狩りの日 ④ 逃げろ!
公園でメルと会ったが、メルは肉食動物に襲われてしまった。そして伝輝もハイエナに見つかってしまい・・・
「ヒト、はっけーん!」
シマハイエナが口をぱっくり開けて、伝輝が隠れている植え込みの茂み目がけて飛び込んできた。
「ヒィィ!」
伝輝は反射的に後方に飛ぶように退いた。
植え込みの枝がビシバシと伝輝の腕や足を引っ掻いたが、そんなのには気にしている余裕はなかった。
飛び込んだシマハイエナは茂みの中に頭を突っ込み、臭いで獲物を探っているようだった。
伝輝が大きく動いたため、すぐに居場所を特定されてしまった。
シマハイエナは茂みから眼だけを出した。
その眼は、ギラギラと光っていた。
「そこか・・・」
伝輝は再び退いた。
すると、茂みの奥は壁や塀ではなく、公園の小道に出られようになっていた。
伝輝は植え込みから抜け出すと、公園の出口に向かって走った。
後ろを振り向きたくはなかった。
ひたすら全力で走った。
背後で、シマハイエナが吠えるのが聞こえる。
シマハイエナも植え込みから抜け出したのだ。
地面を弾むように駆ける音が聞こえる。
その音と獣の荒息が伝輝の耳に入ってきた。
足がだんだん重くなる。
動かしたくても動かなくなってきた。
ドンッ!
先程、メルに押し倒された時よりも、もっと強い衝撃が伝輝の背中を襲った。
伝輝は前に倒れこんだ。
とっさに出した両手がひどく擦りむいた。
「うう・・・」
「随分と間抜けな反応だな・・・。
お前、もしかして、人間か?」
シマハイエナは、前足や頭を使って、伝輝を仰向けにした。
伝輝は抵抗したかったが、全身が痛くて動けなかった。
シマハイエナは伝輝の首元に左前足を添えた。
ほんの少し動いただけで、刃物のように鋭い爪が伝輝の首元に食い込んだ。
「人間なのか? 答えろ」
「う・・・ん・・・」
声が上手く出せず、かすかに頭を下に動かした。
「ははははは!
そうか、やっぱりな!
まるで動きがトロくて、拍子抜けしたぜ。
でも・・・ヒトも初めてだったんだが、まさか、人間が食えるとはな・・・。
今日はラッキーな日だ。
じっくり味わってやるよ・・・」
シマハイエナは伝輝のTシャツを口でくわえると、ビリビリと破き、伝輝の胸から腹部にかけてをむき出しにした。
右前足をおへそのあたりに置き、伝輝のあばら骨あたりを側面から表面までベロリと舐めあげた。
「ヒィィ・・・!」
生ぬるく、ざらざらとヌメヌメが合わさった感触が、全身を駆け巡り、一気に鳥肌がたった。
「うぉぉぉぉ!
何て良い舌触りなんだ!
人間の皮ってのは、こんなに滑らかなのか?
流石、体毛が最も少ない部類の動物だな」
シマハイエナは自分の顔を伝輝の顔に近づけた。
血なまぐさい臭いが、伝輝の鼻をついた。
「俺の名前はバラだ。
俺に食われることを光栄に思いな。
俺はその辺のたるんだ肉食動物と訳が違うんだ。
獲物を生きたまま食うことに、芸術的こだわりを持っている」
バラはそう言うと、おへそ辺りに置いていた前足をふりあげ、ギャリッと伝輝の腹部を削った。
「うあぁぁ・・・!」
痛みと自分の皮膚をつたう血の感覚が、伝輝を絶望的な感情にさせた。
恐怖に涙と鼻水が流れた。
バラは少しだけ、伝輝の反応を楽しんだ後、今度は伝輝の脇腹を甘噛みした。
そして・・・
「・・・・・・・!」
言葉に言い表せられない痛みが伝輝を襲った。
自分はもう死ぬのだ。
早く、この痛みから抜け出させてほしい。
伝輝の視界がぼやけてきた。
「まだ、若いな。
もう少し脂肪がつくか、赤味がついてくれたら良かったんだが。
まぁ、こんな子どもは、逆に市場に出回らないから、レアな珍味で悪くないか」
ヌチャヌチャと味わいながら、バラがつぶやいた。
伝輝はもうほとんど動いていない。
「つまらねぇな。死にかけてるのか。
もう少し、いい声出してくれよ」
バラが次に食いちぎるところを決めようとしていた時、猛スピードでこちらに向かって走ってくる音を感じた。
「何だ?」
バラが音のする方に顔を向けた瞬間、自分より一回りは小さい黒い塊が飛び込んできた。
バラは払い避けようとしたが、その黒い塊は一瞬で何倍にも大きくなり、バラを体当たりで吹き飛ばした。
「いってぇぇ! 誰だ、てめぇは!?」
バラが居たところに、ヒトの姿をした動物が伝輝を抱きかかえていた。
「おい、こらっ!
