第二話 クロスボウ父さん、ミルクが欲しい!
「……さて」
感動の余韻タイムは終わった。
柳楽蓮は、腕の中でスヤスヤと眠る赤ん坊を見つめ、冷静に現状を分析した。
現在地:見渡す限りの大草原(住所不定)。
所持金:日本円の小銭と、ゲーム内通貨(ここで使えるかは不明)。
装備:最強のクロスボウ、ボロいダスターコート、サバイバルナイフ。
仲間:役に立たない狼一匹。
「……まずは、心機一転だ」
蓮は大きく深呼吸をした。
もう、日本の冴えないサラリーマン「柳楽蓮」はいない。
ここにあるのは、最強のランカーとして作り上げたこの肉体だけだ。
「俺の名前は……」
本来なら新しい名前を考えるところだが、面倒だ。
それに、この世界で俺より強い奴なんていないはずだ。なら、あの名前をそのまま使えばいい。
「サイレント・ホーク」
沈黙の鷹。
何千時間も費やしてランキング1位に刻み込んだ、俺の誇り。
若干中二病くさいが、ハードボイルドな俺にはぴったりだ。
「……今日から俺はホークだ。よろしくな」
一人で納得して頷く。
次に、腕の中を見る。
金色の髪をした天使が、無防備な顔で眠っている。
「で、問題はお前さんの名前だな」
拾ったばかりの名無しの赤ちゃん。
何かいい名前はないか。
ホークは周囲を見渡した。
あるのは青い空と、果てしない旅路だけ。
「旅……トラベル……」
安直すぎるか?
いや、シンプルイズベストだ。俺のネーミングセンスを信じろ。
トラベル……トラベルナ。
「……トラベルナ。どうだ?」
呼びかけてみると、赤ん坊が寝言のように「うぅ……」と声を漏らした。
拒否はしていない。たぶん。
「よし、決定だ。お前はトラベルナ。愛称はベルだ」
沈黙の鷹と、旅の娘。
そして足元のウルフ。
うん、なかなかにまとまりのあるパーティじゃないか。
「よろしくな、ベル」
そう言って頬を突っつこうとした、その時だった。
「ふえ……ふえぇ……」
ベルが顔をしかめ、むずがり始めた。
小さな口をパクパクさせて、何が欲しいのかを全力でアピールしている。
「あー……そうだよな。腹減るよな」
ホークの顔から血の気が引いた。
ミルクがない。
当然だ。独身男性のアウトロー装備に、哺乳瓶が入っているわけがない。
「オギャアアアアア!!」
大草原に響き渡る絶叫。
それは敵の襲撃警報よりも恐ろしい、空腹のサイレンだった。
「やばい! 泣かないで! おじさん困っちゃう!」
さっきまでのハードボイルドな雰囲気はどこへやら。
ホークは必死にベルをあやしながら、ポケットを探る。
出てきたのは、アバターの初期装備である銀色のスキットル(水筒)。中身は空だ。
「容器はある。あとは中身だ……!」
顔を上げると、運良く街道の向こうから一台の豪華な馬車がやってくるところだった。
窓からは、ふくよかな乳母らしき女性が見える。
「……神(運営)の配慮か。まずは交渉といこう」
ホークは走った。
ベルを寒風から守るため、コートの前をきつく合わせ、必死の形相で。
側から見れば、懐に凶器を隠し持った、目つきの悪い不審者が猛ダッシュしている図だ。
「止まれェェェェ!!」
ホークが馬車の前に飛び出す。
御者が悲鳴を上げ、馬がいななく。
「な、なんだ貴様は! 山賊か!?」
「違う! 俺はただ、その女に用があるんだ!」
ホークは必死だった。ベルが泣き出す前に、ミルクを確保しなければならない。
彼は窓から顔を出した乳母に向かって、真剣な眼差しで、ド直球に叫んだ。
「頼む!! お前のそのデカい乳を、一発吸わせてくれ!!」
――世界が、静止した。
ヒュオオオ……と風が吹く。
乳母の顔が真っ赤になり、次に青ざめ、最後に憤怒の形相に変わった。
「き、きき、キャアアアアアア!! 変質者よおおおおおお!!」
「あ? いや、俺が吸うんじゃなくて、この懐の中の――」
ホークがコートを広げようとした瞬間(※傍目には露出狂の動き)、護衛の騎士たちが抜剣した。
「問答無用! 死ねぇぇぇ変態野郎ッ!!」
「待て! 話を聞け! 俺はただミルクが欲しいだけで――」
「それが変態の発言だと言うんだッ! 成敗!!」
ブンッ!
