人間7号計画 ④ まごころ総合病院
夏美のお腹にいる赤ちゃんを守る為、伝輝達は解決策を模索するが・・・
夏美が動物界に来てから一ヶ月が過ぎた。
その間に、狩りの日もあった。
しかし丁度昇平と夏美は健診の為に三日間ほど人間界に戻っていたので、伝輝の心配は杞憂に終わった。
夏美のお腹は日に日に大きくなっていった。
伝輝は昇平がいない時を狙って、夏美のお腹に耳を当て、中の赤ちゃんが動きや夏美の体温を感じていた。
「しょーちゃん、今日も飲み会なの!?
三日連続よ!
今度の休みは絶対休肝日だからね!」
夕食後に居間で伝輝と夏美はテレビを見てくつろいでいた。
伝輝は座椅子にもたれている夏美のお腹に寄り添っていたが、昇平からの電話に反応し、ビクッと離れた。
「本当にしょうがないんだからっ。
伝輝、どうしたの?」
「あ、いや、別に・・・」
「しょーちゃん、今日も遅くなるってさ。
先に寝とこっか」
「分かった。
でもドラマは観て良いでしょ」
そう言って、再び伝輝は夏美にくっついた。
夏美はクスッと笑った。
「甘えん坊~。
お腹の赤ちゃんに笑われちゃうぞ」
「だって・・・」
甘えてねって、言ったじゃないか。と伝輝は思った。
「良いのよ。
赤ちゃんだって、お兄ちゃんに触ってもらえた方がきっと嬉しいだろうし」
夏美はギュッと伝輝を抱きしめた。
「ちょっと、ドラマ観てるんだから・・・」
伝輝は抵抗するフリをした。
だが、案外あっさりと夏美は伝輝を手放した。
「咲さんから、メッセージだわ」
夏美はスマホの画面を撫でた。
「咲さん、明日ウチまで迎えに来てくれるんだって!」
「明日、どっか行くの?」
「あれ、言ってなかったっけ?
明日はまごころ総合病院での検診よ」
伝輝はガバッと身体を起こした。
「それ、本当?」
「何で、嘘つくのよ。
それにしても、助かったわー。
明日はしょーちゃんも休みとれないし。
初めて行くし、一人じゃ不安だったのよ」
「俺も、行く」
夏美はスマホの画面から顔をそらし、伝輝を見た。
「でも、学校は?」
「休む」
「何言ってんのよ。
あんたが病気な訳じゃないんだし」
「良いの!
だって俺、ここに来てから土日以外ずっと学校通ってんだよ。
ゴールデンウィークも夏休みもなかったんだからさ!
動物界は、個々の判断で休んで良いんだよ!」
伝輝は必死で夏美を訴えた。
夏美の表情は険しかったが、諦めたのか、ため息をついた。
「授業は大丈夫なの?」
「問題ない。
個別学習だから、周りと遅れることもないよ」
「そう・・・。
じゃあ、一緒に来てくれる?」
夏美はニコッと微笑んだ。
伝輝の表情は明るくなった。
◇◆◇
次の日、夏美と伝輝は酒臭い昇平の尻を引っ叩きながら、朝食を食べさせ出勤させた。
後片付けをしながら、夏美はつぶやいた。
「しょーちゃんって、本当に困るんだから・・・。
私が来るまで、毎朝大変だったでしょ?」
「いや、意外と前の方が簡単だったよ。
今度も今日みたいだったら、俺が奥の手を呼ぶよ」
伝輝は洗い終えたお椀を布巾で拭きながら言った。
「奥の手?」
夏美は首をかしげた。
ドアチャイムが鳴った。
伝輝は玄関に向かった。
「おはようございます! あら、伝輝君?」
レモンイエローのシフォントップスと紺色の足首が見えるパンツ姿の咲がドアの前に立っていた。
「おはようございます」
伝輝は小声で挨拶をした。
数ヶ月前に一度見たことがあるが、マグロの様にすぐ親しくできる訳ではなない。
「おはようございます。
咲さん、今日はありがとうね」
伝輝の背後から夏美が現れた。
「いえいえ、さぁ、行きましょう!」
咲は丸々と膨らんだ顔をくしゃっと笑顔にした。
◇◆◇
まごころ総合病院は、予想以上に綺麗で大きな病院だった。
壁は白く塗られており、ヒビ一つ見当たらない。
広々としたロビーは、上品なソファが並び、壁や柱に取り付けられた液晶画面からは、病院案内が表示されていた。
三人は受付カウンターに行った。
チェック柄のベストという制服姿の猫の女性は、患者が夏美だと知り、突然緊張したかのように、表情を強張らせた。
「では、ご案内いたします」
猫は受付カウンターから出てきて、直接三人を産婦人科へ案内した。
産婦人科の待合室のソファには、夏美同様にお腹を膨らませた色々な動物が静かに座っていたが、三人はそこに座ることなく、すぐに診察室に入った。
診察室は、通常の簡素なベッドと机というものではなく、大きなベッドの傍に、革製ソファとテーブルという、応接室のような内装になっていた。
ドアが閉まると、ソファに座っていた白衣のヒトの姿をした男性が立ち上がった。
「ようこそ、まごころ総合病院へ。
夏美さん、体調はいかがですか?」
ギョロッとした目と平たく大きな鼻と口。
見た目年齢は五十代と伝輝は思った。
太ってはいないが、顎周りに肉が付き、皺のような段ができていた。
「私は担当医のインゲンと申します。
この産婦人科の副部長をしております。
どうぞ、よろしくお願いいたします」
インゲンは丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願いいたします・・・」
夏美も頭を下げた。
「ささ、どうぞこちらのソファに座ってください」
インゲンは夏美をソファに座るようにうながした。
「申し訳ないですが、付き添いの方々はご退出願います」
