬっ……」


低いうめき声が聞こえる。

カインローズは鼻を外壁に勢い良くぶつけたようである。

無様というか残念という言葉がリーンフェルトの脳裏を過ぎる。


「あの…カインさん?」


流石に落ちる訳にはいかなかったのだろう、腕の力でなんとか甲板まで戻ってきたカインローズに話しかけたリーンフェルトは

早速文句を言われる。


「いってぇなっ…ったく…リンお前俺に嘘教えただろ!見ろ!体が船に置いていかれて危うく海に落ちかけたぞ!?」

「やっぱりただ浮いてしまったんですね…ちょっと考えればこうなる事くらい判ると思っていたのですが……」


そう言いながらリーンフェルトは風の魔力を展開する。


「こうやって…床の方に魔力を展開するのですよ。床から吹き上げる風の魔力に乗るような感じですね。カインさん体ごと魔力で浮かせましたね?それが原因です」

「ん…?そういうことか!!」


リーンフェルトの魔力の展開を仕方を見たカインローズはあっさりと同じ事をしてみせる。


「おぉこりゃ揺れないな。いい感じだ」

「そうですか、それは良かったです。あんまり他のお客さんに迷惑を掛けないでくださいね?」

「あぁ、了解した」


浮いた為に船の揺れという物を感じなくなったカインローズは絶好調になっていた。


「しっかしだ。良くこんな方法思いつく物だな」

「それはそうですよ。船に酔っていては、いざという時に戦えないじゃないですか」

「まぁそうさな」

「カインさん確か浮遊も飛行も出来たはずですよね?それなのに気がつかなかったのですか」


リーンフェルトの冷ややかな目が刺さるが、カインローズは頭を掻きながら豪快に笑い飛ばした。


「いやぁ面目ない、体を支えるのに精一杯だったぜ。はっはっは」

「…別に良いですけど」


カインローズに魔法を教え終えたリーンフェルトは自分の船室に戻って、そのままデスクへと座る。


そんな二日目は何事もなく過ぎてゆく。

明日には港町クロックスに着くことだろう。

そこからは再び馬車の旅となる。

港町クロックスから大陸中央にあるサエス王国の王都は南西に向かって続く、街道を通って進む事になっている。

途中ルエリアという街を経由、ここで一泊の予定だ。

そこからは西に向かって伸びる街道を進めば、サエスの王都は馬車で二日ほど行った所となる。


「……もう一度指示書を読んでおこう」


船上は大きく体を動かす事が出来ないので、訓練などは出来ない。

リーンフェルトの場合魔術の訓練は瞑想が主である為、船内では酔ってしまう。


手持ち無沙汰になってしまったリーンフェルトは、今回の任務について改めて指示書に目を通す。

おそらくカインローズの頭の中には入っていないだろうから、補佐をしなければという思いも若干ある。


今回の任務それはオリクト搬送の護衛という事になっている。

当然高価であるオリクトを狙う輩がいても不思議ではない。

不思議ではないが今回はセプテントリオンから二人任務に当たっている。


アル・マナクの最高戦力である二人が護衛。

大多数で護衛につくよりも安上がりではあるが、果たして経費の削減になっているのだろうか?

いや、きっとそういう事ではないのだろう。

そういう理由ではアウグストはセプテントリオンを動かさない。

それは、それを動かす理由があるという事である。

書類を読み進めていくうちに、リーンフェルトは答えに辿り着く。


「王家派の残党ね……」


書類の束をデスクに置くと、リーンフェルトは思案顔で腕を組んだ。

王家派とは簡単に言えば、アルガス王族の生き残り達を復権させるべく集まった元貴族やその私兵であるとされる。

そんな彼らがオリクト輸送の馬車を襲撃するという事は、反撃の一歩…いやただの嫌がらせだろうか。

自分達の繁栄を絶たれたのだからアル・マナクに対する感情としては理解は出来る。


しかし、それは果たして賢い判断なのだろうか。

確かに土地を追われ、その原因と思われる組織に対して妨害工作を行う理屈は分かるのだ。

だがそんな事をしていても、いずれ討伐対象となれば一国を滅ぼした戦力の矛先が向かう。

その未来が彼らには見えていないのだろうか?


