伝輝の特訓 ⑦ 再び狩りの日
ドリスと源次郎の三人で放課後に狩りの特訓をしていることを、団助先生に知られてしまった伝輝は、狩りの特訓を土日だけにしようと、ドリス達と決めた・・・
放課後の特訓が無くなり、伝輝はいつもより早く家に着いた。
1号室に行く気がせず、居間のテレビをつけた。
数少ない人間界のテレビチャンネルはコマーシャル中だった。
「余分な体脂肪を燃やそう」
「カロリーを消費せよ」
「身体を温めて、代謝を上げよう」
昼間の主婦向けのなのか、健康やダイエットに関するものばかりだった。
それでも、伝輝にとっては唯一人間界の情報を得られる手段なので、今までなら見向きもしなかった内容でも、食い入るように見るようになっていた。
番組も同じくダイエット特集で、伝輝はただボーっと見続けた。
「日常生活の活動でも実はエネルギーは消費されているんですよ・・・」
ゴロンと仰向けになり、伝輝はあくびをした。
片耳からテレビの音が入って反対側から出て行った。
何となく自分の前髪をつまんでスルスルと撫でたが、何も変わることはなかった。
更に何日が経ったが、伝輝は髪の毛を伸ばすことが出来なかった。
次第に適当に言い訳を作って1号室に行かないようにもなった。
化けの練習よりも、午前中の団助先生との練習と週末のドリス達の特訓の方が楽しかった。
団助先生の特訓は、ボール避けから変わり、体育館で前転・後転・側転といったマット運動になった。
人間界の体育の授業よりも、マンツーマンで教わるので、伝輝はどんどん上達していった。
ドリス達との特訓は、少し山に入った中にある広場で行い、じゃれ合いから、避ける練習へと切り替わっていった。
ある日、伝輝と昇平が朝食を食べにマグロ宅に行くと、ゴンザレス・樺・エミリーそしてタカシがいた。
ワイワイとした雰囲気はなく、皆静かにモクモクと食べていた。
伝輝は直感で、今日はもしかして狩りの日かも、と思った。
そう言えば、あれから一ヶ月近く経っている。
伝輝の直感は徐々に確信へと変わっていった。
カレイは今日の夕食は各自で済ませてくれと言い、学校では団助先生が朝礼で午前授業に切り替わると言った。
昇平は仕事が休みだったらしく、伝輝が家に帰ると、レトルトカレーを温めていた。
「今日、狩りの日なんだってなー」
あっさり昇平が言ったので、伝輝は驚いた。
一体、こいつはいつ、どこで、どこまで、動物界のことを知り得ているのだろうか?
夕方になり、辺りは不自然なくらい静かになっていった。
伝輝は何度も鍵がかかっているか確認し、カーテンは少しも光がもれないよう、ピッチリ閉めた。
「もうちょっと落ち着けよ~。鍵さえかけていれば大丈夫なんだろ?」
昇平は居間でテレビを見ながら缶発泡酒を飲んでいる。
本当はタバコを吸いたいのだが、窓を開けて吸うので、今晩はできないのだ。
そのため、少しイラついた様子を見せていた。
日が暮れ、獣の遠吠えのようなものが聞こえてきた。
伝輝はその声を聴くと、反射的に身震いし鳥肌がたった。
二人で無言でテレビを見ていたが、伝輝は自分が震えていることを昇平に気付かれたくないと思い、寝室から持ってきた毛布に身をくるんで居間に戻ってきた。
「俺の分も持って来いよ」
昇平が命令口調で言った。
酔っ払っている昇平は非常に面倒くさいので、伝輝は何も言わずに寝室に向かった。
居間に昇平一人になり、昇平は缶発泡酒をグイッと一気に飲み干した。
机にある缶は全て空になった。
「伝輝ー、ビール持ってきてくれー」
寝室にいる伝輝には聞こえていないようだ。
昇平は仕方なく立ち上がり、冷蔵庫に向かった。
ガタン
「ん?」
居間から出られるベランダの方で、何か物音が聞こえた。
昇平は気のせいかと思い、缶を数本抱え、冷蔵庫を閉めた。
だが、ちゃぶ台に缶を置いていると、カチャカチャと再び音がした。
うるさくはないが、決して遠くない音。
すぐそばのベランダの窓から聞こえてきた。
昇平は恐る恐る、ベランダの方に近づいた。
カーテンが閉まっているので、外の様子が分からない。
昇平はカーテンをザッと開けた。
昇平の目の高さに、ベランダの窓越しに逆さになった動物の顔があった。
三角に尖った耳、鼻が黒く、口が横に開き、舌と涎が重力に沿って下に垂れている。
革ジャンを着ているようで、窓の上から伸びる手はヒトに似た骨格をしている。
手はサッシを持っており、鍵がかかっているが、ガチャガチャと動かしていた。
「な・・・」
昇平は凍りついたように動けなくなった。
今まで接してきた動物界の動物達と全く違う。
こちらを見る目は、いやらしく、まるでこちらを品定めしているかのようだった。
動物は興奮しているのか、黒い鼻から鼻息が絶えず漏れ、鼻周りの窓を白く曇らせた。
