フィアの一日 お題:息
「はぁ……」
歩く魔導書は誰に憚ることなく、大きなため息を吐いていた。
「どうした、若き天才と呼ばれるキミがため息なんて」
「あ、すみません」
自分でも無意識の行動を指摘され、私は背筋を正してしまう。
いやいや、恐縮することはない。白鬚の老魔導士――ボルドーがポンと私の肩を叩く。
「キミが悩むとは、コレかね?」
色好きで有名な爺さんは、口元を釣り上げながら小指を立てて見せた。
「……はぁ、そんなもんです」
「おや!? 堅物だとばかり思っていたが、なかなかにして、なるほどなるほど!」
私のため息を掻き消すように、ボルドー翁が背中をバンバンと叩く。この爺さんが、五本の指に入る魔導士だとは何だか認めたくない。幼い頃、竜を倒した逸話を聴いて憧れていたのになぁ。
私はもう一度、バレないようにため息を吐いた。
「で、何だ。スケの話ならいくらでも聴くぞ!」
がっはっは、と豪快に笑うボルドー翁。剃髪の頭が西日をキラリと反射している。
「結構です」
私はきっぱりと答えてみせた。
「うお、まぶしい笑顔っ!」
茶目っ気前回の爺さんだが、影で禿頭と揶揄するやつが翌日に姿を消したことは竜討伐よりも有名な話だ。下手なことは言えない。
「まぁ、その歳で子育てなんて、大変じゃな」
「……私の悩み、ご存じじゃないですか。まったく、人が悪い」
こめかみを押さえながら、頭痛をやり過ごす。取り敢えず、目下の悩みを魔導の大先輩に話すことにした。
「わーーーん、お師様ーーーーー!」
バンっと扉を蹴とばして、一番弟子が飛びついてきた。何があったか、涙で顔が濡れている。
「どうしたんですか、フィア」
ハンカチを彼女に差し出すと、チーーンと全力で鼻を噛まれてしまった。弟子の成長を楽しむ余裕が出てきたかと思ったら、これである。
「リィーンが、私の魔法がへっぽこだって言うんだよおおお!」
「ああ、鼻水垂れてますって」
私はローブの裾を掴んで、フィアの顔を拭いてやる。
「リィーンと言えば、西の魔女の弟子じゃないですか。仲良くしていたでしょう?」
魔導理論であれば答えられないことなどないのだが、こと友人関係となるとめっきり悩んでしまう。
「今日、学校でね――」
言葉を詰まらせながらフィアは語る。要約すると以下のようなことがあったらしい。
誰が一番魔法が得意かを学校で競ったところ、リィーンに負けてしまった。
困ったことに、魔法の丁寧さを競うものだったようだ。これはフィアには向かない。
魔導の成績は中の上のフィア。上には上がまだまだいる。ただ負けただけならば、それでよかったが問題はこの後だ。
歩く魔導書の弟子という割に、繊細さがありませんことよ? どうせあんたの師匠も田舎でのボンクラなんですこと? オーッホッホ! と、高笑いをしていたそうだ。
「お師様がディスられた、ぐ、ぐやじぃぃぃぃ!!!」
だんだん、床を叩きながらフィアは涙を流す。レディになってきたかと思いましたが、この辺りはまだまだ子ですね。
「ふんーーふんーーー」
息巻いてフィアが左手の装飾品を引き千切ろうとしている姿が見えた。
「フィア……一応聞きましょう。何をしようとしていますか?」
「これ、外して、リィーンに目に物を見せてやるんだ!」
カラス色のローブの下、幾重にも輪が束ねられた魔導具をフィアはありったけの力でひっぱいっていた。
「それは、腕の力では外れませんよ?」
フィアを弟子に受け入れた時、私が魔導の力で授けたものだ。パズルのようなもので、正しい道筋に魔力を流さないと外れないようになっている。
「お師様ぁ……外して?」
「ダ、メ、です」
過去に何度か外してやったことがあるが、山一つ消し飛ばしてからは外させてはいない。魔法のコントロールが未熟なフィアでは、膨大すぎる自身の魔力はまだまだ扱いこなせない。
「お師様の、ケチ、陰険、メガネーー!」
「あ、コラ、待ちなさい」
私が手を伸ばすも、一歩遅く、フィアはまた外へと飛び出してしまっていた。
