聖夜が見せた悪の者
12月25日。日本のイベントの好みについて、きっと一年という膨大な選択肢を与えた中でもこの日を挙げる人は少なくないだろう。
子供ならばプレゼントが貰える。学生なら友人、もしかすると彼女と肩を並べて笑えよう。成人し、日々の労務に吐息を漏らす勤労者ならば、澄んだ空気をスパイスに夜のイルミネーションで安息を手にする事が出来る。
そして今、其処彼処に幸せが散りばめられた聖なる夜の街に、この物語の主人公、泡吹紅葉はやってくる。少し詳細を付け加えると、ただやって来たのでは無い。一人の少女を横目に、足取り重く歩いているのだ。
「んぅ〜〜! 美味しい〜!」
「なぁ、遠慮って知ってる?」
「知ってる知ってる〜」
依然湯気が絶えぬフライドチキンを頬張り、紅葉の彼女甘夏美華は空気の漏れただらしの無い声で横から発された揶揄を聞き流す。紅葉の浮かばれない顔の原因はコレ。自身の懐に眠る秘蔵の財布が、既にズボンに馴染みそうな程に薄く変貌しているのだ。
「そうなのか? いやぁ〜おっかしいな。Wakipediaには『他人に対して言葉や行動を控えめにすること』って書いてあるんだけどなぁ?」
「残念だな! 紅葉は他人では無い! と言う訳で私は涙をのんでせびる! 強請る! 媚びる!」
眉で斜を描き、美華は溌剌と白身肉のこびり付いた骨を紅葉に向ける。そう語り調ぶ彼女のセリフは今の紅葉の境遇からすれば憎たらしい以外の何物でもなく、折角の整った顔付きすらも醜く感じさせた。
「後はその骨しゃぶっとけ」
「……ケチ」
紅葉の一言は奢り得ずを頑固として示すものだった。それを受けた美華はわざとらしく頬を膨らませ、剰えチキンの肉を歯の上で転がして硬質な音を醸し出す。
「別にお前にそう思われたって悔しく無いんだぜ。寧ろ清々しい気分に……」
「あ」
畳み掛けるが如く紅葉の鬱憤の二句目を、唐突な感嘆の言霊が断った。その発声の主、美華はセピア色の灯火を前に立ち止まり、店のある商品をガラス越しに見るともなしに眺め出した。
それは赤を基調とし、白のラインとレースが奥ゆかしいリボンだった。実はこのリボン、紅葉には心当たりがあった。何時しか美華が写真で見せてきた物と合致しているのだ。
「……」
「はぁ」
「な、何!? もう帰ろ! 寒い!!」
美華の体温と伊吹がガラスに露を張らせる。まるでマネキンの様に、瞬きすら忘れて唇を噛み締める彼女を紅葉はため息一つで一瞥する。無論、美華には二の句もつぐ事が出来ずにそっぽを向く他なかった。
「じゃんけんで俺に勝ったら買ってやるよ」
「……! いいの?」
紅葉のだした提案に、美華は素直に食い付く。丸く広げられたその瞳には、聖夜の幻想的な輝きが実に明媚に映し出されていた。その間にも紅葉は拳を高らかに振り上げ、準備万端といった様子だ。
「勝ったらな」
「よ、よし! 絶対だからね! ……最初はグー!! じゃんけん——」
結果は勝利。たった一手の圧倒的な戦績となった。最も、大勝を収め美酒、もとい苦酒を口にしたのは紅葉だ。敗北を喫した美華は当然言葉を失い、紅葉としても遣る瀬無い気分に苛まれ、二人を淀んだ空気が取り巻いた。
「……」
「も、もう一回チャンスをあげよう……!」
「……うん」
結局このやりとりは後二度繰り返される事となった。漸く美華の勝利を手にした二人は、アクセサリー店に足を運んで寒々とリボンを前にする。
「これでいいんだな?」
「本当に、良いの?」
「んじゃ、待ってろ」
いやはやといった様子で微かにえくぼを見せ、紅葉がリボンを手に決済に向かった。そして、ラッピング等は一切かけられていないリボンを美華に差し出した。
「はい。メリークリスマス」
「ッ……!」
紅葉の差し出したリボンを目のあたりにし、刹那は瞳潤ませ晴れ晴れしい顔付きで手を差し出す。が、次第にその彩は申し訳無さそうに曇っていき、最終的には力なく両手で掬う。そこから俯いたままで微動だにせぬ美華の額に拳を押し当てた。ゆっくり上がった彼女の顔に、今度は満面の笑みを見せつける。
