人間7号誕生 ⑦ 緊急事態
キバ組織に捕まった咲の救出に成功した、樺とゴンザレスだが・・・
スピード違反ギリギリまでアクセルを踏み、ゴンザレスは車を走らせた。
後部座席には、カバ(大きさは普段用)に戻った樺が座席いっぱいを使って体を休ませていた。
出血は収まったが、痛みと疲労が激しい。
治療が必要な傷が身体のあちこちに残っている。
助手席にいる咲は身体をガタガタ震わせていた。
自分に何が起こったのか全く分からない咲は、樺とゴンザレスと一緒にいても、不安が消えなかった。
ゴンザレスは咲を落ち着かせる為にも、運転しながら事情を話した。
必然的に、夏美や伝輝が実験体であることを、説明せざるをえなくなった。
「そんな・・・」
咲の表情は、恐怖から驚きに変わった。
「だから、まごころカンパニーは信用ならないのよ!
ひどすぎる!
絶対そんなことさせないわ!」
「もちろんですよ。
その為に、今、僕達は動いている」
ゴンザレスは言った。
臨海道路は徐々に車の量が増え、進まなくなってきた。
ゴンザレスはカーラジオをつけた。
交通案内は、自分達が走っている道路の先で交通事故が発生したことを告げていた。
「こんな時に・・・」
ゴンザレスは前歯を出して舌打ちした。
スーツの胸ポケットに入れていたケータイが鳴った。
ゴンザレスはサッと取り出し、咲に渡した。
「代わりに出てください。
タカシさんからです」
咲は黄色の二つ折りケータイのボタンを押して、電話に出た。
「もしもし、タカシさん。
はい、咲です。
ええ・・・ありがとうございます・・・
え!?」
咲は絶句した。
◇◆◇
伝輝とタカシがファミレスから病院に戻った頃、白い乗用車が一台停まった。
昇平が大慌てで車から出てきた。
運転席には鹿が乗っていた。
「本当、助かりました!
ありがとうございました!」
走り出す車に向かって、昇平は大げさに頭を下げて見送った。
「昇平さん!」タカシが呼んだ。
「遅いよ!」
伝輝は言った。
「駅からの道が分からなくて、迷っちゃたんだよ~。
さっきの鹿のお母さんに、ここまで連れてきてくれたんだ。
それよりもなっちゃんは?」
「今は、個室に居ます。早くこちらに」
タカシが昇平を病院へ案内した。
伝輝は黙ってそれについて行った。
着替えを済ませた夏美は、激しくなる陣痛と戦っていた。
「しょーちゃん・・・」
夏美は昇平の顔を見て、少し微笑んだ。
昇平は夏美の手を握った。
「陣痛の間隔が短くなっています。
そろそろ、分娩の準備をしましょう」
看護師のちひろが言った。
チラリとタカシの方を見る。
「俺は出ますね」
家族ではないタカシは、スッと病室を後にした。
伝輝もタカシについて行った。
「夏美さんの傍にいなくても良いのか?」
タカシは伝輝に言った。
「キバ組織やバラがいつ現れるのか分からないのに、お母さんと一緒の場所にはいられないよ」
伝輝は言った。
タカシには言わないが、もう一つの理由は、あんな辛そうな表情をする母親を見てはいられなかったからだった。
受付ロビーまで戻ると、ガタガタと騒々しい様子で、二人のトラが病院に入ってきた。
「お願いします。
娘を助けてください!」
メガネをかけたジャケット姿のトラの男性が叫んだ。
彼は、お腹が膨らんだトラの女性を連れていた。
女性は苦しそうで、立っているのもやっとの状態のようだった。
「どうかしました?」
受付スタッフに呼ばれたボニー先生とゴールデンレトリバーの看護師がロビーに現れた。
トラの女性を見るなり、すぐに叫んだ。
「大変!
すぐに分娩室に連れて行って!」
ボニー先生が看護師に指示した。
一気に慌ただしい様子になった。
看護師数人がロビーと病室を行き交った。
トラの女性は運ばれていった。
ボニー先生は、受付スタッフに電話をする指示を出していた。
ボニー先生の表情はかなり険しくなっていた。
「まさか・・・」
タカシがつぶやいた。
「飛び込み出産か・・・」
「飛び込み出産って?」
伝輝は尋ねた。
「基本的に妊婦は、お産をお願いする病院で、事前に健診を受けるんだ。
だけど、あの女性はそれをこの病院で一切することなく、出産する為だけにやって来た。
妊娠経過が全く分からない状態で出産に立ち会うことになるから、母体と胎児の状況を把握する為に、医者が対応しないといけない」
受付カウンターで、ボニー先生が怒鳴っていた。
「咲はどうしたの?!」
「それが、何度も連絡しているんですが、全然つながらないんです」
伝輝とタカシは、互いに顔を見合った。
「とにかく、他の先生を早く呼び出して!」
「ボニー先生!
副院長と連絡がとれましたが、九州から戻るところで、あと最短でも四時間はかかるかと・・・」
「タンゴ先生は、まだ熱が下がらないので、出勤できないそうです」
スタッフの報告を聞き、ボニー先生は奥歯を噛みしめた。
タカシはボニー先生のところへ行った。
「先生、俺が手伝いましょうか?
