人間7号計画 ⑥ おつかい
咲が勤める産婦人科病院で、夏美を診てもらう為に、タカシは治療費削減として、咲に1号室に住むことを提案する・・・
伝輝も1号室のドアの前に向かった。
ニヤニヤした表情で咲が一人立っていた。
「タカシさんは?」
伝輝は尋ねた。
「自分の部屋に戻って鍵を取りに行っているわ」
伝輝が来たので、咲はパッと通常の表情に戻した。
「お待たせしました」
カンカンカンとタカシが階段を降りて来た。
「それじゃあ早速、中に入りますか・・・」
と、言いかけて、タカシは鍵を持った手を止めた。
「一応、前田さんには言っといた方が良いな。
伝輝、まごころ動物園に行って、前田さんに話してきてよ」
「えー、何で、俺が?」
「頼むよ」
タカシは苦笑いした。
伝輝は、単純にタカシは前田さんに会いたくないのだと判断した。
「分かったよ。じゃあ行ってくるね」
「ありがとう、伝輝君。
さっ、先に入ってお部屋の掃除をしましょう」
咲が急かすように、タカシの肩をポンポン押した。
伝輝はその様子を横目に見ながら、駅の方へ向かった。
改札口前の駅の敷地に入ると、突然頭を締め付けられるような痛みが襲った。
「うわっ!」
あまりの急な痛みに、伝輝は立ち止まり、頭を抱えた。
痛みがどんどん強くなる。
伝輝は耐え切れず、膝をがくんと落とした。
改札口にいた犬の駅員が伝輝に近づいた。
その様子にタカシと咲も気づいた。
「伝輝!?」
「伝輝君、大丈夫?」
伝輝は声が出せなかった。
頭を両横から強い力で押され、その圧力で目玉が飛び出しそうだった。
「まさか・・・」
タカシは自分達が今いる場所を見回した。
「咲さん、伝輝をまごころ荘へ運んでください」
「分かったわ。伝輝君、立てる?」
伝輝は咲に介助してもらいながら、何とか立ち上がり、まごころ荘に向かって歩いた。
まごころ荘の敷地に着くと、痛みがスーッとひいていった。
伝輝は瞬きして、頭を軽く振った。
「どうしたの?」
急に伝輝が普通に立てるようになったので、咲が驚いたように尋ねた。
「もう、大丈夫」
「本当に?」
「はい、すみませんでした」
伝輝は頭をポリポリ掻きながら言った。
心臓の鼓動はまだ落ち着かない。むしろ、高まっている気がする。
「伝輝・・・」
タカシが伝輝を見つめた。
伝輝もタカシを見た。
お互い同じことを考えているのだろう。
たんぽぽカフェで言っていた、クッキーの言葉だ。
これが、「催眠」か・・・。
タカシもどれ位のものかを知らなかったのだろう。
伝輝の苦しんでいる姿を見て、想像以上の催眠効果に恐ろしさを感じていた。
「すまない・・・」
タカシは小声で伝輝に謝った。
「仕方ないな、それじゃあ・・・」
タカシはパッと走った。
◇◆◇
「何で、僕、まごころ動物園に行かないといけないのかなぁー?」
電車に揺られながら、マグロが言った。
隣には伝輝が座っている。
「でも、伝輝君も珍しいて言うか、困った体質だよね。
電車が怖くて一人で乗れないってさ」
マグロは穏やかな口調で、ズケズケ言った。
伝輝は「ハハハ」と引きつり笑いをした。
伝輝とマグロは、動物園内に向かう出口を出た。
廊下を歩いていると、おもむろにマグロが服を脱ぎ始めた。
「何で、脱いでんの!?」
「伝輝君の用事が済むまで、お父さんのところに行こうと思って」
「アナゴさんのところ・・・?」
「うん。
終わったら、象コーナーに来て。
客と同じ方法で良いから。
で、僕を見かけたら、ここで待ち合わせしよう」
「象コーナーって、いきなり象が増えたらおかしいでしょ」
「だいじょーぶ。
まごころ動物園は飼育している動物を交代制で外に出す方法をとっているってことにしているから」
マグロはそう言って、素っ裸になり、廊下の壁にあった一つのドアを開けて中に入って行った。
◇◆◇
伝輝は故障中のトイレから、まごころ動物園敷地内に出た。
平日の夕方なので、流石にほとんど客はいない。
園内アナウンスが流れ、まもなく閉園であることを告げていた。
「急がなくちゃ」
伝輝は敷地内を走り回った。
だが、よく考えると、普段前田さんがどこにいるかなんて知らない。
伝輝は立ち止まった。
そして、前田さんが紀州犬のブリーダーをしていることを、昇平が話していたことを思い出した。
伝輝は紀州犬ゾーンに向かった。
檻には他の動物同様に、複数等の紀州犬が狭い檻の中をぐるぐる歩き回ったり、くつろいだりしていた。
しかし、前田さんはいなかった。
「客が入れないところにいるのかな?」
白い毛並みに日本犬らしいキリッとした目元の紀州犬達を観ながら伝輝はつぶやいた。
彼らは動物界の動物ではなさそうだと、伝輝は何となく感じた。
「奥で寝ているやつは、随分年寄りそうだな・・・」
「伝輝君」
背後から声がした。
振り向くと、前田さんが立っていた。
「あ、前田さん」
いつの間に、立っていたのだろうか? 伝輝は少しドキドキした。
「どうしたんだい?