「こらこら、辛気臭いって。折角カッコつけたんだ。素直に受け取っても怒りゃしないよ。その代わり、おばさんには親孝行しろよ?」
「……うん。ありがと! 大事にするね。」
「おう!」
「ちょっと待って!」
「ぅん?」
美華がリボンの値札を外し、縺れそうな危うい足取りで紅葉との距離をとる。そして、嬉しそうに自身の髪の毛に手を掛け出した。
「ジャーン! どうよ!?」
美華が髪の毛を一撫でし、紅葉に喜色に満ちた表情でリボンを魅せつける。元々は実年齢よりも大人びた容姿の美華だったが、赤にレースと言う可愛らしいアクセサリーを纏うことにより若々しく変貌を遂げる。見かねた紅葉は軽く手を叩き、口を開く。
「へぇ—! アクセサリーでかなり印象が変わるな。元気良さそうで俺は良いと思うな」
「へへー! 紅葉が良いと思うんならコレで正解!……今日は本当にありがとう! またいつか恩返しする」
「あいよ。んじゃ帰るか!」
こうして、互いの幸せという聖夜の祝福を受け取った二人は未だ活気あふれるメインストリートを後にするのだった。足取り軽く肩を並べる二人を暖かい山吹色の街頭が照らし出す。人気はと言うと先程とは相対的で吐息の音すら聞こえない。
「しっかし、欲しい物買うだけでこんなに喜ぶとはな。これは今後使えるな……」
「お金で女を買うなんてサイテー…………ねぇ、何か聞こえない?」
「え?……いや、特に」
〔——————〕
「やっぱり……声が聞こえる! こっち!!」
そう言って美華は路地裏へと駆けて行く。彼女が網膜に捉えた『声』は、紅葉には一切合切聞こえなかった。紅葉にはと言うよりも、声など実際鳴っていないのだ。だが、それは彼らには分かり得ぬ後の祭りだ。
「はぁ? 待て! あぁ、もう!」
公の場では極力慎ましやかな美華がやや興奮気味に闇夜に溶けていった。紅葉はその事実に少し戸惑いつつも、仕方なしに美華の後を急ぎ追跡する。
—これが最初で最後の分岐点だった—
「おい、美華? ……っと何だこれ? 気持ちわりぃ。」
路地裏へと足を踏み入れたクレハは、奥へと進む。少し帆を進めると′ナニカ′を踏みつけた。摩擦力が皆無であり、足が取られる。踏みつけると粘膜が撫でられる不快音が耳を刺し、次第に強烈な異臭が嗅覚を麻痺させた。
「…………! 美華! もう帰ろう!」
暗黒に広がる疎ましさを振り払い、紅葉は美華の行方を手探りで探索した。次第に焦りが募って行き、自然と声量が上がっていく。軈て無意識の内に震えだした手を壁に這わせ、屁っ放り腰でナニカの上を行く。すると途端に道標である壁が途切れ、紅葉は地面に盛大に倒れこんだ。
「いッ……! う″!? くっせぇ! 何だこれ……ナンダコレ……ナン…………う″わあ″ぁ″ぁ″ぁ″ぁ!!!」
地に伏した紅葉を瞬間的に襲った先刻までとは比にならぬ激臭。否、これは死臭だ。死体を見た事も無い彼だろうが、それは容易に納得できた。次いで衣服や顔にへばりつく赤黒い汚物。それが真新しい悪臭を放ち続けているのだ。きっとずっと踏みつけていたのはコレだろう。そう解釈した紅葉は、己の精神が容易く崩れていく様が鮮明に思い浮かんだ。
「何なんだよ……こんな薄暗い所絶対碌なもんじゃない……! おい美華!! 何で返事しない!? 美華ッ………」
角を曲がった直ぐ先にあったもの、それは全くの悪夢であった。至る処に書き殴られたドス黒き血、臓物、四肢。微かに商店街から漏れて来る光が、生々しくテカりを帯びさせる。狂気を具材に書き上げられた地獄絵図そのものだ。
