エミリーの災難 ① エミリーの不調
まごころ荘に住み始めて、数ヶ月経った伝輝。大分、住民たちとも打ち解けてきたが、ある動物とだけは、未だギクシャクした関係のままで・・・
ある日の土曜日の朝、伝輝はカレイさん宅で朝食を食べ終え、ドアを開けた際に、エミリーと鉢合わせになった。
エミリーはこれからカレイさん宅で食事をするようだった。
「お、おはよう・・・」
伝輝はたどたどしい口調で言った。
エミリーは眉間にしわを寄せて伝輝を見た。
「フンッ!」
エミリーは返事をせず、そのまま伝輝の傍を横切ろうとした。
伝輝がまごころ荘に引っ越して数ヶ月たとうとしているが、未だにエミリーとだけは、まともに会話ができない。
エミリーがあからさまに自分のことを嫌っているような態度をとるので、伝輝は彼女に対しての苦手意識がとれなかった。
彼女は挨拶しないのに、伝輝が挨拶を怠ると、ネチネチとエミリーは嫌味を言ってくるので、渋々、伝輝は挨拶をする。
しかし、やはり今回も冷たい反応しか返ってこなかった。
伝輝はうつむいて、足元をスタスタと歩くエミリーを目で追った。
あれ?
伝輝はエミリーの後ろ姿を見て、少し違和感を感じた。
胴体が横に広がり、いつもの倍くらいになっている。
太ったのか、それとも妊娠したのだろうか?
尋ねると間違いなくエミリーの嫌味攻撃が始まりそうだと思ったので、伝輝は何も言わなかった。
◇◆◇
まごころ荘の外階段を上り、5号室のドアの前を通った時、上からタカシの声が降ってきた。
「おはよう、伝輝」
タカシ(犬の姿)がニョキッと屋上から顔を出した。
「おはよう、タカシさん。今日は仕事休みなの?」
「七連勤明けだよ。伝輝は狩り特訓か?」
「ううん。ドリスが用事でいないから、今日は休みだよ」
「じゃあ、ちょっと上がってこいよ。
新作のビーフジャーキーを昨日買ったんだ」
タカシが屋上で食べるビーフジャーキーは、伝輝も気に入っていた。
伝輝は屋上に上った。
「動物界の生活は慣れたか?
ここに来て何ヶ月になるんだ?」
タカシはビーフジャーキーの袋を伝輝に差し出した。
伝輝は袋から長めのものを一本取り出し、齧ったりしゃぶったりした。
「結構経ったよね。
慣れたって言えば、慣れたけど。
やっぱり元の生活に戻りたいって気持ちもあるよ」
「そりゃあ、そうだよな。
動物関係とかはどうなんだ?
特に学校とかさ」
「多分、学校の方は、今のところ問題ないと思うよ。
でも・・・」
「でも?」
タカシは片耳の先端を少し折り曲げた。
「エミリーさんは、ちょっと苦手・・・」
伝輝は折角だから言ってしまおうと思った。
「エミリーちゃんね・・・。
あ、気をつけろよ。
エミリーちゃんに対しては、絶対『ちゃん』付けしないと、怒られるぞ。
なぜかはよく分からないけど」
タカシは言った。
「苦手なのは、分かるけど、そんなに気にすることか?
ちょっとキツい言い方するだけだろ?
伝輝はまだ見たことないかもだけど、対ゴンザレスさんの時なんか、もっとひどいぞ。
まっ、ゴンザレスさんは、エミリーちゃんに罵倒されるのは、全然気にしてないどころか、ウエルカムみたいだけどな」
「エミリーさ・・・エミリーちゃんの元々の性格ってのは、分かるけど。
それでも何であんなにあからさまに嫌な態度をとるのかが分からないんだ。
人間ってだけで、あんなに嫌われるものなのかな?
差別じゃないか」
伝輝は言い始めると止まらなくなった。
どんどん愚痴になっていった。
「そうだな。
エミリーちゃんは確かに人間嫌いなんだけど、そうなった理由と伝輝は直接関係ないもんな。
エミリーちゃんは野良猫として、人間界にいた時、人間にかなりひどい目にあったらしいんだ。
それ以来、人間嫌いらしいんだ。
元々、彼女は自分が認めた動物以外の話は聞かないっていうところがあってさ。 カレイさんと俺の話は聞いてくれるけど、他の動物は大体同じだよ」
「わがままだなぁ・・・」
伝輝は齧っていたビーフジャーキーを食いちぎった。
「あと、どうやら伝輝に対しては特に敵視するところがあるみたいだな。
俺と仲良くしてるってことで、嫉妬してるらしい」
「はぁ?! 何それ?」
「彼女としては、自分以外のまごころ荘の動物が、俺の治療を受けたことがきっかけで、俺にまとわりついているのが、気に食わないらしい」
「別に、まとわりついてないし・・・」
むしろ、タカシの治療のおかげで、化けの特訓をしないといけなくなった等、タカシの方が自分に関わってきているのだ。
エミリーの理不尽で一方的な態度に、伝輝は腹が立った。
「そうやって、横に並んでいるだけで、虫唾が走るのよ」
エミリーが二人の目の前にいた。
伝輝とタカシはビクッと反応した。
「い、いつの間に?
