人間狩り ⑤ 出発
狩りの日、伝輝とタカシは人間界に行く前に、まごころ動物園で時間を潰すことになったが・・・
昇平がニコニコしながら近づいてきた。
ツナギのボタンを三つくらい外しており、中の蛍光色のTシャツがチラチラ目に入る。
袖をまくった腕にはシリコン製のブレスレットを複数つけている。
きちんとボタンを留め、袖元・襟元も整っていたツナギ姿の前田さんとは大違いだった。
「前田さんから聞いたよー。
びっくりしたぜ。どうしたんだよ、伝輝。
お前もコスプレカーニバルを観に来たのか?」
「別に・・・」
今度は伝輝がフイッと顔をそらした。
だが、昇平は特に気にしていないようだ。
「あれ、お前、このワンちゃんは誰のペットだ? 柴犬?」
「タカシさんだよ」
伝輝は言った。
ちなみに、タカシは柴犬の遺伝子が強そうな姿をしているが、タカシ曰く、一応雑種らしい。
「え?! タカシさん!?
確かにそうかも・・・」
昇平はしゃがんで、タカシの方を見た。
タカシはハッハッハと舌を出して昇平を見ていた。
「へぇ~、こうやって見ると、普通の可愛い犬だな」
昇平がタカシを撫でようと手を伸ばしたが、サッとタカシは避けた。
「ハハハ、冷たいな」
昇平は笑いながら立ち上がった。
「タカシさんも、コスプレしたら?
海賊とか似合いそうだ。
あっちで、コスプレ衣装販売とレンタルしてるぜ」
ちょっと面白そうだと、伝輝は思ってしまったが、タカシを見ると、臨戦態勢に入っているんじゃないかと言うオーラを醸し出して拒否の意思を示しているようだったので、何も言わないようにした。
話せないと言うのは、色々大変そうだ。
「昇平さん、いたいた!」
ふくよかな体格の、若い女性が小走りでやってきた。
ズボンタイプのナース服に淡いグリーンのカーディガンをはおっている。
「心花姫号が無事出産に成功したの!
今、前田さんが心花姫号のところに向かっているわ。
昇平さん、手が空いていたら、前田さんの代わりに陸ガメのエサの準備お願いできるかしら?」
「マジで!? やった! 姫、やったな!」
二人のやりとりを、伝輝は訳分からず見ていた。
この女性は何者なのだろうか?
「あら?」
女性が伝輝の方を見た。
「え? この子? 昇平さんの親戚?
昇平さんにそっくりね」
昇平に似てるという、この世で最も言われたくない言葉に、伝輝はショックを受けた。
小さい頃から、よく言われるのだが。
「違うよ。俺の子」
昇平がサラッと言うと、女性の元々丸っこい目が、ボトリと落ちるんじゃないかと言うくらい、見開いた。
「えー!? 昇平さん、子どもいたの!?
しかも、こんな大きい子!
でも、こないだ結婚してからようやく子どもができたって・・・」
「うん、だから、結婚してからは、今回が初めてなんだよ」
伝輝はうつむいた。
あっさりと悪気なく昇平は言うが、伝輝にしてみれば、まるで自分の子ではないと言われたような気になる。
「伝輝、この人は咲さん。
フリーの助産師で、色んな動物の出産に立ち会っているんだよ。
今回も紀州犬の心花姫号の妊娠から出産まで対応してくれたんだ」
「はじめまして。ちなみに、ヒトよ」
咲はウィンクして笑った。
「はじめまして・・・
あの、キシュウケンってなんですか?」
伝輝は咲に尋ねたのだが、昇平が説明し始めた。
「お前、知らないのかー?
