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0.巫女と騎士

ゲラン暦418年 ―春の候


 レルファンが、大神殿に美しい巫女がいると聞いたのは、ハインツの口からだった。確か、夕食を共にとった時のことだった。

 罰当たりな友人は普段から、神に仕える巫女を不埒な目で見ていた。


「磨けば光るってタイプは結構いるんだが、磨かずとも自ら発光してるってのは珍しいぜ。うっかり見惚れちまった」


 友人は、その職務の性質上、国王に付き従って神殿の祭事に出席することが多かった。

 その度に、どんなに可愛い巫女がいるか、荒らされることのない不可侵の花園がいかに魅力的かをレルファンに語ってきかせたのだが、エスタという巫女に関しては、いつも以上に熱心であった。

 大巫女付きであるというエスタは最近一級巫女に昇進したらしい。国王が行う祭事には一級巫女以上でないと関われないから、今までハインツの目に留まらなかったようだ。


「波打つ金の髪がこれまた綺麗でな。しかし顎のところでばっさり、だろ? 巫女は剃髪のこと、と定めたペリウスの無粋さに腹が立ったよ。伸ばして綺麗に結い上げりゃもっと輝くぜ、あれは」

「お前、禁域の女にだけは手を出すなよ。これ以上の問題は御免だからな」


 手当たり次第、という表現がぴったりなハインツは、女性問題に事欠かない。人妻に手を出し亭主に決闘を申し込まれそうになったこともあるし、恋人たちが取っ組み合いの喧嘩を起こしたこともある。レルファンがその仲裁に入ったことも、一度や二度ではない。

 これまではどうにか問題にならずに来たが、神に仕える巫女との醜聞となれば、流石に大問題になる。

 レルファンの呆れ口調の苦言に、二本目のワインを空けたハインツは、あっけらかんと笑った。


「いや、あれは俺には無理だ。手を出すには一生を捧げる覚悟で挑まなきゃならんような気がする。そういうのは、もういい」

「ほう。そこまで言わせるとは、すごい巫女だな」


 くっくっ、と笑う。何しろ既婚者を含む五人の女と同時期に愛を語らっていても平然としていた男である。


「外見も麗しいが、経典を詠唱するその声がまたいいんだ。神々しいってあのことだな。荒みきった心が洗われるようだった」

「煩悩だけで生きてるくせに、よく言う」


 相手にしていないレルファンに、ハインツは不服そうに舌打ちした。


「お前も同じようなもんだろ。なあ、今度神殿に顔出してさ、ちょっと探してみろよ」

「神殿に行く用事なんてねえよ」

「マルティナの家は三の門辺りだろ? その帰りにでもさー」


 レルファンが最近特に親しくしている、中級貴族の娘である。グラマラスな体つきのくせにファニーフェイスのマルティナは奔放な性格をしており、遊び相手として充分な女だった。


「忍び込めって? 面倒なのは俺も御免だよ。今はそれなりに楽しんでるから、それでいい」


 レルファンは数ヶ月前に、騎士団長に就任したばかりであった。引き継ぎに追われた慌ただしい状況で、面倒な立場の女にわざわざ関わり合いたくなどない。だいたい、女に不足しているわけではないのだから、わざわざ難関に手を出すこともないのだ。

 露ほども興味を示さないレルファンに、ハインツは大げさにため息をついてみせた。


「いい女だったんだぜ? エスタ」

「しつこいんだよ」


 エスタという名の巫女がいることなど、レルファンは翌朝には忘れてしまっていた。

 しかしその僅か二日後、二人は出会ってしまったのだった。



 夜が更け、大きな満月が高みに登りつめた頃。レルファンは貴族郭三の門の、神殿の横に沿う道を、月明かりを頼りにぶらぶらと歩いていた。

 巨大な神殿は周囲を高い塀でぐるりと囲まれている。数か所に、関係者の出入り用の小さな裏門扉があるが、普段は厳重に施錠されている。

 その塀の横を歩けば、物々しさに気後れする者も多く、人通りは少ない。昼間はそれなりに交通があるが、深夜ともなればレルファン以外に人の姿はなかった。

なぜレルファンがこんな所を一人歩いているかというと、近くにあるマルティナの屋敷、その部屋に忍び込もうとしたところ、先客がいたからである。マルティナたちは既に寝台で睦みあっており、尚且つ非常に盛り上がっていた為、幸いにも気づかれないまま退散できた。

 あの娘の相手は自分一人ではないのは知っていたし、その分気軽でよいとも思っていたが、流石に生々しい現場を見てしまえばどうにも興ざめしてしまった。


(もう終わりにするか。けっこう面白い女だったんだけど)


 付き合いの長い、二の門辺りに住まうしとやかな未亡人の所まで足を延ばそうかと思ったが、どうもそんな気分ではない。他人の行為を見て興奮する輩がいると聞いたことがあるが、自分にそれは当てはまらなかったらしい。


