狩りの日 ⑥ メルの願い
狩りの日の翌日、カレイの家でジンギスカンを食べることになった。しかし、伝輝は参加したがらず、まごころ荘の屋上にいたが・・・
カレイさんの家から、わいわいと賑わう声が漏れて、伝輝の耳に届いてくる。
伝輝はそれが不快で仕方なかった。
「人間界に帰りたい・・・」
伝輝はポツリと漏らした。
「よいしょっと」
突然、タカシの声が背後からしてきたと思うと、タカシが大きなリュックを背負って、ヒトの姿で現れた。
「タカシさん?!」
「おう、伝輝。調子はどうだ?」
タカシは伝輝の隣に腰を下ろし、リュックの中身を取り出し始めた。
リュックの中身は、食材が入ったいくつかのタッパーとカセットコンロだった。
伝輝はタカシが何の準備をしようとしてるかが分かり、立ち上がった。
「邪魔して、ごめん。降りるね」
伝輝は梯子の方に向かおうとタカシの前を横切った。
「待てよ。これはお前用に準備してるんだ。」
タカシは通り過ぎようとした伝輝の腕をつかんだ。
「え? でも何で、俺がここにいるって分かったの?」
「一応、犬なんで。
ここの住人の匂いなら嗅ぎ分けられます。
見えなくたって、これくらいの距離ならいるかどうかすぐ分かります」
タカシは少し自慢げに鼻を指でこすった。
「じゃあ、何で今はヒトに化けてるの?」
渋々戻りながら、伝輝は尋ねた。
「犬のままじゃあ、あの梯子に手が届かないから、上り下りする時はヒトに化けてるんだ。
今まだヒトの姿なのは、コロコロと短時間で変化するのが俺自身苦手なだけ」
タカシはテキパキとカセットコンロに火をつけ、コンロの上にジンギスカン鍋を乗せた。
油をひき、タッパーから肉を取り出し、焼き始めた。
たちまちタレ焼きの匂いがもくもくと漂い、伝輝の鼻もくすぐられた。
「美味そうだろ?
カレイさん、お手製のタレなんだぜ。
ジンギスカンで食うのは、俺は今回初めてだけどよ」
「俺は食わないから」
伝輝はジンギスカン鍋にもタカシにも顔を向けずに言った。
ジュウジュウと肉の焼ける音だけが響く。
「まぁ、昨日の今日だしな」
タカシは頭の上の三角耳を片方折り曲げた。
「動物界ではこういうものなのかよ?
昨日、自分の知り合いが誰かに食われたかもしれないのに、平気で肉が食えるのかよ」
伝輝はふつふつと怒りがこみあげてきた。
「狩りの日も俺達にとっては日常だ。
次の日何をしようが、何を食おうが勝手だ。
もちろん、食わないのも勝手だ。
でも、今回はお前はこれを食わなきゃいけない」
「だから食わねぇって言ってるだろ!」
伝輝はタカシに顔をそむけたまま、強い口調で言った。
そんな伝輝の視界に入るように、タカシは折りたたんだ便箋を差し出した。
「これを読めば、お前がこれを食わなきゃいけない理由が分かる。
悪いけど、俺は先に読ましてもらった。
おかげで、昨晩お前が外に出ていた理由が分かったよ。
この手紙を書いたメルって動物は、お前の友達だったんだな」
「メルの手紙?!」
伝輝は便箋を受け取り、「伝輝君へ」と書かれた一枚目を見た。
そう言えば、本と一緒に置いてあった・・・。
丸っこくて、ひらがなが少し多すぎる文章を、伝輝はランプの明かりを頼りに読み始めた。
『伝輝君へ
伝輝君の名前「伝輝」ってかくんだね。
ずっと電気だとおもってた。
はじめて見たかんじだから、じしょでしらべたよ。
輝きを伝えるってかくんだね。
かっこういい名前だね。
僕の名前はてきとおにつけたから、ちょっとうらやましいな。
借りてた本かえすね。
かしてくれてありがとう。
三回目でやっと分かったよ。
おもしろかった。
ほんとうはがっこおでかえしたかったけど、はやくかえらなくちゃいけなくなったから、がっこおでかえせなかった。
この手紙かいてからわたすことになるから、きっと狩りの時間はじまっているとおもう。