「出来れば変なプライドを捨てて静かに暮らして欲しいのだけれど……」


公爵家は元々数代前の王弟が開いた家である為、王族は公爵家にとって遠い親戚ではあるのだ。

だからこそ公爵家は果断な措置よりも、寛大な措置を暫定政府に訴えたのではないだろうか。


「出会う機会があるのなら…説得してみよう」


そう結論付けるとリーンフェルトは両手を上にあげて、背筋を伸ばす。


そこから右腕の手首を左手で掴みストレッチを行う。

一通りストレッチを終えると、一息つく。


「ふぅ…それにしても本当にする事がなくなってしまいましたね……」


気がつけば朝食の時間は過ぎており、今から食堂に行っても食事にはありつけない。

朝食を食べ損ねたのはカインローズのゴタゴタがあったからだ。

その流れで仕事モードにスイッチが入ってしまったのが失敗と言えよう。

本当にする事がない。

船旅がこんなに退屈な物と分かっていたならば、いくらでも対策は練れただろう。

例えば小説を持ち込むでも良かっただろう。

手持ちにあった報告書は目を通してしまったので、読み物は底をついている。

もしかしたらアトロあたり小説など持っていそうだが、果たして好きなジャンルの読み物であるかは不明である。

そんな事を考えているとドアから硬質の音が聞こえた。


コンコン


この船の船室には金属のドアノックが付けられている。

船室のグレードに合わせて意匠も違うようで、リーンフェルトの部屋の物は巻貝をイメージしたデザインとなっている。


リーンフェルトはデスクから立ち上がり、ドアを開けるとクライブが立っていた。


「リンさん、やっぱり部屋にいたんですね。食堂に来なかったんで軽食を持ってきましたよ」


どうやら食堂に姿を見せなかったリーンフェルトの為に、クライブは軽食を用意してもらったらしい。

彼はなかなか気の利く男である。

片手で持てる程度の大きさのバスケットには蓋がなく、埃がかぶらないように布で覆われている。


「ありがとう、ちょうどお腹が減っていたので助かります」

「えっ…ああ、いやそれなら良かったっすよ。カインローズの旦那は船酔いでぐったりしてるかもしれないなんて笑っていましたし」

「カインさんはそんな事を言っていたのですか…なるほど」


カインローズは昨日中船酔いでぐったりしていたからだろうか…そもそも船に酔わない方法を教えたリーンフェルトに向かってそれである。

後で足元の魔力に干渉して、派手に転んでもらおう。

そう心に誓うリーンフェルトであった。


「それじゃ俺はまた見張りがありますんで、失礼しますよ」

「そうですか、クライブ本当にありがとう」

「そんな!食事を持ってきただけっすよ、気にしないでください」


クライブは足早にリーンフェルトの部屋の前から去っていく。


「さてと…まずはこれを食べてしまいましょう」


クライブから受け取ったバスケットの布を取ると、サンドイッチが姿を現した。

具材はレタスをベースにハムがサンドされている。


シャリ……


勢い良く頬張った訳ではないのに、レタスの瑞々しさに驚く。


「もう海の上に二日いるのに…こんなに瑞々しいなんて……」


これもきっとオリクトを使用して食材を保管してあるのだろう。

明らかに鮮度が違う。

レタスなど常温で置いておけばシナシナになってしまっているはずだ。


「本当に便利になってきているわね」


一人そう呟く。

そしてこの技術が広まれば、どんどん豊かな生活が送れるに違いない。

リーンフェルトはそういう所にもやりがいを感じる。

明日は西大陸の港町クロックスへ到着する。


「気を引き締めよう……」


そう生真面目にも心を新たにするが、一つ目のサンドイッチが呼び水になったのだろう。


くぅ。


控えめに鳴ったお腹にリーンフェルトは苦笑すると、二つ目のサンドイッチに手を付けた。


一方カインローズはコントロールとコツを覚えた為、船旅を快適に過ごしているようだ。

隣にはアトロもおり、海風が時折強めに吹きその髭を揺らしている。


「旦那と知り合ってそれなりになりますが、リンさんの事なかなか気に入ってるようですね」


カインローズとアトロの付き合いはアル・マナクに所属するよりも前からである。

それもまだカインローズが二十代からの付き合いなので、十年来だ。


「んん…そう見えるか?」

「ええ、とてもそう見えますね」


少し考えるように唸った後にカインローズはアトロに尋ねるが、アトロは笑みを浮かべたまま感想を述べる。


「あいつからかっていると面白くて、ついな」

「旦那もそういうの変わりませんね…成長していないというか、なんというか……」


アトロはカインローズより五つほど年上であり既に四十を迎えている。


「まあ、良いじゃないか俺の事は」

「あからさまに話題を切りましたね…別に構わないですが」

「それはそうと明日にはクロックスに着くな」

「本当に三日でついてしまうのですから驚きですよ。少し前までは往復三ヶ月の航海でしたからね」


アトロは顎鬚を右手で撫でながら少し遠くを見るような目をしている。

元々御者として各地を渡り歩いてたアトロは、当然この定期便にも乗った事があった。


「時代は変わっていくんだなとしみじみ思うんですよ…旦那」


少し寂しそうな笑みを浮かべるアトロだが、カインローズは大して気にした様子はない。


「お前が結婚して子供がいる事が不思議でならないね。二つ名持ちの冒険者だったじゃねぇか、出会った時なんか」

「ははは…昔の話ですよ。御者をしながら冒険者まがいの事に首を突っ込んでいただけですよ」


そんな昔話に花を咲かせていると、不意に突風が吹いた。

その瞬間アトロの視界から、カインローズが消える。

どうやら先の突風でカインローズは、バランスを失い転んだらしい。


「いってぇな…くそ…なんだ今の風は……」


カインローズはいらいらしながらも、立ち上がるとアトロとの会話を始めた。

どうやら壁際の影にあった人影には気がつかなかったようである。

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