第9話:【慈愛】暁の針仕事と家族の音色
「約束」とは、論理を超えた不合理な契約だ。
激戦を終えた後の地下工房は、安堵と興奮が入り混じった熱を帯びていた。つい先刻までヴィオラの電磁加速砲が火を噴き、クララのマシンガンが咆哮を上げていた名残か、工房内にはまだ微かに熱せられた排気と独特のオゾンの匂いが漂っている。
だが、12機のゴーレムをスクラップにした娘たちは、傷一つない顔で「約束のメイド服」を楽しみにしていた。教団の兵士であれば鎧がひしゃげ、血に塗れているはずの死闘。それなのに、彼女たちの漆黒の戦闘装甲に刻まれた僅かな擦過傷は、ナノマシンによる即時修復で瞬きする間に跡形もなく消えていた。
「……わかったわよ。アルテミシアの女に二言はないわ。最高のメイド服を、今夜中に縫い上げてやるわよ!」
私は宣言し、大量の最高級布地と裁縫道具を並べた。
リュウガは、私の横で黙々と部品の調整をしながら、時折不審そうな視線を向けてくる。
「エリー、お前のバイタルはすでに限界に近い。睡眠という最適化プロセスを放棄してまで、布の断裁に固執する理由はなんだ」
「うるさいわね。これは『効率』の問題じゃないの。私の美学と、娘たちとの『約束』の問題なのよ!」
私は指ぬきを構え、魔法の詠唱よりも速い手つきで針を動かした。
7人分。同じ素体とはいえ、性格や役割に合わせてフリルの数やレースのパターンを微調整していく。
例えば、近接格闘を担当するコルネやユーフィの服には、マッハ超えの動作時にも布地が慣性に負けないよう、目に見えないほど細かな補強ステッチを施す。私が無意識にこだわっている「ミリ単位の寸法」や「関節の遊び」が、管理者権限による物理ハッキング――あの慣性を無視した異常な機動を物理的に阻害しないための、超高精度な外装設計として完成していく。
2000年前の「管理者」には理解できないであろう、情熱という名の非効率。私は夜通し、針を動かし続けた。
意識が遠のきかけた明け方。最後の一針を終えた私の袖を、誰かがそっと引いた。
見上げると、そこには四女のルーテが立っていた。彼女は無口で、いつも影のように振る舞う暗殺担当の娘だ。加速空間から音もなく現れた彼女の周囲だけ、一瞬、空気がピリリと震えた。
「……母様」
ルーテは、私が縫い上げたばかりの、漆黒と純白のコントラストが美しいメイド服を愛おしそうに見つめていた。
「……ありがとう。この服、とても……温かい。……大切にする」
普段の冷徹な声とは違う、年相応の少女のような、柔らかな響き。彼女は私に深々と一礼すると、宝物を受け取るように服を抱えて去っていった。
「……ふふ、あの子ったら。あんな顔もするのね」
私は睡魔に襲われながら、心地よい達成感と共に机に突っ伏した。
数時間後。
わずかな意識の浮上と共に、私は卓上のカレンダーに目をやった。
「……1月8日、か」
昨日から今日に日付が変わったことに気づく。今日が自分の誕生日であることは知っていた。だが、それは私にとって「祝うべき日」ではなく、単なる「加齢の記録日」に過ぎなかった。
没落する前の家では、誕生日は常に優秀な親族と自分を比較される地獄のような日だった。アカデミーに入ってからは、研究に没頭するあまり誰とも交流せず、祝ってくれる友人すら作らなかった。
私にとって誕生日は、自分がどれほど孤独で、誰からも必要とされていないかを再確認するだけの、一年で最も忌々しい日だった。
「……さ、仕事に戻りましょう。30歳になろうが何だろうが、世界は何も変わらないわ」
重い瞼をこじ開けようとした、その時だった。
どこからか、軽快なリズムと美しいコーラスが聞こえてきた。
這い出すようにリビングへ向かった私は、そこに広がる光景に息を呑んだ。私が縫い上げたばかりのメイド服を完璧に着こなした7人の娘たちが、一列に並んで踊っていたのだ。