そうしたら、ドアを開けるのはあぶないから、ドアの前においとくね。
伝輝君にかくしてたことがあります。
僕は、動物ではありません。
家畜です。
北海道からすこしまえにまごころ町にやってきました。
町にやってきたりゆうは、狩りの日のターゲットになるためです。
それから、僕のきぼおで、本をたくさん読むためです。
僕は、ラム肉牧場でうまれました。
僕はふしぎにおもっていたことがあります。
さくの外には、僕達と同じ羊がいるのに、その羊はふくをきて、にほんあしであるいてます。
でもさくの中の僕達は、ふくはきてないし、よんほんあしであるきます。
僕はさくの外の羊に聞きました。
年は僕とおなじくらいです。
外の羊はおどろいたけど、すぐになかよくなりました。
外の羊は僕にいろんなことばをおしえてくれました。
その羊がむちゅうになって読んでいる本の名前をおしえてもらいました。
僕も読みたいといいました。
外の羊は僕に字の読み方をかきかたをおしえてくれました。
でも、それはだめなことでした。
そとの羊は、外の大きな羊にとってもおこられました。
僕もおこられて、たくさんけられました。
そして、みなとちがうひとりぼっちのさくにはいりました。
なんにちもそこにいました。
僕はことばをわすれそうになりました。
そうしたら、大きな羊とべつのおおきなどうぶつがやってきました。
十日後、僕は狩りの日にターゲットになると言われました。
そのとき、僕はおねがいしました。
そうしたら、どうぶつはゆるしてくれました。
僕は何日かしてから、まごころ町のたくさん本のある部屋に来ました。
はじめてふくをきました。
耳のタグを狩りの日まではずしていいといわれました。
本はとてもおもしろかったです。
狩りの日を僕はしっていたので、その日までぼくはたくさん読みました。
そんなときに僕は伝輝君と会いました。』
「家畜・・・。
メルが家畜ってどういうこと?!
だって、メルは普通に動物界の動物みたいにしていたし」
伝輝はタカシの方を見た。
「手紙のとおりさ。
まぁ、その手紙だけじゃあ分かりにくいだろうけどな。
メルは北海道の牧場で育てられていた家畜だ。
本来なら、羊肉として出荷される存在だ」
タカシはカセットコンロの火を弱めた。
「伝輝もスーパーで普通に肉が売られているのを見てるだろ?
牛肉・豚肉。でも、一方で、牛や豚が普通に生活している。
この違いは何か、分かるか?」
伝輝はゆっくり首を下に動かした。
「だけど、たまに例外が起きてしまう。
それがこの手紙を書いたメルって羊だ。
本来、家畜は動物界で暮らす動物のように、言葉を発することはしない。
しかし、まれに家畜の中にも、動物のように、意思をもったものが産まれてしまう。
これは、家畜の面倒を見る動物にとっては、非常に危険な存在だ。
一匹がきっかけに他の家畜も意思をもたれてしまうと、商品として出荷しずらくなる。
だから、この羊は隔離されたんだ」
「この羊・・・じゃない。メルだ」
伝輝は何かに反抗するかのうように言った。
「その『メル』ってのも、名前じゃない。
恐らく伝輝と話を合わせるのに、適当に名乗ったんだろう。
『メル』って言われたら、動物界の連中はこう思う。
『北海道最大の食肉牧場、メル牧場』
つまり、食肉メーカーのブランド名だってな」
伝輝は言葉を失った。
手紙にタグという言葉があった。
昨日、メルの耳についていた飾りを思い出した。
「そうしたら、メルは・・・。
初めから、昨日の狩りの日のことを知ってて・・・・」
伝輝は身震いし、自分の頭を抱えた。
自分は最後、メルに何を言った?
「伝輝?」
タカシが伝輝の様子を見て、声をかけた。
「メルは昨日死ぬことを知ってて・・・。
なのに、俺・・・」
最新刊を貸す約束をしたことについて、メルはどう思ったのだろうか?
