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人間6号  作者: 腹田 貝
伝輝と動物界
1/84

ようこそ動物界へ ① 母の妊娠

 母が妊娠した。

 

 伝輝でんきは眉間にしわを寄せて、不機嫌そうな顔をした。



 いつもの平日の朝、家族三人でちゃぶ台を囲み、朝食を食べていた。

 伝輝がニュース番組をボーっと見ながら味噌汁をすすっていると、突然母がテレビの電源を切った。


「伝輝に報告があるの」


 両親は、互いの体の距離を縮め、そわそわと動きながらチラチラと見合った。


「伝輝、お兄ちゃんになるのよ」


「・・・はぁ?」


「喜ばないのか」

 我が子の薄い反応に、父は期待外れという顔をした。


「いや、お母さん妊娠したの?」

「そうよ」

 母はうれしそうに答えた。

「昨日、病院で確認したの。

 しばらくしたら、仕事も休むわ」


「ふ、ふざけんなよ!

 んなことしたら、生活はどうなるんだよ!?」

 伝輝は勢いよく、手に持っていた味噌汁椀を机に置いた。

 残りわずかだった汁が飛び出し、手にかかった。


「決まっているだろ。俺が働く」


 父は、さも当然のように堂々と言った。

 伝輝は呆れて反論する気も起きなかった。

 

 父がまともに働いている姿など、伝輝は一度も見たことがない。



 伝輝の父、ゆたか昇平は、甲子園出場も期待された高校球児だった。

 しかし、高校二年の春に肩を負傷し、野球から離れた。


 部活漬けだった頃の反動なのか、野球部を辞めた途端、遊びまくるようになった。

 髪型を変え、ピアス穴を空け、眉を整え、バイトで小遣いを稼いでは、他校の女子と合コンやデートを繰り返していた。

 

 その結果、就職一年目だった看護師の夏美との間に子どもができてしまい、昇平は高校卒業を待たずに中退し、十八歳の誕生日に婚姻届を出した。


 そして生まれたのが伝輝だった。

 

 夏美はもともと倹約家で学生の頃から貯金していた。

 伝輝が生まれて数ヶ月で職場復帰し、育休もほとんどとらずにフルタイムで働いた。

 一方、昇平は夏美が住んでいたアパートに居座り、夏美が復職するまで夏美の貯蓄で生活していたため、アルバイト以外の仕事をすることがなかった。

 夏美が本格的に働くようになると、アルバイトも辞め、専業主夫を名乗るようになった。

 主夫と言いながら、夏美から小遣いをもらい、伝輝が生まれた後も、地元の友達と飲み歩くことが多かった。


 そんな日々を十年も過ごしてきた男が、今さらどこで働くというのか。

 

 伝輝は残りの朝食を食べ終え、使った食器を洗い、さっさと家を出た。


 だが、アパートを出て数十メートルのところで昇平が走って追いつき、阻止された。


     ◇◆◇


 電車の乗客達が、伝輝と昇平の二人にちらちらと視線を送っている。

 伝輝がそれは嫌で嫌で仕方がなかった。


 ランドセルを背負った子どもが明らかに学校に向かおうとしていない。

 その子どもは毛先がチリチリに傷んだ金髪をしている。

 隣の男も、子どもの父親としてはあまりに若く、子どもと同じくらいの金髪をツンツンに逆立て、ネックレスやらブレスレットやらジーパンのベルトやらをジャラジャラさせている。


 どう見ても、怪しく、近寄りがたい雰囲気になっていた。


 斜め向かいに座っている初老の男性は、新聞越しに二人を見ていた。

「こんな時間に学校にも仕事にも行かず、けしからん!」と言いたげであった。


「また、動物園に行くのかよ」

「うん、そうだよ」

 伝輝の嫌そうに尋ねると、昇平は嬉しそうに答えた。


 昇平は、大の動物好きであった。

 ペット禁止のアパートにしょっちゅう野良猫や野良犬やらハトやらを連れ込んでは可愛がった。

 しかしロクに育てられず、大抵あちこちに糞や毛を撒かれて逃げられてしまった。

 臭いやゴミが充満するのが嫌で、伝輝は学校から帰るとすぐに掃除や洗濯をした。

 動物に対して、伝輝は良いイメージを持っていなかった。

 

 にも関わらず、昇平に連れ回され、あちこちの動物園や水族館に出かけた。

 特に電車で数十分で行けるまごころ動物園は、昇平一番のお気に入りで、何回行ったか分からない。

 大きくも有名でもない動物園に何が楽しくて行くのか、伝輝は理解できなかった。


     ◇◆◇


 入口を通ると、糞の匂いが伝輝の鼻をついた。


 昇平は目をキラキラと輝かせ、真っ先に、象エリアに向かった。

 伝輝はのんびりと歩いた。

 動物がいる場所も、昇平がどの順番で動物を見て回るのかも分かっている。

 客も少ないアジア象のエリアで、象に向かって両手を振っている昇平を見つけて、伝輝は帰りたくなった。


「あの長い鼻、何度見ても凄いよな。」

「気持ち悪いよ。

 鼻水ついた食い物食うんだぜ。あいつら」


 昇平と会話する気も、象を観る気も無いので、伝輝は読みかけの本を取り出した。

 手すりの上に本を乗せ、しおりを引き抜こうとした。


「あ」

 伝輝はうっかり手からしおりを離してしまった。


 しおりはヒラヒラと舞い落ち、アジア象の足元辺りに着陸した。


「マジかよ!?