槍が鼻先をかすめる。マジだ。こいつら殺しに来てる。
「ちっ、交渉決裂か! 逃げるぞウルフ!」
「ワン!(最初から無理だろボケ!)」
ホークは全力で逃走した。
背後から「二度と現れるな汚物めー!」という罵声と矢が飛んでくる中、彼は涙目で草原を駆けた。
「……人間は、話が通じない」
「グルル(お前のコミュ力が死んでるだけだ)」
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人間社会に見切りをつけたホークの前に、次なるターゲットが現れた。
300メートル先。草むらの向こう。
禍々しいほど巨大な角を持つヤギ――グラス・ゴートだ。
腹にはパンパンに張った乳房がある。
「……やはり野生。野生こそが友だ」
ホークは気を取り直して指示を出す。
「行くぞウルフ。俺が風下から回る。お前は正面から脅かして誘導しろ」
「ワン(今度こそ任せろ)!」
作戦開始。
ウルフが勇猛に飛び出し、ヤギに向かって吠える。
だが、ヤギは逃げなかった。逆に「あぁん?」とメンチを切り、ウルフに突進した。
「キャイン!?(つ、強い!)」
「弱っ!!」
5万円の狼が宙を舞う。
ヤギはそのまま、潜伏していたホークに向かって突っ込んできた。
地面を揺らすほどの突進。ただのヤギではない、明らかな猛者だ。
「やる気か……いい度胸だ」
だが、ホークは眉一つ動かさずクロスボウを構えた。
殺してはミルクが取れない。狙うのは、意識のみ。
ヒュンッ!
放たれた矢が角の隙間を抜け、延髄をかすめる。
【スタンショット】。
ドサッ。
巨体が崩れ落ちた。
「ふぅ……。確保完了だ」
ホークが安堵のため息をつき、ヤギに近づこうとしたその時だ。
ピロリン♪
脳内に電子音が響き、目の前の空間に半透明のウィンドウが現れた。
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【システム通知:エリアボス討伐確認】
《大草原の主:グランド・エンペラー・ゴート(Lv.80)》を無力化しました。
経験値を獲得……レベルが上昇しました。
Lv.1 ⇒ Lv.45
スキルポイント【4400pt】を獲得しました。
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「……は? レベル?」
ホークは目を丸くした。
『Iron Verdict』にレベルアップの概念などない。完全な実力主義のゲームだったはずだ。
それに、なんだこのヤギの名前。エンペラー? ただの雑魚モブじゃないのか?
だが、そんな疑問を抱いている暇はなかった。
「オギャアアアア!!」
ベルの泣き声が限界に達している。
「いかん、考察はあとだ! ミルクだ!」
ホークは焦った。
目の前には気絶したヤギ。手には空の水筒。
だが、どうする? 素人が乳搾りなんてできるか?
それに衛生面は? そのまま飲ませて腹を壊したら?
その時、ウィンドウが切り替わった。
【スキル習得が可能になりました。ポイントを割り振ってください】
ズラリと並ぶスキルのリスト。
[剣聖] [剛腕] [大魔法]……強力そうな戦闘スキルが並んでいる。
だが、今のホークの目にはそんなものは映らなかった。
「……ミルク! ミルクを取れて、安全に飲ませるスキルはないか!?」
彼は血走った目でリストをスクロールし、見つけた端からタップした。
[神速の乳搾り Lv.MAX] 習得
[殺菌・滅菌の心得 Lv.MAX] 習得
[液体温度感知 Lv.MAX] 習得
「よしッ!!」
スキルを得た瞬間、身体に電流が走った。
「やり方」が脳に直接インストールされる感覚。
ホークは迷いなくヤギの乳房に手を伸ばした。
シュババババババッ!!
目にも止まらぬハンドスピード。
一滴もこぼさず、ヤギに負担もかけず、瞬く間に水筒を満たす神業。
「次は殺菌だ!」
手早く火を起こし、カップをかざす。
[液体温度感知]が発動。現在の温度、沸騰までの時間、雑菌の死滅ラインが数値として見える!
「煮沸完了! 冷却! 目標温度37度!」
手首に垂らすまでもない。見ただけでわかる。
「……今だ!」
完璧な温度管理。
ホークは清潔な布にミルクを含ませ、ベルの口元へ運んだ。
ちゅぱ、ちゅぱ。
ベルが夢中で吸いつき、ごくごくと喉を鳴らす。
その顔は、至福に満ちていた。
「……よかった」
ホークはその場にへたり込んだ。
ボス戦よりも、ミルク作りの方が百倍疲れた。
一息ついて、彼は改めて空中に浮かぶウィンドウを見た。
残りのスキルポイントは……ほぼゼロ。
大量にあったポイントを、すべて「乳搾り」と「衛生管理」にぶち込んでしまったのだ。
「……ま、いっか」
ホークはベルの寝顔をつっついた。
戦闘スキルなんて、どうでもいいさ。
それより、この子が腹を壊さないことの方が重要だ。
「ん? ていうか……」
ふと、冷静になってログを見返す。
『グランド・エンペラー・ゴート(Lv.80)』。
それを一撃で倒し、一気にレベル45まで上がり、大量のスキルを得た。
ホークは誰もいない大草原で、ポリポリと頬をかいた。
「あれ? 俺、またなんかやっちゃいました?」
これぞ、なろう系主人公の伝統芸能。
謎の方向を向いて第三の壁を突破しようとしている。
足元のウルフが「こいつ自覚なしかよ……」というドン引きした顔で見上げていることに、親バカなパパは気づく様子もなかった。