昇平さんを迎えに来たのかい?」
「ち、違うよ」
伝輝は首を振った。
「もうすぐ閉園で、動物達もお休みだから、ここを離れようか」
前田さんはそう言って、スタスタを歩き始めた。
「あ、あの、咲さんがしばらく1号室に住むことになって・・・」
伝輝は前田さんについて行きながら言った。
「咲が?」
前田さんが立ち止まった。
「うん。
お母さんの健診をすぐにできるようにするためだってさ」
前田さんは、明らかに困ったような表情を浮かべた。
「駄目・・・でした?」
伝輝は恐る恐る尋ねた。
ここで断られたら、また振り出しに戻ってしまう。
「いや、別に駄目じゃないけど・・・。
伝輝君、ちょっと頼まれてくれないかな?」
「もちろん!」伝輝の声量は思わず上がった。
承諾してくれるなら、どんなことでもしようと思った。
「咲が住む前に、俺の荷物を片付けて、君の部屋で預かっててもらえないかな?」
前田さんはそう言いながら、ポケットからメモ帳とペンを取り出し、シャッシャッと何かを書いた。
「はい、俺の下着とか入っている場所をメモしたから。よろしくね」
「分かった。ありがとうございます!」
伝輝はメモを受け取り、軽く頭を下げ、走ってその場を去った。
早く行かないと間に合わないかもしれないと思った。
でも、何でわざわざ片付ける必要があるのかな?
伝輝は少し不思議に思った。
◇◆◇
象コーナーに到着すると、親子象が仲良く体をすり寄せていた。
伝輝は象に向かって手を振った。
それに気づいた子象の方が、ノシノシと奥の寝床への入口と思われる所へ歩いて行った。
伝輝もそれを確認し、場を離れた。
動物界での様子を知っているので、裸の二人を見るのは、正直気恥ずかしい気持ちもあったが、実際見てみると、アナゴもマグロも普段の雰囲気は全く無く、完全に動物園の象になっていたので、意外と平気だった。
伝輝は服を着たマグロと合流し、電車に乗った。
まごころ荘に到着すると、急いで1号室に向かった。
ドアに鍵がかかっていなかったので、伝輝はそのまま中に入った。
咲さんが履いていたバレエシューズが玄関にあるが、居間に行くと誰もいなかった。
伝輝はメモの指示通り、居間を出て書斎とは別のもう一つの部屋に入った。
「咲さん・・・」
部屋には既に咲がいた。
そして、前田さんのメモの指示通りの場所の引き出しを開けていて、青色のボクサーパンツを広げて眺めていた。
「で、伝輝君!?」
咲はバッとパンツを隠した。
「何をしているんですか?」
伝輝はなぜ前田さんが片付けるよう言った理由が分かった。
そして、非常に不快な気持ちになった。
「部屋の掃除をしようと思って、掃除道具を探そうとしていたら、たまたま開けちゃったのよ!」
咲は焦りながら言った。
「掃除道具は居間の隅っこに置いていますよ。
俺達も使わせてもらうから、すぐ掃除できるように・・・」
「そ、そうだったかしら・・・」
咲は冷や汗タラタラにしながら伝輝を見た。
純粋な子どもの瞳が、自分を酷く残念そうに見ている。
「ごめんなさい・・・。
皆には黙ってて」
「うん、良いですよ」
伝輝はニコッと笑った。
咲の顔もほころんだ。
伝輝は発言を続けた。
「そのかわり・・・」
◇◆◇
その後、急きょ、咲の歓迎会が始まった。
連絡が入ったらしく、仕事を終えたゴンザレスと樺も顔を出した。
昇平も参加したが、夏美からアルコール禁止令を出されてしまった。
「咲さんがしばらくここに住んでくれたら、とても心強いですね!」
食事をしながら、カレイが言った。
「本当です!
補助が出なくても問題ないくらいに、費用も凄く下げてくれたんです。
もう、感謝感謝です!」
夏美が嬉しそうに言い、咲の手を握った。
「人間の出産に立ち会えるんですもの。
私にとっては、むしろ学費を夏美さんに払わないといけないくらいですよ。
車もまごころ荘敷地に置かしてもらえるので、他の訪問仕事にも支障は出ませんし」
咲もニコニコしながら言った。
その様子を見ながら、タカシは生ハム原木を齧りながら、伝輝に声をかけた。
「一体、どんな交渉をしたんだ?」
「秘密」
伝輝は少し自慢げにニッと笑った。
「呑気に楽しそうにしているわね・・・」
スッと、エミリーがタカシと伝輝の目の前に現れた。
二人を一瞥し、エミリーは発泡酒を飲んで笑っているアナゴ・ゴンザレス・樺のところへ向かった。
「グエッ」
エミリーはゴンザレスの後頭部めがけて自身の身体を体当たりさせた。
「エ、エミリーちゃん・・・」
「喜んでいるんじゃないわよ。
あんた、そんなことしている場合なの?」
エミリーは倒れ込んだゴンザレスの後頭部に乗ったまま、ゴンザレスにだけ聞こえる程度の音量で話した。
そしてすぐにゴンザレスから降りて、再び伝輝達のところに来た。
「お開きになったら、馬鹿の酔い覚ましついでに、私達だけで公園まで夜散歩するわよ」
もちろん、ただのお散歩ではない、と伝輝は思った。
タカシも静かにうなづいた。