人間7号誕生 ⑩ 人間6号VSバラ
伝輝の前に、バラが現れた。夏美と赤ちゃんを守る為、伝輝は化けを発動する・・・
駐車場の一部に亀裂が入り、アスファルトが盛り上がり、深い溝ができた。
伝輝は「まずい!」と思った。
車が一台も止まっていなかったことが不幸中の幸いだった。
濡れた手の水を切るように、伝輝は勢いよく右手を数回振った。
バチバチと微かに音を立てる手の平の熱を素早く冷ます。
コツコツ地道に訓練してきた結果、化け能力のコントロールはそれなりに上達していた。
本当は冷却スプレーを使う方が確実だが、そんな余裕は無かった。
ヒョイッと、溝から影が飛び出た。
盛り上がったアスファルトの先端部分に前足後ろ足を置いている。
「派手なことしてくれるねー。
これ、ちゃんと直せんのか?」
バラはヘラヘラ笑いながら言った。
人間狩りに参加していた肉食動物は溝にはまって動けなくなったが、今回はそう簡単にはいかないようだと、伝輝は思った。
「先に言う。
俺はお前を喰う。
まごころカンパニーは、お前が死んでも良いと判断している」
バラは溝と亀裂の縁をたどるように、ソロリソロリ進みながら言った。
伝輝は一歩退いた。
右手を背中に回す。
バラは跳ねた。
伝輝は背中から折りたたみ式の槍を引っ張り出した。
ギュイン!
折り畳み式の槍は、柄の部分が筒状になっている。
筒の中はワイヤーの様に丈夫なゴムが通っている。
伝輝は槍を引っ張り出す際、わざと大きく前面に振りかざした。
槍はヌンチャクの様に、突進するバラを襲った。
バラは素早く横にステップし、槍をかわした。
やや距離を置き、じっと伝輝を見る。
伝輝は柄を結合し、刃を覆っていたカバーを外した。
そして獲物を見据えて体勢を整えた。
わずかに時間が流れた後、伝輝は走り出した。
狩りで最も大切なのは、恐怖心をどこまでコントロールできるかだ。
恐怖心は自分を護る為に多少は必要だが、大きすぎると集中力を削ぐ。
恐怖に打ち克つ為に、伝輝は先制攻撃を仕掛けた。
槍を投げるように、バラに向かって振り出した。
バラは簡単に避けた。
当然避けられると伝輝は思っていた。
槍を持ち替え、バラが避けた方へ槍を横に振った。
勢いのついた槍の先端がバラに襲いかかる。
「クッ!」
予想以上に槍の動きが速かった。
避けたものの、微かに鼻先をかすめ、髭の毛先がチラチラ落ちた。
「やるじゃねぇか・・・」
バラが感心している間も、伝輝の攻撃は止まらなかった。
程よい軽さとしなりを持った槍を、伝輝は幾度も振り、突いた。
バラはそれらを軽妙にかわしたが、徐々に後退していた。
先程の亀裂の箇所に後ろ足が当たった。
その位置までバラを追い詰めたのは偶然だったが、伝輝もそれに気づいた。
バラを溝に突き落とそうと、伝輝は力いっぱい槍を押し出した。
力んだことにより、伝輝の動きは若干鈍くなった。
それを見逃さなかったバラは、一瞬で二足歩行姿になり、伝輝に飛び蹴りをくらわした。
タン! ドスン!
腹に衝撃を受けた伝輝は後ろに吹き飛んだ。
かろうじて受け身をとれたので、頭を強打することは防げた。
衣服がずれ、ハーフパンツとダウンベストの隙間から、半透明のシリコン製の様なものがチラリと見えた。
「ちゃんとサポーター巻いていたんだな。
やる気マンマンじゃねぇか。
楽しくなってきたぜ」
二足歩行姿のバラが言った。
伝輝は立ち上がった。
口の中を軽く切ったらしく、口元から血が垂れた。
サポーターのおかげで、大怪我までは至っていないが、全身に痛みが走る。
「良い動きしてるぜ、6号よぉ。
ここに来て半年か。
人間にしては、かなりの短期間で上達してんじゃねぇか。
けどよ、お前。
狩り技術も化け技術も身に付けているくせに、『身体強化』までは出来ないんだな」
身体強化?