そしてそのグロテスクな背景よりも主張激しく目に飛び込んでくるのが得体の知れない化け物だ。この化け物が、兎に角恐怖を掻き立てる。どれだけ塗りたくられた肉片も、どれだけ積み上げられた髑髏も、この化け物一体が場に立っているだけで情報から抹消される。全身が黒い。黒より黒い純黒。図体が大きく、この薄暗い路地裏でもはっきり分かるその姿からは、耐え難い恐怖を放っていた。
「ぁ…あ…! 美、華」
その化け物が、なんと美華の首をその豪腕で掴み、持ち上げていたのだ。呼吸音の様な鳴き声を発し、ただただ美華を眺めている。彼女はというと、力なく気を失っている。首が座っておらず、紅白のリボンは無残にも血の海に浸されていた。
【——————!!】
化け物は遂に紅葉の存在に気づいた。気づいてしまった。声ならぬ声を発し、まじまじと紅葉を睥睨するのだが、暫くすると興醒めといった様子で紅葉の脇を横切り、一別する。
「まてよ…待てぇ!!」
化け物の歯牙にも駆けぬ行動を見せられ、我に返った紅葉は地に広がる肉の海を踏み躙った。粘液を巻き上げ、掌の豆を握り締める。只の跳躍とは思えぬ加速度を我が物とし、勇猛にも化け物に拳を向けた。
「——!!」
「え″ァ″ッ……!?」
後少し。握りこぶし一つ分にも満たぬ距離にまで距離を縮めた時だった。紅葉の視界が前触れもなく激震に見舞われた。同時に奔った痛烈な衝撃。化け物の、堅牢な右足が振り上げられ、紅葉の腹部を恐ろしいがまでに穿っていた。紅葉は身を捩る事すら叶わずに垂直上昇。化け物の頭上を弧を描いてもがき、肉塊の待つ地面へと墜落する。
「ごほッ!! ぅおォ……! ——!」
体内から酸と鉄が逆流し、その凄まじい勢いを抑えきれずに血反吐を撒き散らす。また新たに地獄のキャンパスに色が交わったのだ。紅葉は悶絶のあまり、声すらも失う。涙、血液、胃液で顎を濡らし、それでま尚立ち上がろうと奮闘する。
「……かァ! 美、華ッ……!! ————!!!」
次の瞬間、紅葉は立ち上がらずして歩みを進めた。臓物を飲み込む勢いで地を滑走し、化け物の腕に掴みかかった。これを必死と呼ばずしてなんと呼べよう。咆哮を上げ、猛り、顎が砕けるのも厭わずに噛み付いた。ただ無我夢中に痛みを与えるべく、全身全霊を捧げた出来うる限りの攻撃なのだ。
【——————!!】
すると今度は化け物が雄叫びを上げた。紅葉の八重歯が見事に化け物の硬質な皮膚を貫いたのだ。口内に酸味と苦味が絶妙に互いを殺しあった味が広がった。血が流れた。そう確信した瞬間、紅葉の口角は自然と釣り上がる。しかし、それは新たなる悲劇の引き金でしかなかった。
「う″ぉ″あ″ッ!?」
化け物が全身を捻って腕を螺旋回転させた。その剛力に紅葉の咀嚼筋が敵うはずもなく、力の赴くままに水平移動。敢え無くコンクリート製の壁へと鞭打ちにあう。砂煙が街頭の光を帯びて星屑の如く輝く。紅葉の局部にもコンクリートの破片が幾多も刺さっている。
だが、未だ鋭い眼光を炯々と、確かに化け物に向けていた。ただ、問題があるとすればそれが虫の息である事だ。振り上げられ、邪悪に光沢を放つかぎ爪を瞳で追っている。それが今彼に出来る唯一の行動だ。
「——」
「………………!」
遂に降ろされた死別の烙印。結局救い等無かった。ここに化け物が現れ、吠えた時からこの運命は避けられぬ因果となっていたのだよう。紅葉の上半身へと振り下ろされた狂いのない縦一文字。残忍なかぎ爪が皮膚を、脂肪を、筋肉を引き裂く。紅葉は鮮血を撒き散らし、地に崩れ落ちた。
死に行く視界の中、紅葉は美華を杳として見据える。今生きているのは瞼と口だねだろう。紅葉は静かに瞼を閉じ、頬を伝い口内に侵入した涙を噛み締めながら、舌が千切れるのを感じ取った。
閲覧有難うございます。経験が浅く、拙い文面もあるかとは思います。ですが、暇つぶし程度に流し読みして頂ければ恐悦至極でごぞいます。目標としては、何となく怖さを感じる様な作品になればなーと思っています。メンタルには自信があるので、正直な感想でもガトリングして頂ければ幸いです!