まごころ動物園では、紀州犬の繁殖活動を行っているんだぜ。
お前も見てるはずだぜ。キツネとかのコーナーにある紀州犬の家」
「あの、白い犬のこと?」
そう言えば、そんなことが紹介板に書かれていたような。
「前田さんが、ドッグブリーダーみたいな資格持っているみたいでさ。
本当、前田さんって凄いよな」
「そうよね」
咲の頬が少し赤くなった。
「今日、俺、夏美のとこに行くんだけど、一緒に咲さんも行って、夏美の様子診てもらおうと思うんだ」
昇平が言った。
「私も、人間は初めてだし、ヒトの出産もあんまり立ち会ったことないから、是非とも勉強したいわ」
「咲さんも子作りすれば?
前田さんとさ」
昇平がニヤニヤしながら言った。
伝輝はセクハラだと思った。
「やだぁ、もぉ! 昇平さんたらっ!
変なこと言わないでよー。
香とは、そんなんじゃないの・・・」
咲は顔を真っ赤にして反論していたが、実に嬉しそうな様子だった。
非常に分かりやすい女性だ。
二人の様子を見ていると、タカシがリードを引っ張り始めた。
「俺、行くね」
「おう、ちゃんと夕方までには家に帰るんだぞ。
タカシさん、伝輝のこと、よろしく頼むな」
昇平と咲が見えなくなるくらいまで歩いたところで、タカシが鼻で伝輝の足をつついた。
「何? どうしたの?」
「俺は、伝輝がいなかったら、昇平さんは結婚できなかったと思う」
「はぁ?」
「伝輝ができたおかげで、昇平さんは夏美さんと結婚できたんだよ。
むしろ、伝輝に感謝しないといけないくらいだよ。
人間界の女性は、男性の収入にうるさいんだろ?
昇平さんはラッキーだよ」
もしかして慰めてくれているのか? と伝輝は思った。
だが、余計なお世話に感じた。
「俺も・・・」
タカシはピクッと顔を動かした。
「タカシさんは、高いところから落ちて死にかけたけど、無事に生きているからその名前になったんだと思うよ」
伝輝は、余計なお世話には、同じく余計なお世話で返した。
「ああ、そうだな」
タカシは照れくさそうに言った。
「似ているな、伝輝は。あの人間も同じことを言っていたよ」
スッとタカシは伝輝から離れ、再びリードを引っ張って進もうとした。
タカシはペットと一緒に入れる食堂に伝輝を連れて行った。
伝輝はそこでホットドッグセットを頼んだ。
タカシに何が食べたいか聞いたら、意外にもドッグフードという答えが返ってきた。
「栄養バランスが優れているんだ」
タカシは小声でそう言った。
食事を済ませると、二人はまごころ動物園を出た。
人間界の、動物園最寄りの駅に向かった。
駅の近くの公衆トイレに入る際、タカシが伝輝の足をつついた。
「俺を抱えてトイレに入ってくれ」
「何で?」
「トイレの床に手の平をつけろっていうのか?
俺はこの両手で治療するんだぞ。
ただでさえ、今も嫌で嫌で仕方ないのに」
今は両手じゃなくて、肉球付きの前足のくせに。
と、伝輝は思ったが、黙ってタカシを抱きかかえた。
洋室トイレの個室にタカシを入れ、持っていたバッグを渡した。
個室の中で、ガサガサと物音がした。
伝輝は待っている間に、用を足した。
ガチャッと個室のドアが開くと、ヒトの姿に化けたタカシさんが現れた。
タカシさんは洗面台の鏡で自分の顔を確認した。
いつもと違って、頭の上に三角の耳がなく、尻尾もついていなかった。
「なぁ、伝輝。
俺の耳の形おかしくないかな?
ちゃんと人間の形をしているか?」
伝輝はタカシの耳を見た。
形は普通だが、耳たぶに尋常でない量の産毛が生えている。
「形は良いけど・・・
毛が気持ち悪い」
「うるせぇよ。
どうせ、髪の毛で隠すんだから。
いつも手を抜いているから、たまにちゃんと化けようとすると、雑になるんだよ」
伝輝とタカシは駅のホームに向かった。
これから、キャンプ場に向かうのだが、伝輝はまだ、人間狩りが起こると言われても現実味がわかなかった。
どうしても久しぶりの人間界というのもあり、遠足気分が抜けずにいた。