狩りの日 ② 一人の6号室
肉食動物が草食動物を襲っても良い日「狩りの日」。伝輝は、今日がその日だと、団助先生から知らされるが・・・
まごころ荘に帰ると、既にマグロも帰宅していて、部屋にいた伝輝を昼食の為に呼びに来た。
伝輝は、マグロとカレイさんの三人で昼食を食べた。
二頭とも、体の大きさは周りに合わせた大きさだった。
「伝輝君」
テレビを見ていた伝輝に、カレイさんが話しかけた。
「今日の晩御飯は、部屋で食べてくれるかしら?
夕方までにお弁当作って渡すから」
「え、どうして・・・・」
カレイさんはいつもの穏やかな表情のまま答えなかった。
伝輝は、今日が「狩りの日」だからだと気づいた。
「分かりました。
でもお弁当はいいです。自分で何か買います」
仕事している昇平に代わって、伝輝が日用品を購入するために、部屋には現金がいくらか常に置いてある。
「そう、分かったわ。
でも、買い物に行くならお昼の間に行かないと、きっと今日はいつもより早く閉店しちゃうわよ」
「分かりました」
伝輝は返事した。
昼食後、伝輝は生活費の入った財布を持って、まごころスーパーに出かけた。
日頃、カレイさんの手作り料理を食べていると、たまにはカップラーメンなど、レトルト食品やインスタント食品が食べたくなるのだった。
雑食動物コーナーの一角にある、人間界でも売っているインスタント食品の売り場で適当にいくつか見繕い、レジに向かいつつ、散歩がてら、広い店内をぶらぶらと歩いた。
すると、「ブヒッ」という鳴き声が伝輝の耳に入ってきた。
伝輝は肩をビクッと震わした。
初めてスーパーに来た時以来、なるべく肉食動物コーナーには近寄らないようにしていたのだが、うっかり傍を通ってしまったようだ。
伝輝は恐る恐る鳴き声のする方を見た。
以前のように子豚達が柵の中でブヒブヒ言っていた。
その柵の傍に、手書きで貼り紙が貼られていた。
「本日おススメ!
元気な豚を仕入れました!
よく走ります! 逃げ回ります!」
逃げ回っちゃ駄目なんじゃないかと思ったが、小さな子ども連れのチーターの女性が肉食売り場の豚の男性に声をかけ始めたので、伝輝はさっさとその場を離れた。
自宅に戻った伝輝は、溜まっていた洗濯を済ませ、部屋の掃除を始めた。
住み始めてやっと一週間位立つ程度だが、食事はここでしない上に、今までのように動物を飼育することもなかったので、大して散らかっておらず、あっさりと終わってしまった。
バルコニーで揺れる洗濯物を背景に、伝輝は居間でボーっとテレビを見た。
人間界のワイドショーを見ても、何だか「よその話」という風に感じるようになっていた。
「それでは、明日のお天気です」
と、ワイドショーの司会者が言った後、バチンとテレビ画面が切り替わった。
「本日の放送は終了いたしました。
明日は午前9時より放送を開始します」
伝輝はリモコンのチャンネルボタンを押して、チャンネルを変えた。
しかし、どのチャンネルも同じ画面が写っていた。
伝輝はバルコニーの方を見た。
空がオレンジ色と暗い色が入り混じった状態になっている。
もうすぐ日が沈むのだ。
伝輝は慌ててバルコニーに出て、洗濯物を取り込んだ。
道路の方で、駆け足で進む足音や車のエンジン音が響いている。
いよいよなんだ、と伝輝は思った。
ドアや窓、家中の鍵のかけられるところは、すべて鍵をかけた。
何度もガチャガチャと、開かないことを確認し、カーテンを閉めた。
居間で洗濯物を畳んでいると、ワオーン、ワオーンと犬の遠吠えが幾重にも重なり聞こえてきた。
カーテンの隙間から覗く外の景色はすっかり暗くなっていた。
時々、遠吠えの中に、獣のうなり声のようなものも交じっているように感じる。
それ以外の音がしない。
車のエンジン音も、道歩く動物達の話し声や、鳥のさえずりも。
今、この時間が、日常と違うのだと、伝輝は感じずにいられなかった。
気を紛らわす為に、伝輝はお湯を沸かし、カップラーメンを食べることにした。
いつも以上にテキパキと洗濯物を片付け、ヤカンの中の水が沸騰するのを待った。
ガスの強火のチリチリ音が、心なしか安心させてくれる。
カップラーメンを食べ終え、台所を片付け、洗面所で歯を磨いた。
一通り済ませた後、誰もいない居間で、伝輝は一人佇んだ。
次は何をしようか?