全然気づかなかった・・・ん?」
タカシはエミリーを見た。
タカシもエミリーの体型に気付いたのだろう。伝輝もエミリーを見た。
「うげ!」
思わず声が出てしまった。
すかさず、エミリーは伝輝をギッと睨んだ。
「何よ! 何か文句あんの?」
「文句は無い・・・ただ・・・」
タカシがエミリーの尻尾の辺りの方を指差した。
「もう一本、尻尾がある。
いや、腕だな」
「え?」
タカシの言葉に、エミリーは身体をひねらせ、自分の背後を見た。
「な、何よ、これ!?」
エミリーの尻尾の付け根の上から、尻尾と同じくらいの長さの腕が生えていた。
ヒトの子どもの腕くらいの大きさと形だった。
「何で、こんなのが生えてんのよ!?」
エミリーは叫んだ。
が、すぐにフラリと横に倒れた。
「エミリーちゃん!」
タカシと伝輝はエミリーを囲んでしゃがんだ。
タカシはエミリーの額と尻尾の上の腕に触れた。
「化け能力が異常反応を示している。
このままでは危険だ」
「エミリーちゃんも化けが使えるの!?」
伝輝はタカシに尋ねた。
「それについては、後で話す。
まずはこの症状がどんなものか、調べないと」
「まごころ総合病院に行くの?」
「いや、エミリーちゃんが化け能力を持っているのは、秘密なんだ。
カンパニーが運営している病院には行けない」
「じゃあ、どうすれば・・・」
フッと、タカシはヒトの姿に化けた。
「カンパニーとは無関係の化け医者に見せる」
タカシは着ていたチェックシャツを脱ぎ、エミリーの体をそれで優しく包んで抱き上げた。
「伝輝も行くか?
前に言ってた、化けの裏ワザの場所に連れて行ってやるよ」
タカシはニッと笑った。
伝輝の目は見開いた。
「うん、行きたい!」
「よし、それじゃあ、また人間界に行くぞ。
十分後にまごころ荘前駅に集合だ」
タカシはエミリーを抱えたまま下に降りた。
◇◆◇
伝輝とタカシとエミリーは、電車に乗り、まごころ動物園前駅に向かった。
タカシの腕に抱かれていたエミリーが目を開けた。
「体調はどう? エミリーちゃん?」
「別に、尻尾に変なのがついている以外は、問題ないわ」
「そうでもないみたいだよ。
腕がさっきより大きくなってる」
タカシはエミリーを包んでいるシャツを少しめくりながら言った。
「これから医者に診てもらうからね」
「医者なんか嫌よ。
タカシさんが治してよ」
「俺じゃあ、診断できないんだ。
少しだけ我慢してくれないか?」
タカシが極力優しい声色で言うと、エミリーは黙った。
「何で、タカシさんが言うと、おとなしくなるのかなぁ?」
伝輝のつぶやきに、エミリーは反応し素早く身を起こした。
「はぁ、何言ってんの・・・」
「はいはい、落ち着いてエミリーちゃん」
タカシはエミリーの体をシャツ越しに撫でた。
「伝輝も不満なんだよ。
ただ、人間ってだけなのと、俺と一緒にいるからってだけで、エミリーちゃんに嫌な態度をとられることがさ」
「フン。
こいつに私が何かしてあげて、私にメリットあるわけ?
こいつが私の為に何かしてくれるわけ?」
「そうだね。
俺は以前、瀕死の君を助けたことがあるから、エミリーちゃんが俺を認めてくれているのは分かる。
じゃあさ、今後伝輝が君の為に何かしたらさ、その時はちゃんと認めてやってくれよ」
「フン・・・考えといてあげるわ」
エミリーは再び目を閉じた。
ここまで上から目線で言われる筋合いはない、と伝輝は思った。
伝輝がエミリーの為に、何かをすることなんかあるとは思いにくい。
伝輝はこれからもこのままなのだろうと、半ば諦めの気持ちになった。