動物は立ちすくむ昇平を見て、窓をその黒ずんだ舌でベロリと舐め上げた。
「わぁー!」
昇平の声が聞こえてきた。
伝輝は押入れから引っ張り出していた毛布を放り出し、居間に向かった。
昇平はベランダの前で座り込んでいた。
カーテンが開いているので、伝輝は一瞬、昇平が最悪な行為をしたのかと思った。
「何やってんだよ!」
真っ先に伝輝はベランダに鍵がかかっているか確認した。
鍵はかかっている。
「今、変な動物がベランダにいたんだよ。
あ・・あの野郎!」
昇平は立ち上がり、ベランダの窓に手をかけた。
「止めろって! 開けちゃ駄目なんだよ!」
伝輝は昇平に抱きつき、全身で押し出すように、昇平をベランダから遠ざけようとした。
昇平は酔っているせいもあるのか、興奮しており、自分に抱きついている伝輝の頭をガシッと掴み、離そうとした。
このままじゃあ、マズイと思った伝輝は自分の足を昇平の足に絡ませ、昇平のバランスを崩し、一緒にバタンと倒れた。
「いってー!」
畳の上だが、背中を打ちつけた昇平はかなり痛がり、寝転がった状態でもがいた。
昇平から離れた伝輝はベランダのカーテンを閉めようとした。
その時、何か水滴のようなものが一筋たれているのに気付いた。
目線を上げると、一部分だけ、外側の窓が濡れていた。
「フフフフフフフ・・・」
シマハイエナのバラは、まごころ荘の敷地を出た。
近くに来たので、仕事の合間にこっそり抜けて人間6号がいる部屋をのぞいてみたのだ。
残念ながら、6号が居るかどうかは確認できなかった。
鍵もかかっていて中に入れなかった。
それでも、先月味わった特別な味が舌から蘇ってくるようで、バラは溢れだす涎を舌でベロリと舐めた。
「また、是非。今度は骨ごとしゃぶりたいな・・・」
人間6号なので、死なせることはできない。
しかし、前回の傷も修復されたと報告があった。
死なせなければ、問題無いのだ・・・・
バラは再び嬉しそうに静かに笑った。
心臓の鼓動がどんどん加速していく。
昇平の言ったことも踏まえると、ほぼ間違いなく、このベランダに肉食獣がいたのだ。
そして、その肉食獣は、もし鍵がかかっていなかったら、迷うことなく中に入り、自分たちを襲おうとしたのだ。
恐怖が伝輝の全身を駆け巡った。
逃げ出したい衝動に駆られたが、伝輝は必死でそれを押さえた。
無意識にグッと拳を握りしめ、胸の前に置いた。
バクバクと心臓が鳴っているのを感じた。
次第に握りしめていた右手が熱くなってきた。
伝輝は、その右手の平を見た。
手の平には6という数字が浮かんでいる。
「あ・・・!」
伝輝は小さく驚いた。
頭の中で、箪笥から無理やり服を引っ張り出すように、今まで聞いてきた言葉や情報が浮かんできた。
これは出てきているのではない、自分がそれを見える状態になっているのだ。
伝輝は、疲れたのか寝転んだままの昇平の方を見た。
昇平の右手は、手の平の方を天井に向けている。
そっと近づいて見てみた。
「4・・・」
伝輝は居間に持ってきていた毛布を昇平に被せ、寝室に向かった。
電気をつけ、先程引っ張り出した毛布にくるまった。
手の平の6がまだ見える。
自分の身体が熱くなっているのを感じる。
タカシに何度か化けで治療してもらった時に、触れられた箇所が温かくなっていたことを思い出した。
化けには熱が必要なのかもしれない。
伝輝は髪の毛を一本抜き、右手の指でつまんで撫でてみた。
指先に今の体温を全て集中させるイメージをした。
次第に指先と撫でている髪の毛が温かくなってきた。
今までなかった感覚だ。
毛先の部分で一度指の動きを止めた。
温かいというよりも熱さに近づいてきた。
伝輝は息をのんでその熱さを維持したまま、毛先からその先に指を動かした。
髪の毛の感触が指の動きに合わせて、付いて来た。
「・・・できた?」
伝輝は身体を起こした。
右手に全神経を集中させ、下に降ろしていく。
髪の毛は明らかに伝輝の今生えている長さを超えてきた。
「できた・・・」
伝輝は持っていた髪の毛を一度手放し、左手でもう一本髪の毛を抜いた。
6の数字がまだ見えることを確認し、右手の指でつまんで動かした。
かすかにジリジリと何かが焼けつくような音も発していた。
今度は一回撫でただけで、スススと伸びていった。
「やった・・・!」
伝輝は立ち上がり、まるで糸を紡ぐように、どんどんどんどん髪の毛を伸ばしていった。
数メートルに及んだ髪の毛は、畳の上でとぐろを巻いていた。
伝輝は髪の毛を手放し、そっと右手の平を左手で包んだ。
深呼吸をし、気持ちと身体を落ち着かせた。
右手の指の熱さが徐々に引いてきたのを感じ、手の平を確認すると、6が見えなくなっていた。
伝輝は大きな手ごたえを感じた。
いつの間にか、恐怖は吹き飛んでいた。