エミリーの災難 ② ポンコツ先生
エミリーを治す為に、伝輝とタカシは「ある場所」へ向かう・・・
まごころ動物園前駅に到着した三人は、動物園外の出口を出た。
出口を出るときに、タカシは耳と尻尾をしまった。
三人はまごころ動物園の人間界での最寄駅の方まで歩き、商店街に入った。
「ここだ」
タカシが立ち止まった。
明るい外観で、照明付きの看板に「あんしんクリニック 整形外科・リハビリ専科」と書かれている。
タカシと伝輝がクリニックの前で立っている間に、数名の患者が出たり入ったりした。
チラリと見える受付ロビーも清潔感があった。
「普通の綺麗な病院だな」
伝輝は言った。
「こっちじゃないよ。その隣」
「隣?」
伝輝はクリニックの隣の建物を見た。
あんしんクリニックとは正反対の寂れた外観で、ところどころヒビが入った鼠色のコンクリート壁に、これまた年季の入ったプラスチック看板に「貫田医院 整形外科・マッサージ・整体」と書かれている。
何医院なのか、伝輝には読めなかった。
一応、横開き式のガラス扉には「営業中」と書かれた札がかかっているが、中に患者がいそうな様子も、ここに入ってこようとする患者もいない。
「ああ、やっぱり、そうだよな」
伝輝は納得したような、がっかりしたような気持ちになった。
◇◆◇
ガラッガラガラッと、少々立てつけの悪い扉を開け、タカシと伝輝は中に入った。
夜の病院を思わせるようなジメッと暗いロビーを、タカシは平然と進んでいくので、伝輝は不安になりながらもついて行った。
受付窓口の傍にあるドアを開くと、途端に明るくなった。
いや、まぶしかった。
天井の中央にミラーボールがぶら下がっており、レインボー色のライトが部屋全体と照らしていた。
壁や絨毯の床は、先程と違い、綺麗に張り替えられていて、家具など、女の子が喜びそうなスイート仕様になっていた。
ドアの向かい側に、真紅のカバーをかけたソファがあった。
そこに、網タイツと超ミニスカートのナース服を着たヒトの女性が座っていた。 身体をくねらせ、脚をこれ見よがしに組み直した。
「あら、お久しぶりね。タカシちゃん」
金髪のショートカットに、真っ白に塗りたくった顔。
目の周りはバサバサとつけまつ毛が揺れている。
リップグロステカテカの唇から、白い短い棒が伸びている。
「診察かしら?」
女性はンパッと、唇から伸びていた棒を引っ張ると、球体のキャンディが出てきた。
「はい。彼女を診てほしいんです」
タカシはシャツをめくった。
エミリーを見た女性は、ぬっちゃりとキャンディを舐め回し、目をしかめた。
「重症ね。
隣の部屋に行って、先生に診てもらってちょうだい」
女性がキャンディで、診察室と書かれたドアを指した。
タカシは言われるままに診察室のドアを開けた。
ドアの向こうは、ようやくまともな診察室だった。
ドアの音に反応し、背を向けて椅子に座っていたヒトの姿の男性がクルリとこちらを向いた。
「やぁ、タカシじゃないか。随分としばらくだな」
「ご無沙汰しています。ポンコツ先生」
ポンコツ先生・・・。
伝輝は、相変わらずの動物界の名付けのセンスに苦笑いした。
ポンコツ先生と呼ばれた男性は、七三分けの黒髪に、眼鏡をかけた下膨れの顔、お腹がボヨンと出た体型と、どこにでもいる中年のおっさんという風貌だった。
「今日はどうしたんだ?」
「この猫に化け異常が起きていまして・・・」
タカシはくるんでいたシャツを外し、エミリーをベッドに寝かした。
「うわ・・・」
伝輝は言葉を失った。
エミリーの症状は更にひどくなっていた。
尻尾の部分から生えている腕は、大人の腕の長さにまで伸びており、加えて、左後ろ脚の辺りに今度は人間の足が生え始めていた。
「おやおや、これはまた立派なモノがついてしまっているな」
ポンコツ先生は、ニコニコしながら言った。
「彼女は辛いだろうが、命に関わることではないよ。
ここまで、異常の化け症状が起こるということは、彼女は相当化け能力を抑え込んでいたようだな。
これは、一度思いっきり化け能力を発動して、姿を変えないと、治らないよ」
ポンコツ先生は、机に置いていたアルコール消毒液を自分の手にかけた。
「なぁに。すぐに治る。
飛び出た余分な部分を消滅させて、一度彼女を完全に化けさせればね」
そう言って、ポンコツ先生はエミリーの体に触れようとした。
しかし、エミリーの目が開き、素早く立ち上がって避けた。
「エミリーちゃん?」
タカシが言った。
「化けるなんて嫌よ。
私は猫なんだから、それ以外の姿に変わるなんてありえないわ!」
「だけど、そうやって我慢しているから、能力を制御しきれなくなっているんだよ」
ポンコツ先生は言った。
「何てことないわ。
ちょっと、疲れていただけよ」
エミリーは尻尾を腕に巻きつけた。
