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未知

作者:

こたつの上に1冊のグルメ情報誌が置いてあるのが、ふと私の目に止まった。その表紙を一見するに、ラーメン特集が掲載されているらしい。予備校の授業の予習を半分ほど終えていた私は、休憩という無意味に思える言い訳を自分自身にして、手を伸ばした。おそらくこれは母のものだろう。今、母は寝室で寝ているが、起きていたとしても決して怒られたりするものではないはずだ。雑誌を開き、ラーメン特集のページを見つけるとすぐに後悔した。こんなもの、夜に見るものじゃない。激しい空腹感の波に溺れ、舌のつけ根から唾液が染み出してくるのをたしかに感じた。喉が渇き、お茶の500mlペットボトルに口を付け一気に飲み干した。味が、しない。雑誌に掲載されていた背脂ぎっしりのラーメンが頭から離れなかった。お腹が減った…そうだ、親には内緒で、ラーメンを食べに行けばいい。時計の長針は1時を指していたが、たまには贅沢するのも、堕落するのもいいだろう。椅子にかけていたコートを羽織り、近所の朝方までやっている飲み屋兼ラーメン屋まで行くことにした。


音を立てないようにそぅっと、家を出た。外の気温はあまり寒くは感じなかった。室内の暖かい空気が服の内側から抜け切れていないことと、ほぼ無風状態であったからだ。それでも、歩いてるうちに冷気は服を貫通し、やがては身体までも突き抜けていった。はじめは心地よく感じていた冷たい夜の空気も、新鮮味がなくなれば、すぐに進路を家へ反転させる悪魔のようであった。予習の途中であるにもかかわらず家を出た決心と、確かにある空腹感をよりどころにして、ただただ歩いた。


目的地のラーメン屋に近づくに連れ、地元の繁華街に近づくに連れて、人影が増えていった。こんな夜に、と不気味には思ったものの、高校生の頃、飲み屋でバイトをしていた時にはこれ以上の人間が出たり入ったりしていたことを思い出すと、おかしいとは思えなくなった。ただ、若い男女の集団の笑い声には敏感すぎるほどに、一々びくびくとした。三年生後半から大学進学を決意し、浪人している私を、彼らは笑っているように思えた。今まで私の行動を、砂の中から四六時中支配してきた彼らに対する出遅れた焦りの心理が、彼らの嘲笑が作り出した風によって、むき出しにされ、また、壊されようとしているようであった。私は浪人が決まってからの日々の努力に、誇りと自信をもっていた。それが彼らに対する焦りが為なのか、大学の魅力に励まされていることなのか、私にはわからない。しかしそれでも彼らの楽しそうな姿、影に嘲笑されるだけで、自分は今にも死んでしまいそうな弱さを、心細さを感じずにはいられない。私の決意の弱さを知れば知るほど、身の砕けるような感情で胸がいっぱいになる。


目的地の周りに、人影はほとんどなかった。恐れていた若い集団も、いなかった。ほんの少し安堵したが、それでも中からは多くの人間の蠢く気配がした。自動ドアが開く。近くを通りがかった店員に大きな声で挨拶をされた。それを合図としたように、次々と「いらっしゃいませー!」の声が聞こえた。それがなんだか不愉快に感じた。奥から二つ、カウンターが空いていたため、一番奥に座った。背後には畳席があり、サラリーマンと思われる人間がたくさんいた。誰も私を見ない、ようやく一息つけた感じだ。店員はおしぼりを私に手渡しして、注文を聞いた。いくつかのラーメンがある。此処へ来たことは何度もあり、どれを食べてもおいしいのが気に入っていた。まだまだ安心しない気持ちを落ち着かせようと、他人と会話がしたかった私はいくつか質問してみることにした。

「とっても脂っこいラーメンが食べたいんですけど…おすすめ、人気なものってどれかありますか?」

店員は営業用の笑顔のまま、ほんの少し困った顔をして

「こちらとか、どうでしょう。味はとんこつですが、背脂の量を注文できますよ」

と言った。それは私が注文したかったものだ。都合がいい。

「じゃあ、それで、お願いします。たくさん脂のせてください。」


しばらくして、ラーメンが運ばれてきた。空腹感と、一人で深夜ラーメンを食べるという初めての体験が食欲を唆らせた。まず、スープを一口飲むと、やけどするほどに熱かった。それでも冷ますことなく、麺をすすった。いつもはレンゲの中で小さなラーメンを作って冷ましながら、一緒に食べている相手と話をしたりするのだ。


一口食べて、私は唖然とした。口の中に広がるはずの旨みが、全くなかった。あるのはただ、背脂のこってりとした臭みだけである。味が格段まずいわけではない。以前食べた時の味を思い出してしまうほどに、味は変わりない。しかしそれでもこれ以上、食べたいと到底思えるものではなかった。私が食べたかったのは、こんなラーメンじゃないとしか思えなかった。私はどんな味を求めていたんだろう?未知の味が私を励まし、そして虚しさだけを残して消えていく。お腹を痛めるほどの空腹感は満足したというよりは、萎えきっているようであった。しかし空腹感は失われても、目の前のラーメンはたくさん残っている。紅しょうがを大量に加えて、無理やり胃の中に詰め込み、精算を済ませた。



帰り道、食べたラーメンを全て路上に吐き出した。時計は2時を過ぎている。私は一体何をしているんだろう。たくさんの思いで胸が詰まり、目を涙で滲ませながら、人影のない夜道を歩いた。

人間は未知なもの、あんまりよくわからないものに、惹かれる。励まされる。浅墓な思いつきで書いちゃいました。

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