第三十七話:今はただ、この瞬間を
さて、滅多にない『転入生』で騒がしかった一日を終え、キソラは一人、ダンジョン『暖かき氷原』に来ていた。
目的はもちろん、この『暖かき氷原』で起きたことに関する報告である。
今朝目覚めたのを確認し、ウンディーネ(たち)がいるとはいえ、少しばかりは回復し、楽になっただろう。
「フリード、起きて……る?」
寝てる可能性もあったため、キソラが小声で尋ねながら、フリードを寝かせていたベッドのある部屋にひょっこり顔を覗かせる。
だが、案の定とでもいうべきか、彼は眠っており、側には同じように眠るサンドリアがいた。
「……」
道理で返事がないはずである。
それに、キソラにしてみれば報告など後回しでも良いのだ。
(だから、今は二人きりにさせてあげよう)
大きなお世話かもしれないが、サンドリアも心配していたから、これぐらいしてあげても罰は当たらないだろう。
そのままキソラは元来た道へと引き返す。
後日、再度報告に訪れたキソラから、フリードとウンディーネとともに、報告と一緒にそれを聞いたサンドリアが顔を真っ赤にしてキソラをポコポコと叩き、それを見ていたウンディーネが微笑んでいたのだが、フリードは、といえば、固まっていた。
そして、それに気づいたキソラとウンディーネにからかわれたのは言うまでもない。
☆★☆
「……ねぇ、アキト。何で彼がいるの?」
キソラはそう尋ねながら、自身の幼馴染と彼の隣にいる人物に目を向けていた。
そして、何となくだが、クラスメイトたちの士気が高まっているようにも見える。
「いや、ジスにはお前を紹介するって言っちまってな」
「……マジか」
勝手に約束して悪かったというアキトに、してしまったものは仕方がない、とキソラは息を吐く。
しかも、名前……というより愛称呼びが許されているのを見ると、随分とまあ仲良くなったものだ、とキソラは思う。
「先に言っておくが、俺にそっちの趣味は無いからな?」
「私、まだ何も言ってないけど?」
「言いそうな顔をしてたんだよ」
そう? と首を傾げるキソラに、アキトは疑いの眼差しを向けていたが、諦めたのか、首を左右に振った。
前にも言ったと思うが、そもそもアキトはこの幼馴染に口で勝てるとは思っていない。
それに今回の場合は、キソラも本気でそう思っているわけではなく、その場のノリ的な感じなのだろう。
「で?」
「ああ、本題な」
キソラの視線に頷き、アキトはまず彼を紹介することにしたらしい。
「こいつはジャスパー・ギーゼヴァルト。お前も良く知る噂の転入生だ」
「ああ、だからジスか。……って、ギーゼヴァルト?」
意外なところに反応したキソラに、二人は知っているのか? と首を傾げる。
(確か、ギーゼヴァルトって……)
ギーゼヴァルト鉱国。
小国でありながらも国のほとんどが鉱物資源のためか、鉱物を名産兼特産とする国であり、鉱物やそれから作られた物などを様々な国へと輸出している国である。
だが、そんなある日、鉱国をある事件が襲った。
新たな皇帝の即位により、武力国家となった帝国の襲撃だった。
小国であるギーゼヴァルトが大国である帝国に逆らえるはずもなく、国民の命を守ることを条件に、その軍門に降った。
その話はすぐさま各国へと広まり、今では鉱物資源や鉱石の名産地を聞かれれば、誰もが帝国の名前を上げるほど、広まってしまった。
(その『ギーゼヴァルト』が姓にあるってことは……)
ジャスパーはギーゼヴァルト鉱国の王族であった可能性が高い。
そして、彼がこの国におり、ミルキアフォーク学院に通っているということは、国の上層部は彼の存在を把握していることになる。
(でもーー)
この国では彼が来る前から戦争の噂が上がっていたため、たとえ彼が原因でないにしろ、これでは帝国に戦争の原因の一端を与えることになってしまった。
(作戦か何かか?)
