ミナ
吹雪の夜だった。魔物に襲われ、焼け落ちて間もない獣人の集落。私はたまたま通りかかっただけで、助けられる命はほとんどなかった。けれどもそんな雪の中、母親の亡骸に抱えられるようにして、一人の赤ん坊が泣いていたのだ。
放っておけなかった。私はその子を連れ、仕方なく旅を続けた。獣人の子で、猫のような耳があり、黄金色の目をしていた。名前をミナとつけた。由来は、前世で聞いたことのある言葉だった気がする。意味までは思い出せなかったけど。
ミナはよく笑う子だった。
泣いていたのは最初のうちだけで、山を二つ越え、海を一回渡る頃には、いつも私の隣で眠るようになるほど懐いていた。勝手に走り回り、木の実を取ってきては自慢げに差し出してくれた。私は最初、必要以上に距離を取ろうとしていた。どうせまた別れが来る。そう思っていたからだ。
だが子どもは容赦がない。
「ルシア、見て」
「ルシア、これなに」
「ルシア、さみしい」
そのたび、私は立ち止まるしかなかった。ミナを育てた二十年は、私の中の何かを少しだけ修復してくれた気がする。もちろん、永遠ではなかった。獣人の寿命は人間より少し長い程度だ。ミナは大人になり同族と恋をし、子を産み、次第に老いていった。
ミナは最期まで私を母と呼ばなかった。ずっと『ルシア』のままだった。その距離感が、私にとっても彼女にとっても、むしろ救いだったのかもしれない。
「ルシア、今までありがとう」
死の間際、ミナは寝台でそう言った。白く濁った目はもう私の姿を捉えていなかったと思う。けれど声だけは、不思議と穏やかだった。
「……置いてかないでよ、ミナ」
そのわがままを告げた直後、私は初めて人前で泣いてしまった。エドのときも、父のときも母のときも見せなかった涙を、私はミナの手を握りながら子どもみたいにわんわんと流し続けた。
ミナは弱々しく微笑む。
「置いていくんじゃないよ。先に行くだけ、でしょ」
それが、彼女の最期の声。
その言葉は、長いあいだ私の胸に強く残った。
『先に行くだけ』
たったそれだけの言葉に、救われた気がする。それから私は、少しだけ生き方を変えてみた。どうせ別れるのなら、最初から関わらないのは違う。誰かと時間を過ごすことは、失うことと同義ではない。失う日が来るからこそ、一緒にいた時間は消えない。そう考えるようになった。
簡単に割り切れたわけではない。相変わらず別れは痛く辛いものだったし、墓の前では何度も立ち尽くした。それでも私は逃げるのをやめることにした。
二千歳を超える頃には、各地で『白森の魔女』と呼ばれるようになっていた。見た目の変わらないエルフが、百年おきに同じ土地へ現れるのだから、噂にもなる。病を治し、魔物を退治し、たまに戦場で矢を放つ。助けた子どもがその地の王になったこともあるし、酔っぱらいに嘘つき呼ばわりされたこともある。
三千歳を迎えたあたりで、人間の王子に求婚された。
当然私は断った。彼は誠実な男で、私をエルフではなく一人の人間として見てくれていた。だが、私はもう、誰かの隣で一生を約束することができなかった。
「あなたは臆病だ」
王子は怒りもせず、ただそう言った。
「知ってる」
私はそう答えた。事実だった。私はこれだけ長く生きてきたが、何度も自分を臆病だと言い聞かせることで生きてこれた。愛することを恐れ、忘れることを恐れ、変わっていく世界に取り残されることを恐れた。長命だから賢いわけではない。むしろ長く生きるほど、自分の弱さを見せつけられる機会が増えるだけだ。この心持ちで、これからも生き続けていくしかないと、すでに諦め果てていたのだ。
逃げるつもりはない。
つもりはないが――
あれ?
果てのない時間は、その決心すら凍らせていた。
――そして四千年が過ぎた頃、大陸に大戦が起きた。