それは俺の獲物だぞ! 横取りしてんじゃねぇよ!」
「これをよく見ろ!」
ヒトの姿をした動物は、伝輝の右手の平をバラに見せつけるように突き出した。
「あっ!」
痛みで頭が朦朧とする中、伝輝は自分が誰かに抱きかかえられているのが分かった。
誰かとバラとの会話も不思議なくらいはっきり聞こえてくる。
そして、バラと話している声がタカシだということが分かった。
「お前にも見えるだろ!
この手の平の『6』のナンバーが!
この子はまごころカンパニーのサンプルだ!
『人間6号』だ!」
バラは、一歩たじろいだ。
「・・・・何で、こんな日に外をうろついているんだよ。
サンプルならちゃんと管理しとけよ!」
「悪い。こちらの手違いなんだ。
頼むから、今回は見逃してくれ。
この子はまだ、サンプルの役割を果たしていないんだ」
バラはブツクサと悪態をつきながら、渋々とその場を去った。
「はぁ・・・、危なかった・・・」
タカシはため息をついた。
顔を下げたとき、血まみれの伝輝がぐったりとしているのに気付いた。
「伝輝! 大丈夫か!?」
タカシは伝輝の出血箇所を調べた。
脇腹部分が抉り取られている。
「内臓も損傷している。
救急車を呼んでる暇もねぇな」
タカシは自分が羽織っていたチェックシャツを脱ぎ、地面に敷き、その上に伝輝を寝かせた。
「消毒も麻酔も無いが、許せ」
そう言うと、タカシはおもむろに抉れた伝輝の脇腹に両手を突っ込んだ。
「ギャア!」
伝輝の目玉は飛び出すかと言うほどに見開いた。
焼けつくような痛みが脇腹を襲い、遂に伝輝の意識を失ってしまった。
露に濡れた葉の匂いが、風に乗って伝輝の鼻をさすった。
ゆっくりと目を開けると、ポツポツと光る星と、傍らの街灯の明かりが差し込んできた。
「目が覚めたかい?」
伝輝の視界の上半分に、ヒトの男性の顔が入ってきた。
「うわっ、うぅ・・・」
伝輝は上体を起こそうしたが、激痛が走り、再び横になった。
「ああ、こら、動くなって。
まだ治療したばっかなんだから。
それにあんまり動いたらベンチから落ちるぞ」
「あの・・・タカシさん・・・?」
男性はニコッと微笑んだ。
「そうだよ。
ヒトの姿に化けているんだ。
伝輝は動物が化けるのを見たことがあるのかい?」
少し長い黒髪に、無精ひげが濃く生えている。
人間でいうと還暦くらいだと言っていた割に、ヒトの姿をしたタカシはそこまで年をとっているようには思えなかった。
昇平より年上くらいの年齢に見えた。
「学校で見たことがある・・・」
「そうか。
俺はヒトに化けないと治療が出来ないんだ」
「治療・・・?」
伝輝は自分の脇腹を恐る恐るさすってみた。
するんと以前と変わらぬ形で、自分の皮膚をなぞることができた。
「あれ?」
体が痛むのも忘れて、思わず伝輝は自分の身体にかけられていたチェックのシャツをめくり、自分の腹部を見た。
実際に見たわけではないが、確かに出血していた。
にも関わらず、脇腹にも腹部にも、傷のようなものはなくなっていた。
かさぶたや、縫ったような跡もなく、元のままに戻っていた。
「何で・・・うぐぅ」
「落ち着いて。楽な体勢になろうか。」
そう言ってタカシは伝輝をベンチに腰かける状態に動かした。
「その様子なら、もう家に戻れそうだな。