伝輝はテレビゲーム機を取り出し、テレビに接続した。
良かった。ゲームはできるようだ。
少しの間、ガチャガチャとゲームで遊んだが、何だか夢中になれず、一時間もせずに、終わらせてしまった。
次は録画しているアニメやドラマを見ようと思ったが、大して見たいと思うものはなかった。
伝輝はテレビを消し、居間でゴロンと横になった。
風呂に入って寝てしまおうかとも思ったが、この部屋の浴室換気設備はあまりしっかりしたものではないので、入浴後は窓を開けないといけない。
そう思うと、風呂に入る意欲も失った。
静かだ。
時々だけど、定期的に、蛇口から落ちる水滴の音が嫌と言うくらい響く。
床に耳をあてると、ブオーッと何かのモーター音がうっすら聞こえてくる。
自分の部屋か、下の部屋の冷蔵庫だろうか?
それにしても、いつもなら、隣のシャワー音なんかがたまに聞こえてくることがあるのに、今はそれも一切無い。
まごころ荘の他の部屋には、誰もいないのだろうか?
タカシもゴンザレス達も。
それとも、皆、自分のようにひっそりと静かに過ごしているのだろうか。
だが、ケータイも自宅固定電話もない為、確認する術が伝輝にはなかった。
ふと、伝輝は、昇平が今日が「狩りの日」だということを知っているのだろうか、と思った。
もし知らずに、フラッと戻ってきたらどうしよう。
あいつのことだ。やっぱり面倒になったと言って、のんきに地下鉄に乗ってまごころ荘に戻ってくるかもしれない。
地下鉄からまごころ荘までは、すぐだが、その間に襲われたり、何も考えずにドアを開けたりしないだろうか?
そもそも、地下鉄の電車内は安全なんだろうか?
伝輝は、昇平のことを心配している自分に気付き、少し嫌な気持ちになった。
そもそもの原因はあいつにあるのに。
ゴロンと寝返りを打ち、天井を見上げた。
もう、寝てしまおうと伝輝は、思った。
その時だった。
カンカンカンと外廊下を誰かが歩く音がした。
伝輝は、バッと身体を起こした。
音は、伝輝のいる部屋の前あたりで止まった。
伝輝は昇平が戻ってきたのかと思った。
だが、鍵を開ける音はしない。
伝輝は恐る恐る玄関に近づいた。
やがて、再びカンカンカンという音が聞こえてきた。
伝輝はそうっと、ドアの覗き窓を覗いてみた。ドアの前には誰もいないようだ。
もしかして、昇平は鍵を持っていないのかもしれない。
伝輝はほんの少しだけ、と思い、ドアを開けた。
するとドアの前にビニール袋に入った何かが置かれていた。
伝輝はそれを拾い、ドアを閉めて鍵をかけてから、その場で袋の中身を取り出した。
袋の中身は、伝輝がメルに貸していた文庫本と、「伝輝君へ メルより」と書かれ、のり付けされた封筒だった。
メル!
メルはこれを届けにきたのだろうか?
そして、鍵がかかっていて誰もいないようだったから、本だけを置いて帰ったのだろうか。
伝輝はハッと気づいた。
メルは、今日が狩りの日なのを知らないもかもしれない。
伝輝は本と封筒を下駄箱の上に置き、同じく下駄箱の上に置いてある鍵を持ち、靴を履いた。
何度も鍵をかけたことを確認し、外廊下を駆け足で降りた。
今ならまだ間に合う。
メルをまごころ荘に避難させよう。
メルがここまで来れたんだから、ちょっと位なら外に出ても多分大丈夫・・・
伝輝はまごころ荘の敷地を飛び出していった。