そのままグッと体に押し込むように腕を押すと、腕は消えた。
同じように前足で足を押し込んだ。
「ほら、治ったでしょ」
エミリーはスタッとベッドから降りた。
「タカシさん、ここまで連れてきてくれてありがとうね。
でも、余計なお世話だったみたいね」
そう言ってエミリーは診察室を出て行った。
◇◆◇
ドアが閉まり、残された四人はしばらく黙ったままドアを見つめていた。
「あ、いや・・・。
すみませんでした。ポンコツ先生」
タカシが申し訳なさそうに声を出した。
「いやいや。気にしないで良いんだよ」
ポンコツ先生はニコニコとした笑顔を絶やさずに言った。
「エミリーちゃんは、あのままで大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫じゃないと思うよ。
かなり無理をしているだろうから。
後で彼女を説得して、タカシが治療してやってくれ。
さっき私が言ったことはできるよね?」
「治療方法が分かったので、大丈夫です」
タカシは言った。
「それより。
私が気になるのは、その男の子だよ。
まさか人間を連れて来るとは思わなかったよ」
ポンコツ先生が伝輝を見た。
「はじめまして。
私の名前は貫田先骨です」
ポンコツ先生はフッと両手で顔を撫でた。
一瞬で頬から毛が生えてきた。
「ご覧のとおり、タヌキです。
そして、そちらのバケモノは・・・」
「誰がバケモノよ」
「彼女は常木宇紺。
この貫田医院で、受付兼看護師をやってくれているよ」
常木宇紺もフッと自分の顔を撫でた。
ピョンッと黄土色の三角耳が飛び出した。
「どーも、キツネです。
ウコンって呼んでね。
趣味はアンチエイジング美容よ。ヨ・ロ・シ・ク」
二人は顔だけを元に戻した。
伝輝が黙ったままでいたので、タカシが代わりに伝輝を紹介した。
二人は伝輝を見てニコッと笑った。
「私達は、化けタヌキの貫田一族、化けキツネの常木一族として、まごころカンパニーが日本で町を作るより遥か昔からこの列島に生きている。
一族は日本全国に点在していて、多くはまごころカンパニーとは全く別のコミュニティを作り、生息している。
私とウコンは、化け技術のアドバイザーとして、まごころカンパニーに協力しているんだよ」
「へ、へぇー」
伝輝は、ポンコツとウコンの雰囲気に圧倒されていた。
この二人は今まで見てきた動物界の動物との一味違う感じがした。
「あくまで、協力しているだけだから、私達はまごころカンパニーや町のルールを守ることは基本的にしていない。
だから、カンパニーの目を盗んで、化け技術を教わろうとする動物界の住民達の来院が後を絶たないんだよ」
タカシが言っていた裏ワザとはこのことだったのか、と伝輝は思った。
「タカシもまごころ町だと手続きが面倒だからと、ここでヒトに化ける訓練をしたよね」
「懐かしいわー。
初めて、タカシちゃんがヒトに化けたのは、伝輝君くらいの頃だったわね。
とっても可愛かったのよー」
ウコンはベッドに腰掛け、脚を組み直しながら言った。
「そう、化けを始めた頃は実に丁寧に化けていた・・・。
なのに、今は何だ、その雑な化けは!
服を着ているからって、体毛調整がいい加減すぎるぞ!」
ポンコツ先生は、おもむろに、タカシの服をめくった。
タカシの腹は体毛で肌が見えないくらい真っ黒だった。
「無精髭はまだ許せる範囲だが、見えないところの体毛こそ、面倒がらずにちゃんと減らさないと。
実際に体毛の濃い人間はもちろんいるが、化けで重要なのは、だます相手に違和感を与えないことだよ」
「ですが、体毛調整は結構労力が必要でして・・・」
「あら、そうなの。
だったら私がカミソリでジョリジョリしてあげましょうか?」
ウコンがナース服のポケットから理髪師が使うような本格的なカミソリを取り出した。
「そ、剃るのだけは勘弁してください。
分かりましたよ・・・」
渋々とタカシは腕や腹をスススと撫でた。
するとたちまち体毛の量が減った。
ついでに顔も撫で、髭を消した。
伝輝は髭の無いタカシ(ヒト)の顔を初めて見た。
髭の無いタカシはいつもより若々しく見えた。
あまり意識して見たことがなかったが、こうやって見ると、切れ長の瞳に、あまり高くはないがスッと整った鼻、薄い唇と、意外と整った顔立ちをしていた。
「そうそう、君はそこそこ男前なんだから。
ちゃんと化けた方が得だぞ」
ポンコツ先生はニコニコしながら椅子に座った。
タカシはしばらく黙っていたが、すぐに顔を擦り始めた。
「やっぱり、駄目です。
髭が無いと落ち着きません。
肌が直接空気に触れるのが耐えられません」
手を離すと、いつもの無精髭に戻っていた。
「アハハハハ。
肌のむき出しに慣れないのは、ヒトに化ける動物の永遠の悩みだな」
ポンコツ先生は高らかに笑った。