(このまま帰ると言うのも、それはそれで虚しいんだけどなー)


 ふ、とため息をついたその時だった。少し先にある、施錠されているはずの扉が、かたりと開いた。


「……!?」


 足を止め、すぐさま腰に差した剣の柄を握る。

 神殿の出入りは、夕刻の鐘以降は禁止されている。特別な事情があれば別だが、その際は正門ないし、貴族郭出入口からと決められているのだ。

 この時間にこの戸が開くことは、許されていない。賊か。

 向こうは灯りを持っているらしい。揺らめく光が、戸の向こうから漏れた。


「よし、誰も……ふわあ!?」


 そっと顔を出したのは、一人の若い女だった。周囲をきょろきょろと見渡して、レルファンを認めた途端、ぱっと顔を引っ込めた。


「巫女だな。出てこい」


 低く問う。灯りに照らされた女の髪は、短かった。巫女に間違いないはずだ。

 バヌムス大神殿での修業は厳しい。逃げ出す巫女もいるという。自分が行き会ったのは、そういう巫女だろうか。

 いや、賊を手引きした可能性も否めない。神殿には信者から奉納された豪奢な神具が山とあり、それを狙う愚かな賊も数知れないのだ。


「俺は騎士団の者だ。この時間帯の開門は禁じられている。禁忌を犯した巫女がどんな責を負うか、分かっているな!?」

「あ、あたしが悪いんです!」

「だめ! クーニャ!」


 転がり出てきたのは、先ほどの女ではない、あどけない少女だった。顎の辺りで切りそろえた黒髪に、質素な麻服。見習い巫女といったところだろう。

 七つくらいだろうか、ひょろりとした体を折って、少女は頭を下げた。涙の入り混じった声を張る。


「あたしが家に帰りたいと言ったんです! あたしだけが悪いんです! だからあたしをばっしてください!」

「だめ! ち、違うんです。私が勝手に連れて出ただけなんですっ」


 次いで、さっきの女が転がるようにして出てきて、少女を抱きしめるようにして隠した。


「し、仕事が出来ないから、追放してやろうって、その、いじわるしたんです! ね、クーニャ!」

「違います! お、お母ちゃんが死んじゃいそうだから、だからあたし会いに行きたくて、だからお姉ちゃんにわがまま言ったんです!」


 レルファンは、柄から手を離した。

 賊の手引きではないようだし、相手は丸腰の巫女二人。しかも一人はまだ幼い少女。そして事情もおおよそ把握した。


「あー、と。とにかく落ち着け。騒げば見回りの者に気付かれるぞ」


 ため息交じりに言えば、年上の巫女が慌てて自分と少女の口を塞ぐ。どうしよう、と言った様子で身を縮ませた二人を横目にレルファンはそっと戸を閉めた。僅かな火が灯った燭台は、息を吹きかけて消した。月が明るい今ならば、灯りがなくても問題なかった。


「クーニャと言ったか。母が危篤か?」


 気付かれた様子がないことを確認したレルファンは、腕の中で震えている少女を見下ろして小さく問うた。


「はい。きょ、今日、田舎の兄ちゃんが来て、病でもう長くないって。お母ちゃん、あたしに会いたがってるって。だから、だから……」


 頬を拭い、声を詰まらせる。泣き咽ぶ少女を抱きしめたままの女が、続きを引き取って語る。


「逃げて、一緒に帰ろう。北門で待ってるって、お兄さんは言ったそうです。だから、どうしても行かせてあげたくて」


 巫女として断髪した者は、簡単には俗世に戻れない。例え親の死に目であっても、行くことは許されない。

 俗世に戻るには確か、お布施という名の大金を積むか、果てしない還俗の儀を消化するか、それとあと一つ何かあった。


(えーと、何だったっけ? 忘れたな)


 レルファンは信心深くない。面倒なしきたりばかりの神殿に興味もないので、今いち知識が薄いのだ。


(お布施、はないな)


 抱き合う二人の頭を見ながら思う。貧困層が、口減らしの為に娘を巫女にする例は多く、クーニャもその口だろう。兄とやらが脱走を示唆したということからも、お布施などできない家だと分かる。


「騎士様、お願い致します。私が罪を受けますから、どうかこの子を見逃してあげて下さい!」


 レルファンが黙っているのを、悪い方向に考えているらしい。女の懇願する声が震えている。

 どうしたものか、とレルファンは夜空を見上げた。

 巫女の脱走というのは罪深いと聞く。神殿の規則など詳しく知らないが、見つかれば多分酷い罰則が待っているのだろう。


(今から還俗の儀なんてちんたらやっても間に合わねえよなあ)