伝輝は聞きなれない言葉に少し困惑した。
「まぁ、キバ組織の訓練受けてなきゃ、使えるわけないか。
でも、独学で身に付けた割には大した腕前だぜ。
その6号の努力を称えて、俺も化けは使わない。
『身体強化』はしねぇ。
てか、ハナから使ってねぇし、てめぇ相手に使う必要性無いからな。
そもそも化けを使うのは、俺のポリシーに反する」
バラは再びノソリノソリと歩き始めた。
「狩る側も狩られる側も、己の持つ身体能力のみで、命をかけて戦うもんだ。
それが自然の本来の動物の姿だ。
俺からすれば、芸術的瞬間だ」
伝輝はバラの言葉を聞きながら、槍を持ち直した。
ギュッと握った右手がバチバチと音を立てたが、伝輝は気づかなかった。
「命がけで手に入れた獲物程、美味いものはこの世にねぇよ。
人間6号、俺に最高のものを喰わしてくれ・・・」
バラの、まとわりつくような眼光が伝輝を刺す。
伝輝は更に槍を強く握った。
パリン・・・ビシ・・・
何かが割れるような音が小さく鳴ったが、二人には届かなかった。
◇◆◇
包産婦人科病院内。
関係者以外立ち入り禁止の個室では、顔を真っ赤にしながら激しく呼吸する夏美がいた。
昇平が夏美の額から次々吹き出す汗を、ガーゼハンカチで優しくふき取る。
もう一方の手は夏美の手を握っている。
「あと、もう少しですよ、夏美さん!」
手術着姿でマスクを装着した咲が夏美に声をかけた。
「大丈夫、大丈夫だよ。
なっちゃん・・・」
昇平も夏美に励ましの同じ単語を何度も繰り返し言った。
咲はチラリと壁にかかっている時計を見た。
思っていたより、時間がかかっている。
夏美も胎内も、健康状態は特に問題なかったはずだ。
決して異常なことではないが、ゴンザレスから話を聞いているので、どうしても冷静ではいられない。
「伝輝君は?」
夏美と昇平に聞かれない程度の音量で、咲はちひろに尋ねた。
「先程、病室の前にいましたが、外の方に向かっていきましたよ。
ここにいない方が、彼も落ち着いて待っていられるのではないでしょうか?」
ちひろは言った。
咲はドアの方を見た。
今回のキバ組織の計画を阻止するには、伝輝が赤ちゃんを見て、認識する必要がある。
分娩中の赤ちゃんを見ただけでは甘い。
後で、事故が起きたでも何でも、いくらでも理由を作ってごまかせる。
だから、今ここに立ち会う必要性はあまり高くない。
むしろそれまではどこかで隠れて身を護ってもらった方が良い。
確実に夏美が赤ちゃんを産み出した後で、記憶操作を施せない伝輝に、この赤ちゃんが産まれた記憶を植え付けさせなければならない。
そうすればキバ組織は、死産として処理することができない。
その時、初めて、この命は本当の意味で、生を受けることができるのだ。
◇◆◇
バラは四足歩行に戻り、伝輝に向かって走り出した。
ステップを踏み、左右ジグザグに進む。
伝輝はどっちの方向から来るのか分からず、バラの攻撃が来た瞬間わずかに遅れてしまった。
槍は振り上げたが、バラの爪が伝輝の身体を引っ掻いた。
ダウンベストが裂けたが、皮膚まで到達しなかった。
今度はバラの攻撃が止まらなくなった。
爪を振り上げ、飛び掛かる。
伝輝は槍を振り回し、それを自分の身体から遠のけた。
伝輝の動きのパターンを読み取り、バラは隙をついて伝輝に近づいた。
バラは槍の柄の部分に、器用に飛び乗った。
グインと槍に体重がかかる。
「ウッ・・・!」
伝輝はグッと利き足を踏み込み、全身を捻って槍を横に振った。
吹き飛ばされたのか、自分で飛んだのか、バラは高くジャンプした。
緊急事態における、伝輝の高回転する頭脳では、しなる槍は衝撃を吸収し、元の状態に戻る想定だった。
しかし、槍は横に振り回した瞬間に、バリバリと音を立て、伝輝の右手の上からボトリと落ちた。
「え!?」
伝輝は予想外の出来事に焦った。
武器を失ってしまった。
ドンッ!
バラが降ってきた。
伝輝はバラに押し倒されるような状態で、仰向けに落ちた。
肩から地面に倒れたが、弾みで頭もアスファルトに打ち付けてしまった。
「く・・・」
視界がユラユラする。
目薬の効果で、自分を見下ろすバラの表情がよく見えた。
「捕まえた」
バラがニタニタ笑いながら言った。
右手からバチバチと音がするのが聞こえた。
伝輝はそれを動かそうとした。
ギャリ!
「うわぁ!」
右腕から血が流れる。
バラは自分の爪の血を舐めながら言った。
「今度どこかを動かしたら、その部分を胴体から引きちぎるぞ」
バラの肉球が伝輝の頬をさすった。
「滑らかで、柔らかい。
さて、この皮膚のどこからいただこうかな?
前は脇腹だったから・・・。
太ももか、二の腕か、それとも・・・」
伝輝は唇を噛みしめた。
頭の中で、反撃の方法を考えた。
右手は熱い。
まだ、使える。
腕を引きちぎられても、同時にバラの頭を粉々にできれば良いんだ。
そうすれば、赤ちゃんは守れる・・・
6の数字が浮かぶ右手の平を、グッと握りしめた。
「伝輝から離れろ!」
伝輝とバラは声をする方を向いた。
犬の姿で、四足歩行状態のタカシがいた。
ハァハァと舌を出し、全身を動かし呼吸をしている。
ここまで走ってきたのだろうか。
「老犬が邪魔するな。
それとも、前菜にされたいか?
まずそうで、嫌だけど」
バラが言った。
タカシはワンワンッと大きく吠え、バラに向かって飛び出した。