重力や慣性を完全に掌握した彼女たちのステップは、床に微塵の振動も響かせないほど滑らかで、まるで空間そのものが彼女たちのリズムに合わせて書き換えられているかのような錯覚を抱かせる。
「「「「「「「母様、お誕生日おめでとうございます!」」」」」」」
歌のフィナーレと共に、7人が一斉にポーズを決める。中央のテーブルには、山のようなローストビーフ、彩り豊かなサラダ、そしてリュウガが持つ皿には、大きなケーキが鎮座していた。
「管理者権限により、最適な栄養素を配合したケーキを合成した。……そして、彼女たちが『歌と踊り』という非効率だが情緒的なプロセスを追加した」
リュウガが、無機質だがどこか居心地が悪そうに言った。
「すごいわ、みんな……。本当に、私が作った子たちなの?」
忌まわしい記憶で塗り固められていた記念日が、かつてないほど華やかに塗り替えられていく。気づけば、視界が熱い膜で覆われていた。頬を伝う液体が止まらない。
「な、なによこれ、演算エラーかしら……。涙が、止まらないじゃない……」
あまりの幸福感に浸っていた私だったが、ふとテーブルの料理を見て、ある「現実」が脳裏をよぎった。このローストビーフの厚み。この潤沢な野菜の量。没落し、カツカツの生活を送っていた私の備蓄に、こんな贅沢を許す余裕はなかったはずだ。
「……ちょっと、待ちなさい。この食材、どこから持ってきたの?」
「母様、細かいことは気にしないのが美容の秘訣ですわ(微笑)」
「そうそう! 今が楽しければオールオッケーっしょ!」
オルガとユーフィが揃って目を逸らす。嫌な予感がして、私はよろめきながらキッチンの食糧庫へ駆け込んだ。
勢いよく扉を開けた私の目に飛び込んできたのは、驚くほど真っ白な、空っぽの棚だった。
「……空っぽ。一粒の麦も、一滴のオイルも……。あんたたちぃぃぃ!! 1か月分の食料を、たった1食で全部使い果たしたわねぇぇ!!」
私の絶叫が工房中に響き渡る。
「母様の誕生日を祝うというプロトコルを最優先した結果です。……てぇてぇ、のためには多少の兵糧攻めもやむなしです」
クララが淡々とログを刻む。明日からの献立どころか、今日の夕食さえ危ういという絶望。だが、そんな私にリュウガが黙ってケーキを一口、口に押し込んだ。
「……甘い。……けど、なんだか、すごく塩辛いわ」
私の涙がケーキのクリームに混じり、舌の上に複雑な味を広げる。するとリュウガが淡々と答えた。
「調味料の配合ミスではない。お前が泣くことを見越して、最初から塩分濃度を調整してある。……涙の塩味と合わさった時、初めてこのケーキは完成するように計算した」
「……え?」
驚いて顔を上げると、シスターズたちが慈愛に満ちた瞳で私を囲んでいた。
「母様、私たちが母様を泣かせないわけがないでしょう? 嬉しい時も、悲しい時も、母様はすぐに涙をこぼす。私たちはそれを知っていますわ(微笑)」
次女オルガが優しく私の涙を拭う。
「だから、しょっぱくてもいいんだよ! 母様の涙も全部、ボクたちが一緒に食べてあげるから!」
三女コルネが笑い、七女クララが静かにログを刻んだ。
「母様の涙による塩味補正、成功。……世界で一番美味しい不完全な味ですわ。……てぇてぇ、でございます」
30歳の初日は、空っぽの食糧庫と、少しだけ塩辛いケーキ、そして世界一温かい「家族」の笑顔で始まった。
私は、自分がこの瞬間のために生まれてきたのだと、生まれて初めて確信した。
この幸せな静寂が、直後に訪れる「技術院の総攻撃」という嵐の前の静けさであることを、この時の私はまだ知る由もなかった。
『【解析】エリー様、食料危機の絶望より、家族に愛された幸福が500%勝利。なお、リュウガ様に「あーん」された際、涙で塩辛くなったケーキを「人生で一番甘い」と感じるほど脳がバグりきっています(・∀・)』
「ファーファ! そのログは……もう、今日だけは消さなくていいわ。ずっと残しておきなさい」
ぜひご感想をお寄せください。
また評価とブックマークもしていただけると嬉しいです!!




