人間7号誕生 ⑨ プランC
伝輝を襲おうとしたオオカミを倒したのは、ヒトに化けたエミリーだった・・・
包産婦人科病院の駐車場に、グッタリ倒れているオオカミ三頭が点在し、その中央部分に伝輝と、ヒトの姿をしたエミリーが立っていた。
胸の部分と足元に白い毛並みが集中しているが、それ以外はヒトの肌むき出しだった。伝輝は寒くないのだろうかと思った。
「私としたことが、先行部隊が既に出発していたのに、気づくのが遅れてね。
ギリギリ間に合ったけど、危険な目に遭わせてしまって悪かったわね」
エミリーは言った。
「いや、ありがとう、助けてくれて。
あの、その恰好は・・・」
伝輝は目のやり場に困りながら言った。
「この恰好?
本当は嫌なんだけど、タカシさんがどうしても履いてほしいって言うから、特別に履いてあげているの。
タカシさんが用意してくれたのよ。
自分がまだ一度も履いていないやつだからって」
エミリーはフフフと嬉しそうに言った。
伝輝はエミリーが履いている黒いパンツを見た。
よく見ると、ボクサータイプの男性下着だった。
エミリーは倒れているオオカミに近づいた。
しゃがんでオオカミに触れると、オオカミはポンッと姿を消した。
「!」
伝輝は驚いた。
エミリーは残り二頭のオオカミも同様にポンポンッと消してしまった。
エミリーは伝輝のところに戻った。
彼女の両手の上には三匹のジャンガリアンハムスターが身体をくるませて眠っていた。
「こいつらを、元の場所に戻してくるわ」
「元の場所?」
伝輝は尋ねた。
「人間7号を病院から連れ出し、美食会会場へ運ぶ部隊の待機場よ。
さっき、その待機場の連中は潰してきたわ。
キバ組織の計画にとって、一番重要な役割の部隊だったから、人間7号回収はかなり困難になったでしょうね」
エミリーはそう言いながら、三匹のハムスターを自分の髪の毛に巻きつけて結んだ。
ハムスターに変身させられたオオカミは、エミリーの髪の毛に干し柿の様に吊るされた状態になった。
「でも、キバ組織って、本当面倒くさい連中だから、まだ何か作戦を実行しそうだわ。
こいつらを戻して来たら、もう一度調べてみるけど、それまで伝輝はどうする?」
「え?」
「病院の中に居れば、あなたの安全度は上がるけど、キバ組織の動きに気付きにくくなる。
外で待っているなら、あなたの安全度は下がるけど、キバ組織の次の動きには対応しやすくなる。
どうする?
これはあなたの好きな選択をすれば良いわ」
伝輝は下を見た。
すぐには決められなかった。
「連中はこの周辺に化けの力で交通規制かけて動物通りを減らしているけど、私がこちらの都合の良いように細工したから、タカシさんも戻って来れるわ」
「細工って・・・。
あのさ、エミリーちゃんって一体何者なの?
強いし、化けもできるし、そもそも一体どうやってキバ組織の情報とか人間狩りの情報とか調べているの?
だって、エミリーちゃんは元々人間界の野良猫だったんでしょ?」
伝輝はモヤモヤしていた疑問を吐き出すように言った。
それを聞いたエミリーは再びニッと微笑んだ。
腰に手をやり、伝輝の目線の高さまで上体を倒した。
伝輝の目と鼻の先に、エミリーの顔が近づいた。
オリーブ色の瞳がキラリと光る。
「教えてあげない」
エミリーはチュッと伝輝の頬に唇を当てた。
スイッチが入ったかのように伝輝の顔は一瞬で赤くなった。
スッと離れたエミリーは「じゃあね」と言い、軽やかに走り出した。
タンッと跳ねて、隣の建物の屋根に着地する時には、いつもの猫の姿に戻っていた。
パンツを履いていて、背中に体毛に巻きつけられたハムスター三匹がくっついていた。
彼女はそのまま走り去り、あっという間に姿が見えなくなった。
◇◆◇
顔のほてりを冷まし、伝輝はトイレに行く為、病院に入った。
ロビー傍の男子トイレで用を済ませ、伝輝はそぉっと夏美がいる個室の方に向かった。
個室のドアが並ぶ廊下は、蛍光灯の光で明るいはずなのに、不思議と暗く重たい雰囲気がした。
夏美が入っている個室のドアが閉まっている。
ドアにかかっている札には、「関係者以外立ち入り禁止」と書かれていた。
伝輝は中に入ろうか迷った。
自分も関係者だと思うが、何だかドアを開ける勇気が出なかった。
そっとドアに耳を当てる。
防音性の高い扉は、中の音をこちらに伝えてくれなかった。
ガチャリ
突然、ドアが開いた。
伝輝は慌てて退く。
チワワの看護師のちひろが出てきた。
「あら、あなたは・・・」
「あ、あの・・・」
伝輝は小柄なちひろの頭頂部を見下ろした。
「ンー! アー!」
部屋の中から、夏美の力む声が聞こえてきた。
伝輝は今まで聞いたことのない夏美の声を聴き、一瞬で鳥肌が立った。
「夏美さん、頑張っていらっしゃるわ」
ちひろが言った。
伝輝は何も言うことが出来ず、ペコリと頭を下げてタタタと駆け足でその場を去った。
病院を出た伝輝は深呼吸した。
夏美は命を懸けて赤ちゃんを産もうとしている。
それを奪おうとしているキバ組織がまだ動いているかもしれないのに、安全な場所にいられない。
自分がそこにいることで、夏美と赤ちゃんに危機が及ぶ可能性だってまだあるのだ。
夏美の傍には、昇平がいるだろう。
キバ組織が現れた時の為に自分はここにいよう。
「伝輝君」
突然、知っている声に名前を呼ばれた。
振り向くと、そこに前田さんが立っていた。
メガネに飼育員用ツナギを着ている。
ニコニコと微笑みを浮かべている姿は、いつも会っている前田さんそのものだった。
「前田さん・・・」
この人は、前触れなく現れるなぁと伝輝は思った。
「昇平さんと夏美さんは?」
「病院にいます」
「出産は始まっているの?」
「あ、はい・・・」
昇平の仕事を代わってくれたと、昼に夏美から聞いたが、もう終わったのだろうか?
