人間7号誕生 ⑪ 命
バラに倒された伝輝。獲物を手にしたバラの前に、タカシが現れた・・・
四足歩行姿のタカシはワンワンッと吠え、バラに向かって走り出した。
サッとバラは伝輝から離れた。
タカシがバラに飛び掛かる。
バラもそれに応戦した。
四足歩行の獣二頭が、爪を光らせ、牙をむき、攻撃し合った。
前足を上げ、後ろ足立ちになる。あるいは横に跳ね、互いの胴体に噛みつく。
体格を見ると、小型犬に近いタカシが明らかに不利に見えた。
バラも決して大型ではないが、それでも一回り位は差があった。
「フンッ!」
バラが横振りした前足がタカシの顔に当たった。
タカシは一回転して倒れた。
だが、すぐにピョンッと体勢を戻し、バラに体当たりをした。
「ウグッ・・・」
バラは一歩退いた。
顔をしかめながらタカシを見る。
「お前、四月の狩りの日にも、俺の邪魔をした犬だよな?
後々になって不思議に思ったんだが・・・。
お前、『身体強化』ができるな?
キバ組織の訓練を受けたことがあるのか?」
タカシは黙ったままだった。
「でなきゃ、こんな動きも力も出せねぇはずだ。
面白れぇ。
素人でここまで遊べる動物は滅多にいないからな」
バラは全身をブルルっと震わした。
「久々に、楽しめそうだぜ」
伝輝はゆっくりと立ち上がった。
まだ、頭がクラクラする。
傍には折れた槍が落ちていた。
化けで柄を壊してしまっていたようだ。
目の前で、タカシがバラと戦っている。
バラの表情にはまだ余裕があるように見える。
しかし、タカシは厳しい顔つきをしていた。
バタン!
倒れ込んだタカシの上に、バラが覆うように立った。
前足に力を入れ、タカシの首元に食い込ませる。
「爺さん、大したもんだけど、そろそろ定年した方が良いんじゃない?」
バラは言った。
そして、口を大きく開いた。
「タカシさん!」
伝輝はバラの方に近付き、咄嗟に背後から右手でバラの首元を掴んだ。
バチバチバチッ!
「ギャアアアー!」
バラは悲鳴を上げ、強引に身体を動かし、伝輝を引き離した。
伝輝は尻もちをついた。
「人間6号、やりやがったなぁ!」
ジリジリとバラの首から煙のようなものが上がった。
毛皮が剥がれ、むき出しになった肉から血が流れる。
伝輝は自分の右手を見た。
火傷はしていないが、バラの首同様に煙が上がり、焦げくさい臭いがした。
「腸引きずり出してやらぁー!」
バラは怒りに身を任せて、伝輝に飛び掛かった。
伝輝の身体の上にバラが乗った。
バラは伝輝の首元に噛みつこうと口を開き顔を近づける。
手足を動かし、伝輝は抵抗した。
バラの爪が身体のあちこちを裂く。
顔にバラの唾と息がかかる。
ほんの弾みで、牙がいつ伝輝に刺さってもおかしくない。
伝輝は傷だらけになった右手で下顎を掴んだ。
「うぐっ・・・」
バラの動きが止まった。
バチバチバチ・・・・
右手から、音と煙が出てくる。
「うわああああー!」
伝輝は声を上げた。
右手に熱を集中させた。
「伝輝、止めろ!
殺すな!」
タカシが叫んだ。
◇◆◇
ぶうんっと、バラの身体が宙に浮いた。
バラの身体は投げ捨てられた。
伝輝の目の前には、ヒトに化けたタカシが立っていた。
「タカシさん・・・」
「夏美さんのところへ行け!
もうすぐ産まれるんだ!」
タカシは言った。
伝輝は立ち上がり、病院の入口に向かおうとした。
ビュン!
タカシの傍を影が横切った。
バラが伝輝めがげて突進した。
後ろ足で跳ね、前足を振り上げた。
伝輝は振りかえり、反射的に目をつぶった。
グシャア
生々しい音と共に、伝輝に温かい液体がかかった。
目を開くと、目の前にはバラが目をむき出しにしてこちらを見ていた。
彼の胴体からは、血まみれのヒトの右手が飛び出ていた。
その指の爪は鋭く尖っていた。
「タカシさん・・・」
バラの背後にはタカシがいた。
「この・・・野郎・・・」
バラは口からボタボタと血を流しながらも、前足を振り上げようとした。
バチ!