伝輝は自分がとても残酷なことをしてしまったのではないかと、思った。
すると、自然と目から涙がこぼれてきた。
「自分の責める前に、最後まで手紙を読んだらどうだ?」
タカシは静かに言った。
伝輝はにじんだ視界で、手紙の続きを読んだ。
『伝輝君はにんげんだから、僕のことをしらないのかなと思った。
伝輝君は僕をどうぶつとしてはなしかけてくれた。
うれしかった。本のはなしもできてたのしかった。
伝輝君は僕に本をかしてくれるってやくそくしてくれた。
僕はそのやくそくをまもれないけど、うれしかった。
みじかいあいだだったけど、伝輝君といっしょにいられてよかった。
伝輝君とあって、僕は狩りの日がこわくなった。
できれば狩りの日になってもどこかににげたいとおもった。
伝輝君と本のつづきをよみたいとおもった。
でも、それはできないから。
僕はもうひとつだけおねがいしました。
伝輝君、僕をたべてください。
僕はもう伝輝君にあえないけど、伝輝君は僕のことをわすれないかぎり、僕は伝輝君のあたまのなかにいることができます。
伝輝君にたべてもらえるとおもったら、僕は狩りの日がこわくなくなるとおもいます。
ラムとしては年をとりすぎてるとおもうけど、エサはまごころ町にきても、ちゃんとしたものをたべていたので、おいしいとおもいます。
よろしくおねがいします』
伝輝は顔をあげて、再びタカシの方を見た。
そして、二人の間に置かれているジンギスカン鍋を見た。
「今、焼いている肉って・・・」
「今朝、まごころ荘に届いたそうだ。
狩りの日ってのは、無差別に草食動物を襲うだけではなく、メルみたいに、狩りの為に放たれる家畜もいる。
そして、もう一つのパターンとして、自ら最期を遂げる場として、草食動物が狩りの日に襲われるのを待つこともある。
この場合、事前にキバ組織に申請しておけば、その動物が希望先に加工した自分自身を送ることが出来る。
メルは両方の事例を利用したってことだ。
キバ組織ってのは、まごころカンパニーていう会社にある組織で、狩りの日の推進をしている組織だ。
昨晩お前を襲ったハイエナも、キバ組織のメンバーだ」
タカシはお皿に焼けた肉を乗せ、箸と一緒に伝輝に差し出した。
「お前がこの肉を食べなきゃいけない理由が分かっただろ?
さ、食べな」
伝輝は皿に乗った焼肉を見た。
これがメルだと思うと、どうしても食べられない。
唇を内側から歯でかみ押さえるようにギュッと閉ざした。
「嫌だ・・・」
「食わなきゃ、メルは家畜どころか、生ごみになってしまうぜ。
それでもいいのか?」
「・・・・」
伝輝はじっと正面を向き、肉を見ないようにした。
タカシは困ったように皿を持っていない方の手で、頭を掻いた。
「じゃあ、いいよ。
手紙になんか伝輝の頭の中とか書いてたけどさ。
もう、メルのことは忘れちまえ。
前にも言ったけど、寿命長く生きてるからって、先に死ぬ奴のことなんかいちいち考えなくていいんだ。
だけどこれ一枚は食え。
どうせすぐに消化されて、明日には排便される。
メルのかけらなんか、お前の身体のどこにも残らない。
でもな、お前がこれを食うか食わないかで、メルの生きた意味が変わるんだ。
メルが希望を持てて死ぬことができたのは、伝輝がいたからだ。
最後にこの希望を叶えてやれ。
お前がメルを動物だと思うなら・・・」
「うるさい!」
そう言うと、伝輝は乱暴にタカシから皿を奪い、素手で焼肉を口につっこんだ。
カランカランと箸が落ちて転がった。
一噛みするごとに、甘辛い醤油の味がしみてきた。
その中に、牛肉とも鶏肉とも違う肉の味が感じられた。
「う・・・・う・・・・・」
再び伝輝の目から涙がこぼれ落ちた。
もう一度初めからメルの手紙を読んだ。
ひらがなも漢字もバラバラだけど、メルが限られた時間の中で一生懸命書いた姿を想像した。
「よくできました」
タカシが静かに言った。
そして、もう一つ、皿と箸を取り出し、肉を取り始めた。
「うん、やっぱうまいな」
モグモグと口を動かすタカシを見て、伝輝は思わず大声をあげた。
「お前、何食ってんだよ!」
「え? だって、伝輝は食いたくないんだろ」
「うるせー!
肉は食うな! オッサンは野菜でも食ってろ!」
「おっさん!? そこまで老けた姿に化けてないぞ!」
「十分、オッサンだよ」
伝輝は転がってた箸を拾って、鍋の肉をつかもうとした。
「あ、お前それ、まだ生焼けだって・・・・!
てか、その箸落としたやつだろ。今、布巾だすから・・・」
屋上から良い匂いが漂ってきた。
玄関先で、カレイや昇平たちが不思議そうに見上げていた。
「二人とも楽しそうね」
カレイさんがにこやかに言った。
「あんな、タカシさんの元気な声、初めて聴いたよ」
ゴンザレスが言った。
「人間め・・・。やっぱり敵だわ」
エミリーが低くつぶやいた。
「おーい、焼きそばができたよー」
家の中から、アナゴさんが呼んだので、皆玄関のドアを閉めて中に戻っていった。