「大変そうだけど、頑張ってくださいね」
前田さんはそう言って、深々とおじぎをして、スタスタと病院を後にした。
伝輝は何しにここに来たのだろうか思った。
◇◆◇
包産婦人科病院の向かいのファミレスで、バラはローズヒップティーをズズズと飲んでいた。
ゆったりとした黒い上下スエット姿で、午後過ぎに来店し、適当な軽食とドリンクバーを注文した。
このローズヒップティーでここのドリンクバー全種類を制覇する。
店内にいる客は少ない。
ヨレヨレのスーツ姿の馬の男が入ってから新しい客は来ていない。
その馬は、パフェをつついている間に寝てしまい、机の上に前歯と涎をだだ漏らしている。
ウエィトレスの若いチーターが嫌そうな顔でその席を通り過ぎている。
ケータイが着信を伝えた。
ワイヤーからだった。
「了解、プランCに変更ね」
バラは言った。
『あんた、一体どこにいるのよ。
仕事してよ』
「分かっているって。
すぐに現場に向かう」
そう言って、バラはケータイを切った。
プランA:人間5号をまごころ総合病院へ搬送し、出産させる。
人間4と5号に記憶操作実施する。
プランB:正体を伏せた上で、搬送部隊を包産婦人科病院に出動させる。
食材回収後、人間4と5号、包産婦人科従業員に記憶操作を実施する。
プランC:搬送部隊以外の組員が、包産婦人科病院に出動する。
食材回収後、人間4と5号、包産婦人科従業員に記憶操作を実施する。
妨害要因はリーダー以上の判断で、排除する。
ワイヤーの計画パターンは、現場の状況によって分かれる。
Aが最も理想的な形。
B・Cと進むごとに、理想形から離れていくが、任務完了を最優先する為の最善策が練られている。
バラはプランCになるのを待っていた。
大きな期待はなかったが、まさか見事にキバ組織をプランCまで追い込んでくれるとはな。
バラはクックックと笑った。
「妨害要因は排除する」
バラはトイレに向かって用を足した。
その後、会計を済ました。
「記憶操作ができない人間6号は、妨害要因に値する」
ファミレスを出て、上下スエットとシリコン製サンダルを脱ぎ捨てた。
縞模様の見える毛並みを晒し、革製のハーフパンツを履いていた。
◇◆◇
「よう、6号君」
伝輝は下唇を噛みしめた。
夜の駐車場で、バラの瞳がギラリと光る。
ファミレスから動物の出入りがあるように見えたが、こいつだったのか。
伝輝はバラを睨んだ。
「4号と5号は、この中にいるのかぁ」
バラは病院を仰ぎ見ながら言った。
「どの辺まで出てきてるの?
頭は出てきてんの?」
「黙れ」
伝輝は言った。
バラは伝輝を見てニヤリと笑った。
「今、病室に入ったら、どうなるかなぁ?
股から人間の頭が出ている人間を会場に持っていったら、お偉いさん方も大喜びするだろうなぁ」
伝輝の目が見開いた。
心臓の鼓動が加速する。
手の平が熱くなる。
「出てきた食材を持っていくより、ゲストの目の前で食材を取り上げた方が、新鮮なものが食べられるし、ゲストも喜ぶと思わないか?」
バラは奥にある従業員専用入口へと、スタスタ歩き始めた。
「そんなこと・・・」
バチバチと、伝輝の右手の平が音を立てる。
「そんなこと、させてたまるか!」
伝輝はアスファルトの地面に手を押し当てた。
ビシッ!
ビシビシビシッ!
「うわっ!」
バラの足元が突然地割れした。
バラは割れ目へと落ちた。
落ちる瞬間に、人間6号の顔が見えた。
怒りに満ちた眼差し。
「面白くなりそうだぜ」
バラは嬉しそうに言った。