人間7号計画 ⑤ 手術
まごころ総合病院を訪れた伝輝・夏美・咲は、救命救急科で緊急出産が行われることを知る・・・
「お二人はゆっくりで良いので救命救急科に来てください。
ちゃんと対応してもらえるように頼んでおきます!」
咲はそう言い終えると、タプタプと二の腕を揺らしながら、雌鹿の看護師と一緒に走って行った。
「どうして救命救急科に出産直前の妊婦が?」
移動しながら咲が尋ねた。
「観光でまごころ町に訪れたニシゴリラです。
予定よりも早くお産が始まったらしく、対応できる場所がありませんでした」
「緊急分娩でも、お宅なら産婦人科医がいなくても対応できるんじゃ?」
「それが・・・」
エレベーターに乗り、看護師は息を整えた。
「診断医の診断で、逆子だと分かりました」
◇◆◇
咲と看護師は救命救急科に到着した。
「圭三先生!」
手術室と書かれた扉の前で、頭頂部が禿げ上がった白髪の小柄なヒトの老人が立っていた。
「こちらのご婦人は?」
「助産師の方です」
「助産師?」
圭三は咲を見た。
咲は圭三が何かを言い出す前に、「手術着を貸していただけますか? サイズはLLで」と落ち着いた様子で言った。
「分かりました!」
看護師は再び走って行った。
「申し訳ないが助産師がいても意味が無い。
自然分娩は困難と私が診断した」
圭三は言った。
しかし、咲は分かっていたかのように、斜め掛けしていたポーチからカードを取り出し圭三に見せた。
「これは、動物界認定医師免許証!?」
「私は動物界のどこへ行っても、手術に立ち会うことができます。
まごころ総合病院は、カンパニー認定が無いと治療が出来ないのですか?」
「通常ならこの病院で治療するには、カンパニー認定医になる必要がある。
だが、今は緊急事態だ。
すぐに準備してくれ」
支度を済ませた咲が手術室に入った。
中には同じ手術着姿のタカシ(ヒトの姿)と鹿(さっきとは別)の看護師がいた。
中央の手術台には、呼吸が荒いニシゴリラの女性がいた。
「あなたは・・・」
「咲です。
逆子だそうですね。
私が帝王切開手術を行います」
そう言って、咲はニシゴリラの女性に話しかけながらお腹をさすった。
「はじめまして。
私は医者兼助産師の咲と申します。
今からあなたのお腹を切開し、赤ちゃんを取り上げます。
まごころ総合病院の診断医が、その方法が最も適切だと判断しました」
「切るの、嫌・・・」
ニシゴリラの女性は、声にならない声で訴えた。
「あなたと赤ちゃんの命を守るためには、この方法しかありません」
ニシゴリラの女性の目から大粒の涙がこぼれた。
「怖がらないで。
傷跡はほとんど残りません。
どうか赤ちゃんの為にご決断を」
「剃毛しても、すぐに俺が元に戻します」
背後からタカシが言った。
「・・・お願いします」
「ありがとうございます。最善を尽くします」 咲はニコッと笑った。
◇◆◇
伝輝と夏美が救命救急科に到着すると、先程の看護師がやって来て見学室に案内してくれた。
見学室はドラマで見たことのあるような、二階からガラス窓越しに手術現場を見下ろせるようになっていた。
ニシゴリラの男性が泣きながら、ガラス窓にへばりつき、一階を見下ろしている。
妊婦の夫だろうと伝輝は思った。
知らない動物がやって来たのに気付き、ニシゴリラの男性は顔をしかめた。
だが、すぐに傍にいたヒトの老人が話しかけた。
「ジェット様、こちら夏美さんとその息子さんです。
彼女は看護師でして、今は産休中ですがご自身の出産も控えていることもあり、今回は見学を希望されました。
夏美さんもディアナ様のご容体を大変心配されています。
ここで一緒に見守らせていただけないでしょうか?」
老人が上手く理由をつけてくれたので、伝輝と夏美は見学室に居させてもらえることになった。
「初めまして。看護師から聞きました。
タカシと同じまごころ荘にお住まいだと」
老人が二人に近付き話しかけた。
そして更に小声に切り替えた。
「夏美さんは人間界で看護師をされていたそうで。
折角ですので、まごころ町の医療技術をご覧になってください」
老人はニコッと笑った。
「自己紹介が遅れました。
私は救命救急科の診断医をやっております。
圭三です。
お分かりでしょうがヒトです」
伝輝と夏美はペコリと挨拶した。
「診断医というのは聞きなれないお言葉でしょう。
動物界には、患者の病態を診断するだけの専門医がいるのですよ。
診断医の判断を元に、医師を手配し治療させる。
医師の寿命が短い動物界では、寿命の長い動物がアシストする必要があるのですよ」
圭三はサラリと説明した。
夏美はなる程、とうなづいた。
伝輝は窓越しに手術現場を見た。
犬耳と尻尾をつけたヒトの姿のタカシが真剣な眼差しで、手術台にいるニシゴリラの女性を見つめていた。
咲と会話しているようだが、声は聞こえなかった。
◇◆◇
「私の指示に従って、止血、傷口の縫合をお願いします。
出来るわよね?」
「当たり前だ。
あなたこそ助産師なのに、手術ができるんですか?」
咲は自信ありげな目でタカシを見た。
「この町でフリーでやっていくには、ね」
咲は消毒液を両手にかけた。