「がっはっは! 本当に子育ての悩みじゃないか!」
ここまで話してボールド翁が、一層豪快に笑ってみせた。
「いやいや、笑いごとじゃないんですよ」
もう一度ため息を吐いて、私はメガネの淵を持ち上げる……メガネは、悪口なのでしょうか。
「自分の師を嗤われて憤るなんて、立派な魔法使いじゃないか」
大きな手が私の肩をたたく。
「いいか、コントロールなんてその内身に着くんだ。縛りすぎなくて、いいんじゃないか?」
「とは言え、魔導具を外すことなんてできませんよ」
「外さなくていいじゃないか。つけたまま、思いっきりやらせろよ」
「……どうやってですか?」
「それを考えるのは、お前の役割だよ」
頑張りたまえ、歩く魔導書よ! 頭を光らせて、素手でドラゴンを倒した老魔導師は去って行った。
「激励、だったのでしょうか」
気づけばため息も止まっていた。それだけで、自分の魔力が滞りなく体内を回る感覚を取り戻した。
「そうですね。教えてあげましょうか。何せ私は彼女のお師様ですから」
※※※
「オーホッホッホ! 出たわね、フィア・ウォーレン! 今日もわたくしに無様に敗北するがいいことよ!」
何やら誤ったお嬢様言葉で、リィーンが声高に笑う。綺麗な金髪に、宝石のように澄んだ瞳。少々おでこが広いが、彼女は間違いなく美人の部類に入る。
「ふ、その言葉、そっくりそのままお返ししよう!」
ズビシっと指を刺して、私はリベンジを宣言した。
「フィア、大丈夫か?」
代わりにボクがやろうか、とローベンが耳打ちをする。
「問題、なし! 何故ならやってきたから!」
「一体、何ですの?」
こちらがにぎわっているのが気になるのか、リィーンがずずいと近づいてきた。
「特、訓、だ!」
私はがっはっは!と息巻ながら夜中の出来事を思い出す。
※※※
「息、ですか?」
「そう、息です」
メガネを光らせて、お師様は言う。
「リィーンとの勝負の時に、緊張してたんじゃないですか?」
「ど、どうしてそれを!」
お師様は鋭い! 山をふっとばしてはいけない、と私は焦っていたんだ。
「いまの呼吸、いいですね」
お師様は、ふふっと笑って見せた。
「自分の心、と書いて息ですから。心の赴くままに、おやりなさい」
ポン、と私の頭を撫でてお師様は書斎へ戻っていった。後は、私の腕、否! 息次第だ!
※※※
「出なさい、ファイアードラゴン!」
リィーンが短く唱えると、小型ながら造形の深い炎の竜が飛び出した。
「さあ、あなたにこれを越えるアートができて?」
メラメラと燃え上がるドラゴン。ローベンはその姿を見て、わぁと感嘆の言葉を漏らしていた。
「ふふふ」
私は笑う。緊張しない訳ではないが、私らしくいるため、笑ってみせたのだ。
「いっくよーーー! 出ておいで、私のとっておき!!」
私は、利き手を天高く突き出す。
「え、夜になりましたの?」
リィーンが目を白黒とさせている。
辺りが一瞬で真っ暗闇に包まれたのだ。
「否、違う!」
ローベンが気づいてくれた。そう、これは闇魔法ではないのだ!
「おいで!!」
みんなも気づいたろう。
山を吹っ飛ばしたらいけないのなら、上空に出せばいい。
細かいコントロールができないのなら、大きく作ればいい。
天高く、メラメラと燃え上がる超々大きな人型。これぞ――
「私の、特大お師様だーーーーーー!!!」
メガネをかけた炎の魔人がそこにはいた。おお、美しい!
「おい、フィア」
ローベンがうなる。
「何、ローベン? 完璧すぎて、言葉もない?」
「ばっか、お前、アレ、どうやって消すんだよ!!!!」
上空へ打ち上げたお師様が、ゆっくりとこちらへと近づいてくる。
「ああ、わたくしのファイアードラゴンが!!!?」
ジュッと小さな音を立てて、呑み込まれる火竜。グッバイ、造形美!
「……どうやって消すのかな?」
私の魔力は、既に空なのでした。
「こーーーの、おバカーーーーー!!」
今日一番の大きな声でリィーンが叫んだ。
この炎は、見守っていたお師様が決してくれたけど、私は一月おやつぬきなのでした。
なんで!?