インゲンがそう言うと、ヒト(女性)の姿の看護師が奥から現れ、伝輝と咲を外に出した。
インゲンがニコニコ顔だったのに対し、ほうれい線がくっきり浮かぶ看護師の目は冷たかった。
ドアを閉める瞬間、看護師が見下した表情で自分を見たと伝輝は感じた。
「折角来たのに、肝心の診察が見れないなんて。
これじゃあ、勉強にならないわ」
咲がため息をついた。
伝輝はそれを聞いて、少し残念な気持ちになった。
結局彼女も夏美が「人間」だからついてきているだけなのか。
「仕方ないから、ここで待っていましょう。
後で夏美さんに聞いてみようっと」
咲はそう言って壁側のソファに腰を下ろした。
伝輝も隣に座ったが、夏美が居る診察室のドアから目が離せなかった。
「無事だと良いんだけど・・・」
伝輝が小さくつぶやいた。
「大丈夫よ。
だって、副部長が直々で診察するのよ。
ありえないくらいのVIP待遇だわ。
やっぱ、人間の出産だから、まごころ総合病院も慎重になっているのかしら。
まっ、まごころカンパニー社員じゃない私が言うのも何だけど、ここの産婦人科には色々敵わないと思っているわ。
きっと、最大限お産に向けて、取り組んでくれるわよ」
咲はニコッと笑った。
伝輝は作り笑いをした。
◇◆◇
夏美が診察室から出てきた。
看護師にお辞儀をして、伝輝達のところに近づいた。
伝輝はドキッとした。
夏美は俯いて無表情になっていた。
「お疲れ様です。
さ、座ってください」
咲が夏美をソファに座らせた。
伝輝と咲は夏美の両隣りに座った。
「診察はどうでした?」
咲は落ち着いた声色で尋ねた。
夏美の表情を見て、良くない話が出てくるかもしれないと思ったのだろう。
「赤ちゃんの状態は順調だったわ。
私の方も特に問題無くて、今後はもっと買い物とか家事とか、無理しない程度に身体を動かした方が良いって」
「そうですか!
良かったですね!」
うるさくならない程度に、咲は明るく言った。
だが、夏美の表情は変わらなかった。
「何かあったんですか?」
咲が尋ねた。
夏美は咲の方を見た。
「あの、インゲン先生って、本当に人間なんですか?」
咲はキョトンとした顔になった。
伝輝は何となく、夏美がなぜ戸惑っているのかが分かった気がした。
「いいえ・・・。
確か、インゲン先生はトラだったと思います。
以前、別の妊婦さんの付き添いで、顔を見たことがあります。
妊婦さんや患者さんが緊張しないように、わざと姿を変えるお医者さんは沢山いますよ。
きっと初診だったので、インゲン先生も気を遣ったんだと思います。
でも、トラだからって、心配することはないです!
キャリアも長いですし、ヒトの出産だって立ち会っていますよ、きっと」
咲は一生懸命夏美に話した。
夏美は今度は伝輝を見た。
表情はまだ変わっていない。
むしろ、より辛そうにしていた。
「私、ロビーに行って、今後の検診について確認してきますね。
診察代も立て替えておきますので」
そう言って、咲は場を離れた。
看護師が名前を呼び、呼ばれた動物が診察室に入って行く。
そんな中、伝輝は夏美を見つめた。
伝輝は夏美の手を握った。
「お母さん、何かあったのか?
インゲンっておっさんに何かされたの?」
「舐められた・・・」
「え?」
「確証はないけど、エコーで胎内を診てもらっている時に、舌でお腹を舐められたような感触がしたの。
でも、先生はニコニコしてて。
私聞けなくて。
先生に「順調に育ってますね」って、凄く嬉しそうに言ってもらえたんだけど・・・。
その、何だろう。
何か、不安に感じたんだよね。
きちんと診てくれそうだし、診断やアドバイスも的確だったけど・・・。
こんなこと言うの失礼かもしれないけど、人間じゃないからなのかな?」
伝輝は不安を通り越して、怒りを感じた。
夏美も赤ちゃんも狙われているのだ。
だが、そんなこと絶対に夏美に言えなかった。
◇◆◇
「お待たせしましたー。
さ、これで今日の検診は終わりです。
帰りにランチ食べに行きませんか?」
咲が笑顔でやって来た。
すると、すぐ背後から雌鹿の看護師が慌てた様子で、産婦人科の受付窓口向かって走ってきた。
「急患です!
産婦人科の先生に来てもらえませんか?」
「今、対応できる医師はいません」
受付窓口の三毛猫は言った。
「そんな、早くしないと・・・。
部長や副部長は?」
「お二人とも、会合があるので、既に病院を出発しています」
雌鹿の看護師は、困った表情でケータイを顔の横に当てた。
「今、産婦人科医は誰も対応できません」
『バカヤロー!
だったら、交代休の医者でも呼び出せ!』
ケータイからは、周りも振り向くような男の大声が飛び出した。
看護師は反射的にそのケータイを顔から話したので、声がはっきりと待合室に響いてしまった。
「タカシさん!?」
伝輝は思わず、看護師の方を見た。
看護師は半泣きになりながら、受付の三毛猫に嘆願した。
だが、三毛猫も困惑した表情を浮かべていた。
「私が対応しましょうか?」
咲がスッと看護師の方へ行き、話しかけた。
「え・・?」
「私は助産師です。
どうか案内してください」
「でも・・・」
『おい、どうした!?返事しろ!時間がない!』
看護師はケータイを切っていないらしく、タカシの大声が聞こえてくる。
「迷っている暇はないわ。
早く! 患者はどこなの?」
咲が毅然とした態度で言った。
看護師は黙ってうなづいた。
「救命救急科です!」