自分よりも倍生きている者たちが、キソラでも気づいたことに気づかないはずがない。
それでも、彼をこの国に滞在させることを選んだということは、帝国と戦う意志表明か上層部の作戦なのか。
(とにかく、良くも悪くも要注意人物ってことか)
やれやれと思う。
「いや、何でもないよ。単に聞き覚えがあっただけ」
正直、これ以上考えても頭が痛くなるだけになりそうなので、キソラはとりあえず一度考えるのを放棄する。
そのことにアキトは気になりつつも、今はキソラの紹介に回る。
「そうか。あ、こっちはキソラ・エターナル。俺の幼馴染な」
なお、迷宮管理者や空間魔導師だと説明しなかったのは、前者の場合はアキトが説明出来ない、後者の場合はおいそれと口にしていい事柄じゃないからだ。
「キソラ・エターナル……」
「ん? 何かな?」
緑の目を向けたまま呟くようにしてその名を口にするジャスパーだが、自分が呼ばれたのかと思い、キソラは呼んだ? と彼に尋ねる。
「いや、何でもない」
「そう」
何もないのなら別にいいや、と返せば、キソラはどこか面倒くさそうにやや興奮状態のクラスメイトたちに目を向ける。
「あー……こりゃあ、次は授業になんないかもなぁ」
少なくとも、今回は真面目に授業を受けていたり、こっそり何かしたり、早弁をするというよりも、全体的にふわふわとした空気の中で授業を受けることになりそうだ。
「やっぱ、昼休みの方が良かったのか?」
「いや、そうすると今度は二人が逃げ出すチャンスを失う可能性があるから、止めて正解だったと思うよ」
二十分~二十五分ぐらいの昼休みと五分から十分ぐらいの休み時間から次の授業の予鈴までを比べると、昼休みの方が次の授業に入るまでの時間が長い。
そのため、キソラが言ったように、今度はアキトたちが野次馬から逃げるチャンスを自分たちで減らすことになる。
「あー、確かにその可能性もあるよなぁ」
だが、過ぎたことを言っても仕方がない。
「……げっ、珍しく教室にいないと思ったら、こっちにいたのか」
顔を引きつらせ、そう言いながら、アリシアとその後ろからテレスが来る。
「ストレートだな。ガーランド」
「あら、貴方も一緒って珍しいわね」
アキトの言葉に、アリシアがそう返す。
とはいえ、アキトとジャスパーが一緒にいる光景はあの合同授業以来増えたので、今ではそんなに珍しい光景ではない。
「まあ今回はキソラを紹介するって言ったから、しに来ただけだし」
「……」
アキトの言葉に、アリシアとテレスが無言で目を向けてくる。
「らしいよ。といっても、紹介はもう済ませたけど」
「ふーん……一応、確認するけど、仮にもクラスメイトである私たちの名前、覚えてくれてる?」
たとえ興味が無くとも、名前ぐらいは覚えてるだろうと確認をするアリシアに、ジャスパーは視線を返す。
「アリシア・ガーランドとテレスティア・フィクシアだろ」
「あら、覚えていてくれてありがとうね。ギーゼヴァルト君」
いつもと微妙に違う、姓(名字)+君呼びするアリシアに、キソラは苦笑いする。
(余っ程嫌なんだなぁ)
アリシアだけでなく、テレスまでが微妙な顔をしているのを見ると、二人は彼に対し、苦手意識があるというのは明白だった。
そして、そういうキソラも苦手意識というか、同族嫌悪な部分もあるため、自己紹介をしたとはいえ、二人のことは否定できなかったが、それでも間に彼と仲良くなったアキトがいるから、そんなにギスギスしなくて済んでいるのだろう。
「……クラスメイトだからな」
「二人は知ってるかもしれないが、これでも話す方にはなったんだぞ?」
ジャスパーの返しに驚くアリシアとテレスを余所に、アキトがそう説明する。
「みたいね」
自分たちにちゃんと返してきているのを見ると、少しずつではあるが、彼も慣れてきているようだ。
「それより、どうやってここから出るつもり?」
微妙に不機嫌そうなキソラの問いに、不思議そうにする四人だが、彼女が廊下を示したため、そちらに目を向ければ納得した。