右指先をさすると、パチパチと指先から音がした。
化け手刀か・・・
タカシは唸った。
細胞消失の応用で、化けの力で身体の一部を刃物ようにする技術だ。
咲は一部麻酔を施したディアナの腹部に、右親指の側面を当てた。
そのまま右方向に手を動かすと、ジョリジョリと腹部の毛が消失していった。
非常に繊細な手さばきだ。
これなら剃毛による患者のストレスは、かなり軽減できるだろう。
タカシは仕事を忘れ、咲の手元を眺めた。
「止血!」
咲に言われて、タカシは手術のサポートを始めた。
「お住まいは東アジア大陸なのね。
北海道のリゾート病院で分娩予定だったんだ。
まごころ町に来たのは、お医者さんからも大丈夫って言われたからよねー。
折角旦那さんが会いに来てくれたのに、病院にこもりっきりじゃ嫌に決まっているわ」
素早く的確に手を動かしつつも、部分麻酔で意識が残るディアナに対して咲は優しく話し続けた。
「あなた達も細心の注意を払ったけど、急にお産が始まったのよね。
それは別にあなた達が悪い訳ではないわ。
お産は本当に、何が起こるか分からないもの」
咲の手が一層慎重に動いた。
「ま、結果良ければ、全て良しってことで」
手術室内を、動物の赤ん坊の声が響き渡った。
◇◆◇
「伝輝、やったわ! 無事に産まれたわよ!」
夏美が感動で涙を流しながら伝輝の肩をポンポンと強めに叩いた。
伝輝は本格的に手術が始まる前に、窓から背を向け現場を見ないようにしていた。
お腹を切るという行為を考えると、条件反射的に脇腹が痛むような気がして、見られなかった。
「おめでとうございます!」
夏美がジェットに声をかけた。
ジェットは号泣していた。
圭三が優しく彼の背中をさすっていた。
「凄いわ、咲さん・・・」
夏美の表情は、すっかり戻っていた。
◇◆◇
伝輝と夏美は食堂で飲み物を飲んで時間を潰した。
生命誕生の瞬間に立ち会ったため、二人とも気持ちが充満して空腹を忘れてしまった。
「遅くなってすみませんでした!」
咲がポフポフと駆け足でやって来た。
その後ろに私服姿のタカシ(犬の姿)もいた。
「お疲れ様でした。
ディアナさんとジェットさんと赤ちゃんは?」
「おかげ様で、夏美さん。
今は産婦人科の病棟に移って、ゆっくり休んでいますよ」
咲はニコッと笑った。
「もうこんな時間なんですね!
ご自宅まで送ります。タカシさんも」
「よろしくお願いします」
タカシはペコリと頭を下げた。
移動中、咲は車内でも絶えずペラペラ元気よく話し続けた。
大半は町内の美味い店の話だった。
話を聞いていると、伝輝はだんだん忘れていた空腹を思い出してきた。
まごころ荘に着き、夏美は咲をお茶に誘った。
咲は快く応じた。
ついでにタカシも加わり、四人で6号室でお菓子をつまんだ。
「本当に今日の手術は凄かったわ!
咲さんは医者だったんですね」
夏美は咲に質問した。
「武者修行で日本列島を出た時期があって、そこで動物界認定医師免許をとったんですよ。
でも、原則その免許じゃまごころ総合病院で化け医療ができないから、フリーになったんです」
「へぇー、たくましいわね。
私よりずっと若いのに」
そうなんだ。と、伝輝とタカシは黙って聞きながら思った。
「皆さんの前で言うのも何ですが、私、まごころカンパニーを百パーセント信用しているとは言えなくて・・・。
社員じゃないと、生活するには結構キツイこともあるけど、独立開業している産婦人科医の師匠に仕事もらっているから、何とかやってるわ」
「え?」タカシが反応した。
「まごころ総合病院以外にも産婦人科病院があるんですか?」
タカシよりも先に夏美が尋ねた。
「ええ。お陰様で、口コミでお客様も途切れず来院してくださっています。
ウチは助産院と違って、緊急時の医療行為もある程度できるしね」
夏美の表情が明るくなっていった。
「私もそこで診てもらえないかしら?」
「夏美さんも?
でも、ウチはまごころカンパニーの補助が無いから高いわよ」
「具体的にいくらかかるんですか?」
タカシが身を乗り出して尋ねた。
「そうねぇ・・・」
咲は小型タブレットを取り出し、パパパと画面を叩き、タカシに見せた。
タカシは顔をしかめた。
「高い。何とか安くなりませんか?
せめてこれくらい・・・」
「無理よ。師匠は金額に妥協しないのよ。
経費削減できれば、師匠に相談するけど」
「じゃあ、この検診交通費を削減しよう。
しばらくここに住んでください」
「6号室に? それは困るわよ」
「いや、1号室に」
「え、1号室って・・・」咲の口元が少しだらしなく緩む。
「前田さんの部屋です。
好きに使って良いって言われているので。
でも前田さん、たまーに帰ってくるから、咲さんも困るかな?」
「香が来たって、構わないわ! 幼馴染だし!
そうねぇ、仕方ないわね~」
咲の頬が赤くなるのを、伝輝は気付いた。
「今から、案内します」
「よろしくお願いします!」
咲が軽やかな足取りで居間を出て行った。
タカシは立ち上がる際に、伝輝を見てニッと笑った。
現実の出産や医療については、全くの素人知識です。異世界のファンタジーとして思っていただければ幸いです。