 ふん、とため息をついた途端、思い出した。


「ああ、そうだ。追放命令だ」


 重大な罪を犯したり、神への信心がないと判断された巫女は、神殿から追放されるのだ。実際に巫女が追放されたなんて話は聞かないが、確かそんな決まりがあったはずだ。レルファンが見下ろせば、クーニャが不安そうに瞳を揺らした。


「おい、クーニャと言ったか。お前、母親とペリウスどっちが好きだ?」

「は? 騎士様?」


 女は驚いたような声をあげたが、クーニャは迷うことなくはっきりと答えた。


「お母ちゃん!」

「そうか、分かった」


 に、とレルファンは笑った。


「お前、不信心だな」


 着ていた上着を脱ぎ、クーニャに頭から被せ、ひょいと抱え上げた。


「この子に何をするんですか!?」


 女はレルファンがクーニャに何事かすると思ったらしい。レルファンの腕にがっしと抱きついた。


「不信心の罰なら私が代わりに受けます! だからクーニャを離してください!」

「おあ!? 違うって、離せ! 離、」 


 縋りついた女とレルファンの顔が、ぐんと近づいた。互いの吐息がかかるほどの距離で、二人は視線を交えた。


「せ……」


 レルファンは、時が動きを休めたように思えた。

 月明かりを淡く纏った、美しい女だった。微かな光を反射する艶やかな金髪。透き通るような真白の肌。悲しそうに寄せられた眉はそれでも形よく、その下の涙を溜めた大きな瞳は夏のカナシス海のような煌めく青。物言いたげに薄く開かれた唇が、『あ』とゆっくり動くのを、長く見つめていたような気がする。


「エスタ姉ちゃん!」


 大きな上着からもごもごと顔を出したクーニャが、女の名を呼んだ。聞き覚えのある名前。


「……エスタ!? 一級巫女の?」

「は、い……」


 どうしてだか、エスタも何かに魅了されたような呆けた顔をしていた。名を呼ばれて、ゆっくりと頷く。

 見惚れてしまっていたレルファンは、それを見てようやく己がぼんやりしていたことに気が付き、ぶるりと頭を振った。


「いかん。ええとだな、俺がクーニャを北門まで連れて行ってやる」

「え? な、なんでそんなこと!?」

「よくは知らんが、ペリウスを軽んじると追放をくらうこともあるんだろ? こいつは今はっきりと俗世の母親が大事だと言った。それならどうせ追放になるんだ、もう出て行っても構わんだろ」


 エスタは面食らったように瞬きを繰り返した。


「え、ええと……確かにそう、ですけど、本来は心根を入れ替える為の罰則が待ってて」

「こいつにそれを受けさせたいのか?」


「まさか!」叫んで、エスタは慌てて口を塞いだ。声を小さくして、繰り返す。


「まさか、です。この子には母親の元に行ってもらいたいです」

「だろう? だから、俺が兄の元まで連れて行ってやろうと思ったんだよ」


 瞳がくるんと動いた。唇が、小さな円を作る。


「は……? 騎士様が、わざわざ?」

「ああ、暇だしな。それに、お前たち二人が、ここから北門まで誰にも見咎められずに行けるとは思えんぞ」


 こんな時間に女子供、しかも剃髪した巫女が歩いているとなれば、闇夜に乗じての逃亡に違いない。見つかれば即刻神殿に後戻りさせられるだろう。

 エスタもそこは不安だったらしい。ぐ、と唇を噛んだ。


「だから、俺が連れて行ってやるって言ってんだ。お前はもう戻れ。見つかれば一級巫女だとて処罰は受けるんだろう?」

「で、でも……」


 エスタが心配そうにクーニャを見る。クーニャもまた、不安そうにエスタを見た。


「いいから、任せとけ。おい、お礼言っておけ、もう会えねえぞ」


 レルファンがクーニャに言うと、少女はくしゃりと顔を歪めた。


「エ、エスタ姉ちゃ……、ありがと……」

「いいのよ、そんなの」


 ほろ、と溜まっていた涙がエスタの頬を伝った。


「早く行って。これからはお父さんとお兄さんの言うことを良く守って、頑張るのよ」


 手を伸ばし、涙で濡れた頬をそっと撫でる。堪えるようにぐ、と唇を噛んだクーニャは、何度も頷いた。頬に残ったままのエスタの手の甲に己の両手を重ね、強く握ったのちに名残惜しそうにそっと離した。


「じゃ、じゃあお願いします、騎士様」

「ああ」


 深々と頭を下げられて、レルファンは体を震わせて泣く少女を抱き直した。


「じゃあ、お前も気を付けて戻れ。できたら、少しでも長くこいつがいなくなったことを隠せ」


 言い置いて、レルファンはその場を後にした。エスタはその姿が闇の狭間に消えるまで、祈るように見守っていた。


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