 あのしおり、限定ふろくだったのに」


 伝輝が読書に集中しようとしていることに、やはり気づいていないのか、昇平はアジア象を観ながら伝輝に話しかけた。


「俺さ。

 今日、ここで面接なんだよね」

「は? 何の?」

「決まっているじゃん、飼育員の」


「はぁ?

 あんた飼育員になんの?」

 最近、伝輝は昇平を「あんた」と呼んでいる。


「未経験者歓迎で募集していたんだ。

 バイトじゃなくって、社員だぜ。

 俺、動物園で働くのずっと夢だったんだ」


 ワクワクしながら語る昇平を横目に、伝輝はさらに呆れた気持ちになった。

 その恰好で、仕事の面接に来たのか、こいつは。

 思えば伝輝は、昇平がスーツを着た姿を一度も見たことがなかった。


「なっちゃんも、応援してくれているし、俺がここで働けば、なっちゃんも安心して子どもが産めるだろ」

 昇平はケータイを取り出し、時間を確認した。


「あ、そろそろ行かねーと。

 伝輝、ついて来てくれてありがとーな。

 おかげで緊張がほぐれたぜ。

 じゃ、行ってくる!」

 昇平は面接が行われるのであろう場所に向かって走り出した。

 

 ついて来てくれてって、あんたが勝手に連れてきたんだろーが!

 本当に帰ってやろうかとも思ったが、帰るだけの電車賃を持っていないため、仕方なく読書を再開した。


 アジア象の足元に落ちたしおりはとっくに消えていた。


 あのどでかい足に踏まれて、足裏にくっついたまんま、糞まみれになるんだろうな。

 伝輝の眉間のしわは、水が溜まりそうなくらい深くなった。


     ◇◆◇


「しょーちゃん、おめでとー!」

「なっちゃんも、おめでとー!」


 ちゃぶ台に、冷凍ピザやフライドポテト、スナック菓子を並べて、豊家はコーラでお祝いした。


 昇平は、まごころ動物園の飼育員として、正式に採用された。

 内定通知を掲げて、夏美と喜び合った。


「凄いよね、しょーちゃん。

 夢がかなったね!」


「ありがとー、なっちゃん。

 俺、マジで頑張るから」


「でさ、引っ越しはいつまでにしなきゃいけないの?」


「え? 引っ越し?」

 ずっと黙り込んでた伝輝が言葉を発した。


「そうよ。

 社員になる条件として、社員寮に住まないといけないんですって。

 でも丁度良かったわ。

 二人目生まれるのに、ここは狭すぎるもの」

 夏美が一人暮らし時代から借りている1LDKのアパートに豊家は三人で暮らしていた。


「ちょっと築は古いけど、2LDKだってさ。

 管理人さんが同じ敷地内に住んでいて、ご飯もご馳走してくれるんだってよ。

 家賃は会社負担だっていうし、最高の条件だよな」


「学校はどうなるんだよ?」


「転校に決まってるじゃん。

 でも、良かったな。

 これで、もうめんどくせー中坊と関わらなくて済むぜ」


 誰のせいだと思っているんだ。


 伝輝はイライラした。

 昇平に無理やり染められた髪のせいで、小学校では不良扱いされ、中学生には生意気な奴がいるとからまれる。

 伝輝自身は喧嘩などする気がないので、近づかないようにするが、どうしても逃げ切れないときはそれなりに抵抗してから逃げる。


 死んだ夏美の父、つまり祖父から仕込まれた柔道と、昇平に付き合いでやらされたキャッチャー(昇平はピッチャーだった。小学低学年の伝輝にキャッチャーミットを与え、現役張りの球を遠慮なく投げた。ボールに当たった伝輝の顔の骨にヒビが入り、ドクターストップがかかったこともあった)の経験から、体力と運動神経はそこそこあった。

 おかげで、余計にからまれることになった。


「私は仕事や検診があるから、しばらくここに残るけど、しょーちゃんと伝輝は先に社員寮に行っておいてね」


「新しいベビーベッド、お袋に買ってもらおうかなー」

 

 昇平と夏美は、新しい家具やらベビー用品の話で盛り上がっていた。

 伝輝はピザを食べながら、生まれて十年、なぜここまで自分は親に振り回されないといけないのかと、うんざりしていた。 

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