「うわぁ……」
「教室に入ってこないだけありがたいって、思うべきなの?」
アリシアとテレスの反応に対し、アキトがキソラへ何か言いたそうな表情で見るが、キソラは気づかない振りをしながら、窓の外を見る。
「お前だよな?」
「何が」
「アレ」
アキトが廊下を示せば、キソラはにこにこと笑みを浮かべるのみ。
よく見れば、薄らとした結界のようなものがあるのが分かる。
「休み時間なのに、落ち着けないのは嫌だからね」
「……まあ、分からなくはないが」
機嫌を悪くすれば、何を仕出かすか分からない。それが、空間魔導師である。
「もし戻るなら、窓から戻るっていう手もあるから」
「お前は俺たちを殺す気か」
行けないわけではないだろうが、かなり危険である。
「大丈夫よ。シルフィにサポートさせるし」
「いや、そういう問題じゃないから」
いくら四聖精霊にサポートされるとはいえ、不安が消えるわけはないし、サポートさせるのもどうかと思う。
「後は学年主任が来るまで待つ、ぐらいね」
「結局、そうなるわけか」
一番安全に戻れる方法に、テレスが首を傾げる。
「でも、そう簡単に来てくれるかしら?」
「あ、それは大丈夫。次、ここで授業だし」
「つまり、何が何でも散るってことか」
テレスの問いにキソラが答え、アキトが納得したように頷く。
「どんな先生なんだ?」
「ああ、そういやお前、まだ会ったこと無かったな」
不思議そうなジャスパーに、そういえば、とアキトは今までのことを思い出す。
「怖いっていえば怖いけど、良い先生よね」
学年主任の顔を思い浮かべながら、テレスはそう評価する。
「でも、キソラ。あんたはほとんど無いんじゃない?」
空間魔導師だから、と隠された言葉に気づきつつ、「いや、怒られたことはあるよ」とキソラは否定する。
「珍しいな。で、何した」
「言わないとダメ? 絶対、アキトたち怒りそうなんだけど」
渋るキソラに、言え、とアリシアたちが目線で訴えてくる。
「……試験で手を抜いた。しかも歴史で」
「はぁぁぁっ!?」
アリシアとテレスは驚愕し、アキトは呆れ、ジャスパーは驚きの表情をしながらも疑いの眼差しを向けていた。
学年主任の担当教科でもある歴史で手を抜くとはチャレンジャーだな、と言いたげな視線を感じ、キソラは「だから、言うの嫌だったんだよ」とぶつぶつと呟く。
「そういやお前、頭良いもんな」
「そう言われても、満点を取ったことは無いけどね」
「いや、そもそも満点取れる方が珍しいからな?」
「……一時期、兄さんが満点を連続して取ってたんだけど」
キソラを励ますはずが、上には上がいた。
(ノークさん、貴方って人は……)
アキトは頭を抱えた。
エターナル兄妹の状況も過ごしてきた経緯も知っているが、どうやら兄であるノークは一度、爆弾を落としていたらしい。
「まあ、何だ。俺たちからすれば、羨ましいぐらいだよ」
な、と言いたげなアキトに、アリシアとテレスが頷くが、信じられなさそうな目をキソラは向ける。
「まあ、気持ちだけは受け取っとくよ」
そうキソラが言えば、廊下から慌ただしい音が聞こえ始める。
「じゃあ、先生も来たみたいだし、私たちは教室に戻るわね」
「ん、また後でね」
学年主任の姿を捉え、足早に教室から出ていくアリシアたちに続き、アキトに背中を押されながら、ジャスパーもやや戸惑いながら出ていく。
入れ違いで入ってきた学年主任を捉え、未だに騒がしい級友たちに対し、キソラは溜め息を吐けば、開けてある窓から風が入り込み、髪を靡かせる。
「本っ当、いつ終わるのかね。この騒ぎ」
そして、思うのだ。
相手は帝国であり、そのうちそこと戦争が起ころうとしているなんて、まるで嘘みたいで。
それでも、喜んだり、怒ったり、哀しんだりしながらも、楽しくもある、今はただ存在する瞬間やこの時間を壊そうとする連中がいるのならーー……
(私は、全力をもって叩きのめすまで)
そのまま授業に耳を傾けつつ、窓の外に目を向けるキソラだった。