タカシの右手から音がした。
バラの身体は一瞬電撃が走ったかのように一直線に伸び、その後、ダランと首や足や尻尾を垂らした。
胴体から煙がチロチロと噴き出ていた。
「行け・・・」
タカシが言った。
「え?」
「早く、行け!」
バラ越しに見えたタカシの目を見た伝輝はビクッとした。
獲物を狩る獣の目だった。
伝輝はタカシの声に何とか反応し、病院に向かって走った。
◇◆◇
「ハァハァ・・・」
タカシは自分の右手に刺さったバラを見た。
彼はもう、重い肉の塊と化していた。
「クソ・・・」
タカシは顔をしかめた。
遺体を自分の身体から離そうとゆっくり右腕を曲げる。
「!」
視線を感じた。
タカシは首を動かすと、黒いワゴン車と、ジャガーが立っていた。
全身を覆ったライダースーツ姿。
女だった。
自分を睨んでいる。
ジャガーの女は、ジリッと一歩足を動かした。
殺される! タカシは直感で判断した。
グイッと、ワイヤーの腕をクッキーが掴んだ。
ワイヤーは自分の腰位に位置するクッキーを見下ろした。
「ワイヤー、今日は狩りの日じゃない。
それに、あの状況は、バラの自己責任だ。
そして、俺達はまだ任務を終えていない」
クッキーの声は落ち着いていた。
ワイヤーは悔しそうに眼をつぶった。
フッとワイヤーは左手を挙げた。
ズブブと音を出しながら、バラの身体はタカシの右手から外れた。
バラはフワフワと浮いた状態で、ワイヤーとクッキーの方へ移動した。
ワイヤーが左手を横に伸ばすと、バラの身体は止まった。
クッキーが車内から大きな巾着袋を出し、遺体を包んだ。
クッキーは辛そうな表情を浮かべ、タカシを見た。
たった今到着したところで、具体的な状況は分からない。
分かっているのは、タカシがバラを死なせたことだ。
ワイヤーとクッキーはバラを包んだ袋と一緒に車に乗り、その場を去った。
車のエンジン音が小さくなり、タカシはその場で座り込んだ。
強化した爪が伸びた、血まみれの右手。
微かにバチバチと音を立てている。
この力で、今まで悪性腫瘍を取り除いたり、血管を塞いで止血したりしてきた。
この力は動物の命を助ける為のものだったはずだ。
タカシは右拳で地面を強く叩きつけた。
ヒトの皮膚は、簡単にめくれ、血が滲んだ。
◇◆◇
伝輝は受付ロビーを通り、個室に向かった。
「伝輝君!」
咲が呼び止めた。
片耳だけにマスクの紐をひっかけて、顔の横にぶら下げている。
汗で首元がびっしょり濡れて色が変わっている。
「どこにいたのよ!
早く来て!」
咲は伝輝の腕を強引に掴んだ。
「イタ・・・!」
「あ、ごめん。
って、伝輝君、ボロボロじゃない!
何があったの?
これじゃあ夏美さんの前に出せないわ」
咲はキョロキョロ辺りを見て、パッとどこかに走った。
すぐに戻って来たかと思うと、綺麗にアイロンがけされたシーツとアルコールスプレーを持ってきていた。
ブシュッブシュッとシーツにアルコールをかけ、バサッと伝輝に頭から被せた。
傷口に湿った布が当たり、ヒヤッとした。
「行くわよ!」
咲は夏美のいる個室へ案内した。
個室の前の廊下では、昇平がへたり込んでいた。
「号泣して取り乱しそうだったから、外に出てもらったの」
「号泣・・・何で?」
咲がドアを開けた。
クルッと伝輝の方を見る。
「感動して、よ」
個室の中央のベッドはカーテンで囲まれており、ちひろとは別の看護師がテキパキと片付けなどをしていた。
「後産も落ち着いたところよ」
カーテンの向こうには、夏美が居た。
上体を起こしたベッドの上で体を休めていた。
「伝輝・・・」
夏美は顔を火照らせ、疲れ切った顔をしていた。
それでも伝輝を見て優しく微笑んだ。
「何、その恰好?」
シーツに身をくるんだ伝輝の姿を見て、夏美はクスッと笑った。
ベッドの向こうに、小さなベッドがあった。
白い柔らかそうなベビー肌着に包まれた、赤い小さな顔。粘土で作ったような、ぼんやりとした目鼻立ち。
スヤスヤと眠っているらしい。
そっと顔を近づけてみると、小さくだが、確かに呼吸する音が聞こえた。
「来て」
「え?」
夏美が伝輝を呼んだ。
伝輝はベッドに寄った。
スッと夏美は手を伸ばし、伝輝の頭を包み、自分に引き寄せた。
「伝輝が病院まで一緒に来てくれたから、無事に産むことができたわ。
元気な男の子ですって。
伝輝、お兄ちゃんになったのよ」
伝輝の目に涙が溢れた。
赤ちゃんが無事に産まれ、生きて、ここに居る。
もう、キバ組織に連れて行かれることはないだろう。
喜びと安心の気持ちの中に、しこりが残る。
一つの新しい命が誕生したその壁の外で、一つの命が消えた。
守りたい命の為に、奪った命。
伝輝は夏美の腕の中で、静かに泣いた。
◇◆◇
丁度その頃、包産婦人科病院奥のガレージシャッターが開いた。
ちひろが運転する車が、さっそうと敷地を出た。
「何、この亀裂?」
駐車場を出るとき、ちひろはつぶやいた。