人間界でいう外科手術みたいなのを施した後で、絶対安静状態だったから、ここで休ませてたんだ」
「一体どんな手術をしたの?」
「化医療さ」
「ばけいりょう?」
「そう。動物界にとって絶対欠かせない科学技術であり、人間界に絶対に知られてはいけない技術。
それが『化け』でそれを医療に応用したのが化医療さ。
俺は化医療術を習得して、それを使って救命医をやっている」
タカシは両手の平を広げて見せた。
「『化け』生物の細胞や遺伝子、染色体に働きかけて、通常とは違う変化をさせたり戻したりする技術のことだ。
俺がこの手で対象物に触れると、死滅した細胞や肉体を復活させることができるんだ。
今回の伝輝の傷を治したのも、前に髪の毛の色を戻したのも、この化医療術の力さ」
「凄い・・・」
「まぁな。
俺達動物界からすれば、『化け』を使わずにメスで腹を切って、患部を切り取りだす人間界の技術の方が凄いと思うよ。
あの器用さと集中力は、他の動物では真似できないレベルだ」
タカシはベンチから立ち上がった。
お尻の辺りから、黒い毛の尻尾が飛び出していた。
よく見ると頭の上には三角の耳がついている。
「タカシさん、尻尾と耳が・・・」
「完全に化けるのは、凄く体力を使うんだ。
だからところどころ手を抜いているだけだよ」
白いTシャツから出ている腕も黒い体毛がかなり濃く生えていた。
「さぁ、早く帰ろう。
今晩はゆっくり休んだ方が良い。
お腹が空いているかもしれないけど、内臓を治療したばかりだから、朝になるまで飲み食いは我慢してくれ。
伝輝、俺のシャツを着な」
「でも、これ大きすぎるよ」
「大丈夫だから、着てみな」
伝輝はシャツに袖を通し、ボタンを留めた。
やはり袖も裾も長い。
と思っていたが、ボタンを留め終わるとたちまち、長さや身頃の幅が縮小し、伝輝の身体に丁度良い大きさになった。
「どういうこと?」
「動物界の定番服。
超伸縮性と形状記憶に優れた繊維を使用しているんだ。
俺達動物は、体格・骨格が変わるのは当たり前だからな。
そのシャツ、朝食の時も着ていたけど気付かなかったか?」
そういえば、と伝輝は思った。
「大変だったろうけど。
これで、色々分かっただろ。この世界のこと」
タカシは伝輝をおぶった。
ヒトの姿のタカシは、昇平よりも背が低くて、背中も小さく感じたが、伝輝はとても落ち着くことができた。
「大丈夫? 他の動物に襲われたりしないかな?」
帰り道、時折、獣の鳴き声が聞こえてきた。
「大丈夫だよ。
狩りの日のルールで、他の動物が獲ったものは奪っちゃいけないってのがあるから。
伝輝は俺の獲物で、家でじっくり頂こうとしていると、周りは思っているよ」
「え!?」
伝輝は身体を起こした。
タカシはなだめるように少し身体を揺らし、伝輝を元の体勢に戻した。
「おいおい、俺がお前を食べる訳ないだろう?
俺は人間は食うものではないと思っているから安心しな」
タカシの背中に身を任せていると、恐怖と緊張が薄れたからか、どっと眠気が襲ってきた。
その中で、伝輝はまだタカシに言っていない言葉を思い出した。
「タカシさん・・・」
「ん?」
「助けてくれてありがとう・・・」
「良いってことよ」
そのまま伝輝は眠りについた。
何か大切なことを忘れているような気もしたが、今はそれを思い出すこともなかった。