俺は、まごころ総合病院で救命医をやっています。
出産立ち会いは、何度か経験していますが・・・」
「ありがとうございます。
出来る限りこちらで対応いたしますが、いざという時は、よろしくお願いいたします」
ボニー先生は落ち着いた様子で言った。
しかし、すぐにタカシに頼るような態度はとらなかった。
咲と同じく、「まごころ」というのが、彼女にとっては、よくない言葉なのだろう。
タカシは伝輝と一緒に外に出た。
伝輝は不安いっぱいの顔をしていた。
「お母さん、大丈夫なのかな?
咲さんも・・・?」
「まだ、皆からの報告はきていない。
状況を聞いてみよう」
タカシはゴンザレスに電話をした。
◇◆◇
「分かりました。
また、連絡します・・・」
咲は電話を切った。
「タカシさん、なんて?」
ゴンザレスが尋ねた。
「夏美さんの出産が近いんだけど、別の飛び込み出産があって、立ち会える医者や助産師が、包産婦人科にいないそうなの」
「何だって!?」
ゴンザレスが思わず咲の方を見た。
「早く病院に戻らないと!
何とかならないの?」
「この渋滞を抜けないと・・・。
他の道にもまだ出られないし」
「だったら、私走っていくわ!
途中でタクシーか何かを拾って!」
咲は車が止まったタイミングを見て、ドアを開けようとした。
「咲さん、待って」
樺が言った。
「ゴンザレスさん、そこのコンビニの駐車場に入ってください」
ゴンザレスは言われた通りに、駐車場に入って車を停めた。
「ゴンザレスさん、俺はここで休んでますから、咲さんと一緒に行ってください」
「でも・・・」
「夏美さんの出産が最優先です。
その為には咲さんが戻らないと・・・
僕のことは気にしないで、早く行ってください」
ゴンザレスと咲は困惑したが、気持ちを固め、車を降りた。
「病院に着いたら、タカシさんにここまで来てもらうようにお願いするから」
ゴンザレスが言った。
樺はうなづいた。
「でも、ゴンザレスさん、どうやって病院に行くの・・・?」
咲の言葉をよそに、ゴンザレスは持ち出した革製の紐を口に咥えた。
咲に別の革製のムチを渡し、ポンと四足歩行姿になった。
スーツを着たままの四足歩行姿は、違和感があった。
「早く、僕に乗ってください」
「え? ええ・・・」
咲はゴンザレスにまたがった。
グンッとゴンザレスは立ち上がる。
「キャッ」
「怖がらないで。
僕があなたが落ちないように、注意して走りますから。
咲さんは、それで、時々僕の身体を叩いてください」
ゴンザレスの説明は徐々に熱を帯びていった。
「あ・・・はい」
咲は言われて通りに、ムチでペチンとゴンザレスの胴体を叩いた。
「もっと激しく!」
咲は強めにムチを振った。
「はあああん!」
ゴンザレスは妖しい声と共に走り出した。
渋滞中の車の間を抜け、グングン進んで行った。
その見事な走りっぷりに、咲は感心したが、二度と乗りたいとは思わなかった。
◇◆◇
パカラッパカラッ
軽快かつ激しい蹄の音が、包産婦人科病院に近づいてきた。
伝輝とタカシの前に、四足歩行のゴンザレスとそれに乗った咲が現れた。
二人は滑り込むように到着し、倒れ込んだ。
「ゴンザレスさん! 咲さん!」
二人はボロボロに汚れ、かすり傷だらけになっていた。
タカシが咲に近づくと、咲はタカシの腕を掴んだ。
「夏美さんの容態は!?」
「出産が近いようです。
看護師さんが、立ち会っています。
それより咲さん、大丈夫ですか? 少し休んだ方が・・・」
「何言ってんのよ!
今からシャワー浴びて、すぐに夏美さんのところに向かうわ!
ゴンザレスさん、ありがとうございます!」
そう言って、咲は病院の裏口の方へ走っていった。
ゴンザレスは過呼吸状態に陥っていた。
伝輝が声をかけるが、まともな返事ができない。
すぐにタカシがゴンザレスの体調を整えた。
呼吸が落ち着いたゴンザレスは、タカシに顔をグイッと近づけた。
「タカシさん、樺さんのところへ行ってください。
早く治療しないといけないのですが、樺さん自身に化け治療するだけの体力が残っていないんです」
タカシは伝輝を見た。
伝輝の顔は不安なものから、別のものに変わっていた。
「場所は?」
ゴンザレスから場所を聞き、タカシは立ち上がった。
「ゴンザレスさんは向かいのファミレスで休んでいてください。
伝輝」
タカシはポンとあるものを投げた。
受け取ったものは目薬だった。
「一滴だけ目にさすんだ。
暗い場所でもよく見えるようになる目薬だ。
すぐに戻るが、それまでここは頼んだぞ」
伝輝は深くうなづいた。
緊張を帯びた顔に、先程の頼りない雰囲気は消えていた。
それを見て、タカシはニコッと笑った。
「伝輝、一つだけ約束してくれ。
絶対に誰も殺めないこと。
いざとなれば、お前は化け能力でしか抵抗できない。
しかし、その力で動物を殺してはいけない。
たとえキバ組織相手だろうと、絶対にだ」
再び、伝輝はうなづいた。
タカシに言われなくても、自分にそんなつもりは毛頭ない。
タカシはポンッと四足歩行の犬の姿に戻り、颯爽と走っていった。
ゴンザレスは二足歩行に戻り、伝輝を心配しつつもファミレスに向かった。
その場には、伝輝一人になった。
目薬をさすと、ひんやりとした感覚が眼球を覆った。